生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -24ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。

前回の続きです。



【11】2017年6月アップロード分
※平成7年、オウム真理教事件を見聞きする
中、この集団について私なりに考察していま
した。ちょっと大きな本屋でオウムの書籍が
普通に販売されていました。また、教習所指
導員の法的改正があり、技能指導員から学科
との一本化を行う為に、教習指導員審査を受
けなければならなくなった頃です。

【12】
※教習指導員審査にも落ち、更には義父自殺
で勤務意欲もなく、所長に進退伺いを出した
り、教習生の指導員に対するアンケート調査
に疑義を感じた件を記しました。

【13】2017年7月アップロード分
※主に教習所のことについて記しました。教
習指導員審査の再審査と業務上のミスについ
て記しました。

【14】
※主に教習生との出会いと指導実務で思うこ
とを記しました。この頃、巨人軍の原辰徳選
手が引退、引退試合の観戦をしました。

【15】
※日記というよりも、地下鉄博物館の様子を
写真に残しました。

【16】
※その67は、退職後の人間関係について思
うところを記していました。

【17】2017年8月アップロード分
※その68では、おばあちゃんの死去と教習
指導員再審査について記しています。

【18】
※主に写真ばかりをアップロードしています。
撮影は2017年8月です。

【19】2017年9月アップロード分
※日記のアップロードを少し中断して、戦後
72年に私が想うことを記した。

【20】
※日記のアップロードを小休止、戦後72年
に想うことと、鉄道写真がメイン。

次回に続きます。



いつもは過去の日記をアップロードしていま
すが、当時アップした記事を自分で忘れない
ように、目次形式でスクリーンショットで残
しておこうと思いました。皆様、もし良けれ
ば・・・。
【1】2012年1月アップロード分
※下から上に向かって新しくアップロードし
た順番になります。この頃は、まだ母が自宅
に居た時です。アメブロを初めて使ったので
、よく分からない頃です。

【2】


【3】2017年4月アップロード分
※2017年4月9日から連載して、自分の
生きた証を遺そうと考え、序章から幼少期に
ついてアップロードした。

【4】
※宗教について記した2回だった。

【5】
※その10から16は、小学生の頃から中学
生の頃について記した。

【6】
※その17から22までは、野球との出会い
と転校、そして実父の死去までを記した。私
の転機と言える頃です。

【7】
※その23から27は、母の再婚から普通運
転免許取得の為に教習所通いをしたことを記
した。巨人軍多摩川グランドに頻繁に見学に
行ったのも分かります。

【8】2017年5月アップロード分
※普通免許の取得と昭和天皇崩御、百貨店の
常駐警備員時代等。私の20〜24歳頃。

【9】
※アップロードで時系列が異なりますが、母
の再婚相手で私の義父が自殺してしまったこ
とや自動車教習所への転職、平成4年頃から
平成6年6月頃、24歳から26歳頃のこと
を記した。この頃に私の人間性というか、将
来に亘り、背負って行くべきものが決まりま
す。

【10】
※この頃から仕事に身が入らず、教習所を退
職したい、しなければならないという気持ち
が強くなります。また、いつ退職しても良い
ように、せっかく技能教習で出会った教習生
について一期一会で記すようになりました。

次回に続きます。


平成10年(1998年)8月14日(金)
職場復帰はしたものの、身が入らない状態だ
。そんな中で所長による朝礼が行われた。訓
授内容は当教習所が求める『人材』について
だ。これには伏線があり、先日配られた社内
報に他教習所の管理者が寄稿した『人材につ
いて』という内容に基づいている。その一文
には、

「人材と言っても『人財』もあれば『人罪』
もある。組織が必要とする真に期待するのは
『人財』である」

ということが記されている。これについて所
長なりの考え方を交えて持論を展開していた
。所長は『人財』の対義語として『人災』も
あるという趣旨のことを述べていた。これを
聞きながら私なりに俯瞰すると、私の今の職
場での立場は『人災』になる。組織に災いを
もたらす人間・・。

