このコラムの触りだけでもいいものだと分かる話です。
時間軸を中心において、未来が気になる、過去が気になる、現在が気になるの三段階だと示す。これは小説読みとして、めちゃくちゃ腑に落ちた。納得した。小説を書き出そうとおもってしまった。そういうことだったのか、というおもいでいっぱいだ。
「これから何が起こるのか」の興味で引っ張る、「なぜこうなったのか」の謎で引っ張るという2つが大事だという話で、しかも「この2つを必ず交差させること」との具体的作業が指示されていて、すばらしい。
この指示だけで、多くの人が小説書きに動き出しそうにおもえる。
!図星!
主人公を追っていくことでしか、自分の心の中にうずいたものが解消されないとわかった途端、その物語は他の誰のものでもないとなりますし、もうこうなれば一蓮托生の一員に化す瞬間です。
行って、帰ってくる、のが物語の基本型だと教え、それは「日常から非日常へ行く」という説明が加わる。
つまり「ふつうの生活」から「いつもと違う日々」に移って、そして、また戻ってくる、という形のことなのだ。物語はこれが基本と教えてくれて、わかりやすい。
「小説の企画書」の書き方である。以下のものを、簡単に書けと教える。
- 「タイトル案」
- 「小説の概要/他の小説とどこが違うのか/そのウリ」
- 「メインプロット/中心となるお話の展開/アレだったナニが、ソレコレして、アンナふうになってしまったと短く書く」
- 「キャラクターとサブプロット」
- 「ストーリー/起承転結に沿って書く/オリジナリティーはそんなにいらない」
簡潔にまとまっていて、すごい虎の巻だ。たしかにこれさえ作れば百人力、いろんな物語が書けそうである。
とくに4.「キャラクターとサブプロット」のキャラクターについて「そのキャラクターに言わせてみたいセリフを考えてください」というところに唸った。
キャラクター作りというと、育ちがどうで、だから喋りがどうで、人に対するときにこうなって、でも心の中はべつのことをおもっていて、と考えてしまうが、そこまではいらないらしい。
物語のなかで、どんなセリフを言う役割なのか、それを決めればいいらしい。
簡単だ。
しかも考えやすい。
端的で、実際このとおりです。
作り手でなくたって、「自分が好きな作品」に通じる構造上の話を垣間見れるようで嬉しくもなれます。
プロがリアルに想像している「読者の立場」と、書きたいことが優先している一般人の「読者の立場」は隔絶している、ということのようなのだ。
これは言われるまで気づかなかった。まあ、私が私の話を聞く人の立場をリアルに想像できてなかった、ということなのだけれど。
文章を書くとき、極端に言えば、「自分とは完全に他者である読者の立場」をリアルに想像できれば、それで、人が読んでくれるものになる、たぶんプロに近づけるということなのだ。
だからいくら「読者の立場になれ」と簡単にいっても、言葉が簡単なぶん、かえって全然通じない、ということが起こってしまっている。
わかりあいに向かおうとするほど、この葛藤は大きくなるのです。近づこうと試みるほど、その人が苦しみだすのは、なんとも因果な話ではありますね。
ペルソナ像として説明している。「たった一人のユーザー像」を設定しようという。
そして作者自身が最初にどういう「たった一人のユーザー像」を立てたのかを明らかにしている。
それは19歳から20歳の自分、だったのだ。
「その頃の自分が読んだら、震えるような小説を書きたい」という。
典型的な知るは易し、するは難しの典型です。
実際作ってる人間サイドからは心当たりしかないし、これがばれちゃあしょうがねえくらいに切迫のひとつも起こるけれど、この「峠」の認識できなさで「作り手」と「買い手」に別れてるルビコン川なのも本当だ。