生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -29ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。




平成10年7月28日(火)
今日、私は体調を崩し夏季休暇を取得した。
昼過ぎまで寝ていた。今夜は実家の母に会い
に行く予定になっていた。「カニ玉を作って
おくから」と言う。

しかし、夕方実家を訪ねると母は6畳間から
台所の戸棚をジーッと見続けていた。居間の
テーブルに食事が並べられている訳でもない
。母はただ戸棚をジーッと見ているだけだ。
テレビもラジオもついていない静寂な室内。

結局、何も食事は用意されずに、1時間程度
、母に病院に行って薬を貰って飲むように伝
えて帰宅した。母がこの状態ではとても仕事
どころではない。幻聴幻覚で自殺しないか、
近所に迷惑を掛けないか。

何とか母を病院に連れて行き、主治医に私が
感じたことを伝えたいが、病院に私が同伴す
るのを母は一番嫌う。何故なら、私が大袈裟
に主治医に言って入院させられることが予想
されるからだ。あの暗く冷たい鉄格子の病室
。母にして見れば当然だろうが、私自身も誰
にこの状態を・・・、という意味で孤独に苦
悩するしかない。

一体、私の人生は何を使命として生きて行く
のか?実家から最寄り駅まで歩いていると、
同い年くらいの笑顔の家族連れの親子とすれ
違った。この夫婦と今の私とでは生きる場所
が違うのだから仕方ないと思いつつ、人間は
生まれた時に、様々な『業』を背負って生き
ねばならないと思った。

かつて、父が昭和58年1月1日、元旦のご
来光と同時に死んだ。私は親戚を待つ為に病
院玄関先の歩道に立っていた。若いアベック
がやはり笑顔で私の前を歩いて行った。その
時の感情がこみ上げて来た。

人間一人一人、同じ空間、同じ時間の流れの
中でも、絶望を感じている人もいれば、幸せ
を感じている人もいるのだ。しかしそれは当
たり前である。誰かが不幸の時、私が好調と
いう場合だってあるのだ。それを理不尽だと
思う方が理不尽だ。そう自分に言い聞かせて
電車に揺られた。そして、車窓から東京拘置
所が見える。この中では、様々な不幸な環境
で育ち、その結果、犯罪を犯した人たちがい
る。殆どが裁判中の被告人である。私も、感
情的に無性に腹立たしくなることがあり、笑
顔の人間を殴りたくなるが、私は心根が冷た
い人間なのだろう。直ぐに冷静になる。所詮
は他人だ。私の気持ちを理解するのは無理だ
し、仮にその機会があったとしても、説明す
るのも面倒だ。

とにかく自宅に戻り、好きな歌でも一人で聴
いていた方が精神衛生上良い。こうして考え
ると、傷害などで拘置されている被告人の方
が人間的には感情が豊かで繊細なのではない
だろうか?電車は荒川の鉄橋を南進している
。何だか今日は疲れた。

今後の母が心配だ。薬も食事も幻聴で拒否し
ている。どうにかしなければならない。

(つづく)

=説明=
先日よりスマホの機種変更(OPPO Reno5A)
をし、その機種でアップロードしています。
文字起こしに細心の注意をして打込みました
。さて、令和3年11月8日に占術家の細木
数子さん、9日には作家の瀬戸内寂聴さんが
相次いで亡くなりました。細木さんは83歳
、瀬戸内さんは99歳でした。

週刊誌やネットの一部コメントでは生前につ
いて批判的に書かれてますが、それぞれ厳し
い時代を生き抜いた人だと思います。決して
模範的で道徳的な人生を送れたかは疑問ですが、生身の人間が世の中で生き抜くには誰も
がやむ得ない事情に直面することもあります
。しかし、縁に導かれるように人と出逢い、
絶望から楽観に生きることを学び、更には他
者の幸せが結果的に自分の幸せに還元される
のだと結論づけたのでしょう。とかく人間は
「こうあるべき」論で生きることは、他者と
の関係や周りの空気感、環境で難しいのが現
実です。二人の功績は多大であり、ご冥福を
お祈りします。

と同時に、私も日頃から『死』という事象を
考えますが、人間社会は産まれる人よりも、
過去を含めて死んだ人の方が膨大な数な訳で
す。寧ろ人間の究極の目的は如何に『死ぬ』
か、だと思います。

さて、このブログは私が25、6歳頃から書
き綴った日記(内心の自由と不自由)の転記
です。令和の今と考え方が異なる部分も多々
あります。それが成長なのか後退なのか分か
りません。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた
『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

 私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父
は酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が
原因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から
尿毒症を発症して昭和58年元旦に死去しま
した。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を幼少から学
習するからだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました

更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官で
あり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏せ
るべきことだと思いました。それは今も変わ
らない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

