生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -15ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和5年2月19日(日)
今日も母死後の手続きについて記録しておく
。16日から19日までの私の家の場合のこ
となので、他のご家庭に必ずしも当てはまら
ないかも知れないが、共通する内容もあるだ
ろう。

●母の年金停止手続き
先日、15日にA区役所等で取得した書類は
①母の住民票(除票)A区役所
②私の住民票 A区役所
③私の住民票記載事項証明書 A区役所
④母の戸籍謄本 B区役所
である。手続きに不必要な書類も取得してい
る。我が家の場合、年金停止手続きに必要な
書類は、
①母の年金証書
②母の住民票(除票)
③私の戸籍謄本又は抄本(但し母が死亡以降
に発行された原本)
④私のマイナンバーカードの両面コピー
⑤私の通帳のコピー(口座がわかるもの)
の以上5点だ。以外にも、死亡診断書と死亡
届は不要だった。この15日にうっかりB区
役所で③私の戸籍謄本か抄本を取得するのを
忘れ、再び16日にB区役所まで参上した。
近くだから行けたが、都道府県をまたがる人
は、先ず何が必要かを予め年金事務所に電話
で確認した方が無難だと思う。

令和5年2月16日、先ず、今日は肝心なこ
とを最優先だ。母の初七日である。と言って
も正式な法要ではなく、朝、自宅での遺骨と
白木の仮位牌の前で私が読経を上げ、更に菩
提寺に赴き、父やYS氏に母が亡くなったこ
とを報告すると同時に、以後、ここで3人で
眠れることを知らせた。母は四十九日まで自
身の魂が極楽浄土ヘ行けるように、様々な仏
様から亡くなった2月10日以後の7日毎に
裁きを受けることになる。その最初がこの初
七日だ。初七日忌は不動明王からの裁きと言
われている。私は母が少しでも良い安寧な所
へと導かれるように読経をするのみである。

菩提寺からB区役所に向かい、で私の戸籍抄
本の取得をした。
(B区役所の『戸籍に関する証明書交付申請
書 私の場合は2番に◯)

(取得した私の戸籍抄本 これはコピー)

この時点で②〜⑤が揃った状態だ。私は一応
マイナンバーカードを取得していたので、そ
のコピー(表裏)を添付、更に給料が振込ま
れている口座を指定したので、その口座番号
がわかる通帳のコピー。問題は、母の年金証
書である。これは探すのに大変である。日頃
から各種書類をひとまとめにして保管し、更
に家族に伝えていれば問題ないが、なかなか
そうもいかないのが人間である。

しかし大丈夫だ。年金事務所に提出する書類
である『受給権者死亡届(報告書)』の欄に、
年金証書を添付出来ない場合の事由欄が設け
られており、該当する項目に印をつければよ
い。
(2 の欄を参照)

(年金事務所に提出した書類 カーボンにな
っており、2枚目が死亡届)

B区役所を出て、そのままバスと電車を乗継
ぎ、C年金事務所に向かう。C年金事務所内
は混雑している感じはないが、私を含めて、
4家族程度が来所していた。だが、窓口の職
員は2人のようで、窓口と奥の執務室を忙し
く歩き回っていた。本来、窓口に行くには事
前に予約をするようだが、私の場合、書類を
集め記入もしていたので予約なしで大丈夫だ
った。些か当時の職業の影響か書類の作成慣
れをしていたせいもあり、特に大きな訂正も
なく、母の年金事務は令和5年2月16日に
終わった。母の年金受給の最終は令和5年4
月14日に振込まれる令和2月分である。

続いて、令和5年2月17日にやったことは
、四十九日までに白木仮位牌から本位牌にし
なければならないが、比較的良心的価格の業
者を選定した。業者に電話、申込み用紙を送
付するので、遅くとも3月5日までに届くよ
うにして欲しいとの事。

また、昨日、手元供養品で母の遺骨の一部を
専用のミニ骨壷に入れて自宅でも供養出来る
というパンフレットを見て注文したが、ちょ
っと考えてしまった。既に注文済なので品物
は来るが、私が死んだ後、いわゆる分骨した
ミニ骨壷に入った母の遺骨はどうなるのか。
当然、警察もこの遺骨を調査しなければなら
ないだろうし、再度、この少量の遺骨の為に
役所が埋葬許可証を発行しなければならない
。確かに、母を感じていられるかも知れない
が、それなら月命日でも菩提寺に墓参りすれ
ば済むことだろうと、17日時点ではそのよ
うに心変わりした。納骨前々日までに答えを
出す。