また、所長は社内報にある他教習所管理者の
寄稿文を読み進める。

「どこの会社にも案外これに類する組織の足
を引っ張るような『人罪』も存在し、『獅子
身中の虫』などと呼ばれる組織の内部から虫
食う者や、窓際族を逆手に取って・・・」

と、畢竟するに私自身が対象とされている訓
授のような気がして、朝から憂鬱な気分にな
った。私が職場を欠勤する理由に関係なく、
組織というのは個人個人の事情を超越して協
力するものだし、そもそも皆、事情がありな
がらそれを何とかやり繰りして出勤している
のだ。そんな中、私はいとも簡単に電話一本
で「休みます・・」だから、教習所幹部にし
て見れば、奥歯に剣の心持ちというか、腹の
中は煮えくり返っているだろう。

一人の指導員が休めば、技能教習一回が3千
円としても一日3万円の減収だ。私の場合、
母の監視?で実家に泊まり込んだので一週間
分、21万円の収益を減収させたことになる
。組織を預かる幹部としたら私がダメ指導員
であることは確かだろう。

そして、組織の空気感として次第に「アイツ
は幹部や会社に不満があるから簡単に休むの
だ」という不穏な様相を呈し、人間関係の悪
化、信用欠落に繋がっていく。しかも実務上
、ミスも重なり懲戒処分も受けた身だ。組織
の目標に私の存在はマイナスになるだろう。
また周りの指導員も、所長や幹部が私に注目
していれば、多少のミスも私に比べれば軽く
、その事実が埋もれるので助かるのだろう。
人間組織はそうしたものなのだ。

更に所長の朝礼は続く。

「組織は目標達成で本来の機能が保てるのだ
。各々の指導員が年間稼働率を達成するには
『腰が痛い』だの『頭が痛い』だのと言って
休んだり、何かと理由をつけて休めばそれは
目標の邪魔になる。その人物はいつも決まっ
ている。この間退職したKもそうだ。家族を
養うには男は仕事をして稼ぐのだ。それが自
分の為なのだ。各々、生活環境が違うから大
変だが、それを乗り越えて頑張るのだ。そし
て自分の体調管理をしっかり行うのだ。」

と言う。所長として背理した内容ではない。
正しい。しかし、母を監視?してなければど
うなっていただろう。近所からは「仕事も大
変だろうが、自分の親なんだから責任持って
面倒見てよ」と言われている。何かあれば近
所にも取り返しのつかない迷惑を掛けたかも
知れない。そうなれば、間接的に教習所にも
迷惑を掛けるだろう。

幹部に私の心の丈を言う訳にはいかない。母
の本当の病名を言うことは憚れる。また偏見
が先立ち、いわく言い難い。堅い職場の特徴
は、各々の人間の思考も堅い。「こうあらね
ばならない」という心のカテゴリーがある。
また、そんな人間でなければこの職業には向
かない。

いずれにしても、母についても教習所につい
ても、総ての責任は私が負う。皆、それぞれ
立場があって発言しているから、誰が悪い訳
ではない。ただ、私は組織に居てはいけない
人間だと言うことは確かだ。早く退職したい
。組織の中では、その期待に応えることは難
しい。多分、何かにつけて組織では結実しな
いだろう。

(つづく)


=説明=
このブログは私が25、6歳頃から書き綴っ
た日記(内心の自由と不自由)の転記です。
令和の今と考え方が異なる部分も多々ありま
す。それが成長なのか後退なのか分かりませ
ん。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。まもなく
一周忌になります。叔母は若い頃に離婚し、
以後、独りで力強く懸命に生きていました。
叔母から泣き言を聞いたことはありません、
常に前向きな言葉しか記憶にありませんでし
た。見事な最期だったと思います。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました
。更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官
であり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏
せるべきことだと思いました。それは今も変
わらない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、会社組織に入っての仕
事は難しく、自分で活路を開くしかありませ
ん。まだまだ、我が国では家族(血縁)が重
視されます。

