生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -12ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和5年(2023年)8月20日(日)
前回、7月上旬に日記をアップしてから約1
か月以上が経った。この間、私にとっては目
まぐるしい日々だった。特に引越しは最たる
出来事だ。しかもエアコンのない37℃の部
屋でひたすら荷造りである。作業も捗らない
。結局は引越し当日までに間に合わず、荷造
りが終わったものだけ運んでもらい、残って
しまったものはレンタカーを借りて徹夜で旧
宅と新居を4往復した。

引越し当日が8月8日、公営団地の明渡し日
が9日、要は9日午後までギリギリかかった
が、何とか旧宅の鍵を住宅公社に返却するこ
とが出来た。明渡し日以降に返却してしまう
と現状回復免除が得られないばかりか、延滞
損害金まで徴収されてしまう。

いずれにせよ、形だけでも引越しが終わるこ
とが出来た。20日現在も新居の部屋にはダ
ンボールが山積みになっているが、とりあえ
ずの生活が可能なので、少し涼しくなったら
整理していこうと思う。

そして、知人から14日に電話があり、弟が
体調悪く入院したと連絡があった。この知人
とは3月15日に母を亡くした知人のことで
ある。私もその弟さんとは面識がある。思え
ば、彼ら兄弟はこの社会に翻弄されながらも
力を合わせて生きて来た。私は不思議な縁に
よって14歳の時に近所に住んでいた彼らを
知ることになるが、兄弟皆がそれぞれ障害を
持ち、グループホームやB型作業所(時給約
230円)に通い生活保護を受給しながら生
活していた。こうした環境下で東京下町に住
んでいれば多くの場合で某団体の加入者であ
ることが想像される。彼らもそうである。

しかし、彼らはそれほど熱心な団体活動を行
っている様子もなく、私を勧誘するわけでも
ないので何ら問題なく付き合っていた。とこ
ろが驚いたことに、今年3月、彼らの母親が
亡くなり、私はお墓参りに行ったのだが、彼
らの菩提寺はその活動団体のお墓ではなく、
私と同じ真言宗豊山派であることが分かった
。しかも立派な五輪塔のお墓で、東京都某区
の教育委員会の立看板まで建っていた。彼の
父親の血統はかなり由緒ある家柄で、本来な
ら金持ち一家なはずだが、それぞれの事情で
子孫は障害を持ち、満足な学問や仕事を得る
ことが出来ずに細々と生きて来たのだ。翻っ
て、私が14歳の時、何となく野球の仲間と
して出会い、40年以上も付き合っていたの
は目に見えない縁があったからだろうと思う

そして、その彼の弟が14日に入院し、翌日
15日の午後6時3分に熱中症により亡くな
ってしまった。57歳だったそうだ。

彼は3月に母を亡くし、時を置かずに仲の良
かった弟も亡くしてしまった。本当に悲しい
だろう。何の言葉も今は無力だと思う。同時
に彼を苦しめる問題は菩提寺と当該団体との
調整ということだろう。但し、当該団体も彼
のお墓が教育委員会指定ということから、あ
まり事を荒立てたくないのではないか。他宗
であっても目を瞑っている。結局は都合で決
まる。事実、彼の父親も母親もこのお墓で眠
っている。弟さんもその五輪塔に入るだろう

人間の人生、全く悔いなく死んで行くことな
ど中々出来ないと思うが、弟さんほど悔いを
残したであろうと思う人もいない。人間、や
はりこの社会で何らかの貢献をして死にたい
ものだ。弟さんも同じだと思う。

確かに社会に強い影響を残すことなど普通の
人間には出来ないが、何処かの会社に一定期
間在籍して、その継続益に資する程度が人間
の一生だとしても、弟さんの人生では会社に
属して働いていた期間は極めて短く、腰を痛
めて車椅子になってからは自宅のベッドでテ
レビのリモコンとスマホをいじっている時間
が長く、同居する兄やホームヘルパーと短時
間の会話をすることくらいしか無かっただろ
う。

改めて思う。人間はやはり『時間』で生きて
いるのではないだろうか。ある時間を区切っ
て人間はこの世とあの世を分かつ。必ずある
時刻から先を生きることは出来ないのだ。勿
論、一般的にその瞬間は医師の死亡宣告の時
刻を境に決まるが、実際は違うのではないだ
ろうか。医師は一定の基準(呼吸停止、脈拍
停止、瞳孔拡大)という確認で死亡宣告する
が、意識という点から考えると果たしてどう
なのだろう。

また『脳死』という場合は脳だけが機能を停
止した状態であり、治療によって心臓を動か
して呼吸を維持することが可能である。『植
物状態』というのもたまに聞くが、こちらは
脳死とは違うので、後遺症が残っても回復す
ることがある。

弟さんは令和5年8月15日午後6時ジャス
トはあっても午後6時5分は医学的には無か
った。私にもいずれその瞬間が来るだろう。
ただ、幸いにも弟さんは教育委員会指定の五
輪塔で眠り、一家の先祖として祀られるが、
私は戒名もなく無縁仏に直行する。遺骨も果
たしてどうなるか分からない。その人間に家
族がいなければ遺骨はゴミ扱いであることに
変わりはない。特に私のように現世に於いて
『人間的優しさ』や『人徳』に欠けた人間は
遺骨などどう処理されてもやむ得ないだろう
。何処かの知らないお寺の無縁仏となり、他
人の遺骨とごちゃ混ぜになる。従って、父や
YS氏、そして母の供養と同時に今から自分
で自分の供養の為に仏壇に向かう日々である

