生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -4ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和7年(2025年)1月26日(日)

昨年から引続き、今年に入っても重大な事件
・事故で人の命が奪われて行く。米国はトラ
ンプ大統領が再び就任したが、日本ではリー
ダーの顔が見えない。国家的な舵取りが定ま
らない中、国民の不安は増し、精神状態も落
ち着かない。政策金利を引上げて賃上げを促
進させると言うが、恩恵よりも負担が増える
とされている。最早、どうにかして、先ずは
自分で生きる道を模索しなければならない事
態まで来てしまった。

(TBS NEWS DIGから)

政治だの行政だのと期待しても、ここまで劣
化してしまったら始まらない。しかし唯一、
自分の精神性を保つ手段としては自身が縁
(ゆかり)のある菩提寺等の信仰に帰依する
に尽きると言うことだ。そこにしか人間性を
取戻し、更に精神力を養う方法はないのだと
思う。何故ならば、結局人間は心(精神性)
の生き物だからだ。私であれば菩提寺の宗派
である真言宗豊山派が基本となる。



別の人なら天台宗や浄土宗、浄土真宗、日蓮
宗、曹洞宗と言った自分と縁のある宗祖(私
なら弘法大師)や派祖(私なら興教大師、専
誉僧正)の教えを土台に、自分の生き方を問
うて行くことが大事だろうと思うのだ。

いずれにしても、どの宗派だろうと、基本ベ
ースはお釈迦様(釈尊)の教えに帰結する。
そしてお釈迦様が説いた『自灯明法灯明』の
言葉に辿り着く。この世で自らを島とし、自
らを頼りとして他人を頼りとせず、法を島と
し法をよりどころとして他のものをよりどこ
ろとせずにあれ、と説いたのだ。この場合の
『島』とは心の支えを意味している。自らを
灯とせよ、法を灯とせよ、やはり何処までも
自分主体が人生である。

(日光東照宮にて)

ここまで日本人が劣化したのは、自分と他人
を比較しその優位性と劣等性を計り、常に他
人の影を中心に物事を捉えてしまうからだろ
う。確かに人間社会で自分の存在価値を認識
するには他人との関係性からしか発見出来な
い面もあるが、人間世界は諸行無常であって
、やがて肉体は滅びる。

生・老・病・死の四苦や愛別離苦等から逃げ
られないのが人間である。しかし、例えば同
じ日、同じ時間に火葬場で一番右の炉のご遺
体は裕福で人格者、誰からも愛された人、そ
の左隣りの炉には市役所の担当者が一人いる
だけで、身寄りの無かった生活保護の老人。
同じ時間帯にあの世に旅立つ。霊界のスター
トに際してこの世での優劣は全く無意味なの
である。寧ろ、身寄りが居ない人はこの世に
未練がないので、サッと先祖に付き添われて
三途の川を渡るのではないだろうか。

(成田山川越別院にて)

今、社会は感情戦争の真っ只中。非常に心の
敏感な社会を生きている。自分自身の感情に
は敏感なのに、他人の優しさや哀しみには鈍
感。インターネットのSNSで真偽不明な内
容を根拠に他人を誹謗中傷する。自分が周り
から中傷・排除されたり嫌われたらそこで人
生アウト、社会から退場と言うこの心配が組
織の既得権益者や権力者、又はインターネッ
トのフォロワー数やチャンネル登録者数と言
う見えない圧力集団の『正義』なるもので当
事者を攻撃してしまう。

日本人の感情が渦巻く不満の怒りと憎しみを
自身の深層心理に宿し、老若男女問わずどん
どん器の小さな人間になって行く気がして、
私自身も自己抑制の反省の上に立ち、不必要
に他人に干渉しないよう努めている。

正義が憎しみや不平不満の裏返しだとしたら
、畜生や修羅の世界でひたすら輪廻転生を繰
り返し、否、死んでからも穏やかな日々はな
いだろう。今、これだけ政治経済が世界的に
混乱し、エネルギー・食糧自給率が乏しい日
本では極めて外交上劣勢に陥っていて、誰が
総理大臣でも難しい舵取りをしなければなら
ないと思うのだ。日本人が日本のリーダーだ
け責めても内政が混乱するだけで決して国家
の安泰には繋がらない。

だが、どうしても「もっとしっかり政治をや
ってくれよ!」とつい言葉が荒くなる今日こ
の頃である。令和7年1月24日の施政方針
演説で内閣総理大臣は「一人ひとりが自己実
現できる楽しい日本を目指し、地方創生を核
とする令和の日本列島改造を」と述べたが、
言葉としては夢のある内容だ。誰が楽しいの
か?皆が笑顔になれる国作りが必要だけれど
、現実は誰かが泣く決断もあるだろう。とこ
ろが、最近はかなり多くの人々が泣く決断を
してしまっている。

(時事通信ネット記事から)

