生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -18ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和5年(2023年)1月10日(火)
今日も号外として日記を書く。過去の日記で
はなく、引き続き現在の私の胸の内を遺して
おく。

母に残された時間は少ない。
人間の命は『時間』だと私は思う。前回も記
したが、以前本屋で百田尚樹著の『百田尚樹
の新・相対性理論』という本を買った。その
一文に、
『充実した時間が少なければ寿命が短い(時
間が減る)ということは、充実した時間が多
ければ寿命が長い(時間が増える)。つまり
物理的な時間は同じでも「長生き」できるの
です』と記されていた。

母に残された時間、その時間を充実して過ご
してもらうには、母が恐らく一番求めていた
こと、すなわち孤独な人生ではなく、自分が
愛されるべき存在だったと自覚して寿命を全
うすることが何よりの幸せなのだと思う。そ
の唯一の当事者が私からの愛情だろう。それ
を、まだ何とか母の意識、理解が可能だった
令和4年12月23日、数日前に私がカラオ
ケ店で唄い録音した氷川きよしの『母』を母
の右耳にイヤホンを入れて流した。母は顔を
クシャクシャにして涙を流していた。これが
私からの感謝の気持ちだった。

今日(令和5年1月10日)、久しぶりに母
に面会が出来た。余命宣告されたのが去年の
12月22日。当日と翌日23日に面会、そ
して25日にも面会したが寝ていたので、私
が来たことは本人は分からない。血圧や酸素
飽和度は正常とのことだった。

しかし翌26日、病院から電話があり、母が
コロナ陽性で高熱が続いている。隔離して治
療中なので暫く面会は制限するとのことだっ
た。27日は洗濯物を病院に持参、29日は
電話で状態を聞く。コロナは現在も陽性のま
まで酸素吸入中。今年に入り、5日に洗濯物
を持参、コロナ陽性でまだ隔離中。輸血等の
承諾書に代理サインする。酸素吸入中。

(コロナ感染を知らせる保健所からの通知)

そして今日、コロナは陰性になったとのこと
で面会が可能となった。主治医から説明あり
。「酸素吸入中だが血圧や脈拍はほぼ正常。
今日はお風呂。今はお風呂で疲れた様子だが
、手を上げたり会話が出来る時もあるので少
し希望が出て来た」とのことだった。その言
葉を聞き、ホッとした。ただ視線が定まって
ない感じで、私と会話や目を合わせることは
出来なかった。

思えば、母が命に関わる事態になったのは、
最近では平成30年10月26日だ。このブ
ログだと「その155」で記している。この
時も大変だった。救急車で病院を転院した。
敗血症だった。この時のことはすっかり母は
忘れているが、嫌なことは忘れて良い。

平成6年6月、YS氏が自宅のトイレで自殺
した。発見したのは母だが、その事も忘れて
いる。こればかりは忘れてもらった方が良い
。妻として、人として耐えられないことだか
らだ。私が生きている間、全ては私が引受け
る。

とにかく、母に少しでも長く生きていて欲し
い。だが、覚悟は常にしておく必要がある。
私のように母一人子一人という家庭では、ど
うしても親子関係が濃くなる。これが妻子が
あり岳父や岳母が居れば、心が実母に集中す
ることはないだろう。その意味で幸せなのか
も知れない。それだけ時間がある。

私は母の余命宣告された後、心がかなり乱れ
る中でも、菩提寺と適当な葬儀社を探して連
絡した。葬儀社からは、亡くなったら24時
間いつでも連絡してくれと言ってくれたので
安置所まで搬送してもらう段取りと、火葬式
にするので、火葬前に菩提寺の僧侶に読経を
してもらうように菩提寺に話しをしておいた
。葬儀社からは数日後、パンフレットが届い
たので、火葬式プランを決めた。

菩提寺からは亡くなったら改めて電話が欲し
いとのことだった。縁起でもないのだが、人
間に『死』を逃れることは出来ない。人間の
一つの通過点だと言える。問題は、互いに二
度と顔を見て会話が出来ないというツラさだ
。それぞれの家族には独自の歴史がある。決
して良い楽しいことばかりではない。私の場
合は寧ろ、葛藤の連続だった。しかしその中
で知ったことは、実父も母もYS氏も生身の
人間であり、どうしようもない現実の中で生
きていたことが分かる。

