生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -25ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



平成10年(1998年)8月13日(木)
しばらく母の監視?で1週間実家に泊まり込
んで職場を欠勤していたが、漸く11日から
復帰した。しかし昨夜、睡眠薬を飲んで寝た
ところ、起きたのが7時40分だった。完全
に遅刻だ。せっかく職場復帰したばかりなの
にこれでは仕方ない・・・。結局、今日も欠
勤した。もう私自身、勤務意欲が減退してお
り、教習所幹部にどう思われようがどうでも
良くなっている。

職場(組織)というものは、それぞれの家庭
環境が異なる人間同士が集まって一つの目的
に向けて行う事業である。従って、委細構わ
ず運営されるのが普通であるから、教習所幹
部の人間性に問題がある訳ではない。私がそ
れに同調出来ないだけである。寧ろ、同調出
来ない人間が組織の構成員である限り、組織
にとって私はマイナスなのである。その意味
でも「早く退職しなければ」、と毎日感じて
いる。


さて、母から夜、電話があった。その会話の
中で私が「薬キチンと飲んでいるか?」と聞
くと母は「あのね、薬に頼ってはいけないの
よ」と言う。やはり飲んでないと確信した。
一週間職場を欠勤して実家に泊まった意味が
無かった。薬を飲まなければ確実に具合が悪
くなる。母は続けて、「この薬を飲むと頭が
ボワ〜ンとするの、それが嫌なのよ」と。

そうであれば主治医に相談すればいいと思う
が、やはり母にしてみれば言いづらいのだろ
う。私は再度病院に行って、事情を主治医に
伝えるように言った。多分、行かないと思う
が。

確かに、同じ疾患に投与される薬と言っても
、微妙に成分が異なるものが結構ある。いず
れにしても抗精神病薬には様々なタイプの薬
があるのだから、主治医と共に自分に合うも
のを探し出す必要がある。ただ、母のように
、主治医が出した薬に文句を言うと思われる
のが嫌で、相談することに抵抗ある患者も多
いのではないだろうか。とにかく、母には病
院に行ってもらいたい。

そして今日も、母の疾患に関する書籍を読み
進めた。

「患者さんの行動や感情の変化が激しくて、
一緒に居るとどうしても消耗してしまうとき
は、暴力で互いに傷つけられたりして危険が
高まってしまう場合があるので、家族の疲れ
が極端な場合は患者の精神状態も悪化してい
ると考えられるので、入院を考えて良いでし
ょう」

と書いてあるが、これは患者家族向けなのか
医師向けの言葉なのか分からない。いずれに
しても、母はこの時点で入院させた方がいい
と思う。自分から処方薬を飲むことは期待出
来ないのだから。問題は、母のように患者本
人とその家族の想いである。要は「世間の偏
見」というやつだ。これは根強い。私が職場
の幹部に伝えても理解されないだろうと思う
のもこれがネックになっている。しかも公務
のような堅い職場では、母の疾病は忌避され
るべきものである。従って、職場には母の病
名を隠して異なる病名で伝えている訳だから
、私の欠勤に対しても「そんなもんは医者に
任せておけ、マザコンかお前は?真面目に仕
事しろ❗」と言うのは当然で、何を思われて
も仕方ない。

精神分裂病は慢性疾患だと言う。完治出来な
いとなれば、私もまたそれに付き合うしかな
い。人間、心にゆとりが必要だから、あまり
母に対して「ああだこうだ」と怒鳴っても仕
方ない。また、私自身「ツラい、ツラい、ツ
ラい」とばかり言っていてもどんどん視野が
狭くなる。

また、母のような患者に、医師はどんな処方
をするのだろうか?私自身に処方された睡眠
薬、デパス錠は精神安定剤ということは分か
るが、医師によって私流があるようだが、一
般的にはどうなっているのだろうか。このよ
うな薬を抗精神病薬というが、
これは、
①幻聴、妄想を和らげるのによい
②興奮状態を和らげ、気分を鎮める
③意欲低下、元気のなさを回復
という効果があると言う。

