生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -28ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



平成10年7月31日(金)
今日、職場(教習所)を突発休暇して母を主
治医がいる精神科に連れて行った。とにかく
母本人は入院が嫌なので、それだけを心配し
ていたようだ。

母は「私は具合悪くないので処方薬は飲みま
せん。入院もしません。注射も嫌やです。」
と言い、医師や看護婦を手こずらせたが、診
察の結果、入院は回避された。入院が回避さ
れたことは、今後、私の不安が続くことだ。
正直、仕事どころではない。既にこれまでも
突発休暇をして職場幹部からの信頼は失って
いるので、教習所はいつでも退職して構わな
いが、近所に迷惑を掛けたり、それに伴う賠
償責任が発生した場合、私の収入ではどうに
もならない。一家心中が選択肢に入るだろう

精神障害者に対する人権団体の人々は確かに
障害者本人の人権については頑張っている。
障害者を病院に閉じ込めているのではなく、
社会の中で共存させようと活動している。し
かし、障害者を持つ家族に対しては若干ズレ
ているように感じる。同時に、モデル家族構
成は、精神障害の子供を抱える親の視点で語
られることが多く、私のような精神障害の親
を抱える子供の実情には疎い気がする。

いずれにしても通院ではダメだと思う。母の
頭に浮かぶ『電気に操られている』のような
ものは消えない。医師は嫌がる母を拘束して
精神病薬の注射を実施した。その注射は約1
か月は効くそうだ。かなり母は抵抗し、見て
いて可哀想だと思うが、既に強い妄想及び幻
聴が酷い状態では仕方ない。

注射後、少し落ち着いた感じだ。医師はこれ
まで処方した薬剤の変更をして自宅に帰宅し
た。ここまで大変な労力だ。母を説得して病
院に連れて行くだけで相当のエネルギーを使
う。当然、親子関係は崩れる。家族関係も職
場での立場も失うのだ。全く以て生きる意味
私にあるのか。いや、意味があろうが無かろ
うが、そんなことよりもとにかく近所の人に
迷惑にならないようにすることが第一だ。

勿論、母にしてみれば電気で操られているこ
とや幻聴や妄想も自分の脳内で実際に起って
いることであり、大変辛く恐ろしいことなの
だ。私がそれを「そんなことはない。おかし
いんじゃないか」と言われれば深い孤独に陥
るだろう。母の立場に立てば悲劇的なこと。

一方、私自身もいよいよ心の維持が難しくな
り、私自身がデパス錠を服用する羽目になっ
た。この日記でストレス発散するしか自分を
救う道はない。自分を救うのは他人ではない
。私自身だ。だから職場のことはどうでもい
い。勿論、私が休めば、教習生のキャンセル
待ちが一人分乗車出来ない。どれだけ私の立
場が悪くなろうと、所詮、会社というのは他
人の集まりであり、商売優先であり、それぞ
れの家庭事情に応じて回っているのではない
。それは当たり前のこと。自分の人生は自分
でどうにかするしかない。欠勤しようが信用
を失おうが、それは仕方ない。

そもそも私は会社という組織でフルタイムで
働ける環境にないのだからやむ得ない。一人
っ子というイメージは社会の中で一定の評価
があるようだが、それは両親が健在に過ごし
ている家庭であれば当てはまるかも知れない
が、一人っ子で家庭が複雑だとかなり自分が
社会で出来ることは限られて来る。そして、
家庭で起こった責任は全て背負うのである。
従って、仮に母が妄想によって起こした火事
なども私に賠償責任が生じるだろう。毎日、
ヒヤヒヤしながら暮らしている。こんなこと
、障害者人権団体は抜け落ちていると思わざ
る得ない。あくまでも本人に対する人権問題
がメインなのだと思う。

(令和3年12月、新幹線から撮影)

母の自宅に戻り、蕎麦屋で店屋物を注文して
食事を摂る。少し落ち着いた母が過去の話し
を私にした。その内容は妄想と現実の中間の
ような解釈であり、要は、祖母が母を蔑ろに
していたという内容だ。しかし、祖母は生前
、母を心配して何度も電話を寄こしていた。
母が過去精神科に入院した時には、遠方から
見舞いに来た。従って、やや被害妄想がある
と言える。

一応、病院に連れて行ったが、やはり服薬は
したくないらしい。もう入院してもらいたい
と強く感じた。明日、再度病院に連れて行く
つもりだ。入院すれば、一時金等で借金を重
ねるが、ボーナスを使うことにする。そして
カメラボディーを売却だ。それでも間に合わ
ないなら郵便定期を解約する。職場はまた欠
勤するが、もうどうでもいい。そもそも、精
神疾患を抱えた家族が他人から『センセイ』
などと呼ばれていること自体、そもそも不自
然なのだ。私には自動車教習所指導員という
立場は縁がなかったと言える。本当にもう退
職して心をラクにしたい。

