生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -17ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



号外 今思うこと令和5年2月2日(木)
号外も連続6回目だが、母の容体に大きな改
善の変化がなく、前回1月15日に面会した
時と差はない。1月22日に面会したが、大
きな声で呼べば眼をしっかりと開き、うわ言
だが会話は出来た。この日は酸素マスクをし
ており、この状態で酸素飽和度が100の値
を示していた。マスクがないと生体情報モニ
ターのアラームが鳴ってしまうのだろう。ま
た、最高血圧は157、最低血圧は100、
平均血圧は108、脈拍数が91なので正常
範囲、酸素飽和度は100、呼吸数が18で
こちらも正常範囲だ。輸血中だった。輸血開
始は19日からだそうだ。ずっとやっている
わけではないだろうが、本人は大変だと思う
。しかし、浮腫は相変わらず酷く、タンパク
質の低下が改善されない。ただ、前回と比べ
て、介護用ミトンを付けた両手を上下に動か
したり、頭を起こして左右に動かしたり、生
体モニターのタイマー音に反応したりと、や
や体力が面会時にはあったようだ。もう少し
心臓の動きの力が回復することを祈るしか私
には出来ない。
(1月22日面会時のモニター)

何とか病状の回復を願い、1月22日は護国
寺と靖國神社、西新井大師に再び参拝して更
に御朱印を頂いた。護国寺はひっそりと静ま
り返る本堂でお経を唱えることが出来た。勿
論、病状回復が第一だが、やはり万が一も高
い確率で継続している。そうであるならば、
少しでも苦痛がない状態で・・・と願うばか
りだ。




この御朱印というのは、コレクションの類で
はない。神仏(本尊)の分身と考えられてお
り、印刷物とは違う。靖國神社や西新井大師
はこの日、かなり混雑していた。日曜という
のもあったのだろう。比較的若い人が多いよ
うに感じた。笑顔のアベックも多かった。
私は、神様への祈祷は基本的に皇室の彌榮、
国家の平和であるが、それだけではなく、縦
に繋がる私の先祖に想いを馳せる。一方で、
仏様については、比較的近い身内等を中心に
健康と成仏を願うように意識している。

続いて1月29日にも面会をした。先週より
も手をよく動かせるようになり、両眼もしっ
かりと開いていた。「ご飯食べたか?」と私
に問いかける言葉も聞き取れた。輸血はして
いないが酸素マスクは装置していた。いずれ
にせよ先週よりも若干体力が回復して来た感
じはする。面会時のモニターでは、収縮期血
圧146、拡張期血圧72、平均100、脈
拍数103、酸素飽和度100、呼吸数12
だった。
(1月29日面会時のモニター)

そんな中、巷のニュースでは以下の事件が話
題になっている。
(※大田区事案)

(※福岡事案)

いずれも別れ話から逆上して犯行に及んでい
る。交際するということは同時に別れも含め
て想定しないとダメなような気がする。相性
の問題で別れることもあれば、不測の事件や
事故、病気でどちらか先にこの世を去らねば
ならないこともある。別れの覚悟をしている
大人の感情を持つ人間にしか恋愛も美しい別
れも出来ないのだろう。少なくとも、この男
二人は女性に依存していたのだろう。弘法大
師空海は『十住心論第一』で「真実の自我を
認識しなければ、所有物に執着して苦しむば
かりである」と説いている。執着は依存でし
かない。自分中心の偏った考えの人間には、
まともな恋愛は不可能なのだ。然らば、この
私自身も未だ不確かな感情の変化に左右され
た未熟な精神。とても安定した恋愛感情の人
格を要した人間とは言えない。まだまだ気分
に波がある。

しかし、この二人の男が最初から恋愛に不向
きだったかと言えばそうとも言えないのだろ
う。何故なら恋愛に不向きならそもそも女性
が近づいて行かないと思う。たとえ言葉巧み
に誘ったとしても、この男らには何らかの魅
力を感じて交際がスタートしたのだから、や
はり相手の心変わりというのを必ず想定して
、交際中も別れ際を常に考えておくべきだと
思う。

別れと言えば、何も男女の恋愛に限らず、親
兄弟姉妹、子との別れも理屈としては同じこ
とだ。今の私がそうだ。唯一の家族の命が危
ない状態は日常的にかなりツラいものがある
。昨年の12月22日に年内の余命宣告以降
、緊張感が続いている。弘法大師空海の教え
で「汝と吾れと無始よりこのかた 更(かわ
るがわ)る生まれ 代わるがわる死して転変
無常なり」と『三教指帰下』で説いている。
要するに前世から生まれ代わり、死に代わり
して、転々と生死を繰返しているということ
だそうだ。

物騒な事件は更に続く。
(※大阪老人ホーム女性職員殺害事件)


(※宮台教授襲撃事件)