そうした中、与党及び各省庁役人が信用なら
ん事は論を俟たないが、野党の多くは党勢拡
大を狙わず、そこそこの人数で与党に文句を
言い続け、定期的に政党交付金を受け取る方
がラクなのだろうか。大きくなりそうになれ
ば集散離合させて分裂を繰り返す。新党が増
えればワンマン党首をカリスマとして表で盛
り上げ、裏では一部の幹部にカネが潤沢に流
れる。

保守でもリベラルでも政党が掲げる美辞麗句
の政策に心を躍らされるB層国民は、まるで
七五三の千歳飴のように次から次へとそんな
政治を見せられながら心が消化不良のままダ
ラダラと政治献金を続ける。

米国と中国は、電気自動車(EV)高性能半
導体、人工知能(AI)技術等の輸出入の関
税措置で覇権争いの様相を呈している。これ
が国民監視技術、ミサイルや戦闘機の国防技
術にも応用されるのだから国家存亡の一大事
と言えよう。ところが、今の日本と言えば元
タレントで株式会社のんびりなかい代表取締
役の中居正広氏やフジテレビ問題一色だ。当
人同士は民事的示談が行われているにも関わ
らず、事が大きくなってしまった。被害者最
優先の流れを果たして堅持しているのだろう
か。外国資本等に別の目的があるとしたら、
スポンサーも含めて誰も幸せにならないと思
う。

(ENCOUNTの記事から)

いずれにしても、マスコミや政治家等、大量
にカネの流れる世界は人間を狂わせてしまう
のだ。政治改革をやればやるほど特定業界、
政治家等にカネが流れるシステムになってい
る。中居・フジテレビ問題は全ての事案ごと
に、いつ、どこで、誰が(誰から)どうして
(どう言った事が)どうなって、どうしたの
かを時系列的、かつ指示命令系統を登場人物
(事案関係者)ごとに一つ一つ繋げて解明し
なければならない。

時系列的に全容が分からないままで、不明確
な事にああだこうだ推察しても事実から離れ
ていく。一つ言えることは、本件に関わって
いる人物は上層部の人間と一部芸能界の関係
者で、広く交友関係のないその他社員には預
かり知らないことであろう。従って、1億円
もかけて強制力なき第三者委員会で調査する
よりも警察機関が介入した方が早くて正確、
フジテレビが正常に戻るタイミングも早いと
思うが、被害者が望まないとしたら、そんな
ことをやっても、果たして如何なものか。ま
た、本件に関わらない社員だけでも立派に番
組は作れるだろう。

(ABEMAエンタメの記事から)

何故、日本を主語とした国民向上に努力した
政治家が居ないのだろうか?従来通り米国に
依存するか、中国や韓国に依存するかしか手
段がないのか。政治家個人は頑張っているの
だろうが、他者との関係性において、政党組
織の理論になると途端に個人が埋没して別の
思考に切り替わってしまうのが日常茶飯事。
美辞麗句を言い期待させ、本当の目的はカネ
儲けを目的に議員バッジを付けているのでは
ないのか?とさえ勘ぐってしまう。威勢よく
党内批判する議員もガス抜き要員として理解
されているのではないのか?と国民は疑って
いる。外面重視の日本人特有な形式的価値観
が命取りになっている。 

国家の統治・政治が乱れれば国民の人心も乱
れる。長野県や岐阜県では通り魔殺人事件が
相次いで発生して(後に岐阜県は虚偽申告と
判明)令和7年1月26日午前7時過ぎに被
疑者が逮捕されたようだ。40代の無職の男
だと言う。

(共同通信のネット記事から)

更には京浜急行線の車内で咳き込む乗客に、
これ以上咳をしたら殺すと言ってアイスピッ
クを突きつけた医師。医師なら逆に「大丈夫
ですか?」と声を掛けるだろう。闇バイトだ
の通り魔だの飲酒運転だのと、あちこちで暗
いニュースが流れている。本当にどうなって
しまうのだろう。今や日常の中で赤の他人か
ら刺殺される危険すら高まっている。日本社
会が創造から保持、そして今は破壊のステー
ジに入ったと思う。

やはり、人それぞれが信仰を持ち、自己を見
つめることから始めるしか国家の安泰はない
気がする。新興宗教団体は他人に団体を勧め
て勢力拡大を計ることが自身の幸福に繋がる
とされるが、そうではなく、あくまで対象は
自分自身の精神性の向上が目的でならねばな
らないと私は思う。その根底には先祖供養が
必要だと考える。理屈上は自分が存在するの
は2人の両親、4人の祖父母、8人の曾祖父
母(そうそふぼ)、16人の高祖父母(こう
そふぼ)と続く。

