生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -19ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



平成10年(1998年)8月31日(月)
台風は東京を避け、東北地方へと向かってい
る。既にこの台風被害で15人が亡くなって
いると言う。そんな中、職場で世話になって
いるN指導員のお父さんがどうやら膵臓がん
に冒されて、今週がヤマ場だそうだ。

N指導員の母親は覚悟を決め、葬儀に向け自
宅の片付けを始めたと言う。父親本人は膵臓
がんであることを知らない。告知する・しな
いは医師の判断、本人の希望や性格、家族の
想いにもよるが、皆、人間の命には限りがあ
る。そんなことは知っているが、なかなか心
が重い。残りの時間を本人の意識があるうち
に伝えておくかどうするかは正解がない。た
だ、家族の胸の中で背負う選択をしたならば
、それが正解なのだと思う。

大半が病倒れによって病院で亡くなるのが今
の日本の日常だが、中には突然の交通事故、
言葉や態度の行き違いで恨みを買い殺されたり、生きる希望を失い自ら命を消す人間もい
る。私の義父であるYS氏は後者だった。

今、私はN指導員の父親を切っ掛けに再度
『命』について考えたいと思う。

人間は必ず死ぬ。100%間違いない。また
、この世だけが本物の世界とも限らないと思
う。目に見えない世界があっても何ら不思議
ではないじゃないか。

人間の『この世の命』とは、もともと精神を
鍛える場なのだろう。私はN指導員の父親を
知らないし、具体的にどんな人生を歩んだ人
かも知らない。だが、その血縁であるN指導
員から滲み出る雰囲気から、お父さんの様々
な困難が想起され、多事多難を乗越えた人物
なのだろうと推察される。多くの困難にぶつ
かった人間は、その壁を乗越えた時、その人
にしか分からない喜びがあると言う。一度き
りの人生、何かと戦って勝負している感じだ

『生きる』というのは戦いだ。そしてその戦
いを経て、誰もがその後の家族の幸せをに託
して息を引取る。死は人間ならば逃れられな
い。少なくとも肉体的に不帰の人となる。考
えて見れば、自分の『死』を自分で経験出来
ないのだから、その点では人は死ねない。死
ぬ瞬間も分からない。普段毎日眠りにつく瞬
間も、具体的にその境目は微妙だし、意識が
少しずつフェードアウトする感覚だろう。魂
があるとして、気づいた時はお花畑が一面に
広がっていると言うことなのだろうか。

『生』と『死』はコインの表と裏のような感
覚なのだろうが、死というのは肉体だけは戻
らない。『死』に際して、何が悲しいかと問わ
れれば、二度とその愛する人の実体を自分の
眼で認識出来ないと言うことだ。N指導員は
今、何を父親に感じているのだろうか。少し
でも長く、家族の空間が続くことを願ってい
る。

(つづく)


平成10年(1998年)8月30日(日)
今日も仕事帰りに実家に寄る。母の具合は更
に安定して来た。だが油断は出来ない。

昨日、通院して主治医に薬を変えてもらった
ようだ。しかし、昨夜も寝てないらしい。こ
の病気は睡眠不足が一番ダメなのだ。自分の
母親でありながら留置人みたいな感情がして
しまう。実家に来ても心が休まることはなく
、自宅や教習中も万が一を考えてしまう。薬
を変えたと言うが、飲まなければ再発は確実
である。

一方で、台風が近づいている。強い雨が降っ
たりやんだり。福島県でかなりの被害が出て
いるようだが、台風の中心はこれから関東、
そして東北地方に向かう。

(つづく)

=説明=
後記文を今、令和4年12月29日に加筆し
ています。過去の日記の転記で、母について
かなり多くの分量を割いているのが分かるか
と思います。それは、母一人子一人という環
境ゆえ、距離感の近さがあるからでしょう。
その中で、共に怒りや葛藤、そして愛情とい
うものが複雑に交錯していたからでしょう。
その母も、主治医から令和4年12月22日
に余命宣告をされ「年を越せるか・・・」と
のこと。

義父が自死した平成6年6月以降、母と二人
で生きて来た私にとり、様々な記憶が蘇りま
す。日記でも触れている通り、母は生来の精
神疾患により昭和47年頃から入退院を繰返
し、時には精神の急性期には刑務所のような
窓に鉄格子がある病室に入れられ、手と腰に
は暴れないように身体拘束や電気ショック治
療を繰返し行われました。

幻聴や妄想が酷いとは言え、本人にして見れ
ば恐怖の何物でもなかったでしょう。そして
、たった一人助けてくれ頼りになるであろう
私がその治療に簡単に承諾してしまう訳だか
ら、治療の効果があり普段通りに戻っても母
の深層心理潜在意識の中では、私が鬼のよう
に映ったでしょう。そして再発し、そうした
治療が続く度に母は人間不信が深くなり、猜
疑心が強くなったと思います。