(※毎日発生する首都圏内の鉄道人身事故)

上記のように、大阪老人ホームの事件は一昨
年のことだが、遺族とすれば時間が止まった
ままで、とても心の整理はつかないだろう。
また、宮台教授襲撃事件も毎日発生する鉄道
人身事故も、その奥では社会への絶望と通底
しているのではないか。やはり人間、無職と
なるとおかしなことを考えてしまうのだろう
。無職は不安と直結する。しかもまだまだ働
ける体力と気力があるなら尚更だ。自分の努
力不足の面と社会システムの不備の両面があ
ると思うが、今は後者だろう。やっと職にあ
りつけても非正規で日給制や時給制で働くの
が大半。社員と言っても、契約社員や準社員
と言った雇用形態で賞与も退職金もない。不
安が尽きない為に人間関係も常に緊張感が漂
い、生き残るには他者への優しさは後回し、
自分よりも劣っていそうな人物を見つけて、
その人を土台に自分の立場を維持する。

同時に、社会システムを構築する我が国の頭
脳集団たる各省庁職員は、個々には真面目で
優秀な人々だと思うが、大きな組織の特徴と
して上意下達、指示されたことを確実に遂行
することが官僚の職務となる。では誰が何を
指示するのかと言えば、我々が選挙で選んだ
政治家と思うのは建前であり、実際は未だ敗
戦処理が行われずに半ば中途半端な独立国た
る我が国において、大きな存在として存在す
るのが連合国だろう。しかし、一見して対米
依存の形をしているが、私はもっと深い問題
があると思っている。確かに官僚も政治家も
外国に依存していれば大して積極的な仕事を
しなくても、特に政治家はテレビで名を売っ
ていれば選挙で勝つ。本当に我が国が自主独
立しようものなら面倒な仕事もしなければな
らないから、今の政治家では務まらないだろ
う。従って、自民党だろうが立憲民主党だろ
うが日本共産党だろうが、あるいは今話題の
新しい政党だろうが、結局、行き詰まる結果
になると思う。大きく社会システムを国民の
側に引き寄せることは難しいと思う。

有体に言って、我が国は残念ながら対米依存
せざるを得ない国家であると思うのだ。仮に
本当に完全なる独立国家として存立しようと
するならば、今現在の天皇、皇室にまで大変
なご迷惑をお掛けする結果になるだろうと私
は勝手に思ってしまう。現システムは戦後、
皇室をも巻き込んだ何らかの大きな流れの中
にある気がする。従って、不本意ではあって
も、現体制を維持しながら、小さな幸せを重
ねながら日本人は生きる術を見出すしかない
だろうと思う。それには、せめてマスコミで
名が売れている政治家にこだわらず、結果が
大して変わらないなら、選挙で国民生活を託
してみたい人に投票するのも良い。人に頼ま
れて投票したり、マスコミでよく登場するか
らと投票するのはダメだろう。マスコミは企
業である。必ずスポンサーがいる。利益にな
らない人はテレビに出さない。

今、三浦瑠麗氏が時事系ネット番組で批判の
対象になっている。確かに、彼女にも落ち度
はあっただろうし、やや人に優しさを欠いた
言動をして来た面があるだろう。そして、こ
れまで三浦瑠麗氏を重宝していたテレビ局は
一斉に彼女を降板させた。結局、スポンサー
が苦情を受けるのを嫌っての局側の配慮かも
知れない。

このように、人間は人生の中で輝ける時代と
衰退していく時代があるものだ。同時に誰と
出逢い人生を歩むかでも異なるだろう。その
中で、別れる場合もあれば、信じ続ける場合
もある。何が正解で何が間違っているかはか
なり後にならないと分からないものだが、人
の命の時間は限られているので、その答えを
自分で確かめることは難しいだろう。批判も
擁護も、それぞれの人間関係性に影響してい
て、著名人の誰がどの立場かは大体分かる。
従って、誰が何を言おうが、三浦瑠麗氏自身
の決断しか自分の将来は開けないのではない
か。


(つづく)












令和5年(2023年)1月17日(火)
今日も号外として日記を書く。
母は今日(令和5年1月17日)まで命脈を
保ってくれている。更なる回復を心より願っ
ている。昼間、病院から電話がありビックリ
して出るとヘルパーさんだったので緊急では
ないことが分かり安心した。母のねまきのサ
イズに関することだった。

昨今、改めて菩提寺(父と義父が眠る地)が
あることに感謝している。この年になって、
にわかに仏門、菩提心に導かれた感じもして
いるが、まだまだ心が不安定な自分がいる。

