もっと色んな場所に行けたら、

色んなものや人に出会えたら、


1つのものに囚われなくても生きれるようになるのだろうか。


執着はいけないと思う。

想いが大きくなると重くなるのもわかってる。


だけど、1つのものばかり見てしまうのは、

もっと同じ空間を感じたり触れたり共有したりしたくなるのは、

なくならない。


日に日に強くなる。


そのたびに離れて行く気がする。


糸の切れた凧。

独りよがり。


もしかしたらそうなのかもしれない。

そうじゃないかもしれない。


わからないから不安。


だけど、答えを確かめる勇気がない。


ジレンマ。


無気力。


情緒不安定。


心が乱れる。


型にはまってしまって、


思うように動けない。


つまらなさ。


抜け出せる時はいつなんだろう。。。

そんな神経質にならなくていいって言われると、
心が軽くなる。

言われるたびに、心が自由になっていく。

自分がわからなくなった。


私ってどんなんだっけ?


イメージは勝手に作られるもの。

相手によって変わるもの。

誰にも見せてない私だってある。


例えば、嵐のDVDを見ている時の私は、私しか知らない。


イメージだけが全てじゃない。

そんなものに囚われる必要はない。


自分が居心地の良い自分でいることが大切。


適材適所で自分を使い分けることも大切。


使い分けることは、ウソをつくのとは違う。

無理して自分を作るのとも違う。


どこに行っても、私は”変わらない”から。

”変わらない”部分があるはずだから、

自分は自分でいられるんだと思う。


・・・のはずなのに、今はそこがちょっとわからない。


きっとフィルターがかかってるから。


憧れと尊敬。

承認の欲求。


自分がどう感じているのかの前に、

あの人はどう感じたんだろうか?


自分が出来てるか出来ないないかの前に、

あの人はどう評価したんだろうか?


誰かを通して物事を見ようとするから、

自分の基準がブレる。


でも、これは自分が勝手に思っていること。

相手の基準を自分で想像しているだけのこと。


自分の基準と自分が勝手に作り上げた相手の基準との乖離に、

1人で苦しんでいるだけ。


どうすればいいのかは簡単。

自分の基準だけで物事を見ればいいんだ。


なのにそれが出来ないのは、

自分の中に占める相手の割合が相当大きい証拠なのかもしれない。