やほほ(゚ω゚)

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皆様花粉は大丈夫ですか(゚ω゚)?




今日は打ち合わせでしたよ!


4/12のワンマンについてと、メジャーデビュー曲のMVについてヾ(゚ω゚)ノ




大阪ワンマン、おかげさまでチケット残りわずかです!やったー!ソールドアウトできるといいな…!


しかもこのライブで、5/20リリースメジャーデビューシングル 初お披露目決定ヾ(゚ω゚)ノ

https://t.co/5SdPoz1SMf


おおー!事前告知とか!ハードル上がるやーつΣ(゚ω゚)笑


練習頑張ります、お楽しみに!



チケットはこちらから!

http://t.co/Yo2wB7g8hw



そしてファンクラブ先行でお申し込みいただいた皆様、すみません、予定よりも発送が遅れてしまっていてご心配おかけしているかと…ごめんなさい。必ずお届けしますので、もう少しお待ちくださいませ!


特典の缶バッジすごくかわいいから楽しみにしててねヾ(゚ω゚)ノ















はてさて、私が今の事務所にお世話になるようになってから、この3月でちょうど1年が経ちました(゚ω゚)


おかげさまで素敵なスタッフさんに恵まれ、私が楽しく元気に活動してきたことは、応援してくれてきたみんなが1番知っててくれてると思います(゚ω゚)


特にマネージャーの飯島さんとは、ゆふぃすとの皆様も現場で接することが多く、在宅の方も結構お名前知っててくれてるんじゃないかと…



というわけで、カメラマンの田中聖太郎さんが撮ってくださってたいい感じの飯島さんをどうぞ(゚ω゚)


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が、ここでお知らせ…!


そんな1年間お世話になったマネージャーの飯島さんが異動されることになりました。



1年しか経ってないなんて全然信じられないくらい濃ゆい思い出がたくさんあります、ゆふぃすとのみんなともいろいろ思い出あると思います。


「マネージャーは裏方なのだから、異動の挨拶とはいえわざわざ表に出るのも…」と躊躇ってもいらっしゃったのですが、何も言わずにというのも水くさい、ゆふぃすとのみんなとは、ファンとスタッフっていうよりもチームだから、ということで、やっぱりひとこと(いや、ひとことでは言い尽くせない感じだけど!)いただいて、この場でお伝えさせていただくことになりました。


以下に飯島さんからの文章を掲載しますが、ご本人曰く、あくまで飯島さんのことを知っていて、興味がある人だけが読んでくだされば良い、とのことです。


でもゆっふぃー的には読んでほしいなー、こんな素敵な方に支えていただいてることを誇りに思います。


では…!



あ、最後に私からも、お知らせというか、お伝えしたいことがあるのでよかったらそちらも読んでね。












親愛なるゆふぃすとの皆様へ

 

ご無沙汰しております。寺嶋由芙のマネージメントを担当しておりました飯島です。

突然ですが、実は、私、会社の人事異動により2月1日より、マネージメントセクションから、あるレーベル(レコード会社の中での制作&宣伝の部門)に配置転換されてしまいました。なので、2月8日のワンマンライブの時は、組織上は、マネージャーではなかったのです。黙っていて、ごめんなさい。私の事を知らない方もいらっしゃるでしょうから、ここからは、興味がある方だけお付き合い下さい。

 

もともと、私は、約25年近い歳月のほとんどをレコード会社勤務でして、しかも、邦楽のプロモーション中心の仕事をしておりました。転職して、東芝EMIに入社したのは、ちょうど20年前の1995年3月1日でした。この年は、1月に関西淡路の大震災があり、3月には霞が関でオウムのサリン事件がありました。入社して配属された部署に上司としていたのは、現在は寺嶋由芙の原盤ディレクターをしている加茂啓太郎さんでした。振り返れば、これも縁というか、運命を感じます。寺嶋由芙が3歳半くらいの頃の出来事です。

そんな95年から、吉川晃司さん、甲斐よしひろさん、ウルフルズ、松任谷由実さん、氷室京介さん、CHAGE&ASKA、ビジュアル系のバンド、ストレイテナー、氣志團、フジファブリック、Base Ball Bear、Fire Ballなどなどの宣伝をしておりました。ある2年間だけは、今回の寺嶋由芙のマネージメントをしていたのと同じ様に、とある女性のシンガーソングライターのチーフマネージャーをしておりました。しかも、配属になったタイミングでアルバムがミリオンヒットという、めちゃくちゃ大変な時期でした。そして、そのアーティストもその後、全身に入れ墨いれたり、かなりアバンギャルドな方向へ向かってしまうので、実名は控えます。その時の苦しいトラウマがあるから、女性アーティストには、自然と距離を置くようになりました。まさか、そんな私がアイドルのマネージャーをする事になるなんて、一番不思議に思っているのは、自分自身かも知れません。