今日、自宅の集合住宅にあるエレベーターに
乗ろうとした時、入居階で停止したエレベー
ターの窓が光に反射して中が見えずドアが開
いた瞬間、中から中年の男性が出て来て、
「邪魔だ!どけよ!」
と怒鳴られた。私もカーッとして反射的に言
い返してしまった。同じ階に住む人間だと思
うが、確かにエレベーターの真ん中に立って
いた私にも非がある。しかし、言葉遣いとい
うものもあろう。どう見ても私よりも10歳
は年上の感じがした。

最寄り駅に向かって自転車を漕ぎながら、私
の心はムシャクシャして怒りが収まらなかっ
た。「何なんだあのオッサン、本当に頭に来
るな~」と。しかし改札を抜け、ホームに立
ち、自販機で温かいお茶を買って飲むうちに
怒りは次第に小さくなっていった。「所詮、
他人の機嫌など分からないもの。あのオッサ
ンもこのご時世でイライラしていたのだろう
。もしかしたら、私を怒鳴ることで、多少の
ストレス発散や優越感に浸れたなら、私もあ
のオッサンの心のボランティアになれたので
はないか・・・」と思えるようになった。オ
ッサンに怒鳴られたことは、きっと私の心が
少しの障壁で乱れないか仏様が試したのだろ
うと・・・。電車に乗る頃は私の頭からオッ
サンへの怒りは消えていた。

一時はムシャクシャしていた私。オッサンに
反射的に言い返してしまった私。まだまだ未
熟者だと思う。しかし、時間が経てば落ち着
くようになった。何故、私は言い返したのだ
ろうか。多分「軽く見られた」、「お前よりは
私の方がマシな人間だ」という自尊心が最大
の心の反射だったと思う。オッサンも、「コ
イツよりは俺の方が上だ」と思ったに違いな
い。私の場合、風体が童顔のせいか実年齢よ
り若く見られる為、実際に同年代の人よりも
言葉に重みが感じられないとは思う。それは
仕方ないことで、どうしようもない。しかし
、仏心に縁した身の私としては、あまりにも
人間として心が未熟だ。

話しを戻す。日本人の多くは先祖代々の菩提
寺を持つ。私がお寺と縁をしたのは昭和59
年頃だったと思う。昭和58年元旦に父が亡
くなり、同年8月16日に母は義父となるY
S氏と再婚した。父が亡くなって暫く遺骨は
環七から少し入った江戸川区の一軒家みたい
な院に置かれていた。父は生前、YS氏と母
を巡り(不倫)トラブルになっていたが、父
が糖尿病からの尿毒症を併発して亡くなり、
YS氏は母と婚姻する訳だが、私と折り合い
がつかないにも関わらず、父の供養の為にお
墓を建てることを決心した。

墓地の選定は私とYS氏で検討したが、大し
て会話を重ねた訳ではない。たまたまチラシ
に今の菩提寺の墓地が目に留まり、実家に近
く売出していたから選んだようなもので特段
宗派に拘りは無かった。また、私自身、墓地
を持つことが檀家になるということすらも分
からなかった。振り返れば、母がYS氏と再
婚しなければ間違いなく菩提寺を持つことは
無かっただろう。そのYS氏も世間の荒波に
迷い、うつ病を発症して平成6年6月4日に
母宛に遺書を遺してこの世を去ってしまった

こうして今、生前互いにトラブルを起こした
父とYS氏は、共に同じ菩提寺に眠り、母と
私を守護している。仏性から考えれば父とY
S氏は不思議な縁があったと言える。菩提寺
の宗派に入ることは『縁』としか言えない。
たまたまチラシを見ただけで墓地を購入した
が、その瞬間にそのチラシを見なければまた
違った『縁』になっていたのだろう。

そもそもお寺は仏教なのだから、仏教はみん
なインドのお釈迦様(釈尊)が教え説いたも
のだと言う漠然とした解釈しか私には無かっ
た。それなのに、数多く宗派があるのはオカ
シイのではないかとさえ暫く思っていた。精々、ジェームス三木氏が著したテレビドラ
マ『西遊記』と日本テレビ系で放映していた
水谷豊氏と伊藤蘭氏が出演していた『あんち
ゃん』が頭に浮かぶ程度だった。昭和59年
に東映映画が「空海」という作品を上映して
いるらしい。丁度、我が家が墓地を建てた時
期と重なる。空海役には北大路欣也、最澄役
に加藤剛、嵯峨天皇役に西郷輝彦、桓武天皇
役に丹波哲郎などだ。近いうちにDVDを購
入してみよう。

いずれにせよ、話しを戻すとあのオッサンの
言葉に対して、私がカーッと反応してしまっ
たのは、菩提寺の真言宗豊山派で言うところ
の『即身成仏(現世のまま仏になれる)』か
らして、その為の行(ぎょう)、すなわち、
身(手)、
意(心)、
口(言葉)
の三密のうち、意と口がダメだと言える。
三密と書けば、新型コロナウイルス感染症が
最初に流行った際によく政府や東京都知事が
言ってた言葉、密閉、密集、密接とは違う。
また、空海は人の心を10段階に示していて
、人として最低な1段階は動物のように食欲
と性欲に執着した心と説き、2段階として愚
かな童子の心から倫理に目覚めた状態を指し
ている。3段階が宗教心が芽生え、安心を見
出す状態と言う。更に上があるが、私などは
到底3段階から上がることは難しいだろう。

