永らく、「水に流す」を是としてた日本の気質めいたものは、その「見逃し」の挙げ句に幾度ともない「似通う失態」を連発され続け、ネットの普及から次第に「永らく許さな続ける」バリューを手にした感がある。
何かというと大手企業さんや政治家先生が失態失敗大被害をろくろく謝罪しきりもせぬうちに、「次回はこうならないよう、僕、頑張る!」と標榜しだして「水に流しやがれ」のすっとぼけが適ってた世相は去り、執拗にロングテールで根掘り葉掘りがマスメディア以上にSNSの連携から、端々の情報が集約され、即共有され、空気感となって、事態の赤裸々が激しくなりました。
マスメディアがその任を担ってたら、まだこれほどしつこくしないで済んだかもしれない。
けれどそのメディアが「結託側」の一員なものだから、鼻から猜疑心パンパンのスタートを切っている。
大手なら「手の打ちよう」もあっただろうが、事の次第が「ネットに介在自由」なだけの個々人が相手となるや、もはやその収束は敵わないでしょう。なんせ温度差や執拗さが個々人によって全然粘度を変えますから。どこにも照準できやしない。
それが昨今の小学館・日テレの漫画家自殺への返礼に見えます。
「従来どおり」をまかり通そうとしてる大手企業さんは、「従来どおりばかりは許さねえ」を意固地なまでに発揮する個々人の連携で、「とうとう許さねえ」の領域に片足突っ込んでみえます。
その修繕は誠意の他ないのに、その誠意の位置が妙に高く、事態の明確な問題点を晒しもしない。謝罪と「次回は頑張る」のタイミングも全く悪手。
どうおさめるんでしょうか。