更に専門書を読み進めると、今の私の心に刺
さる一文があった。

「分裂病の障害が持続し、罪の問題が次第に
大きくなる時、多くの家族にとって深刻で重
大な試練が生じます。隣人や友人から理解さ
れず、非難を受けるかも知れないという不安
や、患者自身の行動パターンもまた、状況を
厳しくします。この時期における過度の負担
により、多くの家族は消耗状態に陥ることが
あり、場合によっては家族も変わってしまう
事があります」

と書いてあった。生身の人間には分からなく
ても、本が私を救ってくれる。昔から本を買
う習慣が私にあったから、こうした本に出会
えたのだろう。


(つづく)

=説明=
このブログは私が25、6歳頃から書き綴っ
た日記(内心の自由と不自由)の転記です。
令和の今と考え方が異なる部分も多々ありま
す。それが成長なのか後退なのか分かりませ
ん。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。まもなく
一周忌になります。叔母は若い頃に離婚し、
以後、独りで力強く懸命に生きていました。
叔母から泣き言を聞いたことはありません、
常に前向きな言葉しか記憶にありませんでし
た。見事な最期だったと思います。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました
。更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官
であり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏
せるべきことだと思いました。それは今も変
わらない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手で
処世術が皆無です。従って、年齢相応のキャ
リア形成(地位や肩書)はありません。20
代半ばから30代過ぎまで自動車教習所指導
員、30代終わりから40代は警察業務の民
間委託の仕事を10年間勤め、そのうち約9
年間を所属長の立場で部下を持ちました。慢
性的な人手不足の中、目先の運営と実績に明
け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない上司
に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者の育
成に失敗し、組織の統率・意思決定に不備が
生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人と波風を立てることや摩擦を極端に嫌
い、リーダーとして問題解決能力を養うこと
をしませんでした。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。今、皮肉にも教
習所時代に接した幹部の威厳や風格、貫禄を
10数年後に自分が部下を持つ立場になり痛
感することになりました。

ある年度末、署内で某交通課長(警視)から
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて、
依存体質の部下を醸成してしまいました。私
の前では自由闊達に物事が言えた部下が、人
事異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通
事故を起こしたり、体調を崩して亡くなった
隊員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導
をしなかった私の責任は重大です。その罪も
心の中で一生負わねばなりません。組織のリ
ーダーがやるべきは、人を遺すことです。

私は思いますが、私と出会ったことで元々優
しい隊員が質(タチ)の悪い性格に変わって
しまうことがあると思います。私との相性も
ありますが、色々原因を考えるとその隊員も
自身の劣等感から、職場で建前の自分を演じ
ていたのではないかと思います。『善人役』
を上司の私に奪取されたら、自分の居場所が
集団内で影薄くなり、存在が脅かされると焦
る気持ちがあったのではないでしょうか。

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、その人に依存して楽をしようと企
む力が働くからです。同時に私は、私に協力
的な人にも、或いは批判的で質の悪い人にも
同じように物分かりの良い上司として演じ続
けました。当時はそれが私に求められること
、私がリーダーとして組織で存在する唯一の
価値だと考えていたからです。しかしそれは
、私と部下との心理的距離感が近過ぎて指揮
命令系統は下克上となり、私の決断力が鈍り
ました。リーダーが組織を動かす時、それは
致命的になります。

『本当の優しさ』とは何か?
リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり達成したいことが異なります。

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに信じきることも必要です。
多少の批判や苦情で交代では、いつまでも組
織は弱いままです。その土台なくてリーダー
の覚悟も生まれません。しかし、本部もリー
ダーにそこまで求めていなかったのだと思い
ます。本部にもまた問題解決能力が欠けてい
たと私は思います。即戦力を求める組織は、
互いの関係が常に緊張状態になりやすく、そ
れぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感に
します。では、どうすれば骨のある本当に優
しいリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

結果的に私は、親の介護問題と並行して、私
自身が体調を崩して入院、退職の途を歩むこ
とになりました。遡行(そこう)すると私の
人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時も
、組織内ではなかなか芽を出せませんでした
。それは詰まるところ、嫌われたくない、好
かれたい、という意識が強く、誰かの支えに
なるリーダーというよりも私自身が誰かの支
え・庇護を常に必要としていました。部下か
ら嫌われたら、その組織で生きて行けないと
思っていました。しかし、本当は逆だったの
です。総てを守ろうとするものは、総てを失
うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年4月ー