私は思うが、俗に「葬式仏教」と言われて、
葬式にしか必要とされてない昨今の菩提寺と
の関係。しかしそれは本当に残念なことだと
思う。これは檀信徒の心構えも問題だが、そ
れぞれの住職が檀信徒とどう繋がりを持つべ
きか、それも大事なことだと思う。菩提寺は
、本人自身を中心として自分を産み育てた人
や所縁ある人との過去、現在の喜怒哀楽の発
露、そして近未来の家系を縦に繋ぐ場所とも
言える。

私の場合、過去はあるが、私が死ねば父母や
義父も無縁仏となる。しかし、それは仕方な
いこと。たとえ無縁仏となろうとも、それは
形(かたち)の上でのこと。仏縁は永遠だと
思う。

また昔から下町という土地柄もあるが、周囲
には創価学会の信仰に熱心な人も多く、日蓮
宗系の知人や友人に影響された時期も確かに
ある。だが、日蓮宗と創価学会とは実際は血
脈に疑義があるという複雑な経緯もあり、最
終的に私は菩提寺の宗派を学ぶ方が良かろう
という考えに達した。真言宗派のお寺に墓地
があっても創価学会の信仰をしている人もい
るようだが、それはそれで良いのだろう。た
だ私の場合はあまり頭の容量が大きくないの
で、それはしなかった。その事で縁薄くなっ
た人もいる。ただ確かに言えることは 日蓮宗
派系の人から私は大変お世話になったのも間
違いない。今後も感謝し続けるのが正しいと
思う。従って今は使わないが日蓮宗派の念珠
も持っている。

実は宗派で念珠が違うことも最近まで知らな
かった。真言宗の念珠は八宗用とも言って、
真言宗以外の宗派(日蓮宗以外)の信徒さん
でも使われている。念珠は奈良時代に日本に
流通し、平安時代に一般的になった。

私が使っているのは令和5年1月17日現在
3つ(他1つ)。

1つは奈良の総本山長谷寺オンラインショッ
プから購入したもの。白檀の正式念珠で、少
し小さめなのでいつも携帯している。
(白檀の正式念珠)

1つは大本山護国寺で購入した豊山流大師講
制定男性講員用の四半繰り片手念珠というも
の。講員というからには、お経を立派に唱え
られる人用なのだろうか。私は経本を開いて
、目で追わないと唱えられない初心者だが、
所持して良いのだろうか。まぁ、購入出来た
のだから良いのだろう。
(豊山流大師講制定男性講員用念珠)

そして、私のメインの念珠はこちらになる。
浅草で有名な念珠堂さんで購入した真言宗用
のヒノキの本式念珠だ。お線香もお店に寄る
度に何らかを購入している。急ぎならコンビ
ニで買うが概ね念珠堂さんを利用している。
(真言宗用のヒノキ本式念珠 3尺)

話しを戻すと、お釈迦様の教え1つあれば良
いというのが当時の私の考えだったが、何故
、我が国にはこんなに宗派が分かれているの
か疑問だった。それは、お釈迦様が亡くなっ
た後、その弟子たちがお釈迦様の教えを広め
る為に全国に散って行った、というのが分か
った。大きく分けると、お釈迦様のおられた
インドからスリランカ、ビルマ、タイへと伝
えられたのが『南伝仏教』。インドから中国
、朝鮮、日本に伝わったのが『北伝仏教』と
言う。

この北伝仏教、日本で最初に広めたのが飛鳥
時代の『聖徳太子』である。奈良時代になる
と東大寺、法隆寺を建設し、平安時代には私
の菩提寺宗派の根本的人物となる『弘法大師
(空海)』。

その空海と『伝教大師(最澄)』の2人が中
国から沢山の経典を日本に持ち帰って来た。
そこから空海は真言宗を、最澄は天台宗を開
く。私の菩提寺は真言宗豊山派であるが、真
言宗と天台宗は仲間とも言える。

その後、多くの僧が宗を開く。母の実家の菩
提寺は浄土宗である。
浄土宗は法然が開き、
浄土真宗は親鸞が開き、
曹洞宗は道元、
臨済宗は栄西(ようさい)、
日蓮宗は日蓮、
が開いて多くの国民の心を救った。私は思う
が、どの宗派が上で、どの宗派が格下とか言
うものではなく、単に一人一人が何らかの形
の『縁』でその宗派と結ばれたのだろうから
その宗派の教えを学ぶことが自然だと思う。