5世代前だと32人、10世代前(江戸時代
)だと実に1024人のご先祖様がいるのだ
。但し実際は少し異なり、上記は全く血の繋
がりがない人間同士が子供を産んだ場合であ
る。近親相姦等の法律制定以前もあり、必ず
どこかの時代で血統は崩れているのだろう。
それでも、男女の結合が無ければ存在しない
のである。いずれにしても戸籍を辿れば祖父
母までは直ぐに分かるはずだ。こうしたご先
祖にお線香やお花を添えて手を合わせること
だ。人によっては同一の宗派ではないかも知
れない。私自身も親戚とは宗派が違う。しか
し、根本的にはお釈迦様の仏教には変わりが
ない。父方の宗派は分からないが、父の姉が
浅草寺近くに住んでいた。浅草寺は天台宗山
門派系の聖観音宗である。母方の祖母の実家
は日蓮宗のお寺だったと言う。同時に母方の
実家の菩提寺は浄土宗、親戚には真宗大谷派
もいる。

(日蓮宗池上本門寺にて)

通常、結婚したりすれば、特に女性の場合は
宗派が変わるものである。昔ならばともかく
、今は宗派で激しく対立することもなく、全
日本仏教会として日本の宗派をまとめている
(日蓮正宗は未加盟)会長は2年周期で交代
し、令和7年1月現在は浄土宗知恩院僧侶の
伊藤唯真氏が務めている。

また、私の場合、真言宗豊山派であるが、真
言宗も沢山の派閥に分かれている。いずれも
弘法大師空海が宗祖であり、何かあればお大
師様に帰結するのだが、基本的には縁がある
派閥の考え方(お経の読み方、念珠の持ち方
)で朝夕のお勤めや法事を行うことになる。

派閥が沢山分かれていれば対立していると思
われがちだが、真言宗は珍しく毎年1月に真
言宗全派閥の高僧が京都の東寺に集結して後
七日御修法(ごしちにちみしほ)が行われて
いる。これは非公開だが西暦835年に弘法
大師空海様ご自身が導師として加持祈祷して
から続く行事だ。一時中断したが、1883
年から再び東寺で行われている重要な行事で
ある。

そしてこの加持祈祷のやり方も高野山真言宗
に代表される「小野方」と覚鑁上人の新義真
言宗に代表される「広沢方」と言う大別して
二種類の作法があり、毎年交互の作法で行わ
れている。従って、真言宗の高僧は両方知っ
ているのだろう。豊山派は覚鑁上人の流れを
汲む派閥なので通常は広沢方で作法を行う。

この◯◯流にはそれぞれ御本尊が決まってい
る。高野山真言宗の中院流や西院流(にしの
いんりゅう)は大日如来、三宝院流や安祥寺
流(あんじょうじりゅう)は如意輪観世音菩
薩、伝法院流は大日如来となっている。真言
宗豊山派は広沢方の伝法院流になるので大日
如来が御本尊とされている。但し、それぞれ
の菩提寺には菩提寺の御本尊もある。

また「◯◯方」を事相(じそう)と言い実践
を示しており、もう一つ教相(きょうそう)
と言うのは理論を表す言葉である。真言宗僧
侶の慈雲尊者は「事相を離れて教相なく、教
相を離れて事相なし。事教一致して密義を尽
すべし」と述べている。要は、自動車の運転
でも技能と学科の両方を知らないと安全運転
が出来ないと言うのと同じことである。

野沢十二流(やたくじゅうにりゅう)
●小野方 
①安祥寺流(京都、安祥寺等)
②勧修寺流(京都、勧修寺等)
③随心院流(京都、随心院等)
④三宝院流※(京都、三宝院等)
⑤理性院流※(京都、理性院等)
⑥金剛王院流※(京都、一言寺等)
●広沢方 
①仁和御流(京都、仁和寺等)
②西院流(足立区、吉祥院等)
③保寿院流(京都、大覚寺等)
④華蔵院流(八王子市、高尾山薬王院等)
⑤忍辱山流(奈良、円成寺等)
⑥伝法院流(奈良、長谷寺等)
●その他の表し方 
醍醐三流
①三宝院流
②理性院流
③金剛王院流
中院流 
小野方の三宝院流と広沢方の西院流を合わせ
た作法(主に高野山真言宗)
●真言宗の系譜
古義真言宗 
・高野山真言宗(金剛峯寺)⬇️
※真言宗霊雲寺派(霊雲寺)
※真言宗犬鳴派(七宝滝寺)
※信貴山真言宗(朝護孫子寺)
※真言宗須磨寺派(福祥寺)
・真言宗醍醐派(醍醐寺) 
・東寺真言宗(教王護国寺)
・真言宗東寺派(東寺)
・真言宗泉涌寺派(泉涌寺)
・真言宗山階派(勧修寺)
・真言宗御室派(仁和寺)⬇️
※真言三宝宗(清澄寺)
※真言宗中山寺派(中山寺)
・真言宗大覚寺派(大覚寺)
・真言宗善通寺派(善通寺)
・真言律宗(西大寺)
新義真言宗 
・真言宗智山派(智積院)
・真言宗豊山派(長谷寺)⬇️
※真言宗室生寺派(室生寺)
・新義真言宗(根来寺)
(※印は、上記派閥から派生した別の派閥で
ある)