 

そんな私が、いきなりマネージメント部門がある子会社、ユニバーサルミュージック&EMIアーティスツ合同会社への休職出向を命ぜられたのが、ちょうど1年ちょっと前の2014年1月でした。中間管理職的な立ち位置でしたが、元来、現場好きなので、自分でも何か担当するものを持ちたいと思っておりました。そんなタイミングで、加茂さんが、育成していた寺嶋由芙を紹介してくれました。初めて会った時の印象は、礼儀正しい娘で、頭が良さそうな娘だと感じたのを覚えています。しかし、その当時、全くもってアイドルの世界を

知らなかったし、彼女が以前に所属していたグループの事も何となく、名前は知っていた程度であり、とりあえず、アイドル現場を覗きに行くかと思い、最初に歌っている寺嶋由芙のステージを見たのは、1月のclub asiaでのアイドルフィロソフィーでした。昼間から汗だくで、MIX打っているヲタクに圧倒されたのを鮮明に覚えています。しかし、まだ物販の意味が分からなかったので、ライブが終わって由芙ちゃんに挨拶して、すぐに会場を出てしまいました。

2月に入って、『#ゆーふらいと』の発売が近づき、予約イベントのほとんどに足を運ぶようになりました。次第にアイドルの世界に興味が増してきて、寺嶋由芙のマネージメントをしてみたいという気持ちが固まりました。

そして、3月1日から寺嶋由芙と正式にマネージメント契約、1番最初の大きな仕事は3月8日の渋谷O-Nestでの寺嶋由芙企画イベントでした。急ピッチで物販用のTシャツを作ったのを覚えています。

そんな感じでスタートしましたが、右も左も分からないままに、加茂さんに相談しながら、ひたすらイベントをブッキングして出演する毎日でした。気付けば、ゴールデンウィークほとんどイベントに出演する事になりました。1番印象に残っているのは、5月3日の山梨Rock Fesかな、大渋滞の中、裏道から裏道で、なんとか甲府に辿り着き、会場みてびっくり、ここで、イベントやるの??楽屋もないし大丈夫かな??俺、ブッキングミスしてしまったなんて、反省していたら、出番になり数曲歌ったところで、お客さんが電気コードに引っかかって、コードが抜けて音が止まる。マジ、ありえない。しかし、その後にとんでもない事が起きました。いきなり寺嶋由芙がスピーカー積んでいるトラスをよじ登っている光景です。一番後方でステージを見ていたので、全力で走りました。膝はガクガク、スピーカーの上で、気持ち良さそうに歌っている彼女を見て、久しぶりにライブっていいなって感じました。

そして、この時期に一番のプレッシャーを感じていたのは、真夏の祭典『TIF』への出演交渉でした。TIFを体験した事のない私でしたので、このイベントの持つ意味や影響力を本人や周囲の関係者から聞いて、なんとしても出演させなければならないイベントであると確信して、ありとあらゆる方面からプロモーションをかけて、出演OKの返事をもらった時に、やっとアイドルのマネージャーになれた様な気持ちになりました。

並行して、ひたちなかでのROCK IN JAPAN Fesへのブッキングも進行させていました。

ROCKバンドが中心のマネージメントでしたから、真夏のROCKの祭典のステージに寺嶋由芙を立たせたかったのです。さらに、ユフマリの流れからの横浜アリーナでの@JAM EXPO 2014と真夏のビックイベント3つの出演が決定して、かなりのスピード感で真夏を駆け抜ける設計図が完成した事は、とても印象に残っております。

 マネージャーとして、スケジュール調整が一番大切な業務ですが、ちょっとした連携ミスから、5月31日に1日3現場になってしまい、それを奇跡的に成立させて、最後の下北沢サウンドクルーズにて、2ndsingle『カンパニュラの憂鬱』を初披露した事も懐かしいですね。お台場から下北沢への車移動は、もしも渋滞していたら、出演出来ない様なギリギリの時間設定でした。ユフマリの初披露とカンパニュラの初披露を同日に行うなんて、今、振り返るととんでもない事をブッキングしてしまったド素人なマネージャーだと思うし、しかしながら、そのような過酷な状況を完璧にクリアしてくれる寺嶋由芙をとても誇らしく思えた1日でした。さらに翌日は早朝から鴨川でのゆるキャライベントがあって、本当にボロボロになりながら、自動車のハンドルを握っていました。