また、真言宗豊山派が私の菩提寺の宗派とな
るが、真言宗というのは良いが、豊山派とは
自民党のような派閥を指すのだろうか。そう
した疑問が私の心の中にあった。

先ず、大前提として弘法大師(空海)が真言
宗を開いたのだから、全ての真言宗は弘法大
師からスタートする。俗に「お大師様」とも
呼ばれている。真言宗のお経の中で「南無」
と言うのは「私は帰依する」を意味していて
、「南無大師遍照金剛(なむだいし、へんじ
ょうこんごう)」と唱える。どの宗派でも南
無◯◯・・と唱えているが、真言宗の場合、
南無大師遍照金剛と唱える。この7文字の意
味は「弘法大師空海に帰依する」と解釈する
遍照金剛は空海の灌頂名(かんじょうめい
)である。また、大日如来の別名も遍照金剛
なので、要は弘法大師空海と大日如来は一身
同体と言える。

そして、豊山派というのは、その宗の中にあ
り、奈良県桜井市の長谷寺を総本山(リーダ
ー)とする全国のお寺の集まりだ。豊山派の
豊山というのは、お寺は昔、山の頂上付近に
あったので◯◯山と呼ぶ。長谷寺の場合は
『豊山神楽院長谷寺』なので、豊山派と呼ば
れている。代表的なお寺は、奈良の長谷寺や
護国寺、西新井大師も同じ宗派となる。仲間
であるもう一派の智山派の代表的なお寺は、
京都東山の根来寺、成田山新勝寺、川崎大師
、高尾山薬王院がある。私も成田山新勝寺や
高尾山薬王院には登ったことがある。

この豊山派が誕生するまでの経緯として、空
海は真言宗を開きあの高尾山、高野山に登る
。その後、嵯峨天皇から京都の東寺を任せら
れる。だから、一度私も東寺には参拝するつ
もりでいる。東寺に行くには東京駅からだと
新幹線で京都で下車し、近鉄京都線で東寺下
車となる。

更に数年後には同じく京都に私立学校として
綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開校す
る。そして空海が62歳の時、高野山で亡く
なる(入定)。亡くなった86年後に醍醐天
皇から弘法大師の大師号が与えられた。人間
の評価はかなり後になってからなのだと思っ
た。

空海が亡くなり265年後に生まれ、空海の
教えを高野山金剛峯寺で守ったのが『覚鑁上
人(かくばんしょうにん)』。西暦1134年
頃、覚鑁上人は高野山の中に伝法院、密厳院
を作り組織を大きくしていったが、そうなる
と金剛峯寺との不和を招いてしまう。今の会
社組織でも似たようなことはあるだろう。覚
鑁上人の密厳院は焼き払われた。更に命まで
狙われたが助かった。

その後、覚鑁上人はこれ以上、トラブルが続
くのを懸念して高野山を去り、和歌山県に根
来寺を完成させた。しかし西暦1143年、
風邪が原因で49歳の時に円明寺で亡くなっ
た。

そして覚鑁上人が亡くなってから547年後
に東山天皇から興教大師(こうきょうだいし
)の大師号が与えられるのである。

この辺りから真言宗の流派の起点だろう。も
ともとは高野山にある金剛峯寺が真言宗の拠
点だったが、空海が弟子らにあちこちのお寺
を分け与えた。そして弟子から弟子へとお寺
が継がれていく。その後、金剛峯寺と東寺を
一緒に管理していた『観腎(かんげん)』と
言う人が東寺を本寺、金剛峯寺を末寺にして
本末制度が出来た。イメージとしたら、本店
支店、営業所と言う感じだろうか。このよう
に高野山金剛峯寺や東寺の流れを汲むのが、
『古義高野山真言宗』と言う。弘法大師空海
の教え一筋に道を極めた伝統的な宗派だ。こ
の古義真言宗だけでも13派に分かれていて
到底覚えられない。
教王護国寺 - 東寺真言宗総本山
金剛峯寺 - 高野山真言宗総本山
善通寺 - 真言宗善通寺派総本山
随心院 - 真言宗善通寺派大本山
醍醐寺 - 真言宗醍醐派総本山
仁和寺 - 真言宗御室派総本山
大覚寺 - 真言宗大覚寺派大本山
泉涌寺 - 真言宗泉涌寺派総本山
勧修寺 - 真言宗山階派大本山
朝護孫子寺 - 信貴山真言宗総本山
中山寺 - 真言宗中山寺派大本山
清澄寺 - 真言三宝宗大本山
須磨寺 - 真言宗須磨寺派大本山
何が何だか分からなくなるが、古義真言宗の
分類は上記となる。従って、古義真言宗の檀
信徒さんが一番多いと言える。