このように、同じ真言宗でも沢山の派閥があ
るだけでなく、同じ派閥でも作法が細かく異
なるのが常である。多分、これは真言宗に限
らず、他宗派でも同じだろう。これは結局、
人間社会が存在し、人間がそこで幸せになる
為にはそれぞれの作法に従って行動すること
が何より大切だと教えていると認識している
。そして、上記した通り真言宗では毎年1月
に京都東寺で後七日御修法(ごしちにちみし
ほ)が行われ、年ごと交互に小野方と広沢方
の作法で国家安泰、五穀豊饒(ごこくほうじ
ょう)と世界平和の加持祈祷をしているので
ある。

繰り返しになるが、昨今の日本の状況は極め
て人心が厳しくなっている。旧ツイッターを
やる著名人や有名人、肩書きや世間的に立場
ある人の言動や思考がとても軽く感じてしま
う。SNSの発信が個人のプライベートな範
疇にあると思って反応するようだ。彼らがツ
イートする場合、それはどんな些細な内容で
も高い確率で影響力が醸成され、日常的な発
信でも『公人』の言葉として認識されてしま
う。

軽い気持ちでツイートしたが、そこに本人が
意識しない中で大きくなり、大した責任も感
じないまま対象となった人を怒らせたり悲し
ませたりしてしまう。

弘法大師空海の著書『秘蔵宝鑰(ひぞうほう
やく)』には次の言葉がある。
「慈悲を以て本とし、利他を以て先とす」
要は心に人を慈しむ気持ちを持ち、人に利を
もたらすような行動をすることが第一だと説
いている。人間はどうしても自分の生き方、
心の中に『正義』があり、こうあるべき、と
言うものがある。

こうあるべきを言い換えると「私はこう生き
たい」と言う願望も入っている。従って、他
人に厳しいのはその人の願望が映し出されて
いて、本当の自分はどうしようもない人間で
あると後悔している可能性がある。しかし、
正義は別の正義によって淘汰される運命にあ
る。行き過ぎた正義は悪なのだ。昔、中森明
菜の楽曲で十戒があった。仏教の十戒と歌の
十戒では意味が違い、仏教では出家者が守る
べき戒律を言う。私のような単なる檀家はと
ても守れない内容だ。しかし、多少は守れる
内容もある。その中で正義を見い出して生き
て行けば良いだろう。

今日はもうやめておこう。



 (つづく)



令和7年(2025年)1月16日(木)

令和7年(2025年)も半月が過ぎた。私
にとって正月はあってないようなものだが、
それでも1年のスタートに当たり、心がソワ
ソワとするものだ。

何かしら希望を抱き炯々(けいけい)するこ
とはある。しかし新年早々から、新しいスタ
ートを切らねばならない環境でもあり、私の
人生の転換期とも言える年になりそうだ。そ
んな中、巷では不穏な事件や事故、政治的不
安定さが何らかの力によってアクセレーショ
ンを起こし、人々が譎詐(けっさ)されて、
今年も多くの日本人が犠牲となり命を落とし
たり、精神的分断が散在する等、ただならぬ
予感がするのも事実だ。


また、その渦中に自分も堕ちてしまうのでは
ないかと些かの虚無を自覚したりしている。
益々『生きる不自由』が精神的戦争をも意味
し「何か?」と戦っている様相さえ感じるの
だ。実際にロシア・ウクライナ戦争やイスラ
エル・パレスチナハマス戦争のように武器を
持って実行する戦争ではなく、経済危機、食
糧危機、疫病といった別のトライアングルに
日本が存在して、令和7年もまたその苦行を
強いられるのかと思うとげっそりしてしまう


国家の統治を行うのが官僚や各政党.政治家
、大企業、マスメディアの人々であり、私も
こうした人々や組織を批判はするが、この厳
しい国際情勢の中で矢面に立ち舵取りをして
行かねばならない彼らを考えると一概に批判
で終わらせる問題ではないだろうと思う。単
に批判だけで終始すれば単なる権力争いでし
かならないのである。


国内で生産出来る食糧は大体38%前後、エ
ネルギー自給率はたったの13%前後だ。特
に気候変動も激しく、自然災害や暑い日が続
いたせいで各地で野菜が取れず農家が廃業に
追い込まれている。その中で日本人は外国と
貿易をしなければならない。当然、外国も厳
しい環境下だから日本の富や土地を奪おうと
必死である。軍事力を背景にして投資家が政
治.官僚.財界を交えてビジネスとして戦争
を仕掛けている。日本は非常に弱い立場の中
で外国と交渉しなければならない。今、行わ
れている外国の戦争で、ホルムズ海峡が万が
一封鎖された場合、天然ガスは入って来ない
。その時、どうするのか。