 また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下
手で処世術が皆無です。従って、年齢相応の
キャリア形成(地位や肩書)はありません。
20代半ばから30代過ぎまで自動車教習所
指導員、30代終わりから40代は警察業務
の民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち
約9年間を所属長の立場で部下を持ちました
。慢性的な人手不足の中、目先の運営と実績
に明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない
上司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者
の育成に失敗し、組織の統率・意思決定に不
備が生じました。

 『いい人』と呼ばれても人徳がなかったの
は、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ
取ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を
回避したかったのです。上記で触れましたが
、私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏と
の間で激しく罵り合う場面を間近で見ました
。私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーと
して問題解決能力を養うことをしませんでし
た。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、署内で某交通課長(警視)から、
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解でしたが、当時は全員
に賛成されないと物事が前に進まないと思っ
ていました。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

 私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて
依存体質の部下を醸成してしまいました。私
の前では自由闊達に物事が言えた部下が、人
事異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通
事故を起こしたり、体調を崩して亡くなった
隊員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導
をしなかった私の責任は重大です。その罪も
心の中で一生負わねばなりません。組織のリ
ーダーがやるべきは、人を遺すことです。

 更に、私と出会ったことで元々優しい隊員
が質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこ
とがありました。私との相性もありますが、
色々原因を考えると、その隊員も劣等感から
職場で建前の自分を演じていたと思います。
『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くなって脅かされる
と焦る気持ちがあったのではないでしょうか

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。よくプロ野球で新人監督一年目に
優勝しても、二年目は散々な成績で終わるの
も心理的な油断が影響していると私は思いま
す。来季、日本ハムファイターズ監督に新庄
剛志氏が就任しますが、仮に優勝しても一年
で辞任することが組織には良いでしょう。

『本当の優しさ』とは何か?

リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部もまた問題解決能力が欠けていたと
私は思います。即戦力を求める組織は、互い
の関係が常に緊張状態になりやすく、それぞ
れの立場で護り(保身)の感情を敏感にしま
す。では、どうすれば骨のある本当に優しい
リーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を 
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

 結果的に私は、親の介護問題と並行して、
私自身が体調を崩して入院、退職の途を歩む
ことになりました。遡行(そこう)すると私
の人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時
も、組織内ではなかなか芽を出せませんでし
た。それは詰まるところ、嫌われたくない、
好かれたい、という意識が強く、誰かの支え
になるリーダーというよりも私自身が誰かの
支え・庇護を常に必要としていました。部下
から嫌われたら、その組織で生きて行けない
と思っていました。しかし、本当は逆だった
のです。総てを守ろうとするものは、総てを
失うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和3年11月ー
 ∠(`・ω・´)



令和3年11月11日(木)
昨日は、衆議院臨時国会ということで、私も
国会前に見学に行ったが、政治の話しについ
ては後日書くとして、私のカメラ機材、レン
ズをまとめていく。一応、今回で一通りのレ
ンズを載せたので良いだろう。

21 ニコンAFーS NIKKOR DX
   18〜70ミリ F3.5〜4.5G
   ED
私がニコンのデジカメを使うようになり、D
70Sから一番持ち出したレンズと言える。
18〜70ミリという使い勝手の良いズーム
域で、フルサイズの28〜105ミリに相当
する画角のレンズである。AFーSなのでレ
ンズ側にモーターが付いている為に、D30
00系でもAFが使える。中古購入で約50
00円程度だったと思う。描写もなかなかで
あるが、旅客機撮影では多少距離が足りない
ので、あくまで駐機する機体や風景写真で多
用した。18〜55ミリも手頃だが、こちら
のレンズを使うケースが多い。ただ、現在は
№1で紹介したレンズを入手してから、出番
が少なくなった。

23 ニコンAF NIKKOR
   80〜200ミリ F2.8 ED
このレンズは昔のプロが使っていたF値2.
8の200ミリ望遠レンズである。明るいレ
ンズを求めて今更感がありながら中古購入し
たが、とにかく重い。描写は確かであるが、
撮影現場に持って行こうという気にならない
レンズになってしまった。私のように電車移
動だとこうなる。マイカー移動なら、間違い
なく常にカメラバッグに入れるレンズだ。こ
うなることを知りながら購入したのだから、
仕方ない。このタイプは新旧あり、私が所有
しているのはズームリングが上下伸縮させる
旧型タイプで、案外、使い勝手が良い。自宅
待機することの多いレンズだが、肝心な撮影
では欠かすことの出来ない、野球選手で言え
ば昔4番打者で、今は痺れる場面での代打要
員である。令和3年の現在も1万円前後する
レンズだ。