以前にも記したが、人間は皆死ぬということ
。いわば人間にとって『死』はごく普通の一
般的事象なのだ。特別なことではない。全国
で1日約3000人から4000人が何らか
の事情で亡くなっている。1分間に2〜3人
が命を落としている計算だ。そんな人間の自
然な日常の中にある『死』に対して霊感商法
を用いて『死』を恐怖に感じさせるマインド
コントロールは極めて悪質だと言える。天国
だ地獄だと言って死後の世界を強調し煽って
も、人間は早かれ遅かれ死ぬ宿命。『死』は
日常的な人間の終着駅なのだ。もしかしたら
通過点で、この世が幻かも知れない。

(つづく)




令和5年(2023年)1月1日(日)
年が無事に明けた。
母も年明けの瞬間は何とか命脈を保つことが
出来た。それだけでも有り難い。それでも、
これからどうなるか分からない。

正月から縁起でもないかも知れないが、そも
そも父は昭和58年元旦に旅立った。それを
考えれば私にとって元旦は毎年、父について
考える日でもある。『死生命有り』と言い、
人の生死は天命によって決まっているとされ
、人力ではどうすることも出来ないと言う。

いずれにせよ、母が年内の命とされていたの
が、令和5年元旦の瞬間を病院内ではあるも
のの迎えることが出来たのは良かった。

本日中に変化があれば、また号外としてアッ
プする。





令和4年(2022年)12月31日(土)

