生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -26ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



●平成10年(1998年)8月9日(日)

今日も実家に泊まり込みで母の介護である。
介護と言っても通常の高齢者に対する介護で
はない。主に処方薬を管理して服用させ、妄
想や幻聴、幻覚でおかしな行動で近所の人に
迷惑を掛けたりしないか、母自身がそうした
症状が原因で自殺しないかという監視がメイ
ンである。高齢者の介護も極めて大変だが、
同様にこの介護というか監視もストレスが溜
まる。

既に私の心の中には教習所(職場)に対する
ことはどうでも良くなっている。母の病名を
職場幹部に告げることは母の名誉に反するこ
とである。しかもそんな病気に理解出来る人
達ではない。堅い職場で生きる人々は基本的
に学歴が高く、学校でも社会に出てからも、
あるべき解答に対して「こう生きるべき❗」
という正解に向かって突き進む傾向がある。
我々親子のように将来を見通せず、私のよう
に人生計画が立てられない人間にはそもそも
教習所のような堅い職場は不相応なのかも知
れない。しかし、そうした堅い職場に身を置
いているからこそ、かろうじて周りにおかし
な人間がいないので、私は救われているのだ
ろう。従って、不良職員の私にさえ親切にし
てくれる一部の指導員仲間に対して騙す形と
なり、心苦しい気持ちがある。それが私の深
層心理で複雑に絡み合い、益々職場から心が
遠ざかる要因なのだ。


今日も母の病気に対する専門書を読んでいる
。中には精神障害者が記した手記もある。障
害者本人の手記には『人権』について無視さ
れた、という主張を強調するものが多い。特
に精神障害の場合は周囲からの偏見が極めて
高いので、差別的なものを感じるのだろう。

そうであれば、堅い職場ほど一定の排除理論
が敏感に働く。信用、信頼というのは、いつ
の場面においても他人の期待に大きく相違し
ないことが求められる。この感情的なものが
家族にも同様に生じると思う。

更に障害者本人の手記を読んでみる。
「普段は気にならないで済む音にも妙に敏感
になったり、周りの人は笑っているんじゃな
いか?何かのサインを出しているんじゃない
か?と人を疑い深くなり、更に意識を集中し
ようとしても余計なことが頭に次から次へと
考えてしまう。思っても見なかった心配が湧
いて来る。そして自分の考えがまとまらない
。これは自分の頭の中にあるフィルタが所々
破れて不必要な情報がどんどん流れ込んで来
るので、神経が混乱してしまう」
とある。

これは母が感じていることでもある。私の言
葉すら疑うのである。唯一の家族である私が
母自身を陥れる存在と感じても不思議ではな
い。


(つづく)

=説明=
カーリング女子のロコ・ソレーラが活躍する
北京冬季オリンピックの最中、令和4年2月
中旬から、ロシアとウクライナとの間で不穏
な動きが報道されるようになりました。そし
て、映画『大日本帝国』や小学生時代によく
観ていた時代劇『江戸を斬るシリーズ』で主
演を務めた西郷輝彦氏(今川盛揮氏)が令和
4年2月20日午前9時41分に前立腺がん
で亡くなりました。75歳でした。

そんな中、ロシアのプーチン大統領はウクラ
イナ東部(地図上でウクライナの右端)にあ
る親ロシア派武装集団が仕切っているルガン
スク州内の『ルガンスク人民共和国』、ドネ
ック州内の『ドネック人民共和国』について
勝手に独立を承認しました。



これは、ウクライナが2015年(日本の平
成27年)に行われたウクライナ東部での停
戦維持、所謂「ミンクス合意」を履行せずに
上記の親ロシア派をウクライナ大統領が虐殺
したことにプーチン大統領が激しく怒り、更
に新任のゼレンスキー大統領は米国等が加盟
する軍事同盟、北大西洋条約機構(NATO
)の加盟に動きました。これはロシアの安全
保障に極めて重大な問題だと捉え、ロシア軍
が2022年(日本の令和4年)2月24日
、ウクライナに侵攻、首都キエフ等の軍事施 設をミサイル等で空爆しました。また地上戦
では互いの兵士が銃で殺し合い、ロシア軍の
攻撃でウクライナの一般国民が被害を受けて
ました。この瞬間にも殺されています。プー
チン大統領は「ロシアは世界で最も強力な核
保有国の一つ」と言い、暗に核攻撃も視野に
入れると警告しています。