そして、覚鑁上人の流れを汲むものが『新義
真言宗』3派である。
智積院 - 真言宗智山派総本山
長谷寺 - 真言宗豊山派総本山
根来寺 - 新義真言宗総本山
私はその中の『真言宗豊山派』の菩提寺を持
ち、そこに父と義父が眠っている。


また、古義真言宗から分かれたのが真言律宗
である。律宗は2派ある。
西大寺 - 真言律宗総本山
宝山寺 - 真言律宗大本山
このように真言宗には古義、新義、律宗とい
う3宗派があることを知った。いずれにせよ
、一番知っておく必要があるのは、元々一つ
だった真言宗だが、覚鑁上人が新しい真言宗
の形を密厳院で始めたことからトラブルにな
り、和歌山県の根来寺へと移ったのが新義の
端緒と私は思う。こうした経緯があり、古義
派としたら覚鑁上人から古義を守ったという
功績で、古義真言宗の総本山は高野山金剛峯
寺ということになっている。

一方の覚鑁上人は更に苦労する。根来寺に移
るも、豊臣秀吉により焼き討ちに遭うが、後
この焼き討ちから逃げた僧らが新義真言宗
を長谷寺で広め、根来寺内の智積院を京都に
再建して、後に智積院は「智山派」の総本山
となる。

覚鑁上人が亡くなるのは西暦1143年、次
に真言宗にとって重要人物が生まれるのが西
暦1530年の戦国時代のことだ。この間、
実に387年が経過した後だ。約78歳の生
涯の人間が5回生まれ変わらねば出逢うこと
がない人物なわけだ。この人物が真言宗豊山
派の派祖となる『専誉僧正(せんよそうじょ
う)』である。

専誉僧正は20歳の時、奈良の東大寺で出家
者として勉強し、その後比叡山でも勉強して
他宗派の奥義も学んだ。西暦1584年頃、
再び根来山に帰ると高い評価を得て指導者と
して活躍していたが、その根来寺の僧らが不
満分子の僧兵となり、羽柴秀吉こと豊臣秀吉
が降伏するように勧めるも武力行使をしたこ
とから翌年の1585年、秀吉の根来寺攻撃
を受けた。

専誉は学徒を率いて高野山に逃げた。この時
に多くの僧侶が処刑にも遭った。こうして新
義真言宗は壊滅状態に陥った。専誉僧正は高
野山から出て京都伏見の醍醐寺(現、真言宗
醍醐派)で指導を続けていた。

その頃、大和長谷寺は観音霊場だったが、か
なり戦禍で荒廃しており奈良の大和守だった
武将、豊臣秀長がキチンとした僧侶で長谷寺
を復興したいと考え、西暦1588年に醍醐
寺から専誉僧正を長谷寺に招いた。因みに豊
臣秀吉と豊臣秀長は母親が同じで父親が異な
る。豊臣秀吉の弟が秀長と言われている。

続く西暦1600年には『関ヶ原の戦い』が
あり、その後、高野山に逃げた一派に対して
徳川家康から豊臣秀吉ゆかりの寺を与えられ
、その縁で京都東山に『智積院(ちしゃくい
ん)』を興すことになる。この智積院で修行し
た僧が後の『真言宗智山派』と呼ばれる。

一方で専誉僧正は長谷寺で多くの僧の指導に
当たっていたが、西暦1604年5月5日に
75歳で亡くなった。上記で述べたが長谷寺
は『豊山神楽院長谷寺』と呼ばれており、長
谷寺の専誉僧正の流れを汲むのが『真言宗豊
山派』である。豊山派の端緒は専誉僧正を長
谷寺に招いた1588年が始まりだと思うが
、正式には西暦1900年(明治33年)に
豊山派として独立している。智山派も同時期
に独立している。因みに、母方の祖母の誕生
日が明治38年10月7日だ。要は、真言宗
各派が独立して5年後に母方の祖母が誕生し
ているのだから、宗派の歴史的な時間の感覚
として私なりの思いはある。母方の実家は浄
土宗である。元は東京芝増上寺の末寺だった
という。

(真言宗豊山派檀信徒のおつとめ般若心経)

誰も読まないだろうから良いが、4日間でま
とめたので正確ではないかも知れない。しか
し、知識0からの出発なのでこの程度流れを
感じていれば、今後多分、住職からの講話や
何かの歴史番組でも私の頭の回路が作動して
、点と点が結ばれるのではないだろうか。そ
してその都度理解を修正すれば良い。

母の余命宣告から菩提心を厚くしたが、これ
もまた『縁』なのだろう。本来、過去の日記
を転記するブログだが、昨今の母の容体を鑑
みて、号外が続いてしまっているが、仕方な
い。