今日は号外として、今年最後の日記を書く。

過去の日記ではなく、今現在の私の胸の内を

遺しておく。それは母のことである。既に、

後記文として以下に書いた通り、母は今、生

死を彷徨い続けている。


母は昭和14年3月3日、神奈川県愛甲郡厚

木町(現・厚木市旭町)で生まれ、昭和42

年3月28日に父と婚姻、そして昭和43年

2月に私を出産。父が昭和58年元旦に死去

、同年8月16日にYS氏と婚姻した。今日

まで母は3万619日、83年と303日

(9ヶ月と28日)の間、様々な苦労を強い

られながら生きている。



前回アップした過去の日記(第357号)で

は、私が自動車教習所職員として勤務してい

た当時、大変お世話になったN指導員の父親

が膵臓がんに冒され、余命僅かだという日記

を転記した。まさか、その転記の時期と重な

り、我が愛する母もまた令和の今、命の燈火

が消えようとしている。


当時の日記を読み返すと、こんな一文を私は

書いている。


「死は人間ならば逃れられない。少なくとも

肉体的に不帰の人となる。考えて見れば、自

分の『死』を自分で経験出来ないのだから、

その点では人は死ねない。死ぬ瞬間も分から

ない。普段毎日眠りにつく瞬間も、具体的に

その境目は微妙だし、意識が少しずつフェー

ドアウトする感覚だろう。魂があるとして、

気づいた時はお花畑が一面に広がっていると

言うことなのだろうか。『死』に際して、何が

悲しいかと問われれば、二度とその愛する人

の実体を自分の眼で認識出来ないと言うこと

だ。」と。



少なくとも、このブログを読んでくれた読書

には、母の人生が些かでも共有して頂けるの

ではないか。死なない人間はいない。ただ、

有り体に言えば人の最期の仕事は『死』だと

思うのだ。その死に方、人生の締め括りとし

て最高たるものは、他者から愛されたかどう

か、だと思う。特に母に限っては生来からの

障害により、一般的な女性としての満足で自

由な時間は極短期間で、人生の殆どが何かし

らの規制と病院内の管理環境、とりわけ院内

職員との人間関係等にも些か左右されたので

はないだろうか。


勿論、病院職員は最大限の治療を施して頂い

ていると信じているが、長い入院生活の中で

、何度となく公衆電話から私に訴えて来た。

強烈に私の耳に残る母の言葉に、

「退院したい」

「トンカチで手を叩かれた」

「こんな病院は嫌だ」

という激しい苦情だった。確かに現実には毎

年、何処かの精神病院の医療関係者が患者に

対して虐待をして逮捕されたという報道は何

度も聞いている。何年か前、母に面会した際

、母の掌にはタバコを押し付けられたような

痕があった。本人が何もその事に触れなかっ

たので聞かなかったが、もしそれが虐待だっ

たとしたら私は母を見捨てたようなものだ。


だが、同時にこんなことも思う。虐待だった

として、弁護士を立て調査を依頼したとした

ら、母は他の病院で引受けてくれただろうか

。世間一般の疾患とは違い、調査も難航する

だろう。何が正しくて何が妄想なのか。全て

妄想と片付ければ人権はどうなるのか。逆に

、母の妄想だとしたら、母の生活全般を懸命

に看護してくれた病院関係者を傷つけること

になる。そんな葛藤を感じながら私は過して

いた。病院内の至る場所に防犯カメラが設置

され、キチンと病院幹部が点検しているなら

結果も違うだろうが・・・。



私は今更ながらに思う。

「何も言わない物分り良い人間は、家族や愛

する人を救えない」、一方で「厳しい今の時

代、偏見も多い精神科病棟で一生懸命に働い

てくれる人に感謝しなければ申し訳ない」と

いう『信頼』と『疑念』が私の頭の中でグル

グル回り複雑な精神状態にあるのも事実だ。



どんな高邁な理想を掲げた業務に携わる人間

も、やはり自分や自分が所属する組織が一番

大事だろう。時にはウソや隠蔽もするものだ

。病院も製薬会社も政治家も・・・。


昨今、元女性自衛官が部隊の男性隊員から性

的暴行を受けたことを告白した。当初、組織(中隊長)はこの行為について報告を受けて

いたのに調査せず無かった事にしようとした

が、当該女性隊員が休職したにもかかわらず

、その理由を別の理由として上に報告したこ

とから発覚し、隠しきれずに当事者5人を懲

戒免職に、中隊長を停職6ヶ月とした。この

ように今は誰かが身を挺して告白又は告発し

て、正しいことを訴える時代なのだ。



いずれにせよ、このように考えると、私自身

も母が望むような行動を取れたかは甚だ疑問

だ。しかし、もしも母を引受けてくれる病院

が無ければ、もっと早く共倒れしていたのは

間違いないのだ。母の治療を継続して面倒を

看てくれるのは本当に有り難いと思う。母も

また気分が良い時は、看護師さんやヘルパー

さんに笑顔で感謝の言葉を送っているのを何

度も見ている。気分の良い時は母と病院関係

者との間は良好だったと思う。中には十年以

上も看護して頂いている職員もいる。ただ、

全国的に看護師の業務負担は増え、母のよう

な気分が直ぐに変わってしまう患者にストレ

ス比重は掛かると思う。その中で、家族であ

る私も肩身の狭い思いをするのだ。私もまた

母との面会時、看護師さんの声のトーンと顔

色で概ね両者のストレス度合いを感じた。こ

うなると私も面会に行く足が遠のく。面会に

行かなければ冷たい息子と思われる。このよ

うに、色々な事があった。



だが、もう母に遺された時間はない。人間の

命は『時間』だと思う。去年、本屋で百田尚

樹著『百田尚樹の新・相対性理論』という本

