平日でしたがきっと混んでいるだろうと思い
開館一時間前に上野駅で待ち合わせ。
ところが人身事故が起きてしまい
お互いもろにその影響を受けてしまいました。
上野駅構内になるたいめいけんにていただきました。
オムレツふわふわでおいしかった~。
オムレツふわふわでおいしかった~。
腹ごしらえも済んでいざ東京都美術館へ。
覚悟はしていたけどすごい人。人。人。
流れも悪く非常に見づらかったですが
なんとか見てきました。
第一章は「家族の肖像」
モネといえば風景画というイメージですが
愛する家族を中心にいくつかの肖像画を残しています。
その中でも有名なのはこの絵ではないでしょうか。
「ポンポン付きの帽子をかぶったミシェル・モネの肖像」
1880年
ミシェルはモネの次男で
彼を描いた肖像画は3点残されているそうです。
妻や子供を描いた作品は
どれも暖かく柔らかい空気に満ちていました。
第二章は「若き日のモネ」
11歳で中等学校に入学したモネは
学業に退屈し、教師たちをスケッチし始めます。
誇張して描かれるカリカチュアは人気を博し
17歳のころにはそれを売り
風刺画家として知られる存在となりました。
「ピアノの前の若い女」 1858年
とても誇張されユーモラスに描かれてはいるが
そのデッサン力の素晴らしさは圧巻。
第三章は「収集家としてのモネ」
ここではモネが所有していた作品が並びます。
「洞窟の中の若い母」 オーギュスト・ロダン
モネとロダンは同い年。
1889年には大規模な二人展をパリで開催しています。
第四章は「モティーフの狩人」
ギイ・ド・モーパッサンはモネを「狩人」と評しました。
同じ主題でありながら
時間帯や天気など異なる環境で描かれた絵の数々。
そうして絵画を探求していくモネの姿は
画家というより狩人のように見えたのでしょう。
「断崖とポルト・ダモン、朝の効果」 1885年
題名からしてモネが
時間帯によって変化する光の効果を
探求している様子がわかります。
特にヨットの絵は素晴らしかった。
第五章は「睡蓮と花―ジヴェルニーの庭」
モネは1883年にジヴェルニーに移り住みます。
庭付きの家を借りたモネは
ジヴェルニーの美しさに魅せられ
1890年に正式にこの家の所有者となり
終の棲家となりました。
「睡蓮」 1907年
大の園芸愛好家だったモネは
庭に様々な植物を植え、それを描きました。
そして、次第に花だけではなく
その周辺の環境にも目を向けるようになると
水と、その中に揺らめく水草を描くことに夢中になり
所有地の一角に睡蓮の池を作るのです。

「睡蓮」 1917-19年
こちらは彼が77歳から79歳にかけて描いた睡蓮。
一見すると抽象画のような作品ですが
その色使いはまさにモネの色彩で
抽象的になることでその色合いが
さらに生き生きとしているような気がしました。
第六章は「最晩年の作品」
モネの最晩年は、孤独との戦いでした。
画家仲間たちが次々とこの世を去り
1911年には妻を、1914年には長男を亡くします。
さらに第一次戦争が勃発し、次男が出征
モネ自身も白内障を患います。
しかし彼は筆を置きませんでした。
「バラの小道、ジヴェルニー」 1920-22年
燃えるような赤で包まれたバラの小道。
本能のままに置かれたような色は
幾重にも重なって驚くほどの奥行きを感じさせます。
この作品が描かれたのは
白内障の症状が最も重かったといわれる時期なのです。
1923年に白内障の手術を受け
改めてこのころの作品を見たモネは驚きを覚え
86歳で亡くなるまでアトリエに保管されました。
こうしてモネの生涯を作品を通し辿ってみると
その探求心、情熱に改めて驚かされるとともに
これほどまでにブレない画家はいなかったのでは
と思わされました。
確かに彼の絵は年齢とともに変化していますが
それが逆に彼が描きたいものを
より鮮明にしていったような気がしました。
そしてやはり国内でのモネ人気は凄かった。
あんなに混んだ美術館久しぶりだったよ(笑)
モネ展 in 東京都美術館
2015.9.19 ~ 2015.12.13
