今はカネ儲けで人命が奪われている。戦闘に
よって上半身と下半身が腹部で切断され、自
分の下半身を遠のく意識の中で見つめて死ん
で逝く兵士の姿をある映像で見た。人間は血
液の20%が失われると死ぬ。離断により流
出する血液。離断した瞬間は凄まじい激痛な
のだろうが、次第に神経は機能を失い、痛み
よりも意識が薄れて行くのではないだろうか
。横たわるその場所が最期に見る景色、愛す
る人の顔や声、その人の幸せを願い死んで行
く。しかし、戦争を計画したのはビジネスの
一貫。ビジネスと言うカネ儲けは、国家の為
にと変換され死んで行く。確かに命が最大に
大切かと問われれば疑問も残る。普段、食し
ている豚や牛、魚は殺されまいとして逃げ回
るのを捕まえて殺し、それを毎日のように人
間は食べている。命全般を大切と問うならば
大きな矛盾に突き当たる。このことと同様に
、軍需産業の発展維持と言うビジネスの為に
戦争を行い、殺し合って新しい兵器を開発し
なければ軍産複合体、特に航空機関係の会社
の存続は難しい。エンジン、ミサイル、各種
防衛防空システム、ドローン製造会社の発展
は、戦争といった実戦結果からしか正確なデ
ータは得られない。製薬会社も似たようなも
のだ。人間が一番野蛮な生き物かも知れない
。昨今の芸能人ネタで盛り上がる日本人とは
かなりの温度差があると思う。(これはこれで
大問題だが)。


外国は外国の国防意識に立脚して政治政策を
行うのが通例だ。些か日本の企業や政治機構
は国民が表立った行動をしないばかりか、肩
書きや立場ある人に任せ(信任し)ているの
で外国ではなく内側と言うか身内に怒りの矛
先が向かう傾向にある。その反動か、外国人
に物心依存し、外国勢力に抵抗せず、偽善を
呈している。そのことで様々な日本の富や土
地が流出してしまっている。日本人が日本人
に不信を抱き、憎しみを増大させている。

かつての左翼・学生運動が盛んだった頃の若
者は、公権力に逆らい逮捕されたとしても自
分の逮捕以上に社会の衰退の方が精神的に重
たかったのだろう。現在は社会の混乱よりも
自分の逮捕の方が重たいと言うのが本音だと
思う。逆を言えば、一度でも逮捕されたこと
のある金持ちの人物の方が精神的に吹っ切れ
て、思い切った活動が出来るのではないだろ
うか。しかし、左翼の人々は平和や反戦を唱
えるのだが、何故か爆弾等の手段で多くの人
を傷つけたり、被害妄想で仲間を殺してしま
う。その矛盾もありながら、一方の右翼もま
た優生思想が激しく、正規のルート(法律)
で人を傷つける。昨今は右も左も怪しく、結
局は既得権益の奪取と投資ビジネスである。


いずれにしても、昨今は極端と極端がぶつか
り合い、均衡を取るのが難しい時代だと思う
のだ。インターネットの普及で、その傾向は
更に増すだろう。均衡を期待したマスメディ
アの不正や劣化も著しくて、テレビ局員は政
治家の信任以上に深刻である。


この「信任」は主に選挙である。しかし、こ
の選挙、「誰が当選しても同じ」と言う究極の
本音が国民側に根付いて投票率も極めて低い
。従って組織票が有利となる。確かに誰が当
選しても同じなのはその通りだと思う。

普段、国民に寄り添う発言をしていても、肝
心な採決の時には組織理論に負ける。その積
み重ねが信任されても信用されない一因なの
だろう。また、組織に埋没した政治家個人の
責任の自覚は極めて低く「みんなで渡れば怖
くない」を邁進してしまう。組織に従ってや
った行為は、個人の自責の念を麻痺させる。
そして、組織が追及された場合、組織はトカ
ゲの尻尾切りをして存続を図る。これからは
大(強い者)を生かす為に小(弱い者)を排
除する力学が働くだろう。その次は大と大に
なるので、暴力で破壊するか、互いに睨み合
いで均衡を保つかだろう。

個人個人は優しく立派な志しがあっても、組
織の力によって変わってしまう。また、志し
が高いほど個人で出来ることには限界がある
。同時に、組織の維持はその構成員だけでは
不可能で、利害関係の中でしか存続出来ない
。それが外国勢力なのか、それとも別の何な
のかで組織も個人も変わって行く。では、ど
うすれば少しでも改善するのか。総理大臣を
交代させれば日本や日本人は豊かになるのだ
ろうか。

目に見える一番ラクな国防は恒常的に防衛費
の増税である。「やってます」感があるから。
このようなことで、結局、米国寄りの政策な
のか、中国や朝鮮系の政策なのかで二分して
しまい、日本人を主語とした政策が後回しに
されるのだ。今日はもうこの辺で書くのをや
める。