(つづく)

=説明=
令和4年、西暦2022年に入った。叔母が
昨年5月に他界した。三親等であり喪中範囲
ではないが静かに過ごしている。

さて、このブログは私が25、6歳頃から書
き綴った日記(内心の自由と不自由)の転記
です。令和の今と考え方が異なる部分も多々
あります。それが成長なのか後退なのか分か
りません。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました

更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官で
あり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏せ
るべきことだと思いました。それは今も変わ
らない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手
で処世術が皆無です。従って、年齢相応のキ
ャリア形成(地位や肩書)はありません。

20代半ばから30代過ぎまで自動車教習所
指導員、30代終わりから40代は警察業務
の民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち
約9年間を所属長の立場で部下を持ちました
。慢性的な人手不足の中、目先の運営と実績
に明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない
上司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者
の育成に失敗し、組織の統率・意思決定に不
備が生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーとし
て問題解決能力を養うことをしませんでした
。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。某
年度末、署内で某交通課長(警視)から「い
くら勤務員が努力したと言っても、実績(数
字)として表れなければ管理者としては失格
なんだよ」という主旨の言葉をもらいました
。要するに、上司として部下に迎合すること
なく、権限を適切に使いキチンと指導しなさ
いという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解でしたが、当時は全員
に賛成されないと物事が進まないと思ってい
ました。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。

更に、私と出会ったことで元々優しい隊員が
質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこと
がありました。私との相性もありますが、色
々原因を考えると、その隊員も劣等感から職
場で建前の自分を演じていたと思います。

『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くなって脅かされる
と焦る気持ちがあったのではないでしょうか

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。よくプロ野球で新人監督一年目に
優勝しても、二年目は散々な成績で終わるの
も心理的な油断が影響していると私は思いま
す。来季、日本ハムファイターズ監督に新庄
剛志氏が就任しますが、仮に優勝しても一年
で辞任することが組織には良いでしょう。

『本当の優しさ』とは何か?
リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。

即戦力を求める組織は、互いの関係が常に緊
張状態になりやすく、それぞれの立場で護り
(保身)の感情を敏感にします。では、どう
すれば骨のある本当に優しいリーダーになれ
るでしょうか?私は、家庭基盤(家族構成と
収入)が安定し、幼少期から自分の『心の基
地』を確立した人物が信念を貫けるリーダー
だろうと思います。しかし、そうでない人も
『心の基地』を保持出来れば他人の評価を一
喜一憂せずに正しい方向に組織を導けるので
はないでしょうか?


 結果的に私は、親の介護問題と並行して、
私自身が体調を崩して入院、退職の途を歩む
ことになりました。遡行(そこう)すると私
の人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時
も、組織内ではなかなか芽を出せませんでし
た。それは詰まるところ、嫌われたくない、
好かれたい、という意識が強く、誰かの支え
になるリーダーというよりも私自身が誰かの
支え・庇護を常に必要としていました。部下
から嫌われたら、その組織で生きて行けない
と思っていました。しかし、本当は逆だった
のです。総てを守ろうとするものは、総てを
失うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年1月ー
 ∠(`・ω・´)




平成10年7月30日(木)
今日、母から電話があった。やはり言うこと
に強い妄想がある。これ以上、自宅に放置し
ておく状態ではない。

母曰く、頭の中で『電気』が走るそうだ。
そして、人間という生き物は電気によって操
作され動くという。要は、感情を持ったロボ
ットと表現したら良いか。母の口から出て来
る言葉に困惑を通り越して、とにかく早く主
治医に治療してもらわねばならないが、具合
が悪くなるほど病院には行きたがらない。そ
して、治療を勧める私と口論となる。

更に母が言う。その電気が何故、母に指令を
送信するのかと言うと、母に対して罪を償わ
せる為に、神様が母をコントロールしている
と言う。その罪とは、昔、むやみに胎児を流
産させたかららしい。私が4歳の時に、母は
産婦人科で「心臓が悪いので産めません。お
ろして下さい」と嘘を言って胎児を殺してし
まった。それが原因で神様が怒り、母の行動
を監視して心をコントロールしている、とい
うのが母の主張である。