(ネット記事から)

ゼレンスキー大統領はロシアとの国交の断絶
を宣言、国民に対してロシアと戦うように招
集しました。これは、日本が大東亜戦争で昭
和13年に行った国家総動員法と同等の政策
です。昭和13年は実父が生まれた年です。

プーチン大統領とすれば、どんどんと東方に
拡大するNATOという軍事同盟の脅威、民
主主義化を抑えたいという理屈はありますが
、ウクライナに対して軍事攻撃を開始したこ
とは国際社会が許す訳にはいかないでしょう
。欧州連合(EU27カ国)は最大限の非難
で表明し、主要7カ国(G7=日本、アメリ
カ、カナダ、フランス、ドイツ、イタリア、
イギリス)も緊急首脳会議でロシアに厳しい
制裁を行うことで一致しました。因みに、ロ
シアは国連の安全保障理事会の常任理事国で
す。

常任理事国とは、アメリカ、イギリス、フラ
ンス、中国、そしてロシアです。そうした国
家がウクライナの罪なき国民を殺害している
のです。安全保障もなにもあったものではあ
りません。果たして国連がキチンと機能して
いるのか私は疑問です。プーチン大統領に主
張があるなら、ロシア自体が常任理事国でも
あるのだから、国連で処理すれば良かったの
ではないだろうかと素人ながらに思います。

私の実父は樺太野田町生まれです。現・ロシ
ア領です。大東亜戦争敗戦後の昭和20年8
月16日に旧ソ連に侵攻され、多くの樺太に
住む人々が虐殺されました。従って、個人的
にも今回のロシアによるウクライナ侵攻は極
めて激しい怒りを覚えています。日本は昭和
26年9月8日にサンフランシスコ平和条約
を締結し、昭和31年12月18日に国連に
加盟しましたが、我が国を支配する体制は、
締結順では平和条約→日米安全保障条約→行
政協定(地位協定)ですが、実際には行政協
定→安全保障条約→平和条約に縛られている
と思います。日本は国連から令和4年の現在
も『敵国』として扱われています。

要は「第二次大戦(大東亜戦争)中に連合国
の敵国であった国(要は日本)が起こした紛
争に対して、自由に軍事制裁を課する事が容
認されています。しかも、戦争が終わっても
なお敵国が敵国でなくなる状態が国連憲章に
規定されていないので、たとえ日本が国連に
加盟しようが、日米安全保障条約を結ぼうが
未来永劫、日本は敵国扱いのままなのです。
こうしたことから、我が国は様々な事象につ
いて、アメリカ等にお伺いを立てなければ肝
心な政策が出来ないようになっている気が私
はします。

話しを戻すとロシアは2014年(日本の平
成26年)にも、黒海に面したクリミア半島
(現在、法的にはウクライナに帰属)に侵攻
し、実効支配下に置いています。ロシアの考
えではウクライナはロシアの一部だと言う認
識であり、そのウクライナがNATOに加盟
することはロシアの歴史そのものが破壊され
るに等しいのでしょう。日本テレビの情報番
組「ミヤネ屋」では、ロシアがジュネーブ条
約で禁止されている『燃料気化爆弾』を使用
したのではないかと報道されていました。

(日本テレビ、ミヤネ屋から)

ロシアの同盟国である「ベラルーシ」もウク
ライナ侵攻をしていると報道されていますが
、私はこの戦闘の終焉は、ロシアのリーダー
が自ら自裁するか、ロシア高官がリーダーに
造反し、命を奪うしかないと思っています。
いずれにしても、数分まで生きていた大切な
命、ウクライナの一般国民、ウクライナ兵士
、ロシア兵士のご冥福をお祈りすると同時に
、本件を実際に誰が仕掛けたのかは歴史が証
明するとしても、誰の命もたった一つである
ことは間違いないのです。そして、人間の思
考や思想の中には、命以上に護らねばならな
い価値があることも事実であります。

人間、どの時代に、どの国(どのリーダーの
政治)に、どの親に生まれるかは選択出来な
いのですから、今、この瞬間に生きているこ
とは、年齢が違えども、皆、同志であると思
います。

