友人が特異体質でして。
緊張すると、すぐに腹が痛くなる訳ですよ。
そんな彼を見て、詞を書きました。





嬉しいじゃない 楽しいじゃない
言葉にならぬほどの喜び
なに話す? なにをする?
考え切れぬほどの喜び

ここ一番でつまづいてる曖昧な空の下
ここ一番で耐えてみせるといつも思ってる

辛いじゃない 苦しいじゃない
言葉にならぬほどの痛み
なに話してる? なにをしてる?
考えてられぬほどの痛み

ここ一番でつまづいてる曖昧な空の下
ここ一番で耐えてみせるといつも思ってる
だけどいつだって同じ結末

いつからこうなった?
いつからこうだった?
思い出せ
いつまでこのままで
どこまでこのままで
イマジネーション・ブルー

小さなことに押し潰された
自らの妄想に
たいしたことはないんだと
自分に言い聞かせて
きっといつかは変える結末

いつからこうなった?
いつからこうだった?
思い出せ
いつまでこのままで
どこまでこのままで

いつかは変えてみせる
いつかは越えてみせる
イマジネーション・ブルー
いつか思い出せば
笑い飛ばせるほど
強くなる

この曲には秘密があって、コード進行が、ほぼ「猫」と同じなんです。
当時は「猫」の詞に納得がいかなかったので、
詞とメロディを変えた曲を作ったわけです。
リズムも違うけど。
詞の世界観としては、オレオレの哲学がほとんどなんだけど、
発端は「君がそこに立っているのなら」の部分です。
詞を書いた当時、毎朝、出勤時にバス停にかわいい女の子が立っていて、
一歩踏み出して、その女の子に声を掛けることができたら、
未来が変わるのかな、なんて思ってたわけですよ。





両手に有り余る夢を
ただ見続けているだけだし
踏み出すことを忘れたまま
気がつけばこぼれているし

後悔だけはしたくはないと
思ってみても
群れのなかへ
逃げ込むだけだし

目の前のこの壁は
見上げるほど高そうだし
目の前を流れてる川は
渡れないほど深そうだし

いつかこの世界が変わることを
このままここで
待ってるだけで
なにもしてないし

でも もしも
君がそこに立っているのなら
少しだけ踏み出してみる

揺るぎない思いを心に持って
少しずつなら

手を差し伸べられたとしても
信じられずに
堕ちてゆくのも悪くはないし

でも もしも
君がそこに立っているのなら
少しだけ踏み出してみる

例えそれが小さな一歩でも
少しずつゆっくりと
変えてゆく未来を

実はこの歌詞の本当の意味は眉毛なんです。
まずtomorrowを麻呂(まろ)に置き換えます。
麻呂とはつまり平安時代の貴族のことで、
現代日本では手入れしすぎて
平安貴族っぽくなった眉毛を持つ女性を麿と呼びます。
流行を追って眉毛の大半を剃り落とした女性たちに捧げました。





鏡の向こう側 自分を睨みつけてみる 今日も笑う
時代の流れと共に 失われたものをふと思い出す

現実から目を逸らしたい 夢を描きたい
巧く描けても描けなくても 時間は過ぎてゆく

tomorrow 取り返しがつかない元には戻らない
tomorrow 現実を受け止めて
tomorrow 目を覚ませ

他人の視線に 押し潰されて震えてる臆病者
他人の視線が 気になって仕方ないナルシスト

現実に立ち向かう強さを いつも隠してる
巧く切り抜けてるつもりでも 誰かを頼ってる

tomorrow トリックに騙されて涙流れても
tomorrow 現実を受け止めて
tomorrow 目を覚ませ

tomorrow 取り戻せるさ きっとそう信じるなら
tomorrow 現実に目を向けて
tomorrow 目を覚ませ

友人と、夢を語っていたころに書いた詞と曲です。
自分で自分を鼓舞するような感じで。
いまだに、あの丘の向こうには行けてませんがね。





知らないうちに僕らは
この流れに取り残されて
出来損ないのレッテル貼られたって
認めたりしないさ

つまらない現実も
ぎこちない夢の世界も
きっと本当は背中合わせさ

知らないうちに僕らは
あの流れに飛び乗って
過ごした時が無意味だとしても
諦めしないさ

揺るぎない希望で
まだ見えてこない未来を
きっと僕らは歩いていよう

型に嵌まったモラルに流されて
それが君のスタイルかい?
目を伏せたままの君を連れ出して
はみ出してみるのもいいじゃない

行ってみようよ
あの丘の向こうまで

手のなかをすり抜けた
儚い思い出たちに
囚われはしない
ただ前だけを見ていたい

プライドを捨てて時代のせいにして
それが君のスタイルかい?
耳を塞いだままの君を連れ出して
はみ出してみるのもいいじゃない

行ってみようよ
あの丘の向こうまで


どうも昔から、日本贔屓の酷い実況に耐えられんのだが、

それでもなんとなくチェックしてますよ、ニュースで。

ええ、誤解を招くといけないので先に書いておきますが、

五輪代表選手たちのことは、素晴らしく立派な対象として見てます。

嫌悪するのは、それを扱う報道関係者なんですね。

モケ太郎の記事に、女子モーグルについての記事があった。

なんだか複数の選手がいるようだが、

なんせニュースからしか情報を得ていないので

上村と里谷さんしか知らん。

というか長野のとき。

報道は、ルックス濃厚な感じで上村に偏っていたわけで。

しかし蓋を開けてみれば、里谷さんが金メダル獲得。

もっと称えられもよかったが、

クラブで外人と猥褻行為をしたとかなんとか、

そういう報道をされる始末。

真偽のほどは知らんけど、酷い扱われようだったな。

そんな経緯もあり、今回も里谷さんに金メダルを獲ってもらい、

道関係者の動きをチェックしようと思っていたのだが、

里谷さんの結果は残念なものだった。

実力的に、どう見ても里谷さんのほうが昔から現時点まで

格上だったのではないだろうかと。

ではなぜ上村だけにスポットを当てるのかと。

まあ、所詮は視聴率でしょうかね。

だがしかし、ルックス云々言うけども、

そしてしん405が上村愛子に傾倒しようとも、

上村が劇団ひとりに見えた時点で、

俺のバンクーバーは終わっていたんだね!

ありがとう俺!

そしてさようなら俺!