そして、7月の生誕イベントの企画と準備、サプライズは、ポムポムプリンの動画出演となっちさんのコメント交渉をターゲットにしました。なんとか、両方を成立させる事が出来ましたが、会場のキャパ設定を読み違いまして、まさかの2部制+アンコール会の2.5回公演になってしまい、サプライズ企画の意味が薄れた事は、スタッフとしての苦い想い出ですね。そして、全てが手作りの低予算企画だった為に、MCを雇う予算もなく自らMCを2.5回した事も振り返ると懐かしいです。ゆふぃすとの皆さんが、とても心優しい方々なので、私の拙いMCでもイベントが成立したのだと思っております。

 カンパニュラの連続リリイベをしながら、すでに加茂さんと3rd Singleの準備をしていました。この頃は、本当に時間に追い立てられる毎日でした。年内にもう1枚のシングルを出す事、そして、ソロデビューした2月に初のワンマンライブを実現させる事、この2つが、次なる大きなミッションでした。3枚目のシングルで、とにかく結果を出さないといけなかったので、私自身への課題は、オリコンチャートベスト20入り、テレビ地上波での歌唱出演、タイアップを付ける。以上の3つを必ず成立させる事でした。これが、上手く構築する事が出来れば、初ワンマンは成功すると確信していました。

 初のワンマンに向けて、それまでライブもイベント形式のものばかりだったので、9月からは、マンスリーの2マン形式の企画もスタートさせて、より長い時間での安定感あるパフォーマンスの追求をスタートさせました。寺嶋由芙と交流ある方々を招いての「#ゆっふるーむ フレンズ」のスタートです。この企画イベントの年内の締めくくりは、彼女がとても好きなDorothy Little Happyとの2マンをどうしても成立させたい気持ちが強かった事を鮮明に覚えています。「ライク・ア・ヴァージン」の振り付けを香美さんが快諾してくださったり、期間限定ユニット「ユフマリ」の1日だけの復活、そして、この頃には、由芙ちゃんの影響が大きいのですが、私自身もDorothy Little Happyがとても好きになり、移動中の車では、必ずDorothyさんのCDがかかっている状態でした。12月は、Dorothy Little Happyのワンマンツアーのタイミングとバッティングしており、かなり難しい状況でしたが、心優しいDorothyチームの皆様の理解により、昼の部のみになってしまいましたが、悲願の2マンライブを実現する事が出来ました。無事に『猫になりたい!』をリリースした3日後である、12月20日のclub asiaは、そうなのです約1年前にステージに立つ寺嶋由芙を初めて見た場所です。とても素敵な1日でした。まぁ、翌日はインストア3現場というハードなスケジュールだったから、余韻を味わっている時間もありませんでしたが。

 翌週に幕張でBay-FMの生放送中にオリコンシングルチャート16位の報告を受けて、全通した強ヲタの皆さんとの渋谷でのカラオケ祝勝忘年会、そして、中目黒での紅白歌合戦とあっという間に2014年は終わってしまいました。表向きは、そんな感じですが、実は、年末年始は会場限定CD『好きがはじまるⅡ』の準備がピークの時期でした。こちらもギリギリの工程だったのですが、なんとしてもワンマンで発売開始しないと意味がないと思いまして、加茂さんと必死でした。

 年が明けたら、初めての舞台「プレシャスストーン」の準備、ワンマンの準備などなど、ずっと時間に追いかけられる事になる2015年なのだろうなぁ~と思っていた矢先に、突然、会社から人事異動を命ぜられました。すっかり忘れていましたが、私はサラリーマン、会社員だったのです。もともと、1年前にレコード会社から、突然のマネージメントへの異動があり、まぁ、この異動のおかげで、寺嶋由芙と出会う事が出来たのですが、その1年後に、異動でマネージャーを外れる事になるなんて、本当に、いったい神様は何を考えているのだろうか?正直、このタイミングは酷過ぎると思ったし、どうしたらよいのか、全く分からない状況になりました。この時期、初舞台に向けて必死に稽古している寺嶋由芙、その姿を見守りながら、近い場所で彼女をサポートできなくなる自分。本当につらい1月中旬でした。さらに、初めてのワンマンライブが刻々と迫って来ている。私が、ずっと思っている事があります。『世の中、偶然なんて1つもない。全て、必然である。』長いスパンで考えれば、この異動も必然だったと思える事になるのだろうと自分自身に言い聞かせて、ワンマンライブまで必死に寺嶋由芙のマネージャーをやり遂げる事を決意しました。