令和5年2月18日、お焼香セット、おりん
の座布団と座布団台を購入。続く19日は現
在の仏壇より少し大き目の中古仏壇が届く。
中古だが品物が良い。先方で魂抜きをしてお
り、お寺の証明書もある。四十九日までは何
もしないが、四十九日以降、こちらの仏壇に
魂入れをしてもらうつもりだ。とにかく、私
の場合、いずれ無縁仏になる。私が私の供養
を自分で同時にやっておく必要がある為にこ
のような形にした。

さて母が亡くなった日を含めて、今日で10
日が経った。色々やることがあって、まとま
った悲しみは正直ない。だが、確実な変化と
して溜息をつくことが頻繁にある。そして、
入退院を繰返した母だが、私に多くの愛情を
注いでくれた人だった。遺影と遺骨の前で出
て来る言葉は、「今までありがとう」の一言
だ。

生身の人間同士では語りかけられない言葉が
、今ならば素直に口に出来る。他人は、「生
きている時にもっと伝えてあげれば良かった
のに」と思うかも知れないが、果たしてそん
な家族がどれほどいるのだろう。多くの家族
は、何かしらの後悔を抱えて過ごしているの
ではないだろうか。後悔の念はこれから私の
胸中を強く貫くだろう。だが、まだ私が母に
してやれることがある。キチンと迷わずに、
仏の途に歩き始める道筋を作ってあげること
だ。それが私の読経であり、お焼香であり、
お線香ということになる。

父もYS氏も、そして母も決して幸せな人生
を送った人ではなかった。しかし、魂があっ
て成仏するにしても、輪廻転生するにしても
、やはり残ったものが供養することが大前提
だろうと思う。然るに、頭に過るのは、硫黄
島の土に眠る人々の無念さだ。戦争をしたか
った軍人も、そうで無かった軍人もあの時代
を生きなければ仕方がなかった人々だ。同じ
日本語を話し、そして共通の文字を書いてい
た同胞達。遺族にとって遺骨は大切なもので
あると思うのが普通だ。

人間、必ず死ぬ。実はこの言葉に救われる私
がいる。「そうだ、みんないずれ死ぬ。みんな
一緒じゃないか」と。2月13日、母の火葬
の日。棺が火葬炉に入る時、全く同じ時間に
同じように火葬される棺とその家族がいた。
私は心の中で、「良かったな、独りじゃないか
ら安心だな」と母に問いかけた。火葬場の職
員は毎日毎時間の光景だろうが、家族にした
ら、自分が死ぬまで、そう何度もある光景で
はない。最近、回転寿司や牛丼屋でおかしな
ことをしてSNSにアップする若者がいるが
、どうも良く見ると彼らの眼から発せられる
脳内の物質が異常に分泌しているように思う
のだ。私の気のせいかも知れないが。やはり
、若い頃から死生観というものが大事になる
と思う。

人間は限られた時間を生きている。死ぬ時間
のカウントをされながら生きているのだ。

(つづく)













令和5年2月15日(水)
今朝は、先ず菩提寺の住職へ連絡。四十九日
法要について調整。日付通りに3月30日に
お寺の本堂でやることに決まる。

●母の年金停止に関係すること
次に、母の年金を停止しなければならないの
で母と私の各種書類請求の為にA区役所に行
く。先ずは母の『住民票(除票)』という書
類の請求だ。
(母の住民票除票)

続いて、私の『住民票』の請求。
(私の住民票)

更に必要ないかも知れないが『住民票記載事
項証明書』も取得しておいた。
(私の住民票記載事項証明書)

また、母の戸籍謄本を取得しておこうと思い
、確か母は戸籍をYS氏と再婚するに当たり
、このA区に戸籍を移しているはずなので請
求したのだが、コンピューター上にヒットし
ないとのこと。私も少し混乱したのだが、住
民票の除票で今日現在の本籍が記載されてい
るからと担当の職員が言う。