また私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手で
処世術が皆無です。従って、年齢相応のキャ
リア形成(地位や肩書)はありません。20
代半ばから30代過ぎまで自動車教習所指導
員、30代終わりから40代は警察業務の民
間委託の仕事を10年間勤め、そのうち約9
年間を所属長の立場で部下を持ちました。慢
性的な人手不足の中、目先の運営と実績に明
け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない上司
に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者の育
成に失敗し、組織の統率・意思決定に不備が
生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人と波風を立てることや摩擦を極端に嫌
い、リーダーとして問題解決能力を養うこと
をしませんでした。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。今、皮肉にも教
習所時代に接した幹部の威厳や風格、貫禄を
10数年後に自分が部下を持つ立場になり痛
感することになりました。

ある年度末、署内で某交通課長(警視)から
「いくら勤務員が努力したと言っても、実績
(数字)として表れなければ管理者としては
失格なんだよ」という主旨の言葉をもらいま
した。要するに、上司として部下に迎合する
ことなく、権限を適切に使いキチンと指導し
なさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で、「10
0%正しい忠告はまず役に立たない」と書い
てあります。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解ですが、当時は全員に
賛成されないと物事が進まないと思っていま
した。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて、
依存体質の部下を醸成してしまいました。私
の前では自由闊達に物事が言えた部下が、人
事異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通
事故を起こしたり、体調を崩して亡くなった
隊員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導
をしなかった私の責任は重大です。その罪も
心の中で一生負わねばなりません。組織のリ
ーダーがやるべきは、人を遺すことです。

私は思いますが、私と出会ったことで元々優
しい隊員が質(タチ)の悪い性格に変わって
しまうことがあると思います。私との相性も
ありますが、色々原因を考えるとその隊員も
自身の劣等感から、職場で建前の自分を演じ
ていたのではないかと思います。『善人役』
を上司の私に奪取されたら、自分の居場所が
集団内で影薄くなり、存在が脅かされると焦
る気持ちがあったのではないでしょうか。

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、その人に依存して楽をしようと企
む力が働くからです。同時に私は、私に協力
的な人にも、或いは批判的で質の悪い人にも
同じように物分かりの良い上司として演じ続
けました。当時はそれが私に求められること
、私がリーダーとして組織で存在する唯一の
価値だと考えていたからです。しかしそれは
、私と部下との心理的距離感が近過ぎて指揮
命令系統は下克上となり、私の決断力が鈍り
ました。リーダーが組織を動かす時、それは
致命的になります。

『本当の優しさ』とは何か?
リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり達成したいことが異なります。

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに信じきることも必要です。
多少の批判や苦情で交代では、いつまでも組
織は弱いままです。その土台なくてリーダー
の覚悟も生まれません。しかし、本部もリー
ダーにそこまで求めていなかったのだと思い
ます。本部にもまた問題解決能力が欠けてい
たと私は思います。即戦力を求める組織は、
互いの関係が常に緊張状態になりやすく、そ
れぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感に
します。では、どうすれば骨のある本当に優
しいリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

結果的に私は、親の介護問題と並行して、私
自身が体調を崩して入院、退職の途を歩むこ
とになりました。遡行(そこう)すると私の
人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時も
、組織内ではなかなか芽を出せませんでした
。それは詰まるところ、嫌われたくない、好
かれたい、という意識が強く、誰かの支えに
なるリーダーというよりも私自身が誰かの支
え・庇護を常に必要としていました。部下か
ら嫌われたら、その組織で生きて行けないと
思っていました。しかし、本当は逆だったの
です。総てを守ろうとするものは、総てを失
うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年4月ー

追伸
最近、「DAM★とも」を始めました。名前
も葛飾生観で唄っています。良かったらアク
セスして聴いて下さるとありがたいです。