を買った。その中の一文に、


『充実した時間が少なければ寿命が短い(時

間が減る)ということは、充実した時間が多

ければ寿命が長い(時間が増える)、つまり

物理的な時間は同じでも「長生き」できるの

です』と記されていた。


母の人生、遺された時間を充実して過ごして

もらうには、母が恐らく一番求めていたこと

、すなわち孤独だった人生ではなく、愛され

るべき存在だったと自覚して寿命を全うした

いのだと思うのだ。その唯一の当事者が私か

らの愛情だろう。それを、まだ何とか母の意

識、理解が可能だった令和4年12月23日

、数日前に私がカラオケ店で唄い録音した氷

川きよしの『母(作詞・なかにし礼)』を母

の右耳にイヤホンを入れて流した。母は顔を

クシャクシャにして涙を流していた。これが

私からの感謝の気持ちだった。



人間は皆死ぬ。とするなら、いわば人間にと

って『死』はごく普通の一般的事象なのであ

る。従って、霊感商法の定番だが、『死』を恐

怖に感じるというのは心がマインドコントロ

ールされた状態でしかなく、天国だ地獄だと

言った目に見えない死後の世界を強調し煽っ

ても、今を生きる人間は早かれ遅かれ死ぬ宿

命。『死』は日常的な人間の終着駅だ。いや通

過点かも知れない。天国だ地獄と言ったとこ

ろで、寧ろ今のこの日本、この世の中の方が

地獄とも言えるじゃないか。また、普段の日

常生活の中で『死』を感じず遠ざけることで

、あらゆる活動や思考が営めるとも思える。



スマホでタップしながら、デジタル時計に目

をやると、2022年12月31日、午前3

時01分だ。今、私の胸中に去来するものは

、「母の最期をキチンと送り出す為に、円滑に

やってやろう」という手続き的解決について

前向き積極的な気分になったかと思えば、

(既に葬儀社と菩提寺には事情を連絡済)、

数分後には「母は幸せを感じて人生を終えれ

るだろうか」と胸が締付けられる衝動を交互

に感じてしまい、多少の動揺を今感じている


少しでも母が長く現世を生き、穏やかに、そ

して私を産んでおいて良かったと深層心理潜

在意識の中で想いながら旅立って欲しいと思

う。今はそれだけだ。



(つづく)



=説明=

後記文を今、令和4年12月29日に加筆し

ています。過去の日記の転記で、母について

かなり多くの分量を割いているのが分かるか

と思います。それは、母一人子一人という環

境ゆえ、距離感の近さがあるからでしょう。

その中で、共に怒りや葛藤、そして愛情とい

うものが複雑に交錯していたからでしょう。

その母も、主治医から令和4年12月22日

に余命宣告をされ「年を越せるか・・・」と

のこと。



義父が自死した平成6年6月以降、母と二人

で生きて来た私にとり、様々な記憶が蘇りま

す。日記でも触れている通り、母は生来の精

神疾患により昭和47年頃から入退院を繰返

し、時には精神の急性期には刑務所のような

窓に鉄格子がある病室に入れられ、手と腰に

は暴れないように身体拘束や電気ショック治

療を繰返し行われました。幻聴や妄想が酷い

とは言え、本人にして見れば恐怖の何物でも

なかったでしょう。そして、たった一人助け

てくれ頼りになるであろう私がその治療に簡

単に承諾してしまう訳だから、治療の効果が

あり普段通りに戻っても母の深層心理潜在意

識の中では、私は鬼のように映ったでしょう

。そして再発し、そうした治療が続く度に母

は人間不信が深くなり、猜疑心が強くなった

と思います。



究極的には、そうした孤独の中にあって母は

誰かに(特に私)愛されたかったのだと思い

ます。まだ母と意思疎通がかろうじて可能で

あった令和4年12月23日、数日前に私が

カラオケで唄い録音した氷川きよしの『母

(作詞・なかにし礼)』を母の右耳にイヤホ

ンを入れて流したところ、顔をクシャクシャ

にして涙を流していました。これが私からの

感謝の気持ちでした・・・。


忌み嫌われる疾患と共に肩身の狭い思いをし

ながら、そして唯一の家族である私からの傷

つける言葉を受けながらも、身寄りない私の

将来を案じる母の優しい眼を振返る時、血の

繋がりというものを強く感じています。



12月29日、少し呼吸が整わず酸素を吸引

したようです。病院内のコロナクラスターで

面会が出来なくなった今、奇跡が起こらない

限り、次に会えるのは危篤の時でしょうか。

昭和58年元旦に父が逝き、平成6年6月に

義父が逝き、そして母。死なない人間はいな

いと分かっていてもこれほど悲しいことはあ

りません。田坂広志氏のユーチューブを視ま

した。『3つの真実』というのがあり、

◯人は必ず死ぬ

◯人生は一度しかない

◯人はいつ死ぬか分からない

と述べています。


必ず終わりが来る命です。母の人生、孤独と

苦しみと共にあった人生でしょう。そして私

の将来を案じながら生きた命だったと思いま

す。人間、そんなに多くの人と深く関係は持

てません。その中で私は母から生まれ、母は

私を産み育てました。その限られた巡り逢い

の中で何を思考したかが問われるのでしょう

。皆、それぞれに人生、限りある命の時間を

それぞれの困難を抱きながら消化して行きま

す。せめて、穏やかに、眠るように逝きたい

ものです。母もまた眠るように逝き、そして

魂があるならば魂の記憶が稼動して、母を愛

してくれた父や義父、祖母、話し相手をして

くれた令和3年5月に亡くなった叔母などと

再会し、もう疾患で苦しむことなく、思いっ

きり自由に飛び回って欲しいです。



ー令和4年12月大晦日ー


∠(`・ω・´)