そこでその項目を確かめると、私と同じB区
に移して、というか、戻していたのだ。きっ
と書類上も私と一緒にいたかったのだろう。
だが、こんな死後の手続きをしている最中で
は私の心の余裕もなく、面倒なことしてくれ
たなと思ってしまった。だが、これは仕方な
いことで、YS氏が自殺してしまった後、Y
S氏の姓をそのまま名乗るのではなく、再び
YS氏と婚姻する前の、要は私と同じ姓に戻
した為に色々と手続き上、私の頭が混乱した
と言うことなのだ。しかし、いずれにせよ、
今日中に私の戸籍謄本をB区役所に請求する
為、B区役所を訪問する予定。

ところが、私の頭の中は母が本籍を変えた、
というか戻したことで頭が一杯になり、B区
での手続きで私の戸籍謄本の請求をすっかり
忘れ、母の戸籍謄本だけを請求してしまった
のだ。実際、母の年金停止と未支給年金に必
要な書類は、私の場合は、
①母の年金証書
②母の住民票(除票)
③私の戸籍謄本又は抄本(但し母が死亡以降
に発行された原本)
④私のマイナンバーカードの両面コピー
⑤私の通帳のコピー(口座がわかるもの)
の以上5点なのだ。
(母の年金停止に必要な書類)

従って、母自身の戸籍謄本は年金事務所では
求めていないのだが、今後、何かに使うかも
知れないと思い請求した。

しかし、母の戸籍謄本を請求したのだが、亡
くなってからまだ日が経っていないとの事で
、亡くなった事実がA区から情報が来ていな
いかも知れないと言う。しかし私の心は腑に
落ちない。死後の手続きで、やたら年金停止
の迅速な手続きを求めるお知らせ等をしてお
いて、それはないだろう。私が本屋で買った
死後手続きに関するマニュアル本には、年金
受給者死亡届を、
厚生年金は10日以内
国民年金は14日以内
と掲載されていた。これを見て私はビックリ
してしまった。母が亡くなったのが2月10
日だから、当日を含めて厚生年金の場合、届
けを土日を除けば22日までにやらねばなら
ない計算になる。含めると19日ということ
になるが、土日は役所が休みなので17日が
期限となる。早め早めにやらねば、後から後
から別のことが押し寄せてしまう。思うこと
は、人の生き死には24時間365日起こる
のだから、せめて手続き関係は土日関係なく
受付してもらいたい。特に、会社勤めの遺族
は大変だと思う。私のように親一人子一人で
は全て自分が煩雑難解な処理をしなければな
らず、人によっては何度も会社を休むことに
なる。また、こうしたマニュアル本に、手続
き期限のモデルケースが載っていないのか残
念だ。

結局、今日出来たことは以上だ。悲しんでい
られない。明日は母の初七日だ。まだキレイ
に咲いている花をお墓に少し持って行きたい
と思う。また再度、B区役所に行き、私の戸
籍抄本の請求と再度、年金事務所での手続き
を済ませたい。因みに、残った母の年金は支
給される。母の場合、令和5年2月10日に
亡くなったので、令和5年4月14日に支給
される2月分は受取ることが可能なのだ。

また、未だ入院費の計算が出来上がってない
そうなので、病院に預けてある母の、
①後期高齢者医療被保険証者証
②後期高齢者医療限度額適用・標準負担額減
額認定証
が私の手元にない為、いわゆる健康保険の資
格喪失届が提出出来ない。これは亡くなって
から14日までに行わねばならないから、ど
うなってしまうのか。私は思うが、各種手続
きにおいて、それぞれ最低一ヶ月間の余裕が
欲しい。死亡届は現行で構わないが、ちょっ
と遺族が大変だ。しかも今後、親の死後の手
続きに携わる人も少なくなって来る。

(つづく)






令和5年2月13日(月)
母の火葬式が終わり、母は何年かぶりに自宅
に戻った。

棺が火葬炉の前に運ばれ、菩提寺の住職が紙
の御札を入れる為に職員に棺を開けるように
指示した。本来、火葬炉に入る前にはそのよ
うに棺を開けることはないようだが、職員は
それに従い開けた。そのことにより、私は本
当に最期の最期で再び母の頭を撫でることが
出来た。これも何かの計らいだと勝手に思っ
ている。