弘法大師空海はこう説く。
「始めあれば終りあり 生ある者は死あり
合会は離るることあり 良(まこと)にゆ
え あるかな」
始めあれば終わりがあり、生あれば死がある
。会えば別れがある。これらは真理だと言っ
ているのだ。多くの人はそんなことは頭で理
解している。しかし、そんな命の儚さを自分
の身近に感じた時、死んだ後、後生の問題が
果たしてあるのか、魂という存在があるのか
ということを齢を重ねる度に深く、そして色
濃く感じている。

(つづく)








令和5年(2023年)1月14日(土)
今日も号外として日記を書く。何とか母も昨
日(令和5年1月13日)まで命脈を保って
いる。願わくば、このまま少しでも回復へと
進むことを信じたいが・・・。

母は昭和14年3月3日生まれ、昨日で3万
633日、83年10ヶ月と11日、命を繋
いで来たが、その大半を病院内で過ごした。
肩身の狭い思いだったと思う。ストレスによ
って医師や看護師に当たることもしばしばあ
った。退院しても私とは日頃から感情がぶつ
かり、母と大して心通う会話も無く優しさの
ない息子であった。更に言うならば、父や義
父とも満足に会話したこともない。その経緯
は過去の日記で明らかにしている。

父が亡くなり今年で40年が経つ。義父に至
っては28年7ヶ月が過ぎた。誰もが免れな
い死。人の死に際はそれぞれだが、皆、幸せ
に逝ったとは言い難い。近い将来、私は母の
『死』を垣間見るだろう。

父や義父(YS氏)と心がズレていた私が、死
後の世界で心を通わせることが出来るだろう
か。その為の死後への探求と言っても過言で
はない。菩提寺宗派である真言宗豊山派では
亡くなるのではなく、『入定(にゅうじょう
)』と言っている。

私の人生、考えて見れば『死』を思考する日
々だった気がする。日記を振り返ればそれが
分かる。私の菩提寺宗派、真言宗豊山派の総
本山は奈良県桜井市にある長谷寺である。大
本山は東京音羽の護国寺だ。足立区にある西
新井大師も同じ宗派となる。派は違うが成田
山新勝寺も同じ真言宗である。弘法大師が開
祖であり、俗に『空海』とも呼ばれている。
元々は真言宗は一つだったが、古義と新義に
分かれた。私の菩提寺は新義に属する。

この真言宗新義派は更に2つに分かれる。1
つは真言宗智山派、そして真言宗豊山派であ
る。智山派の総本山は京都東山区の智積院、
大本山は千葉県成田の成田山新勝寺、川崎大
師、高尾山薬王院となっている。

古義真言宗も2つに分かれるが、1つは真言
宗の聖地を受持つ高野山真言宗。総本山は和
歌山にある高野山金剛峯寺(こうやさんこんご
うぶじ)。大本山は同じく和歌山県にある寶壽
(ほうじゅいん)だ。そして真言律宗と呼
ばれる宗派に分かれているが、いずれも弘法
大師の教えを貫き、大日如来を本尊とする。

また、真言宗と天台宗は『密教』秘密仏教と
言われており、言語化出来ない教えもあると
される。他の宗と違う点は、真言宗や天台宗
は現世のまま仏になれるという『即身成仏』
を可能とし、母の実家の浄土宗や浄土真宗、
日蓮宗は、仏になるまで途方もない時間が必
要とされている。

今、私が母に出来ることは悲しいかな神仏頼
みしかない。今は奈良まで行けないので(い
ずれ行く)、直近で11日に西新井大師ヘ、
12日は護国寺と靖國神社で心願を掛けた。

(東京音羽の護国寺 令和5年1月12日)

(護国寺仁王門)

(護国寺、本堂)

(護国寺、地蔵)

(護国寺に移された筑波山大仏)

(護国寺本堂)

(護国寺 大隈重信第8第17代内閣総理大
臣のお墓)

(靖國神社の神門 十六弁の菊紋章)

(靖國神社 拝殿)

14日は小雨の中、菩提寺に墓参りを行った
(菩提寺にある我が家のお墓)

このように心が弱くなっている時、得体の知
れない団体に傾倒する人もいるが、私の場合
、どうも集団での信心に馴染まず煩わしく感
じるタイプなので静かに自分なりに信仰心を
醸成したい。

死後の世界があると仮定するなら、魂の居場
所は菩提寺を中心として出入りするのが自然
だろう。但し、菩提寺を持たない人も多い。
今後は特にそうした人は増える。そんな人に
とって、死んだ後の魂の居場所などどうでも
良いのではないだろうか。しかし、誰もが死
後も何らかの形で救われたいと思っているの
だと思う。

ふと思う。荒川のホームレスや新宿や上野、
秋葉原等の歩道上にダンボールで囲いを作り
寝泊まりしているホームレスの人々も、まさ
か自分の人生がこのようになるとは思わなか
っただろう。人生の選択を迫られた時、様々
な環境や条件が揃わず歯車が狂ってしまった
人なのかも知れない。私もまた少しズレてい
たら、そっちの立場になっていただろう。私
はホームレスの人々の中にも心の美しい人は
沢山いるだろうと思っている。こうした人も
いずれ死ぬ。形としたら、『行旅病人及行旅
死亡人取扱法』によって、警察署、市区町村
、葬儀屋、火葬、無縁仏納骨堂という流れを
辿るだろう。

