あんこはみ出しそうな 太っちょ鯛焼き~



よく似た社長さんが差し入れてくれました~(陰で共食いだわ~)



いただきましょう~♪♪
いつまでも霧が晴れないですね~




雨模様かなー~




80歳からの社長さんが しゃんしゃんと見えたー




ホットでも入れましょうか~




はー 今日の天気みたいに ぼーっとしてるから ボーットでもいいよ~




ボーットねー~




温めがいいのかなーって考えたー~




でもホットはねー~♪
奉公先では 厳しさ 苦しさは耐えることは出来ても 寂しさは耐えられなかったね。~




一日が終わって布団をかぶった途端 故郷の光景がぱーっと出てくるんです お袋の顔が浮かんでくるんです。




帰りたいなーと毎晩泣いていました まだ15歳 親に甘えたい でも おやじの帰って来るな の言葉は守らなあかん。




半年後の1961年10月 チチキトク スグカエレ の電報が届きました 。




急いで帰りましたが 10分前に亡くなっていました。 57歳でした。 最後まで 正嗣は 正嗣は と言っていたようです おやじはやっぱり心配してくれてたんやなーと実感しました。




2年たった頃 同級生とばったり会って 給料の話になった。
私は月5000円になってましたが 同級生は1万円 私より楽な仕事しているのに




早速転職したくなりました。 お袋に電話すると 辛抱しなさい きっと良くなる 泣きながら繰り返すんです。




結局 奉公の5年間で人生の大切なこと 耐えるということを学びました。
お袋の言葉はその時恨みがましく思いましたが それ以上の教えはない ということに後で気付きました。




67年に22歳で独立してお好み焼きのお店を始めて 73年に 千房の1号店を開店しました そして全国展開へとつながりました。




同級生との差額5000円。
どこかで貯金されていて 今 利息かついて返ってきているような気がします。




なんで頑張っているのにわかってくれへんの と思うことはいっぱいあるでしょう でも その頑張りは埋め合わされる そう 思います。




学歴も能力も何もなかった私ですけど マイナス マイナスて思ったことが 今になっては全部プラスになった




欠けていることがよかった。
欠けているから伸びるんや。