そして、従姉にも感謝している。遠方から4
時間かけてマイカーで来てくれた。母も喜ん
でくれていることだろう。同時に菩提寺の住
職にも感謝する。私自身、病に倒れて満足な
収入がない中、限られたお布施しか出来ない
にもかかわらず、通夜、告別式をせずに火葬
式という簡易な判断なのだが、火葬炉に入っ
た母に対して思った以上の時間を掛けて読経
で手厚く見送って頂いた。私も一緒に般若心
経と光明眞言を唱えることが出来た。簡易祭
壇には私の好きな優しく笑った母の遺影が飾
られている。

数分間の待機の後、館内放送で呼出しがあり
火葬が終わったと言う。火葬炉が開くと、そ
の奥からまだ火種が見えていた。この炎によ
って母の身体は焼かれ、あの世の途に向かう
スタート地点に立ったのだと、何故か冷静な
自分がいた。火葬前に棺を乗せていた台車が
その火種の中から運び出された。そしてその
上には小さくなった骨がバラバラに乱雑な形
で乗っていた。人によっては感情が混乱して
泣き叫ぶこともあるかも知れないが、私は冷
静だった。そのことで薄情な人間なのではな
いのか、とも自分で一瞬思ったが、やはりそ
れは死生観に依るのが大きいのかも知れない

骨壷に母の骨を従姉と箸渡しをしながら入れ
ていく。火葬場の職員が色々と説明をする。
従姉が職員に「一部の骨が茶色けど、これは
何故ですか?」と問うと「多分、棺に色味の
付いた装飾品を入れたからでしょう」と回答
した。私は直ぐにそれが総本山長谷寺の念珠
だと気づいた。骨の色が母の左手に持たせた
念珠の色と同じだからだ。
(11日に母に持たせた長谷寺の念珠)

私はそれが何故か嬉しかった。念珠を間違い
なく母は身に付けて旅立つからだ。しかし、
母が亡くなった日の東京は雪が降り、火葬日
が雨。単なる偶然と片づければそれまでだが
、涙雨とも言うし、この世での苦しみを浄化
して天に昇るとも言う。いずれにせよ、無事
に火葬式が終わった。

特に火葬場で感傷的になることもなく自宅に
戻って来た。散らかった部屋の一部を開けて
、遺骨、白木の位牌、写真、キレイな花、お
茶、香典、供物、お線香を置き一息ついた。
そして、再び般若心経を唱えた。この時、何
か感極まってしまった。人間誰もが100%
死んでしまう。プロ野球で活躍した入来智氏
も母と同じ2月10日の夜に交通事故という
突然の死を迎えてしまい、本人は当然として
もご家族の心中を察するにあまりある。私の
場合は母の余命を宣告され、その期間以上頑
張ってくれたということがあるが、交通事故
や事件によって突然に愛する家族が自分の前
から消えてしまうのは本当にツラい。交通警
察の委託の仕事をしていた時、毎日のように
警察署に出入りしていた私は、何度も交通課
の部屋の前に塩が盛られていたのを覚えてい
る。自署管内での死亡人身事故だと直ぐに分
かる。暫くすると遺族の方の姿を見る。何と
も言えない感情があった。
(ヤフーニュース 入来智さんの記事)

人間は早かれ遅かれ、全ての人が死んでしま
うのだ。その現実をどう受け止めるのがいい
のか?というのが私の人生の全てだと今も思
っている。『死』そのものは特別なことではな
いが、自分と縁ある家族や友人、知人の死が
特別なのである。愛別離苦という避けて通れ
ない悲しみが瞬間瞬間に私の心を襲うのだろ
う。また交通事故等で突然逝ってしまうよう
に、『老少不定(ろうしょうふじょう)』と言
われる通り、必ずしも年長者から先に死んで
行くとは限らないのが運命なのだ。そのこと
を思えば、この今を大切にして行くしかない
のだろう。

母も入来智さんも命日が2月10日、初七日
が16日、ふた七日が23日、み七日が3月
2日、よん七日が3月9日、ご七日が16日
、む七日が3月23日、なな七日(四十九日
)が3月30日となる。入来さんは日蓮宗の
ようだが法事の考え方は何処も変わらないと
思う。2月10日に亡くなった人には、四条
天皇、モンテスキュー、レオ12世、ビウス
11世、瀬戸わんや、北尾光司がいる。

14日は病院への精算と母の荷物、後期高齢
者証などの返却に行き、15日は年金事務所
での手続きに行こうと思う。