生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -14ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。

久々にブログの更新をする。前回の続きであ
るが、母の死去後の私の動きについて記録し
ている。今回は3月4日から15日分をまと
めていく。

●令和5年3月4日(土)
今日はバイト日。特に変わったことなし。少
々疲れが出て来ている。悲しみを具体的に頭
で整理出来て言葉や文字に記せるほどの能力
もなく、ただただ溜息ばかりが口をついて出
てしまう。

2月16日の初七日、23日のふた七日、そ
して3月2日の三七日と菩提寺に行き墓前に
生花をお供えし、自宅では毎日お線香に勤行
を実行している。それは母の浄土への旅に対
する現世側からの随行の意味もある。それく
らいしか出来ることがない。

さて、仏教からしたら亡くなってから四十九
日までの七日単位の審判により、母が輪廻転
生する先を決定されると説いているが、仮に
魂が次の命の行き先を決定してしまうならば
、最早、四十九日以降の供養は無意味なので
はないだろうか。既に母は私の知り得ない場
所で別人又は家畜として命を宿している訳だ
から、百か日法要や一周忌というのは抜け殻
に対する供養ということになる。一方で、日
本人的感覚からして、輪廻転生というよりも
いわゆるあの世、天国や地獄に魂は留まり、
輪廻転生するとしても何十年後や何百年後の
ことだと説く場合もある。

こうなると、何が何だか分からなくなり、そ
の場その場の都合で解釈が異なるということ
にもなってしまう。やはり死んだら終わり、
というのが正しいのだろうか。

●令和5年3月5日(日)
今日は築地本願寺に行く。実如上人の追悼供
養をやっていた。
(築地本願寺、令和5年3月5日)

●令和5年3月7日(火)
今日は遺品整理と陶器類のゴミ出し。
(自宅の仮祭壇、令和5年3月7日)

●令和5年3月9日(木)
今日は四七日忌、菩提寺に行く。墓石で予め
メモリーカードレコーダーに録音しておいた
般若心経や妙法蓮華経観世音菩薩普門品第2
5偈を読経した。
(菩提寺の墓前、令和5年3月9日)

●令和5年3月10日(金)
今日は母の初めての月命日となる。昨日に続
き菩提寺に行く。いつもお線香を焚くが、イ
マイチ感がある。個人的にはお寺の匂いが落
着くので、それに近いお線香を求めているの
だが、なかなか納得出来るものを購入出来ず
にいる。近所に仏具屋はあるが、店舗でお線
香を焚いて確認する訳にもいかない。実際に
焚く前の匂いと焚いた後の匂いは異なる。焚
く前の匂いで購入してしまうのでダメなのだ
ろう。また、一度コレと決めたお線香は、な
るべく同じものを使用することを推奨される
。それは色々なお線香を代わる代わる使うと
部屋の匂いがおかしくなるからだそうだ。
我が家は東京だが、京都の東寺の専用お線香
である東寺香というのを購入した。今のとこ
ろ、コレが一番しっくりしている。しばらく
使っていこう。

●令和5年3月13日(月)
夕方、木魚が届いた。また、最近はかなりの
頻度でお線香を焚くので香炉灰の交換や掃除
をやっている。特に香炉灰の掃除に欠かせな
いのが灰ふるい器というやつだ。お線香の燃
え残りを取るのに最適である。近所の仏具屋
で1300円で買った。

●令和5年3月14日(火)
へんな夢を見た。少し前には石原裕次郎が夢
に出て来たが、昨夜は宇津井健が夢に出て来
た。何だろうか。

●令和5年3月15日(水)
深夜、2時25分に友人のお母さんが亡くな
った。82歳だった。ここ最近は透析を週3
回やっていて、本人も大変だろうと思ってい
た。母とは直接の接点はないが、一ヶ月違い
で亡くなり、年齢も1歳違いということを考
えると、少し考えるところがある。

また今日は、母の実家の菩提寺がある神奈川
県まで行った。母の白木のお位牌と遺骨、そ
して写真を持って、母の両親、兄弟姉妹が眠
る墓石で会わせた。宗派は違うが、そんな問
題ではない。気持ちの問題である。母は兄弟
姉妹の大変好きな人だった。母だけ別のお墓
に眠ることになるばかりか、私がこんな調子
なので、いずれ無縁仏になってしまうが、こ
れも運命である。だからこそ四十九日以後の
魂の行方がどうなるのか、という問題が私に
すれば重要なことなのだ。
(母方の菩提寺にて、令和5年3月15日)
つづく


