黄 昏 ハ ン ド メ イ ド 。 -5ページ目

黄 昏 ハ ン ド メ イ ド 。

耕 せ ば ま た よ み が え る 星 だ か ら ぼ く ら は 両 手 を も っ て 生 ま れ た

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「ルーム」

原題:ROOM
公開:2015年
製作国:カナダ、アイルランド
原作:「部屋」
         エマ・ドナヒュー
監督:レニー・アブラハムソン
脚本:エマ・ドナヒュー
出演:ブリー・ラーソン
         ジェイコブ・トレンブレイ
         ジョアン・アレン


17歳のときに誘拐され、7年間監禁されていた女性ジョイと、監禁された「部屋」で生まれ育った5歳の息子ジャック。

母と息子、そしてその家族たちの再生の物語。


本作を観る前、多くの人は監禁された親子が自由を得るまでの物語だと思っただろう。

実際、ジャックが脱出するシーンの緊迫感、初めて枠のない空を観たときの表情、親子の対面シーンでのブリー・ラーソンの鬼気迫る演技は、本作の大きな見どころである。

しかし、この映画の凄いところはその先だ。


現実にこういった事件が起き犯人が逮捕されると、私達は「よかった、これで解決だ」と思ってしまう。

 実際、ジョイも監禁されている間は、ただ解放されることだけを考えていた。

しかし解放された彼女たちに待っていたのは、7年という歳月によって変わってしまった現実だ。

その、私たちが普段知ることのできない被害者たちの苦悩を、本作はとても丁寧に描いている。


若い女性が拉致監禁される事件は、今も昔も後を絶たない。

犯人にとって被害者は道具でしかない。好きなときに好きなだけ、欲望を満たせる道具。

そんな状況で被害者は、自ら感情も人格も失った道具になる。そうしないと、壊れてしまうから。


でもジョイにはジャックがいた。ジャックのためにジョイは人であり続けた。

何の迷いもなく100%の力で自分を信じてくれる子どもという存在は、母を強く成長させる。

その母と子どもの特別な繋がりを、ジャックとジョイ、そしてジョイとその母ナンシーという2組の親子の姿から感じることが出来る。


俳優陣の演技の素晴らしさがこの映画の質をグッと上げているのはもちろんだが、やはり原作の力は大きいと思う。

さらに原作者が脚本を手掛けていることで、ブレのない芯のあるメッセージが伝わってくるのだと思う。

それは、巨悪の根源である犯人をほとんど描かず、本名すら明かさないという徹底ぶりに表れている気がする。


実際、犯人に制裁が下る場面を描いた方が観客はすっきりするだろう。

でも描きたいのはそこではないのだ。

母は子どものために強くなり、子どもは母のために強くなる。

そんな親子という特別な繋がりに焦点を当てた作品だった。



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「帰ってきたヒトラー」

原題:Er ist wieder da

公開:2015年

製作国:ドイツ

監督:デヴィット・ヴェント

脚本:デヴィット・ヴェント

原作:「Er ist wieder da

         ティムール・ヴェルメシュ

出演:オリヴァー・マスッチ

         ファビアン・ブッシュ

         カッチャ・リーマン



現代にタイムスリップしたヒトラーが、リストラされたテレビプロデューサーと出会い、モノマネ芸人として大ブレイクするというお話。



ヒトラーやナチスをコメディとして扱う作品が増えてきているという。


そこには、戦後70年以上が経ち、ヒトラーをただ悪者としてでなくひとりの人間として描こうとする姿勢や、戦争を知らない若い世代へ向けてのアプローチといった経緯があるのかもしれない。


とはいえ、個人的には手に取ることはないであろう作品だったが、息子が観たいというので鑑賞。



正直言って序盤はコメディとして見ても惹きつけられるものがなく、途中で観るのを辞めようかとも思った。


しかし中盤から「ん?なんか変わってきたぞ?」と感じ、そこからは集中して観ることができた。


その大きなポイントとなったのは、やはりゲリラ的に撮影された、街の人々のリアルな反応だろう。


最初に行われたというこの撮影は、ドイツ中を車でまわり、380時間以上に及ぶ記録となった。


なるほど監督はこれがやりたかったのかと合点がいった。



そして「最初はみんな笑ってた」という言葉に、観客はふと我に返る。


「あれ、自分も笑ってなかったっけ」と。


そしてこれが遠い昔の出来事でも、遠い国の出来事でもないことに気づくのだ。


そうなると序盤のコメディ要素はもちろん、ポスターや予告など売り出し方もうまいなーという印象に変わる。


見た目で「面白そう!」と手に取った、うちの息子のような人ほど心に響くと思う。



歴史と向き合うことは、今と向き合うことでもある。


私たちは思っている以上に、危うい場所に立っているのかもしれない。





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「ロゼッタ」

原題:ROSETTA

公開:1999年

製作国:ベルギー、フランス

監督、脚本:リュック・ダルデンヌ

                  ジャン=ピエール・ダルデンヌ

出演:エミリー・ドゥケンヌ

         ファブリッツィオ・ロンギーヌ

         オリヴィエ・グルメ



トレーラーハウスでアル中の母と暮らす少女ロゼッタを、ただただ見つめる映画。



観客は映画が始まったとき、ロゼッタという少女と知り合う。


なにかに追われるように、何かを追いかけるように、忙しなく動き回るロゼッタをただ見つめる。


ダルデンヌ作品はいつも、見えないものを語らない。


観客は彼女の見える部分から、見えない部分を想像していく。



ロゼッタは常にギリギリだ。


そのギリギリさが、彼女がまだ幼いことを感じさせる。


普通なら友だちとファッション雑誌を読んで、欲しい洋服のために働くような年頃の彼女は、アル中の母と生きていくためにただただ働く。


食べることも、服を着ることも、生きることも楽しんでいない。


そこには、楽しめないというより楽しむことを拒否するかのような、幼さゆえの頑なさを感じる。


そんな少女が見えない何かと一心不乱に戦うことをやめ、ほんの少し周りを見た、その小さな変化が見事に切り取られている。



多くを語らず、何も解決しないダルデンヌ作品は、言わば不親切だ。


しかしだからこそ「映画を観た」というよりは、自分の人生がロゼッタの人生と、ほんの少しの間交わったような感覚になる。


今もどこかにトレーラーハウスがあって、その周りを忙しなく動き回るロゼッタがいる気がするのだ。



私はそういうダルデンヌ作品が好きだ。


たくさんの映画を観てダルデンヌ作品に戻ってくると、説明されないことがとても心地いいのだ。


いつかまたどこかで、少し大人になったロゼッタと、人生が交わる瞬間があるかもしれない。


そんな気がしてならない。