いつもの後記とは異なりますが、ロシアとウ
クライナの戦闘が激化したので、記しました



平成10年(1998年)8月8日(土)

昨日に続き、実家で母の看病だ。看病という
よりも監視に近い。何となく警察署の留置係
の気持ちだ。きっと彼らもかなりのストレス
を抱えているのだろう。だが、母は犯罪者で
はなく自覚なき病人である。

最近は処方薬を私が監視しながらも飲んでい
るので、夜の寝付きも良さそうだ。しかし、
気分の波があるので、なかなか薬を飲ますの
も一苦労だ。それだけで疲れる為に、必要外
は誰かと会話するのも億劫になっている。そ
んな中で、何人かの職場の仲間から私の携帯
電話にメールが入る。申し訳ないが、母の本
当の病名は伏せていて、職場には高血圧と伝
えている。そうすると、確かに幹部にしてみ
れば、「俺も高血圧の薬を飲んでいる。そん
なのは医者に任せておけばいい。親自身も子
供じゃないんだし、お前もマザコンにならな
いで職場に出て来て仕事しろ!」と思うだろ
う。私が幹部でも同じことを考える。

しかし、母の病名を告げることは憚れる。嘘
をつけば、それを維持する為に更に嘘を重ね
ることになる。それにより、職場での信頼を
失ったとしても構わないと思っている。何故
なら、職場は他人の集まりであり、私という
人間を嫌いになろうが無視しようが自由であ
り責任も生じないが、私と母の関係は好き嫌
いという軽々しい感情の問題ではなく、団地
一階に住むお婆さんの言葉通り、私が一切の
責任が生じる。もしも母が妄想や幻聴が原因
で近所の人に具体的な被害を与えれば私が一
生をかけて賠償しなければならない。


職場に病名を告げることは、そんな危ない人
間、リスクある人間を教習所が指導員として
私を雇用していることは、幹部にも迷惑をか
けてしまう。そうした意味もあり、静かに退
職したいというのが私の希望である。

しかしながら、今の私の微かな生きる希望は
職場仲間からの3通のメールである。ありが
たい。不良職員である私に対して親切な言葉
が打たれている。人間は結局、人間の中でし
か希望を見つけることは出来ないのだろう。

明日(9日)、保健婦さんに訪問してもらう
ことになっていたが、母が今は誰とも会いた
くないという。やはり、そうした立場ある人
間が訪問すると入院させられると敏感に気づ
くのだろう。頑なに訪問を拒否する。そこで
また母と揉める。せっかく一歩前進したのに
、また逆戻りである。正直、「殺してやりた
い!」と本気で思った。

「落ち着け❗落ち着け❗」

そんな時、厚木の母の姉から心配の電話があ
った。そこでまた冷静になる。母は処方薬を
飲み始め、少しずつ妄想や幻聴も落ち着いて
来たのだから・・・。もう少しの辛抱だ。し
かし、私がまた職場復帰した際の幹部の冷た
い視線に気が重くなる。一番良いのは、母が
入院して私も退職出来ることである。やはり
私には堅い職場、人様に何かを教える役目は
向かない。そんな立派な人格、人間ではない
。不良人間なのだから、そんな人間に相応し
い居場所があるはずである。

母が漸く眠りにつき、私は今、先日京王線八
幡山駅近くの専門書店で購入した母の病気に
関する書籍を開いて読んでいる。それを転記
する。

「精神分裂病という言葉が医療者と患者、家
族との間で、これまであまり積極的に用いら
れて来なかった。病名も悪いイメージが強い
ためにキチンと触れることが憚れ、結果とし
て病気の内容や治療についての情報を交換す
る機会が少ないままでいたように思われます
。(中略)このような状況で家族や患者さん
に情報を伝えないで、自分達で考えながらう
まく工夫して生活して下さいというのは、か
なり無茶苦茶を言っていることです。」