 (つづく)

令和7年(2025年)1月3日(金)

今年、最初の日記には現在所有している念珠
を整理しておきたい。念珠は仏具の一つであ
り、他者の葬儀をはじめ、お墓参り、仏壇で
手を合わせる時にも心を込める仏具である。

念珠の歴史は、お釈迦様の仏説木槵子(ぶっ
せつもくけんじ)経の経典で記している。イ
ンドの王様が乱れた国を再建する為にお釈迦
様に相談した。

お釈迦様は「木槵子の実を108個繋げて念
珠を作り、その実を繰りながら心を込めて唱
えれば、悩みや苦しみは断ち切られ幸せを得
るだろう」と言い、王様は早速念珠を作り、
国民と共に祈ると国が安定したことから、念
珠に功徳があると今日まで伝えられている。

横道に逸れるが、私が令和7年正月に思うこ
とは、信仰が自分や周りの人々の幸福や安寧
を祈るばかりではなく、お釈迦様時代の仏教
の本質に戻り、国家安泰を個人レベルでも祈
る段階に来ていると思うのだ。

令和6年の年末には北九州市のマクドナルド
での事件や神奈川県海老名市で母親が自分の
子供三人を殺してしまった事件が私の心に深
く衝撃的な印象として残った。恐らく無理心
中を試みたのだろう。

この母親にどんな辛く悲しく苦しいことがあ
ったのか定かではないが、残された旦那さん
の心境を思う時、何処に救いを求めれば良い
のだろう。そして、生き残った母親の後悔の
念と子供たちへの懺悔をどうして償えば良い
のか。事件ばかりではなく、令和6年元旦に
石川県能登半島を襲った大地震、石川県や新
潟県、そして富山県の3県で災害関連死を含
めて504人、住宅被害は15万棟だと言う
。更に奥能登では令和6年9月に豪雨があり
、16人が亡くなった。地震で命を失わずに
助かったが、後の豪雨で命を落とした人もい
たのだ。今日は1月3日で、正月三が日と呼
ばれ、殆どの日本人が正月を楽しんでいるの
だが、その陰で涙を流している国民もいるこ
とを忘れてはならないと私は思う。私自身が
父を元旦に喪っているから多少、世間と感覚
が異なるからだと思うが、私はあまり正月を
楽しんだことはない。だが、他人は他人の幸
せを素直に感じて良いのである。

人間は、それぞれが『今』を生きていて、誰
かが嬉しい時、誰かが悲しい。誰かが幸せな
時、誰かが不幸のどん底にいる。そのバイオ
リズムの変化の中で生きて良いのだ。例えば
、誰かが喪中であっても職場という組織の中
では「明けましておめでとうございます」な
のである。個人と公の場は違うのである。自
分がどんなに辛く悲しくても、テレビをつけ
ればお笑い芸人が画面を通して笑顔で出演者
とはしゃいでいる。個人と世間の感情は別問
題なのだ。

このように、事件事故、自殺、災害と言った
中で、せっかく他人を愛し結婚し世帯を持っ
たのに、年々こうして不幸に見舞われる家族
が増えてしまっている。家族持ちが多少の困
難にあったとしても、頑張ればそれなりに安
定して人生を送れたものが、それが出来なく
なりつつある。

政治が悪い、政治家がダメだと言うのはその
通りだ。しかし、考えて見れば資源の乏しい
日本では今の既存政治システムで右だ左だと
互いに非難しても、与野党併せて戦後体制の
中で政策をやるしか手段はなく、結論的には
資源豊富な外国依存を繰り返すしかないと思
う。その中でバランスを取りながら、日本人
(政治家)が外国人におもねる事なく、主権
を護ることが求められる。最近立ち上がった
新党に熱い期待を抱くのも仕方ないが、これ
までの趨勢を見る限り新党立ち上げ者の本来
の想いとは別に、周りの影響も受けて極端な
思考に陥ってしまい、大衆の共感を得られず
小さな政党のまま雲散霧消になる可能性が高
い。従って日本の政治組織が出来ることはか
なり限定された政策でしかない。

そうであれば、人間を救えるものは政治的イ
デオロギーではなく、やはり仏教的な古来か
ら伝わる宇宙に立脚した普遍的なアプローチ
によるしかないと思うのだ。令和7年は極め
て日本及び日本人が厳しい1年間になると言
われている。政治経済のみならず、地震、水
害、疫病、食糧高騰による飢饉。