追伸
最近、「DAM★とも」を始めました。名前
も葛飾生観で唄っています。良かったらアク
セスして聴いて下さるとありがたいです。


 ∠(`・ω・´)


●平成10年8月11日(火)
今日から、職場に復帰した。所長は休みだっ
たので各幹部に長期休暇(欠勤)したことへ
の謝罪をした。その後に久し振りの技能教習
をやったが、改めて私が一応指導員の立場で
あることを認識した。やはり仕事をしている
ことで、こんな私でも社会に貢献しているの
が嬉しくもある。人間、閉ざされた空間にジ
ッとしていてはダメだ。例えば親の介護をや
っている人も、何らかの形で外の世界と繋が
る方がいい。

また今日は仕事帰りに私自身の診療内科に通
院した。どうも眠れない。そして心身が安定
しない。そのうち正常に戻るだろうが、念の
為に診療をしてもらった。その結果、前回の
通院時よりも処方薬が増えてしまった。薬局
で処方箋を出したところ、エパミール錠がな
く、更にネムナミン錠という薬は現在存在し
ないらしい。大丈夫か?その他、相変わらず
ハルシオンという睡眠薬、デパス錠という安
定剤が処方されていた。母もこのデパス錠を
処方されているはずだが、母子揃ってこんな
薬を処方されているのだから何とも言えない
。母は生来の遺伝的な疾患だから仕方ないと
しても、私はもっと人間的に強くあらねばな
らないと実感した。

通院後に再度実家に寄り、母の精神状態を確
認しに行く。ゆっくりだが、母の状態も改善
しつつある。しかし、会話の内容が噛み合わ
ないこともあり、その都度イライラしてくる
。私自身が神経過敏なのだろう。同時に、私
の性格が白黒、善悪つけたがる為に、他者に
寄り添うことが困難な人間なのではないだろ
うか。また、そうした性格だからこうした堅
い仕事に就いているのだと思う。従って、本
当はこうした仕事を続ければ続けるほど度量
や耐性など、私自身、心の狭い人間になって
行くのではないかと感じてしまう。

既に教習所幹部や親会社に対して背信してい
る私だから、「辞めてくれ」と言われれば二
つ返事で辞めるだろう。教習の仕事が嫌いな
訳ではない。今日の教習も私自身、充実して
いた。だが、そもそも組織での仕事が私には
家庭環境的に難しいと思う。欠勤が続けば理
由はどうであれ、私に対する幹部からの悪い
噂が耳朶(じだ)に触れる。

さて、母と会話すると、やはり処方薬を飲ま
なかったらしい。母には再三再四、薬は決め
られた通りに飲むように言い続けているのだ
がダメなようだ。このまま私が自宅に戻り通
常の生活をしたら、必ず母の具合は悪化し、
幻聴や妄想に従い行動してしまうだろう。近
所からは「自分の母親なのだから責任持て❗
」と言われている。逃げることは出来ない。
母の病気は他者への攻撃ばかりか自傷行為も
あり得る。いずれにしても、明日も職場に行
かねばならない。私は母に再度念を押して実
家を後にした。


帰宅途中の電車の中では、私くらいの年齢の
アベックが楽しそうに会話をしていた。私と
は対照的な環境である。しかし、考えて見れ
ば私は昔からそうだった。昭和58年元旦、
父が早朝に死んだ。初日の出が上がる6時半
頃、私は親戚を待つ為に病院の玄関前の歩道
に立っていた。この時も家族連れや着物を着
たカップルが笑顔で通り過ぎた。その時に思
ったのは、当たり前なのだが、人間は同じ時
間、同じ空間の中で生きていても、それぞれ
が違った心で存在していることに気づいた。


私が絶望の渦中にいても、目の前の人は喜び
の中で絶好調ということもある。逆を言えば
、他人が不幸のどん底にいても、私が幸せを
感じているならそれを邪魔されたり批判され
ることはないのだ。そんなことを電車の中で
思った。皆、違うのだ。それが普通である。