令和5年3月3日(金)
今日は本来なら母の84歳の誕生日であった
が、ご案内の通り、2月10日午前10時2
0分に逝去した為、この日を迎えることは出
来なかった。母の生涯というのは83年10
ヶ月と10日、3万632日の人生だった。
しかも、長い長い期間、鍵のかかった病棟で
の生活を余儀なくされた。犯罪者でもないが
刑務所又は留置場のような場所で、病院関係
者からの半ば命令によって生活をしていた。

しかし、その場所に送り込んだのは唯一の家
族である私自身に他ならない。そうせざる得
ない状況に、今更ながら四十九日を前に後悔
の毎日を送っている。仮に入院させていなか
ったら、きっと本当にどちらかが犯罪者にな
っていてもおかしくなかっただろう。その意
味で、母にとって一番安全な場所が病院での
生活だったと思うが、別の病院ではあるが、
精神科病院での患者に対する暴行事件の報道
を目にすると、少なからず暴行とまではなら
ずとも、言葉の暴力はあった気がする。また
、母自身も医師や看護師、ヘルパーに対する
心無い言動もあったようだから、あまり外の
目が届かない閉鎖された空間、ましてや世間
が嫌悪してしまう空間では病院関係者と患者
しか知らない世界があるに違いない。この事
件が明るみになり、ネット上のコメントには
病院関係者側に寄ったものが多数散見され、
患者に寄り添ったコメントにはバッドボタン
が沢山あった。このことからも、患者やその
家族に対する正確な心情に近づくことは極め
て難しいと思った。そして、何度も母は退院
したいと繰返し私に主張し続けていた。だが
、何処に行けば良いのか・・・。相談する術
もなく、母の言葉を無視し続けていた私自身
も、いずれ仏様に裁きを受ける時が来るだろ
う。

前回の日記では母の二七日(ふたなのか)ま
でを記したが、今回はそれ以降の出来事を記
しておく。

令和5年2月24日(金)
ガス代の支払い
鮫洲試験場近くで免許更新申請書のみ作成

令和5年2月25日(土)
バイト日
床屋に行く
免許更新用の写真撮影

令和5年2月26日(日)
未明、夢に母が出て来る。眠るように亡くな
る光景。何故か場面が変わり、石原裕次郎が
母と現れる。別に母がファンだったわけでは
ないが、母の傍でウロウロしていた。また、
鮫洲運転免許試験場にて免許更新に行く。考
えて見れば、次回の更新は還暦だ。人生は本
当に早い。何にも社会に貢献せずにこの世を
去る日が近づいている。
(運転免許証交付通知書)
(交付された運転免許証)

令和5年2月27日(月)
バイトの日
香典返しの注文書をポスト投函

令和5年2月28日(火)
夕方、築地本願寺本堂に行く。私は真言宗豊
山派を菩提寺に持つ人間だが、築地本願寺で
は朝と夕方に勤行をやっている。何故かお経
とお線香の匂いに安心感を覚える。確かに、
毎日自分で母の白木の位牌と遺骨の前で勤行
を約30分やっているが、それとは別に、耳
で聴いていたい心境なのだ。当然、真言宗と
浄土真宗本願寺派のお経は異なるが、浄土真
宗本願寺派のお経本も所持しているので、僧
侶が何を読経しているのかは分かる。
①嘆佛偈
②三誓偈
だった。

令和5年3月1日(水)
この日は、先日の母と石原裕次郎の夢が気に
なり、石原裕次郎氏の墓参りをした。特別に
母がファンだったとか言うわけではないのだ
が、何故か知らないが足がお寺に向かってし
まった。初めて行くが、引き寄せられるよう
に、迷わずに辿りついた。一応、お寺の場所
は昔大きく報道されていたので知っていた。



令和5年3月2日(木)
母の三七日(みなのか)である。菩提寺に墓
参りをして、父とYS氏に速やかなる母の安
寧と成仏を祈った。2日まで文殊菩薩様が母
の守護に当たる。明日からは普賢菩薩様に守
護されて9日までお導きを受ける。また、四
十九日用に、喪服レンタル店に予約を入れた。
(花を入れ替えた)