やはり、普遍的アプローチしかない。

私ならば新義真言宗の立場から。他宗派の人
はその人にご縁がある天台宗、浄土宗や浄土
真宗、日蓮宗や曹洞宗等の各宗派を心の拠り
所として国家の安泰、家庭の繁栄を祈ること
が日本全体を正しい方向に導くと思うのだ。
先ずは信仰心から入ることが大切だと思う。
今は開宗当時と違い、各宗派で罵り合うこと
もなく、それぞれの宗派が加盟する全日本仏
教協会なる組織で統制し協力している。日蓮
正宗は加盟していないが、名が知れた宗派は
大体加盟している。会長も任期があり、浄土
宗の門首がやったり、真言宗の管長がやった
り、日蓮宗の管長がやったりしているのだ。
現在の会長は東本願寺の門首である。

念珠の話しに戻る。日本には飛鳥時代に念珠
が伝わり、僧侶が数を数える為に用いたこと
から一般的に数珠と呼ばれている。その後、
鎌倉時代に一般国民にも普及。江戸時代には
片手念珠が出回り、現代まで多くの国民が1
08顆の正式念珠又は片手念珠を所有して死
者との心の繋がりや日々の祈りを捧げている
。その意味で念珠は極めて重要な仏具だと思
う。

令和7年元旦現在、私が所有している主な念
珠は以下に貼付した写真の通りである。

【1】星月菩提樹8寸虎目石かがり梵天 
この念珠と【2】の念珠は、実際に母の棺や
火葬前に住職と一緒に読経した時に用いた特
別な念珠なので、今は仏壇でのおつとめに使
う念珠である。

【2】楠木念珠尺三かがり梵天房 
こちらは上記で説明した通りの私にとっての
特別な念珠である。日頃のおつとめでメイン
に使う念珠である。浅草寺付近にある念珠堂
さんで購入した念珠で、楠木のみかん玉タイ
プは数が少ないとのこと。

【3】正梅念珠尺二梵天房 
真言宗念珠のキホンとも言える念珠で、初心
者が先ず手にする念珠だと言われている。念
珠を摺る音も良く、今でも時々おつとめで使
う念珠。

【4】屋久杉平玉念珠8寸かがり梵天房
この念珠は特注で作ってもらったもので、市
販品では売っていない。奈良の総本山長谷寺
に巡礼する直前に作ってもらった。料金は市
販品と千円程度違うだけ。屋久杉の独特の香
りが良い。また、購入から現在まで、屋久杉
の樹木のしっとり感が手に伝わり、相当に幹
の水分が含まれているのが分かる。

【5】槐木念珠尺二梵天房 
この念珠は非常に軽くて使いやすいので気に
入っている。台東区の浅草寺に参拝した時に
浅草で有名な念珠堂さんで購入したもの。長
谷寺巡礼時にも持参し、十一面観音像の前で
手を合わせた念珠。また、菩提寺のご住職が
遷化された時に葬儀で手を合わせた時にも使
った念珠である。

【6】白檀念珠8寸虎目石かがり梵天房
香のとても良い白檀の念珠。御守り念珠の位
置付けになっている。

【7】本水晶尺二かがり梵天房
私は単なる一般檀家なので、葬儀で導師を務
める僧侶が使う本水晶の念珠を一人前に公の
場で出すことはないが、水晶は精霊が宿る石
とされ、私の水晶念珠も実に美しい輝きを放
っている。仏壇で特別に何かを報告する場面
で使いたい。ただ、今年の菩提寺での新年会
には持参しようかと思う。木の念珠と違い、
多少重い。また、石の念珠は糸が切れやすい
と言われている。 

【8】一位木念珠尺三かがり梵天房 
この念珠は前回第380回の日記で念珠の構
成について説明用に使った念珠だ。とても使
い勝手が良く、摺合す音も美しい。別に念珠
をジャラジャラ摺合せるのが目的ではないが
、やはりお経の調子に影響するものだ。一位
という名からして縁起も良いとされている。
外出時や日頃のおつとめにも使っている念珠
だ。

【9】檜尺二念珠共仕立かがり梵天房
この念珠は檜で作った念珠で、とにかく檜の
香ばしさが非常に素晴らしい。気分を変えた
い時にこの念珠を選択しておつとめをしてい
る。また、軽量なので使い勝手も大変良い。

【10】高野杉尺三念珠共仕立梵天房
この念珠は高野山、弘法大師空海の御廟に立
つ高野杉を使って作った念珠で、私のように
真言宗の檀家からしたら、大変想い入れの深
い念珠。高野杉の独特の香りもありお大師様
を感じながら仏壇前でおつとめが出来る。高
野山真言宗と私の新義真言宗の豊山派とは派
閥は違うが、教義による大きな違いはないの
で使われる念珠の違いもない為、高野山の念
珠店から調達したもの。

【11】星月菩提樹略式念珠
この念珠は、いわゆる片手念珠と呼ばれるも
ので、宗派問わず使える念珠だと言われてい
る。このタイプの念珠を持つ人が最近増えて
いる。だが、私は自宗派の108顆の本式念
珠を用いる。この念珠のように略式念珠も所
有しているが、使ったことがない。