私が死ねば菩提寺の管理が出来ないので、父
も義父(YS氏)も、そして母も無縁仏とな
る。形式的にはホームレスの人々と同じ経過
を辿る。自動的に墓じまいだ。

母の実家は由緒正しい浄土宗の菩提寺で、天
保◯年という大昔の先祖から祀られている。
母の兄弟姉妹はそのお墓に眠り続けるが、将
来は従姉(いとこ)が管理する。血縁者では
母だけが無縁仏となる運命だ。更に私が死ね
ば、父も義父も母もこの世に『人』として存
在したことすら誰も知らない。『無』の境地
だ。しかし考えて見れば、それが人間の成り
行きかも知れない。この現世、人間社会を動
かしているのは無名の人々なのだ。寧ろ、名
を馳せることが社会的に罪深いことに繋がる
ケースが多々あるものだ。いずれにせよ、私
ら家族が遺骨となった先はホームレスと同じ
道を辿るのだ。その現実を俯瞰するならば、
死後の充実感に期待する他はないだろう。

また通常、命のバトンは小さな命が誕生した
後、老いた命が失われて行く。世代交代は人
類が続く限り繰返し行われる。同時に血縁が
『点』と『点』として結ばれ『線』として縦
軸に繋がれていく。しかし、かつて行われた
大東亜戦争で戦死した人々、東京大空襲をは
じめとした各種攻撃、そして広島や長崎の原
爆で亡くなった人々、ソ連の進攻で亡くなっ
た樺太の人々、阪神淡路大震災、東日本大震
災で一家が全滅した家族もいたことだろう。
そうした場合、そこで血縁は途絶える。その
家族がこの日本で『日本人』としてささやか
に生きていたことすらも誰も知らないという
事態になる。

このような人々も間違いなく同じ日本語を話
し、この日本の空を見て、山を見て、海を見
て、町を見て、その空気を吸い暮らしていた
のだ。13日は護国寺、14日には菩提寺に
お参りをした。母の安らかなる命を願って手
を合わせたが、同時に、当たり前だが沢山の
墓地が整然と並んでおり、墓石の大きさでそ
の家庭の裕福さも分かるのだが、不思議と大
きいほど手入れがされ、比較的新しい仏花が
飾られており、頻繁に親族等が訪れているこ
とが分かる。裕福な家族ほど先祖を大切にし
ているとも言えるのだ。

血縁とは狭義の世界の話しだと思う。何故な
ら私は二人の両親(一世代前)の血筋を引い
ているが、父も二人の両親から血筋を引き、
母も二人の両親から血筋を引いている。そう
すると、私から見たら二世代前で6人の血筋
が合わさって私が完成している。更に曾祖父
母は8人いる。この8人にも両親がいるので
16人の存在がある。更に32人、64人、
128人、256人、512人。10世代前
の血縁者は1024人にもなる。いずれにせ
よ、私の場合、縦ラインで考えれば、私の直
系血族は私で止まると思うが、このような考
えの下ではまだまだ続くのである。

要は、遠縁という人は無数に存在する。直系
血族以外の傍系血族を含めれば更に繋がりは
増える。早い話し皆どこかで繋がり『縁』が
あるのだ。縁と言えば父母や祖父母のような
人間関係以外にも、宗派との縁や住む場所、
町、仕事も含まれるだろう。そう考えると、
よく「縁が切れた」と表現するが、きっと切
れることはなく過去として刻まれ上書きされ
て行くのだろう。

今、ニュースや報道では、毎日のように鉄道
自殺が発生し、誰かが殺されたりしている。
だが、どんなに憎らしい人間であっても、そ
の人間を必要とし愛する人がいる。そしてそ
の人間も愛する対象がいる。この現実を知っ
た時、人を殺そうとは思えなくなる。それが
普通の考え方だと思うがどうだろうか。

また、私は父が死んだ昭和58年元旦の時、
病院の玄関前で見た初日の出に思ったことが
ある。それは、多くの人々が祝賀の渦中の時
、町の片隅で人生最大の悲しい思いをしてい
る人間がいることを。それを逆算すれば、私
が絶頂期の時、悲しい瞬間を味わっている人
も沢山いるのだ。従って「私が不幸だから、
お前も不幸になれ」と言うのは甚だ理不尽な
ことだ。人間、皆、その瞬間に体験すること
は異なる。喜ぶ時は喜び、泣きたい時は泣く
しかない。それが現実に生きる人間の姿なの
だろう。

(つづく)