とある。その通りである。特異な疾患を持つ
患者や家族は一層の孤独を感じる。更に書籍
を読み進める。

「分裂病は様々な刺激を伝えあう。脳をはじ
めとした神経系が障害される病気です。緊張
ーリラックスを司る神経系や意欲やその持続
に関連する系列、情報処理の調節に関する何
らかの系列にトラブルが起きていると言われ
ています。患者さんの感覚としては眠れなく
なり、神経が過敏になり、周りが不気味に変
化したような気分になり、リラックス出来ず
、頭の中が騒がしく、やがて大きな疲労感を
残す。というような体験のようです。回復に
は充分な時間を必要とします。(中略)分裂
病は特殊な病気ではなく、百人に一人の割合
で発生している病気です。再発しやすく、そ
れを防止するには対人関係や仕事場などを確
保し、スタッフと患者さん同士が互いに支え
あいながらリハビリするのが回復を向上させ
る。回復には時間がかかり、患者さんにも家
族にも疲労が溜まります。」

と続いている。現在の私の心の状態、環境に
かなり近い。同時に母の具合を正確に伝えて
いる。今の世の中、母のような遺伝的な疾患
、母個人には如何ともし難い運命のような人
生に限らず、普通に生活している人間ですら
、人間関係に神経をすり減らして心を患う場
合が増えている。


義父であるYS氏が平成6年6月4日、鬱が
原因で自ら命を絶った。私は結局、YS氏の
身に起こっている事態を軽く見積ってしまい
、その結果、最悪の事態を招いてしまった。
YS氏には色々な想いがある。当時、父とY
S氏の間で起こったこと、それが原因で父は
自殺未遂を敢行した。その後、持病が悪化し
て昭和58年元旦に死去。この年に私の高校
受験が控えていたが、生活保護受給家族であ
った私が進学するにはYS氏との間で母の再
婚を認めねばならなかった。その後、教習所
に就職、私は自立して実家を出た。YS氏と
は結局、まともに会話したことは無かったが
、母を大切にしてくれた。いずれにしても、
色々想いはあるが父とYS氏という二人の男
の一生を考えた時、人間はキレイに生きられ
ないのだとつくづく思った。

最近、生きる希望を失い自ら命を捨てる人が
増えている。平成9年の自殺者数は2万43
91人だった。やはり他人には知り得ない哀
しみや絶望を抱えているものだ。この数字に
入らない自殺者もかなり存在するだろう。昔
の中国人で「列子」という思想家がいたが、
こんな言葉がある。

「生は死を知らず。死は生を知らず、来は去
を知らず、去は来を知らず」

要約すると、『人間はこの世とあの世を行っ
たり来たりしている。今死んだ者が次の世に
生まれ変わる。だからどちらが良いのか分か
らない。長生きに汲々するのも迷いというも
のだ。今こうして死ぬのが前世より幸せかも
知れない。』という意味である。

母のように遺伝にしろ、心を破壊された人に
しろ、やはり私は思考的な原因があると思う
。更に戻って病気に関する書籍を読む。こん
な解説がある。

「脳内のドーパミンという物質を介して働く
神経が、正常の人よりも多く活動してしまう
。この節からすると、ドーパミンによって作
動する神経が活動し過ぎると、人間は過覚醒
の状態になるという。過覚醒とは、神経が張
り詰め過ぎて、返って思うように働かなくな
ってしまった状態を言います。正常な人が、
何か災害や事件に遭遇した時の状態が、ずっ
と続いている状態です。」

そうすると、母の過覚醒を戻すにはやはり処
方薬で抑えるしかないのだ。そして静かな環
境だろう。先ずは睡眠確保だ。

もう深夜2時だ。母も落ち着いて寝ている。
私もそろそろ寝よう。続きは明日書く。

(つづく)


平成10年(1998年)8月7日(金)

昨日よりは母の精神状態はマシではあるが、
母は「どうしてこんなに目がキツくなったん
だろうね・・・」と鏡を見て言う。

「やっぱり薬のせいだ。薬は飲んじゃいけな
いんだよ」と解釈する。また、今日は自分で
近所に買い物に出掛けた。

しかし、一階に住む団地の人には迷惑を掛け
てしまった。問題は団地中に母の精神疾患は
知れ渡り、本人も肩身の狭い思いをしながら
近所付き合いをしなければならない点だろう
。早速、その一階の人と別の団地の住民がニ
階の我が家の窓を見ながらヒソヒソ話しをし
ていた。母は処方薬さえ飲んでいれば普通の
人間と変わりはない。寧ろ、繊細な優しい人
物である。妄想や幻聴が治まり体調が良くな
った時、近所の人達のヨソヨソしさに孤独を
感じるだろう。しかしその処方薬を拒否し、
それをキチンと飲んだか私が職場を休み続け
、常に監視するのは極めて難しい。