全くの妄想である。他界した父からそんな話
は聞いていない。私自身も4歳であれば何と
なく覚えているはずだが、そうした大袈裟な
事態は無かった。確かに当時、葛飾区のボロ
アパートに住んていたのだから、子供は私一
人で生活は大変であろう。従って、中絶して
も何ら不思議ではない環境ではあるし、仮に
私が生まれる以前に母が中絶していたかも知
れない。それが端緒でノイローゼになったと
いうシナリオも成り立つが、そもそも母方に
は精神障害に罹患してしまった母の兄がいる
。遺伝が強いと思うし、頭の中で『電気』が
走り、母を動かしているというのも現実的で
はない。


先日、母の症状について私自身が深く理解す
る為に教習所を休んで、京王線の八幡山駅近
くにある専門書店に行った。あらゆる精神疾
患を持つ患者やその家族のサポート、自殺防
止に関する専門書が所狭しと本棚に並んでい
た。赤堤通りを南下すれば、都立松沢病院が
ある。多分、医療従事者向けに存在している
書店なのだろう。

私は何冊か購入したが、妄想が強い時は患者
をむやみに否定してはダメだと書かれていた
。しかし、実際に否定しないと私自身が気が
おかしくなってしまうのだ。仮に父やYS氏
が生きていて、二人で母の面倒を看ているな
ら良いが、私一人で精神を維持するのは極め
て困難だ。しかも、私の仕事は法律や自動車
の運転を指導する堅い職場である。従って教
習所を欠勤してしまうのも、私自身の精神を
一定水準に保つ為の自分の時間確保なのだと
思う。

そして、今現在、母の妄想が強いのだし、た
とえそれが健常者には理解出来なくても、母
の頭の中で見えている世界は現実に起こって
いることなのだ。それを唯一の味方であるは
ずの私が強く母を否定することは、母の孤独
が更に深まり、生きて行く元気を奪ってしま
う。しかし、病院に行くことや処方薬を拒否
する今、残された道はあまりない。

このまま教習所を休めば、更に私の指導員と
しての評価は下がる一方ではあるが、母につ
いての具体的な病名を公表することは憚れる
し、母の名誉もあろう。同時に、他人を教育
する職場であり公共性の高い仕事だ。堅い職
場というのは世間体というものが極めて高い
。しかし皮肉なもので、堅い職場に身を置く
ことで私の生きるモチベーションが維持され
ているのも事実で、周りの人々は優秀な人達
ばかりだ。私が自暴自棄にならずに済んでい
るのも確かなのだ。だが、私の深層心理潜在
意識の中で、こんな声を感じてしまう。

『精神疾患の家族を持つ人間など信用出来る
か!お前が指導員ではみんなが迷惑する』

という経営者の声も予想出来る。職場という
のは個人の事情を優先する場所ではない。既
に欠勤やミスのある私の教習所での立場は落
ちているのだし、生活費さえあれば今直ぐに
退職して時間を作り、母を入院させるべく対
処が出来るのだが。

人間、どう生きるか。それを考えれば考える
ほど私自身が生きることは社会悪なのではな
いかと思う。幸い、独身ということが救いで
ある。結婚していれば妻やその親族をも巻き
込んで一大事になる。

世間では小渕総理になったと話題になり、閣
僚が誰だとか報道されているが、私はそれど
ころではない。明日も仕事は休むつもりだ。
そして母を病院に行くように説得する。最早
、職場のことはどうでも良い。『アイツはや
る気のないダメな指導員だ』と思われようが
仕方ないことだ。人には言えることと言えな
いことがある。そして、この社会は言えるこ
との中で回っていく世界なのだから、私達家
族の生きる場所は限られている。

(つづく)


=説明=
先日よりスマホの機種変更(OPPO Reno5A)
をし、その機種でアップロードしています。
文字起こしに細心の注意をして打込みました

さて、令和3年11月8日に占術家の細木数
子さん、9日には作家の瀬戸内寂聴さんが相
次いで亡くなりました。細木さんは83歳、
瀬戸内さんは99歳でした。週刊誌やネット
の一部コメントでは生前について批判的に書
かれてますが、それぞれ厳しい時代を生き抜
いた人だと思います。決して模範的で道徳的
な人生を送れたかは疑問ですが、生身の人間
が世の中で生き抜くには誰もがやむ得ない事
情に直面することもあります。しかし、縁に
導かれるように人と出逢い、絶望から楽観に
生きることを学び、更には他者の幸せが結果
的に自分の幸せに還元されるのだと結論づけ
たのでしょう。