24 ニコンAF NIKKR
   24〜120ミリF3.5〜5.6D
どうも同じズーム域のレンズが増えてしまう
のだが、散歩レンズとして重宝する一品であ
る。多少重いのがネックだが、コレと望遠レ
ンズの2本あれば事足りる。径72ミリとい
う大口径の部類に入るが、いかにも被写体を
捉えているという気分になる。ジャンク売場
で4000円だった。何がジャンクなのか分
からないが、全く問題がない。逆光で不都合
が顕著なのかも知れない。プロは過酷な環境
でも撮影しなければならないだろうが、私は
その必要もない。

25 ニコンAF NIKKR
   Ai単焦点 28ミリ F2.8

Ai単焦点50ミリと同様に、花のようなじ
っくりマニュアル撮影したい時に持ち出すレ
ンズである。今、所有しているボディーでは
、Aiレンズ使用時、レンズ情報手動設定を
合わせることで絞りなどマニュアル撮影が容
易になる。

連日、私のカメラ機材についてまとめたが、
以上で閉めたいと思う。私の被写体は旅客機
がメインだが、それに縛られることなく楽し
むのが良い。




令和3年11月9日(火)
引き続き、余談として私のカメラ機材、レン
ズについて紹介する。殆どが中古ジャンク品
で購入したもの。だが、キチンと撮影が出来
るので、個人的には問題ない。今日は以下の
5本のレンズ。こうして書いていると、私も
完全にレンズ沼に嵌ってしまっていたことを
知る。

16 タムロンAF ASPHERICAL
   LD(IF)28〜200ミリ マクロ
   F3.8〜5.6
私が教習所を退職した頃に販売されたレンズ
だ。中古購入で約3000円。ズーム域が広
いので、これ1本で撮影が足りる場合もある
が、経72ミリで重いので、今はカメラバッ
グで眠っているレンズ。ただ、使い勝手が良
いので売却は考えていない。売却しても10
0円程度だろう。マクロ撮影も出来る。

17 ニコンAF NIKKOR
   70〜300ミリ F4〜5.6D
このレンズには新旧あり、新しいのはEDレ
ンズなのだが、私が所有しているのは単なる
Dレンズである。今や中古で3000円程度
で販売されている。私も中古で購入、300
ミリの割には軽量なので購入当時は私の主力
レンズだった。写りもシャープで、実に良い
感じだ。またこのレンズはDXではないので
フルサイズ機に対応している。勿論、DX機
に装着すれば105〜450ミリの超望遠レ
ンズとなる。開放F値が4スタートなので、
夕暮れから厳しいが、D4でISOを上げて
撮影する工夫が必要になる。だが、空港の夕
暮れや夜間は燈火が幻想的になり、その美し
さを表現するには№18のマニュアルレンズ
の方が撮影しやすいので、このレンズの出番
は少ない。
(№17のレンズで撮影)

18 ニコンAi NIKKOR
   単焦点300ミリ F4.5
とにかく重い。マニュアルフォーカス専用の
Aiレンズの300ミリF値4.5単焦点。
現在所有するカメラ(D7000、D800、
D4)に取付可能だが、マニュアル撮影にな
る。しかし、№17のレンズで300ミリで
撮影するよりもF値が明るく撮影出来るので
オートフォーカスが必要ない場面なら、こち
らのレンズの方が私は良い。中古購入だった
が、単焦点望遠レンズなので9000円もし
た。しかし、描写は間違いない。経が72ミ
リで、これ以上F値を小さくしたら経も大き
くなり、私のような頚椎椎間板症の人間には
かなり大変になる。ギリギリの大きさのレン
ズだと言える。ただでさえ、Aiレンズは金
属製なのだから。三脚座が付いているのもプ
ラスだ。これからも、たまに持ち出すレンズ
だと思う。それには、カメラバッグをリュッ
クタイプからキャリーバッグに変更する覚悟
が必要だ。

19 シグマズーム 28〜105ミリ
   F3.5〜5.6 UCーⅢ
20 シグマズーム 70〜210ミリ
   F4〜5.6 UCーⅡ
この2本はセットで考えているレンズで、手
に持った感じはプラスチックの軽いチープな
印象のレンズだが、なかなか描写はクリアで
ある。どちらのレンズも中古購入、1500
円✕2、計3000円だったと思う。この値
段でこの写りなら満足だ。フルサイズに対応
するレンズだ。令和3年の今、なかなか中古
市場でも見つけるのは難しいと思うが、この
2本を持って散歩すれば、先ず撮れない写真
はない。D4にこの2本で軽快に撮影するの
もアリ。私は素人だ。良いカメラにナノクリ
スタルレンズというのが一番性能を引き出せ
ると思うが、コンテストに出して、誰かの審
査を受ける訳ではないし、そもそも審査員も
その写真を見る前に、何の機材で撮影したか
を確認してから審査に入るのではないだろう
か。私は誰が撮影しようが、何の機材で撮影
しようが、自分の感情が動けばそれが美しい
写真なのだと思うので、今、自分が必要な機
材で撮影するのがベストだ。カメラボディー
もレンズも、私の眼、私の感情である。