同時に、他者と喜びを共有することは素晴ら
しい時間だと思うが、自分の不幸や苦しみは
他者と共有したくないと私は思う。否、そう
思うしかないのだ。先日、所長から「お前は
人の同情を買おうとしている」と言われた。
この時に、私は決定的にこの人に対する心を
感じてしまったと同時に、自分の心の奥にあ
る汚さをも感じた。やはり私は自分に甘いの
だろうか。それとも性根が腐っているのか。
これをキッカケに私は自身について幹部に胸
襟を開くことを断念し、退職する以外に自分
が救われる道はないと思う。幹部の不興を買
うようでは、とても良い仕事は出来ない。職
場での信用というのは一度落とすと二度と戻
らないばかりか、遡及して取り戻すことも出
来ない。

ただ、これは幹部が悪いのではなく、タイミ
ング、縁が無かったと思うようにしている。
とかく、人間関係というのは相互の置かれた
環境と出会った時のタイミングで決定される
気がする。良い人とか嫌な人というのも、こ
うした瞬間で判断してしまうのだろう。そも
そも、一人の人間が全て善だけを生きている
のではなく、逆に悪だけの姿で生きている訳
ではない。私が嫌いな人間も、誰かを愛し誰
かに愛されている。それが当たり前だ。

ここで一つ書き足しておくと、このように、
ゴタゴタといか汲々としている中で娯楽を楽
しむことも出来ない。先日、演劇のチケット
を買った。8月8日の土曜日に東京国際フォ
ーラムで行われた唐沢寿明、酒井法子、宝田
明が出演した舞台、『bIg夢は、かなう』と
いう作品だが、あいにく8日は実家で母の監
視?だ。せっかく購入したチケットだったが
、行くことが出来なかった。一応、日記にチ
ケットを記念に貼付しておく。




(つづく)

=説明=
このブログは私が25、6歳頃から書き綴っ
た日記(内心の自由と不自由)の転記です。
令和の今と考え方が異なる部分も多々ありま
す。それが成長なのか後退なのか分かりませ
ん。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました


更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官で
あり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏せ
るべきことだと思いました。それは今も変わ
らない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手
で処世術が皆無です。従って、年齢相応のキ
ャリア形成(地位や肩書)はありません。2
0代半ばから30代過ぎまで自動車教習所指
導員、30代終わりから40代は警察業務の
民間委託の仕事を10年間勤め、そのうち約
9年間を所属長の立場で部下を持ちました。
慢性的な人手不足の中、目先の運営と実績に
明け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない上
司に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者の
育成に失敗し、組織の統率・意思決定に不備
が生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人と波風を立てることや摩擦を極端に嫌
い、リーダーとして問題解決能力を養うこと
をしませんでした。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、署内で某交通課長(警視)から、
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。

更に、私と出会ったことで元々優しい隊員が
質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこと
がありました。私との相性もありますが、色
々原因を考えると、その隊員も劣等感から職
場で建前の自分を演じていたと思います。
『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くなって脅かされる
と焦る気持ちがあったのではないでしょうか

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。

『本当の優しさ』とは何か?

リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。即戦力を求める組織は、互
いの関係が常に緊張状態になりやすく、それ
ぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感にし
ます。では、どうすれば骨のある本当に優し
いリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

 結果的に私は、親の介護問題と並行して、
私自身が体調を崩して入院、退職の途を歩む
ことになりました。遡行(そこう)すると私
の人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時
も、組織内ではなかなか芽を出せませんでし
た。それは詰まるところ、嫌われたくない、
好かれたい、という意識が強く、誰かの支え
になるリーダーというよりも私自身が誰かの
支え・庇護を常に必要としていました。部下
から嫌われたら、その組織で生きて行けない
と思っていました。しかし、本当は逆だった
のです。総てを守ろうとするものは、総てを
失うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年3月ー

追伸
近頃、趣味でカラオケの『DAM★とも』を
アップロードしています。良ければアクセス
して『葛飾生観』を聴いて下さい。あまり点
数は良くありませんが・・・


 ∠(`・ω・´)


●平成10年8月10日(月)
今日は、これまで再三の説得が奏功したのか
、母は自ら病院に通院し処方薬を貰って来た
。また、近所のスーパーに買い物にも行ける
ようにもなった。

