「明るく、元気に!!」・・・て、
普通じゃ駄目ですか?
「明るく、元気に」・・・は、
強制されるものですか?
「明るく、元気に」・・・
じゃなきゃ、その場に居てはいけませんか?
「明るく元気に」・・・
アカルク、ゲンキニ・・・・・
「明るく、元気に!!」・・・て、
普通じゃ駄目ですか?
「明るく、元気に」・・・は、
強制されるものですか?
「明るく、元気に」・・・
じゃなきゃ、その場に居てはいけませんか?
「明るく元気に」・・・
アカルク、ゲンキニ・・・・・
どうにもならなくても
自分の気持ちにウソはつきたくない。
でも、それが相手を苦しめるとしたら?
相手が苦しんでるかどうかは、相手が決めるしかない・・・
かもしれない。
実は、「相手が苦しんでるかもしれない」と、思う自分が苦しいのかも。
相手のことを考えろと言うけれど、考えたところで所詮それは相手のこと。
悔いが残らないように、自分の気持ちを伝えたら、
あとは相手の決断を待つしかない。
相手が決断をした時、答えが出る。
そして、それを受け入れる。
もちろん、その間に自分の気持ちが変わったら、それもそれでよい。
答えがでる、その”とき”がきて
相手の決断も、自分の決断も、受け入れるためには、
やっぱり、悔いが残らないように、自分の気持ちに正直に、
一瞬一瞬としっかり向き合わなければならないと思う。
正しいことばかり選べない。
正しいことばかり選べたら苦労はしない。
人には、頭だけではなく心があるから。
教科書通りにはいかないし、世間のいう常識通りにもいかない。
だから、時には「間違い」を選んでもいい。
その間違いは、自分と向き合って逃げなければ、いつか正しいに変わる。
そう信じてる。
生きていくって、そういうことかな?
ねがい。
どうか大切な人がこれ以上苦しみませんように。
御飯が食べられますように。
住むところが奪われませんように。
負けませんように。
倒れませんように。
壊れませんように。
今を乗り越えられますように。
何もできないことがくやしい。
一緒に居たいけど、それすらできない。
そんな状況じゃないのはわかってる。
どうにも出来ないことってあるんだ。
自分自身が苦しくて、相手のことを思って、
お互いに手を放してしまった。
でも放したかったわけじゃない。
だから、あのとき放すべきじゃなかった。
タイミング間違った。
話そうとしても、その余裕すら今はない。
嫌いじゃないのに、別れなきゃいけないなんて。
苦しんでるの分かってるのに手を離すなんて。
でも、私の存在もあなたを苦しめる要因になってしまう。
支えたいのに。支えられない。
終わることもできない。
動けない。
もっと早く向き合えばよかった。
それか、もっと後にすればよかった。
10月どころじゃなく、いますでに危うかった。
私の選択が甘かった。
あの日じゃなかった。
野球見て、くっついて何となく終わっていれば・・・。
いや、あの日いつも通り過ごして、今を迎えていたら、
今よりもっとどうしようもなくなってたかもしれない。
あの日、距離を置いたから、今の苦しい状況でも冷静でいられるのかも。
一緒に居られた時間があるから、今笑っていられるのかも。
「話そう」って約束があるから、明日を信じられるのかも。
まだ完全に終わっていない。
だから、
どうか大切な人がこれ以上苦しみませんように。
御飯が食べられますように。
住むところが奪われませんように。
負けませんように。
倒れませんように。
壊れませんように。
今を乗り越えられますように。
そして、乗り越えた先で、2人一緒に向き合って、笑えますように。