カネさえあれば電話の上、退職届を送付して
いる。欠勤を続ければ教習所幹部も私を辞め
させてくれるだろう。

夕食後、母に処方薬を飲ます時、やはり母は
「やっぱり薬は飲まない方が良いをじゃない
の」と嫌がりながら服用した。この調子では
一人なら飲まないだろう。

また、今日は母の妄想が消えず、業者を呼び
玄関の鍵シリンダーを取替えた。訳を聞くと
、「合鍵が一つ足りない。私の頭の中で電気
が走り、鍵を取替ろと言うんだよ」と言う。
あまり反対してもまたケンカになるから黙っ
ていた。

こんな状態がいつまで続くのか・・・。
私も疲れた。今、母は処方薬が効いてきたよ
うで眠りについた感じだ。今、このまま母の
首を絞めて殺した方が本人や近所の人の為だ
とも何度も思う。今日、保健所03―388
✕―✕✕✕1に相談の電話を入れた。来週、地
区担当の馬場さんという人が訪ねてくれるこ
とになったが、どうなのだろう。しかし少し
は心がホッとした。

もう4日間、母を監視している。昭和47年
から入退院を繰り返し、その都度精神病薬を
飲んだり怠薬したりしているので、どんどん
強い薬を飲まないと効果がないようになって
いる。

母は眠りについたと思ったら、また起きて部
屋の中をウロウロしている。その姿を見てい
るとイライラして来る。もう深夜11時過ぎ
だ。正直、「何でこの人が私の母なんだ・・
・」と絶望に近い気持ちになってしまう。

深夜1時、私が眠れなくなる。仕方がないの
でこうして日記を書き続けている。

母は何とか静かに寝ている。このまま首を絞
め続けてしまえば・・・と思う。今だ、今。
私の体が母の首に向かって近づく。私の鼓動
が速くなってきた。「よし、もう妄想に苦し
まないで済むよ・・・」と。

両手を母の首に手を近づけると、「母も好き
でこんな病気に罹患した訳ではない」と、母
の『運命』を察する思考が私の中で強く印象
された。他人は『責任』というものを私に要
請して来るが、他人にして見れば、軽々しく
『運』に任せてしまえば納得して貰えないだ
ろうが自分では如何ともし難い訳で、しかし
ながら『運』に逃げることが出来ない現実も
ある。他人の情けを求めてはいけないのだと
強く心に刻まねばならない。世の中は薄情な
ものなのだ。また、それで良いとも思う。何
故なら、他人から情けを受けたとして、今の
私にはそれにお返しが出来ない。他人の親切
が重荷になってしまう。人間関係は相互関係
である。与えられたら返す必要がある。それ
が筋だ。いずれにしても、母の首から手を戻
し、大きく深呼吸をしてまた私も眠りにつく



深夜2時、なかなか寝られない。母がまた起
きて、妄想のせいでおかしなことをしないか
とヒヤヒヤしている。最近、ストレスなのか
、頭髪が抜ける。脱毛症か。何とか母が入院
してくれることを・・・。先日、近所の人か
ら「貴方の母親なんだから、キチンと責任持
ってくれ!こんなに近所に迷惑を掛けている
んだから」と言われた。そう言ったのは普段
信仰深いお婆さんだ。

人間、たとえ信心していたとしても、他人を
思い遣る心よりも自分に降りかかる迷惑が優
先されるのは仕方ないことだ。従って、この
お婆さんを恨むことは出来ない。また職場の
幹部にしても、「アイツは責任感がないから
欠勤を続けるんだ」という声無き声が聴こえ
て来そうだ。

『責任』とは何か。他人に対する責任、この
社会で生きるには、この『責任』は付いて回
る。近所にして見れば当たり前だろう。教習
所にしても、私が休むことで技能だと10人
分が乗車出来ない。一人3500円だとした
ら3万5千円分の収益が飛んでしまう。一週
間休めば24万5千円分の儲けが失われる。
その意味では不良職員だろう。