 そして、この1年の集大成となる2月8日の渋谷WWWを迎えました。初舞台でイケメンロックバンドとのラブストーリーをブッキングしてしまった苦い経験から、加茂さんに相談して、生バンドは全て女性で揃える事にしました。オープニングからいきなり生バンドというインパクトをもたせたかったので、全て、シークレットで準備していました。この寺嶋由芙プロジェクトのシークレットという牙城を崩すのは、必ず、加茂さんのブログとツィッターなのです。今回は、約束を守ってくれてホッとしました。まぁ、当日の模様は、宗像明将さんが書いて下さったライブレポートを読み直して下さい。全てにおいて、第1幕から第2幕へと移り変わるターニングポイントの1日でした。

 幸いにも、私が異動する部署は、EMI Recordsというレーベルでして、寺嶋由芙がメジャーデビューするレーベルと同じ部署です。なので、これからは、マネージャーではありませんが、レコード会社の1員として、彼女の活動を後方支援にポジションを変えて、支えていく事が出来ます。この1年間で、寺嶋由芙に、そして、ゆふぃすとの皆様に、いろいろな事を教えてもらいました。とても刺激的で充実した日々でした。本当にありがとうございます。皆様と出会えた事は、私にとって、かけがえのない宝物です。心より感謝しております。

 最後に、ゆふぃすとの皆様にお願いがあります。「#ゆーふらいと」から約1年で、メジャーデビューまで、到達できたのは間違いなく、ゆふぃすとのパワーが集結できたからだと思います。しかし、大切なのは、ここから先だと思います。どうか、皆様ひとりひとりの更なるパワーを集結させて、5月20日のメジャーデビューで寺嶋由芙にもっと素敵な景色が見える様にサポートしてあげて下さい。宜しくお願いします。それと、どこかの現場で、私を見かけたら気軽に声をかけて下さい。私は、ゆふぃすと歴1年の新参者ですが、 今後共、ずっとゆふぃすとでありたいと思っております。

最後まで、読んで下さった方、ありがとうございます。

 

                  

EMI Records           飯島覚















去年の今頃、事務所に所属しませんかと誘っていただいた時は、今思えば贅沢な話ですが、正直とても迷いました。


他に所属されてるアーティストさんは、ロックバンドさんや女優さんばかりで、アイドルはひとりもいなかったからです。アイドル、なかでもいわゆる「地下アイドル」っていろんな意味で特殊で、私自身もこの世界のことまだよくわかっていないのにマネジメントをお願いしてしまったら、結局ご迷惑おかけするかもしれない…と。しかも出会ったばかりの飯島さんがあまりにも熱心に誘ってくれて、契約とか今後についても私のことすごく考えてくれてるんだなってわかる提案をしてくれるから、これは絶対裏があるに違いない、こんないい話あるわけないって勝手に警戒して、ますます渋っていました←疑心暗鬼すぎる


でも加茂さんやはっちゃんにも背中を押してもらい、お願いすることに決めて、今では本当によかったなと思っています。飯島さん、アイドルのこともゆるキャラのこともどんどん勉強してくれて好きになってくれて、本当に楽しくお仕事させていただきました。グループ時代のことも理解してくれて、なにかあればきちんと対応してくれて、とても心強かったです。


本当に娘みたいにかわいがってもらっていたから、異動されると聞いた時は私はもう放心状態でした。1年かけてやっといろんなことが形になってきたのに、一緒にまだまだやりたいことあったのに…って。スケジュールのことも現場のことも宣伝まわりも全部お任せしていたし(今思えばそれを全部こなしてくださる時点で、無名のアイドルのマネージャーにしておくにはもったいない方だったのです)、なにより精神的にとっても支えていただいていたので、なんかもう足もとがらがらっと崩れた感じというか、心細すぎて…でも急なご異動だったのに、できる限り私の活動に支障がないように、と、ワンマンのこと、後任の方への引き継ぎ…新しいお仕事も大変な中、やっぱりすごくよくしていただきました。



新しいマネージャーの遠藤さんも、1年前の飯島さんと同じように、今急ピッチでアイドルのこと、ゆるキャラのことを勉強してくださってます。5/20のリリースに向けどんどんいろんな準備が進む中、これまでのこととこれからのこと、並行して対応してくださっていて本当にありがたいです(ゆふぃすとの皆様、ぜひ現場で仲良くなってね!)。EMIのディレクターさんや宣伝担当の方々も、今日も一緒に打ち合わせさせていただきましたが、やっぱりとてもいい方々です。加茂さんという心強いディレクターさんもいらっしゃるし、ますますいいチームにしていけたらいいなと思います。