少し改善の兆しが見えて来た気がするが、ま
だまだ妄想と幻聴があるようだ。私も実家に
泊まり続けて一週間になる。明日は職場(教
習所)に出社しなければならない。このまま
だといよいよ家賃の支払いが出来なくなる。
私は母に処方薬を必ず飲むように念を押して
、明日に備える為に荒川区の自宅に戻った。

今、自宅に戻り、この日記をワープロでタッ
プしている。何だか気力が切れて来たようで
、布団に寝ていると心臓が痛くなってしまっ
た。

今日も引き続き母の疾病に関する本を読む。
一部を転記する。

「普段は気にならないで済む音にも敏感にな
る。周りの人々が笑っているのではないか?
何かのサインを自分に出しているのではない
か?と人を疑い深くなって、更に意識を集中
しようとしても余計なことが頭に浮かび、次
から次へと考えてしまう。思っても見なかっ
た心配がわいて来る。そして、自分の考えが
まとまらずに苦しくなると頭の中にあるフィ
ルターが所々破れて不必要な情報がどんどん
流れ込む。」

と書いてある。母の現実は確かに恐怖そのも
のであり、常に心は緊張状態であろう。そし
て私の説得は寧ろ母を追い込むものとなり、
私の存在は母自身を陥れるものとなる。一週
間前から実家に泊まり、口をすっぱくして処
方薬を飲むように言ったが、処方薬を毒薬だ
と認識する母にして見れば、私は母を殺そう
としている悪党なのである。いずれにしても
、明日は出勤する。また幹部の「お前はどう
しようもないな〜」というような顔が浮かび
、今夜眠るのが忍びない。眠ると朝になって
しまう・・・。

(つづく)


=説明=
このブログは私が25、6歳頃から書き綴っ
た日記(内心の自由と不自由)の転記です。
令和の今と考え方が異なる部分も多々ありま
す。それが成長なのか後退なのか分かりませ
ん。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた
『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。


また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。


また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました
。更に、従姉妹(いとこ)の子供が警察官で
あり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏せ
るべきことだと思いました。それは今も変わ らない想いです。


父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手で
処世術が皆無です。従って、年齢相応のキャ
リア形成(地位や肩書)はありません。20
代半ばから30代過ぎまで自動車教習所指導
員、30代終わりから40代は警察業務の民
間委託の仕事を10年間勤め、そのうち約9
年間を所属長の立場で部下を持ちました。慢
性的な人手不足の中、目先の運営と実績に明
け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない上司
に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者の育
成に失敗し、組織の統率・意思決定に不備が
生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーとし
て問題解決能力を養うことをしませんでした
。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、署内で某交通課長(警視)から「
いくら勤務員が努力したと言っても実績(数
字)として表れなければ管理者としては失格
なんだよ」という主旨の言葉をもらいました
。要するに、上司として部下に迎合すること
なく、権限を適切に使いキチンと指導しなさ
いという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。


更に、私と出会ったことで元々優しい隊員が
質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこと
がありました。私との相性もありますが、色
々原因を考えると、その隊員も劣等感から職
場で建前の自分を演じていたと思います。
『いい人役』を上司の私に取られたら、自分
の居場所が集団内で影薄くなって脅かされる
と焦る気持ちがあったのではないでしょうか

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。

『本当の優しさ』とは何か?

リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。即戦力を求める組織は、互
いの関係が常に緊張状態になりやすく、それ
ぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感にし
ます。では、どうすれば骨のある本当に優し
いリーダーになれるでしょうか?


私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

結果的に私は、親の介護問題と並行して、私
自身が体調を崩して入院、退職の途を歩むこ
とになりました。遡行(そこう)すると私の
人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時も
組織内ではなかなか芽を出せませんでした。
それは詰まるところ、嫌われたくない、好か
れたい、という意識が強く、誰かの支えにな
るリーダーというよりも私自身が誰かの支え
・庇護を常に必要としていました。部下から
嫌われたら、その組織では生きて行けないと
思っていました。しかし、本当は逆だったの
です。総てを守ろうとするものは、総てを失
うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。最後に国際
情勢では、ウクライナ・ロシア戦争で、令和
4年3月18日現在も空爆によりウクライナ
の一般庶民が命を落としている事態が続いて
います。人間の運命に改めて深く考えさせら
れる毎日です。

ー令和4年3月ー


 ∠(`・ω・´)