『運』、こうした親の元に生まれたことを、
『不運』と思えば確かにそうだが、母自身が
精神疾患として入退院を繰り返したのはそも
そも家系の遺伝が大きく、根本的に母にはど
うすることも出来なかったのである。誰が悪
いという問題ではないのだ。そして、母の脳
の中で起こっている妄想による恐怖は、母の
中では現実に起こっている恐怖なのである。
処方薬を飲まないのは自己責任としても、妄
想による恐怖はどうしょうもない。母自身も
また、こんな病気で生まれたくはなかっただ
ろう。そう考えると人間が生きるということ
は、極めて難しい作業なのだと感じるのだ。

(つづく)

=説明=
令和4年2月、世間では新型コロナウイルス
のオミクロン株が猛威を振るい、医療機関が
麻痺しています(下記YAHOOニュース参照)
(令和4年2月8日、YAHOOニュースから)

(令和4年2月8日、YAHOOニュースから)

特に、大阪の医療崩壊は大東亜戦争時の失策
と極めて類似していると感じています。大東
亜戦争時の戦死者は軍人等が230万人、民
間人が80万人と言われています。その中で
も軍人の英霊の殆どは敵国との戦闘で命を落
とした数よりも、その60%に当たる140
万人が戦地での餓死だと言われています。要
は、キチンとした指導者が不在で政治が機能
せずに戦地に食糧が補給されず見捨てられた
死者なのです。

昨今の大阪の医療崩壊も、他と比べて政治が
機能していない証拠だと疑念を持ちます。同
時に、大東亜戦争では、陸軍と海軍の権力争
いが激化して戦争を長引かせ、新型コロナウ
イルス感染症対策での医療(保健所)体制も
厚生労働省と「専門家」と呼ばれる医系技官
の利権が絡んだ政策を政府が推進してしまっ
たのが原因だと思います。

大阪では現在約11万人が入院相当なのに自
宅待機の状態だと言う。死者もデルタ株以上
の人数が出ています。新たな体制を組まない
とコロナ戦争には勝てないでしょう。

さて、このブログは私が25、6歳頃から書
き綴った日記(内心の自由と不自由)の転記
です。令和の今と考え方が異なる部分も多々
あります。それが成長なのか後退なのか分か
りません。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
いているからだと私は思います。それは、二
世三世の親の周りに様々な職業の人間が出入
りし、処世術や社会との関わり合い方を学習
することが容易だからと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました

更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官で
あり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏せ
るべきことだと思いました。それは今も変わ
らない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手
で処世術が皆無です。従って、年齢相応のキ
ャリア形成(地位や肩書)はありません。

20代半ばから30代過ぎまで自動車教習所
指導員、30代終わりから40代は警察業務
の民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち
約9年間を所属長の立場で部下を持ちました
。慢性的な人手不足の中、目先の運営と実績
に明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない
上司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者
の育成に失敗し、組織の統率・意思決定に不
備が生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーとし
て問題解決能力を養うことをしませんでした
。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、署内で某交通課長(警視)から、
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。

更に、私と出会ったことで元々優しい隊員が
質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこと
がありました。私との相性もありますが、色
々原因を考えると、その隊員も劣等感から職
場で建前の自分を演じていたと思います。

『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くって脅かされると
焦る気持ちがあったのではないでしょうか。

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。

『本当の優しさ』とは何か?

リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。即戦力を求める組織は、互
いの関係が常に緊張状態になりやすく、それ
ぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感にし
ます。では、どうすれば骨のある本当に優し
いリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

結果的に私は、親の介護問題と並行して、私
自身が体調を崩して入院、退職の途を歩むこ
とになりました。遡行(そこう)すると私の
人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時も
、組織内ではなかなか芽を出せませんでした
。それは詰まるところ、嫌われたくない、好
かれたい、という意識が強く、誰かの支えに
なるリーダーというよりも私自身が誰かの支
え・庇護を常に必要としていました。部下か
ら嫌われたら、その組織で生きて行けないと
思っていました。しかし、本当は逆だったの
です。総てを守ろうとするものは、総てを失
うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年2月ー
 ∠(`・ω・´)