とかく人間は「こうあるべき」論で生きるこ
とは、他者との関係や周りの空気感、環境で
難しいのが現実です。二人の功績は多大であ
り、ご冥福をお祈りします。と同時に、私も
日頃から『死』という事象を考えますが、人
間社会は産まれる人よりも、過去を含めて死
んだ人の方が膨大な数な訳です。寧ろ、人間
の究極の目的は如何に『死ぬ』か、だと思い
ます。

さて、このブログは私が25、6歳頃から書
き綴った日記(内心の自由と不自由)の転記
です。令和の今と考え方が異なる部分も多々
あります。それが成長なのか後退なのか分か
りません。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではない
私の就職先は極めて限定的だったことでしょ
う。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました
。更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官
であり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏
せるべきことだと思いました。それは今も変
わらない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

 また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下
手で処世術が皆無です。従って、年齢相応の
キャリア形成(地位や肩書)はありません。
20代半ばから30代過ぎまで自動車教習所
指導員、30代終わりから40代は警察業務
の民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち
約9年間を所属長の立場で部下を持ちました
。慢性的な人手不足の中、目先の運営と実績
に明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない
上司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者
の育成に失敗し、組織の統率・意思決定に不
備が生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーとし
て問題解決能力を養うことをしませんでした
。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、署内で某交通課長(警視)から、
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。

 更に、私と出会ったことで元々優しい隊員
が質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこ
とがありました。私との相性もありますが、
色々原因を考えると、その隊員も劣等感から
職場で建前の自分を演じていたと思います。
『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くなって脅かされる
と焦る気持ちがあったのではないでしょうか

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。よくプロ野球で新人監督一年目に
優勝しても、二年目は散々な成績で終わるの
も心理的な油断が影響していると私は思いま
す。来季、日本ハムファイターズ監督に新庄
剛志氏が就任しますが、仮に優勝しても一年
で辞任することが組織には良いでしょう。

『本当の優しさ』とは何か?

リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。即戦力を求める組織は、互
いの関係が常に緊張状態になりやすく、それ
ぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感にし
ます。では、どうすれば骨のある本当に優し
いリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

 結果的に私は、親の介護問題と並行して、
私自身が体調を崩して入院、退職の途を歩む
ことになりました。遡行(そこう)すると私
の人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時
も、組織内ではなかなか芽を出せませんでし
た。それは詰まるところ、嫌われたくない、
好かれたい、という意識が強く、誰かの支え
になるリーダーというよりも私自身が誰かの
支え・庇護を常に必要としていました。部下
から嫌われたら、その組織で生きて行けない
と思っていました。しかし、本当は逆だった
のです。総てを守ろうとするものは、総てを
失うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和3年12月ー
葛飾 生観


平成10年7月29日(水)
今日、私は体調不良で昨日に続き職場を休ん
だ。母の具合の変化が心配で一睡もしていな
い。積極的に病院に行ってくれれば良いが具
合悪くなるほど、処方薬を棄ててしまい妄想
が酷くなり頑なになる。

食事もしていない様子。更に妄想が進み、近
所に迷惑を掛けないかが問題だ。色々考えれ
ば仕事どころではない。結局、一睡もせずに
朝を迎えてしまった。「もう教習所は退職し
よう。とても仕事どころではない。またアイ
ツ休みやがった」と顰蹙を買う。

既に私の指導員としての信用は失っているの
だから退職に戸惑いはない。懸念は生活費だ

幹部に母の症状を説明しても理解は出来ない
だろう。『恥を言わねば理が聞こえぬ』とい
うことわざ通り、いちいち説明するのも面倒
だ。特に、堅い職場では体裁もあろうから、
そんな危険な部下は排除した方が良いという
ことになる。そうなる前に退職する方が私自
身のダメージも少ない。

とにかく疲れた。

午後、私自身が体調不良になる。近くの心療
内科に行き、睡眠薬と安定剤を処方された。
母同様に、私も同類の医薬品のお世話になっ
てしまった。

こう考えると、父が生前に酒に明け暮れた要
因も、酒に頼らなければ寝られなかったとい
うことだったのではないか。確かに私は父に
対して怒りもある。しかし、俯瞰して父を一
人の男の人生として捉えた時、精神疾患を持
つ妻の面倒を孤独に看て、更に将来の希望も
なく、いつでも心のスイッチが入ったら死ん
でやると思うのも無理はない。今更ながら、
私もまた父の悲しみを共有することになる。
そして、母もまた、この病気になってしまっ
た責任がある訳ではない。従って、『運命』
としか言えない。

いずれにしても、私がこれ以上、指導員とし
て仕事を継続するのは不可能だ。とにかく明
日は明日だ。今は処方薬を飲んで寝よう。


(つづく)