私の人生、どうやら仏心から離れられないよ
うだ。昔から生きるだの死ぬだのと言うこと
を思考しなければならない運命だったように
思う。真言宗だの浄土真宗だの曹洞宗だの日
蓮宗だのと言うのは、その時に出会ったタイ
ミングで異なるだろうし、私自身は問題にし
ていない。たまたま私は真言宗豊山派と言う
お寺にお墓を持ったので今こうして檀家とな
っている。お経をはじめとした信仰の中心は
真言宗豊山派であるが、他宗派の主張も尊重
しなければならないと思う。

真言宗は空海
天台宗は最澄
浄土宗は法然
浄土真宗は親鸞
臨済宗は栄西
曹洞宗は道元
日蓮宗は日蓮
時宗は一遍
が宗祖であるが、元はお釈迦様の教えがそれ
ぞれの人の解釈で伝えられたものである。ま
た、お経と言うのは8万4千ものが存在する
が、その中からそれぞれの宗祖が重視した経
典がその宗派の中心的教えになっている。例
えば、真言宗なら大日経と金剛頂経だ。日蓮
宗なら法華経である。何が最も優れているか
と言うのは判断しづらいが、般若心経と法華
経というのは古来から読まれ続けている点で
優れていると言えよう。

また、私の菩提寺は真言宗豊山派で大事な所
であるが、浄土宗は母方の菩提寺、浄土真宗
はぶらっと入ってお経を聴ける寺院、日蓮宗
系は私が若い頃にお世話になった人の宗派で
あり馴染みがある。従って、私にしたら何が
優れているかとか、そういった問題ではない
気がする。皆、必要不可欠な存在と言える。

とにかく、母の三七日(みなのか)が過ぎた
。そろそろ写経も開始して、四十九日にお寺
に持参したい。
(こんな写真が撮れた。静かに心を落ち着か
せたい)





令和5年2月23日(木)
母の火葬後に各種手続きを随時やっているが
少し疲れてきた。20日以降について時系列
で記しておく。但し 、あくまで私の場合であ
る。

令和5年2月20日(月)
今日はバイトの日。仕事中、母の人生を思い
涙腺が緩む。また、帰宅途中のターミナル駅
で下車し、大型デパートで病院へのお礼品と
して菓子折りを買う。また、自宅に私の国民
健康保険証(書換)が届く。まだ役所で手続
きをしていないのに届いた。古いのと違う部
分は世帯主の名前だ。多分、葬儀社が死亡届
を出したので、それと連動しているのだろう
。しかし、後述するが、私が世帯主になるこ
とは残念ながらないのだ・・・。
(私の国民健康保険証 書換)

令和5年2月21日(火)
母が入院していた病院に行き、入院費の精算
と残荷物の受取り。かなりの荷物だったので
タクシーで自宅まで運ぶ。いつもの面会時と
同じ風景で、病棟から母がひょっこり出て来
そうな感じがした。

病院職員は淡々と対応、長く入院した病院だ
が・・・、そんなものなのか。母は、かなり
看護師さんやヘルパーさんにキツく当たった
ようだ。その原因は昨今報道されている看護
師による暴力とまでは行かないだろうが、私
の知らないところで人権的に影響した部分も
かなりあったのではないだろうか。母の人生
は、この密室というか、閉鎖された中での治
療が長かったせいで、私とすれば母に申し訳
ない気持ちと同時に、自宅で服薬管理が期待
出来ず自傷他害という悲しい結果が予想され
る中、入院が一番安全だと私は判断した。そ
の中での他院看護師による入院患者への暴行
事件の報道。非常に悲しい事件であると同時
に、母が入院中、度々「この病院から出たい
(事件があった病院ではない)」と公衆電話か
らかけて来た。私はその話しを取り合わず、
直ぐに話題を変えたり電話を切ってしまった
。母にしたら唯一の家族から無視され、絶望
したことだろう・・・。

だが、他院だとそんなに長く母の面倒を診て
くれる病院はない。実際、母にとても親切な
ヘルパーさんや看護師さんがいたのも事実だ
。その狭間で私はどうすることも出来なかっ
た。仮に退院させて自宅で私が服薬管理をし
ても、母は服薬を拒否するのは目に見えてい
る。いずれ共倒れは間違いない。悲惨な結果
になっていたに違いない。どちらにせよ後悔
は私が生きている間は一生残る。その懺悔の
意味もあり、寺院への参拝やお経を唱えて、
母の成仏を願っているのだ。