【12】白檀8寸梵天房念珠 
この念珠はもう現存しない。総本山である長
谷寺で購入した白檀の香りが良い念珠だが、
母の旅立ちに際して左手に握らせたもの。骨
上げで骨壺に箸渡しする時、お骨が紫色に若
干染まっていた。これは梵天房の色が移った
ものだろう。写真では青っぽいが実際の房の
色は紫色である。思い出すと棺の中の母は旅
支度として白い死装束、いわゆる経帷子(き
ょうかたびら)というお遍路さんのような格
好だったが、その姿が非常に似合っていた。
本当に浄土へと旅立つのだと確信した。今、
この写真の念珠は母と共に浄土に向かってい
る。

【13】白檀尺四瑠璃梵天房
この念珠は僧侶が使う尺四サイズのもので、
白檀の香りが結構強い。手の小さな人や女性
は8寸、オールマイティーは尺二、男性は尺
三が好まれるが、尺四というのは僧侶が使う
サイズのようだ。比較的、お寺に参拝する時
に持参することが多い。気に入っている念珠
である。バッグからサッと出す時、ついこの
念珠を手にして寺院の御本尊に合掌してしま
う。多くの人は、サイズ的に尺二が一番使い
やすいかも知れない。

【14】天竺菩提樹尺三虎目石かがり梵天房
この念珠は最高の功徳があるとされている聖
なる木、天竺菩提樹という木の実で作られた
念珠で、人徳を高め、精神力を養う効果があ
るとされる。私は人徳がないので、精進する
には必須の念珠と言える。菩提樹の中でも最
高峰と言われており、確かに値段も高い。私
が死んだ時、棺に入れて持たせて欲しいが、
身寄りない私の遺体は他人からしたらゴミ同
様だと思うので、棺にも入れないかもしれな
い。この念珠も遺品業者が持って行ってしま
うだろうが、私の後、誰かがこの念珠を使う
ならば、その人に幸福が訪れるようにあの世
から全力で見守りたい。何か災いをもたらす
ような念珠にだけは絶対したくない。だから
今、プラス思考のパワーを注入している感じ
だが、基本的に念珠は血縁でない人にあげる
ものではないし、貸し借りをするものでもな
い。ただ、使ってくれる人がいるなら感謝す
るしかない。

念珠の種類や値段で功徳が変わるとは思えな
いが、それぞれに思い入れがある。身寄りの
ない私にとっては念珠は家族のようなもの。
いずれにしても、今年が皆、無事で少しでも
健康、生活、治安が安泰であることを願うば
かりだ。

さて、令和7年がスタートした。激動の1年
になる気がする。私のような『学』も『智慧
』も『体力』もない人間が、この世知辛い世
の中で果たして生き残れるのか甚だ心配では
あるが、経済戦争真っ只中の日本で、肩書き
に固執する政治家に過度な期待は逆に国民の
分断を生み、命さえも奪いかねない。

今年は参議院選挙があるようだ。私は立候補
者や政党は広く浅く見て投票したいと思う。
特定の政党やその立候補者に過度な期待をす
ると、必ず極端に陥る。従って、ある政党、
ある政治家に関心があっても、その主張全て
に合点することはない。経済政策には賛成だ
が、安全保障や国防.移民政策には反対とい
うケースがあるし、同一の政党から同一の所
管大臣が延々と就いたりと、この国の統治機
構は偏りが激しい。

こんな時代だから、どうしても力強い言動や
主張、数の力に頼り既得権益を維持したくな
るが、それは新たなる依存と権力の誕生を意
味する。

政治は権力闘争であるが、必ず、一方が権力
を取れば、一方は哀しみのどん底に落ちる。
そこに憎しみが伴い、社会の混乱が生まれる
。対立する考えを持つ人々にまで責任を持っ
て生活の安定と維持を確保する政党、政治家
なのかを見極める必要があるだろう。

国民性もあり、多くの日本人は肩書きの高い
人を最終的には信じる傾向にある。エリート
層はそれなりに努力して今の地位に就いてい
るから、その言動と行動に一定の信憑性をも
たらす。しかし、そのエリート層自身が今、
見えている国家像や国民思考の形が大きくピ
ントを外しているように思う。しかも組織と
いう責任の曖昧な場所に身を置くと、たとえ
個人として疑問を感じたとしても自身にマイ
ナスになるような発言は控えてしまう気がす
る。政治家まで官僚気質に陥ってしまってい
る。

従って、エリート層と一般国民との心理的な
ものは、透明な厚いアクリル板の壁が1枚入
っていて、形は見えているがやや曇り、互い
に何を考えているのか分からない状態。終い
には互いに日本語を話すが別世界の人種だと
認識するようになる。

日本は主体的に主権があるわけでは無い。必
ず外国勢力がその政党や政治家の背後に存在
する。それを忘れないように日々、生きてい
きたい。

 (つづく)