究極的には、そうした孤独の中にあって母は
誰かに(特に私に)愛されたかったのだと思
います。まだ母と意思疎通がかろうじて可能
だった令和4年12月23日、数日前に私が
カラオケ店で唄い、それを録音した氷川きよ
しの『母』を母の右耳にイヤホンを入れて流
したところ、顔をクシャクシャにして涙を流
していました。これが私からの感謝の気持ち
でした・・・。

忌み嫌われる疾患と共に肩身の狭い思いをし
ながら、そして唯一の家族である私からの傷
つける言葉を受けながらも、身寄りない私の
将来を案じる母の優しい眼を振返る時、血の
繋がりというものを強く感じました。

12月29日、少し呼吸が整わず酸素を吸引
したようです。病院内のコロナクラスターで
面会が出来なくなった今、奇跡が起こらない
限り、次に会えるのは危篤の時でしょうか。

昭和58年元旦に父が逝き、平成6年6月に
義父が逝き、そして母。死なない人間はいな
いと分かっていてもこれほど悲しいことはあ
りません。田坂広志氏のユーチューブを視ま
した。『3つの真実』というのがあり、
◯人は必ず死ぬ
◯人生は一度しかない
◯人はいつ死ぬか分からない
と述べています。

必ず終わりが来る命です。母の人生、孤独と
苦しみが共にあった人生でしょう。そして私
の将来を案じながら生きた命だったと思いま
す。人間、そんなに多くの人と深く関係は持
てません。その中で私は母から生まれ、母は
私を産み育てました。その限られた巡り逢い
の中で何を思考したかが問われるのでしょう
。皆、それぞれに人生、限りある命の時間を
それぞれの困難を抱きながら消化して行きま
す。せめて、穏やかに、眠るように逝きたい
ものです。

母もまた眠るように逝き、そして魂があるな
らば魂の記憶が稼動して、母を愛してくれた
父や義父、祖母、話し相手をしてくれた令和
3年5月に亡くなった叔母などと再会し、も
う疾患で苦しむことなく、思いっきり自由に
飛び回って欲しいです。母には、ただただ、
『ありがとう』
と言うのみです。奇跡がない限り、残された
時間は僅かです。天変地異なく、穏やかに。

ー令和4年12月ー
∠(`・ω・´)



平成10年(1998年)8月28日(金)

仕事帰りに母の住む実家に寄る。母の顔の表
情を見ただけで精神状態が分かる。少しずつ
安定しているように思った。

だが安心出来ない。主治医からの服薬を拒否
したり睡眠不足になれば、再び幻聴や妄想に
悩まされることになる。

実家を後にし、家路につく電車の中で先日所
長の朝の訓授が脳裏を巡る。

「人材と言っても、『人財』もあれば『人罪』
もある。組織が必要とする真に期待するのは
『人財』である」

この『人財』の対義語として『人災』という
言葉がある。組織の『財(たから)』もあれ
ば『災(わざわ)い』もいると言う。さしず
め私は間違いなく『災(わざわ)い』をもた
らす人間である。更に思い出してしまう。

「どこの会社にも案外これに類する組織の足
を引っ張るような『人罪』も存在し、『獅子身
中の虫』などと呼ばれる組織の内部から虫食
う者や、窓際族を逆手に取って・・」

私は組織の中では間違いなく『人罪』だろう
。更に、

「組織は目標達成で本来の機能が保てる。各
々の指導員が年間稼働率を達成するには『腰
が痛い』だの『頭が痛い』だのと言って休ん
だり、何かと理由をつけて休めばそれは目標
の邪魔だ。その人物はいつも決まっている。
この間退職したKもそうだ。家族を養うには
男は仕事をして稼ぐのだ。それが自分の為な
のだ。各々、生活環境が違うから大変だが、
それを乗り越えて頑張るのだ。そして自分の
体調管理をしっかり行うのだ。」

これはきっと私に対する言葉であろう。

だが現実は母一人子一人で、その母が精神疾
患があり、今まさにその渦中にいる母を面倒
(監視)看る人間は私しかいない。確かに職
場には母の正式な病名は告げていないので、
私の実態は分からないだろう。

しかし病名を告げることで母に対するプライ
バシーが無くなることになる。従ってそれは
出来ない。一般社会でも偏見があるのだから
、教習所という堅い職場ではなかなか病気に
対する理解は得られないだろう。そんな職場
に身を置く私が悪いのだが・・・。

故事にこんな言葉がある。
『破れ鍋に綴じ蓋』、本来の意味は、どんな人
にもその人に相応しい結婚相手がいるという
ことらしい。結婚相手を職場とか職業と変換
出来ないだろうか。今の私には組織体で仕事
をするのは多くの人の迷惑になる気がする。

(つづく)