母の荷物を自宅に置き、直ぐに最寄りの水道
局事務所で名義変更。比較的簡単に済んだ。
その帰り道に東京ガス宛に名義変更書類を記
入した封書をポストに投函。電気も東京ガス
で契約しているが、何だか同時には出来ない
らしく、先ずはガスから手続き。

(東京ガス 名義変更依頼書)

令和5年2月22日(水)
今日は大変だった。母が亡くなり13日目だ
が、14日以内にやらねばならないことがあ
る。母の後期高齢者保険証の返納期限が明日
までだが、明日が祭日なので今日が期限にな
る。役所に行き、
①後期高齢者保険証の返納
②介護認定証(要介護4)の返納
③介護限度額認定証の返納
④私の書換前の国民健康保険証返納
も行った。①の返納時、葬祭費給付の申請も
同時に行った。

そして、一番の問題が都住への母の死亡届で
ある。これが私にとって肝心要のことになる
。かつて、私は親元から離れて生活していた
が、新しい鉄道の工事で立退きとなり、更に
母の精神状態も不安定となり都住の実家に戻
ることになるが、実家なので世帯主は母であ
る。当時、平成19年以降、親から子への世
帯主継承が出来なくなることが分かり、私は
その前に世帯主変更しておきたく母に申し伝
えたが、「ここは私の家だから名義変更はし
ない」の一点張りだった。既に母の精神状態
が悪く、いくら説明しても継承の意味が理解
出来ないようだった。結局、母が名義変更を
強く拒否した為に世帯主の継承がされないま
ま今日に至ってしまった。従って、自動的に
期日が来たら退去となる。しかも今の私は
通院中、低所得層に入る。センターの職員も
制度上のことしか言わない。要は「制度は制
度だから仕方ないでしょ」ということのよう
だ。これも報いかも知れない。警察の委託の
仕事で、交通違反者から「勘弁してくれ、点
数がない。免停になったら食べていけない」
と何度も言われた。その時、私は今日のこの
センターの人のように事務的に対応したよう
に思う。「違反は違反、法律に従ってやって
ます」と。一体、人情とは何だろう。決裁権
がない人間に何が出来るのだろう。交通違反
を無かったことにすれば私は罰せられる。だ
から当時の私の措置は正しいが、しかし、正
しさというのはこの世の社会でのシステムの
話しであり、やはり遠因には『報い』だと私
は思う。今後、どうするかは退去猶予中に検
討していく。
(今日、住宅センターで貰った用紙)

令和5年2月23日(木)
今日は、母が亡くなってから『ふた七日目』
に当たる。自宅で朝の追善供養の勤行をして
午前中に菩提寺にお参りした。同時に30日
に行う四十九日法要の塔婆の申込みをした。
 更に、本位牌の申込み用紙をポストに投函し
た。更には足立区西新井にある西新井大師に
寄った。今日は本堂に沢山の人が集まってい
た。100人以上はいた。私も本堂に上がっ
た。ちょうど菩提寺の帰りだったので念珠と
経本を所持していた。西新井大師と菩提寺と
は同じ宗派なのでお経も同じである。僧侶が
何人も出て来て、勤行を始めた。
①九條錫杖
②妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五偈
③仏説摩訶般若波羅蜜多心経
④光明眞言
⑤本尊寶號(ほんぞんほうごう)

多くの人は僧侶のお経を有り難く聴いている
だけだが、私の目的は同じ時間同じ場所にい
ても異なる。フタ七日目の母の追善供養とし
て一緒にお経を唱えているのだ。特に④の本
尊寶號では、先祖供養の廻向は母の戒名で唱
えた。

初七日から四十九日まで、それぞれの忌日に
おいて仏様が母に付いて仏の道を教えてくれ
ると言う。初七日は不動明王、フタ七日が釈
迦如来である。明日から3月2日までのミ七
日が文殊菩薩となる。

母の身体は亡くなり骨となったが、まだ私が
母にしなければならないことは、先ずは四十
九日までの追善供養のお経である。従って、
正直、長時間の涙が出ない。手続きなどに忙
しいのもあるだろう。私自身の体調もそれほ
ど良くはないが、自分でやるしかない。しな
ければならないことがあるうちは責任という
名のもとにやっているが、いずれ感情に大き
な穴が開くような気がする。しかし、人間は
誰でも愛別離苦がある。絶対逃れることは出
来ない。問題は、それを共有出来る家族がい
るかいないかの違いだろう。