挫折の季節 | アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

挫折というものは不意に来るものだし、心は「成功する」ケースにしか準じた準備をしていないという怠りがあるので、どうしたってショックが大きい。

 

挫折を軽減することは実は事前にできる。

期待をうんと少なく分量すれば、そもそも挫折に分類させないで済ませられる。

 

その意味では挫折はマッチポンプに近い。

期待を上げた自分は「なんの罪にも咎めない」からこそ、挫折事項には「わけがわからない」に分類させやすい。

 

望みだした自分、高みであったはずの自分、が「そうではない」という、ごく局地的な拒否に、滅多打ちになってしまう。

 

これは実に人らしい感性の話で、脳内のお城に住んでいた人ほど、そのショックをきつく覚える。

 

事情やいきさつのうちに、自分に恵まれるはずだったものが巡ってこないのだとしたら、不運ではあるけれど、「それもそのときの答え」であり、こちらの否応の外に準拠した現実って意味では、手の出しようのないことでした。

 

詮無きこと、といわれる部分なんかに自分が揺さぶられるのだから、ショックは大きなもののはずです。悲しいでしょうし、苦しいでしょう。

 

そこに見えるものを、

そこで得た感覚を、

 

どうか自身の生き様のうちに埋め込んでほしい。

 

ただならぬショックの向こう側にも、生き続ける道筋があって、「まだ見えていなかった」景色はいいも悪いもない。ただ、起きる。ただ、対峙するものでしかない。

意味、で事態が起こることがないのだから。

 

ただ、人の「意識」の内ではこれが逆さになって起こる。

意志の力で・・・とどこか期待をする。

 

起こることは起こることで、起こった後はなりゆきのうちに最善であればいい。

それ以外は、どこにも・なんにもない。

 

そういう堂々で生きていけばいい。

 

大丈夫よ、そういう人には「人生万事塞翁が馬」って言葉を字引で引くことを薦めるわ。

賢くなるチャンスだよ。「これはそういう機会だった」にできた人に、運命の女神は目が行くんだ。