とはいえ、なにぶん急なことだったので、まだ準備が十分でないこともたくさんあり、もしかしたらゆふぃすとさんにご迷惑をおかけしてしまうかもしれない…とか、正直不安もあります。私はことが起こるまで最悪のパターンばかり想像してしまう性格なので、あんまりこういうことみんなに言うのよくないのだけど、最近は、うーん、なんていうか、ちょっとしんどいなぁと思ってしまうこともあります。


5月なんてあっという間にきちゃうよね、本当に。楽しみなんだけど、これまでとは全然違う環境での挑戦なので、リリース日のことが全然想像できなくてこわいです。



だけど周りのスタッフさんが一生懸命動いてくださってる中、私がうじうじしてるわけにはいかないのです。



だから今回は、「オリコンのウィークリーで10位以内に入る」という目標を立てました。し、ここに書きます!ででん!


順位のことを具体的に言うのはどうしても苦手で…なんていうか、それがゴールになってしまう、それありきの活動になってしまうような気がして抵抗があるのです。叶わなかった時にそれで現場のテンションがダウンしちゃったらどうしようという怖さもあります。「アイドル商法」なんて自分でも面白がって言ってるけど、なんだろ、わかってて楽しんでもらえるならいいけど、みんなが変に負担に感じちゃうのは嫌だなぁって思うのだな、アイドルは楽しいものであってほしいから、変な負荷がかかるやり方はしたくないなぁと思ってしまう。


それで、いつも自分の中だけの密かな目標にしていたのだけど、今回は宣言することでちょっと変われるかもって思ったので書いてみました。


「猫になりたい!」で16位をいただいた時、次は1桁だといいなってぼんやり思ったのです。ま、思ったそばから、いやいやそんなのおこがましいよ何考えてるのよ次のリリースがあるかもわかんないんだからねってもうひとりの自分が打ち消してたけど←本当こういう性格なんとかならないものかね


でも「猫になりたい!」の時みんながいっぱい応援してくれたおかげでああいう結果が出て、メジャーデビューというチャンスをいただけました。


メジャーになるとなにが変わるのー?って聞かれるのだけど、まずスタッフさんが増えるでしょ、私のCDを売るために力を貸してくださる方が増えるということです。大変ありがたく、頼もしいことです!でもそれは逆に考えると、たくさんの方のお力をお借りしてるのだからよりシビアに結果を求められるということでもあります。たくさんの方の時間とそれに伴うお金を使っていただいたのに結果が出せなかったら、その力を次は他のアーティストさんに注ごう、ということになってしまう可能性もあるわけです。スタッフさん個人の感情云々じゃなくて、会社として利益を出していかなくちゃいけないのだからそういう流れは当たり前の話なのだな。


だから今まで以上に、具体的な目標を立てて、それをきちんとクリアしていくことが必要になってくるわけです。


みんなと楽しく長く続けたい、というのが1番だけど、今のままの、なんとなく忙しくてなんとなくアイドル、なままだと続けられないなというのはわかります。リリースで結果を出して、ワンマンの会場をもっと大きくして、歌番組でいっぱい歌って…みんながわざわざ探してくれなくても目に耳に入ってしまうようなお仕事をさせていただけるようになっていかないといけないのです。そういう意味で、「ゆるキャラに負けない!」のレギュラーは本当に嬉しいし、来週のドラマ放送もとても嬉しいです。もっともっといろんなところに出て行きたい!


そうやって頑張ってるうちにこれからもまたどんどん素敵なスタッフさんに出会えるかもだし、飯島さんともまた近いところでお仕事できるかもだし、もちろんはじめましてのたくさんのヲタさんに見つけてもらえるかもだし!


大きいことを言うのはどうしても苦手なのですが、今回の「オリコン10位以内」、を機に、少しずつ、そういうところもちゃんと考えて、ちゃんと発信していける自分になりたいと思います。











はー!






オリコン!10位!以内!だってヾ(゚ω゚)ノ







きゃー_(:3」∠)_←小心者








頑張ります!


ので、みんなも一緒に楽しんでくれたら嬉しいです!









長々と読んでくれて本当にありがとう!




じゃおやすみなさいヾ(゚ω゚)ノ



7日に大阪で会おうねヾ(゚ω゚)ノ







今日もコメントありがとう(゚ω゚)♡

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