19日、私は川越の喜多院及び成田山川越別
院に参拝した。喜多院の本堂と五百羅漢にて
知人の弟さんの成仏を願った。弟さんは21
日午前中に都内の火葬場で荼毘に付されるが
、火葬場には知人が入っている宗教団体の婦
人が1人参列してくれるそうだ。生活保護を
受給しているので殆どが区市町村自治体から
費用は出ると思うが、供養するにも制限があ
る。どうか弟さんに来世があるならば、健康
な体で生まれ、社会で活躍し、多くの人に愛
される人生を歩んで欲しい。それとも、もう
人間は懲り懲りだと思っているだろうか。私
はもう人間は懲り懲りだ。

(川越喜多院)

人間は皆生きている環境がかなり異なる人が
多い。異なるのは良いとしても、個人が1つ
1つの集団下では独特な精神状態というか空
気感に罹患して矛盾が蔓延る。分かりやすい
のが政治家だ。個人は立派で高邁な演説をし
て魅力的な理念を掲げるが、政党という組織
の中にどっぷりと嵌まれば、自分の信念は何
処へやら、次期選挙の公認欲しさに国民の生
活よりも政党組織の都合に合わせてしまう。

残念ながら与党ばかりか野党議員も似たよう
なものだ。政党の看板を背負って当選してし
まえば、大なり小なり組織に合わせなければ
仕方がないのだろう。

政治家もまた家族がいる。本音では顔や名前
も知らない有権者よりも家族や所属政党が優
先される。それによって、顔や名前を知らな
い支援者がひっそりとこの社会やこの世から
脱落してもその政治家には何の痛みも生じな
いのだ。また、政治家よりも省庁の幹部職員
の方が大問題だと私は思っている。彼らの殆
どが親やその前の世代から安定した環境下で
生活している。勿論、それが悪いわけではな
いし、そんな人間がおかしな性格になるとは
限らない。問題は自分よりも苦しい生活をし
ている人間に心を寄せられるか、ということ
だ。知人のように健康を害して生活保護を余
儀なくされている人々の本音は理解出来ない
だろう。

これは何も政治家や官僚に限られない。マス
メディアも同じである。彼らも比較的裕福な
家庭環境で育ち、マスコミに入社後も年収が
かなり高い。従って、彼らの思考は似ている
と思う。最終的には権力ある組織に靡くので
ある。組織に反発して自分や家族の生活を脅
かすことはしない。公共という機能も、それ
を運用するリーダーによって変わるのである

同時に、我々国民も思想信条的に右派の思考
の人は生活弱者を頑張りが足りず甘えている
というのが基本軸にあり、人間的に下に見て
しまう。左派は一見温かい行動を見せるが、
その生活弱者が前向きに頑張ろうと行動する
と、それを応援支援するよりも「お前には無
理だ」というニュアンスで出鼻をくじき、態
度が急に冷たくなる。

人間が確固たる信念を持つことは大切だと思
うが、一方で自分と異なる人を排除してしま
う。残念ながら私もかつて警察の委託を受け
た仕事で組織のリーダーを約9年間携わった
が、排除してはいけない人間を異動させ、排
除しなければならない人間をそのままにして
しまった経験がある。その事で組織がバラバ
ラになってしまった。組織は肉や魚と同じで
『ナマモノ』である。常に新鮮とは限らず次
第に腐っていくのだ。

文脈が横道にそれてしまったが、知人の弟さ
んがどうか安らかに仏道に登って行けるよう
に、この世から応援したい。彼らの本当に信
仰すべき対象は、彼らの菩提寺の真言宗開祖
である弘法大師空海、新義真言宗開祖の興教
大師覚鑁上人、そして真言宗豊山派第一祖の
専誉上人である。しかし、彼らが様々な困難
の中で身近に支えてくれたのはこの団体の人
々だったのだから、それに口を挟む必要はな
い。

「信仰の対象が何であるか」、という問題は
それぞれの家庭によって、又は個人によって
異なるだろう。個人の心の本音がどうなのか
を他人がああだこうだ推論しても仕方ない。
同時に、その回答・判断がどうであれ、私に
は大切な知人であることに変わりはない。そ
の知人を私以上に支えてくれたのだから批判
する方がおかしい。

(川越喜多院の五百羅漢にて)

大抵の家庭にはお墓があり、自分で強く意識
しなくても何処かの宗派に属している。例え
ば「貴方は何宗ですか?」と日本人が日本人
に質問して「仏教です」と真面目に答える人
はいない。大概、浄土宗だとか日蓮宗とか答
えるだろう。そして、何宗だろうが、そもそ
もの起源は紀元前5世紀頃に古代インドで生
きていた『仏陀・釈迦・釈尊』という人物の
教えが人づてに伝わり、微妙に変化脚色され
て今日に至っている。この仏陀より後に生ま
れたのがキリストだから、仏教の方が古いの
だ。

キリスト教やイスラム教は、生きている時の
行いが良ければ天国で永遠の命が与えられる
とされているが、仏陀は『輪廻転生』を説い
た。死んだとしても、また何かの命を得てこ
の世に生まれ変わる。この輪廻から抜けるこ
とが出来れば、苦しみから開放されて安らぎ
を得られると言う。仏教の究極的な目標は生
まれ変わらないようにすることなのだが、そ
れはかなり難しいことであり、それならば生
まれ変わっても来世は少しでも安らげる場所
に、と言うことなのだ。ただ、どんな宗教宗
派だろうが、現代は資本主義の中で動いてい
る以上、宗教的な美辞麗句をいくら並べて見
ても、人間的矛盾や理不尽の中で組織は運営
されているのだ。宗派と檀家という表向きの
関係と、住職と寺院役員会の間では人間臭い
感情の揺れ動きがあるだろう。そう考えると
、現代では純粋に死生観を見つめて生きてい
る人はこの社会で生きて行けないのだ。私は
長く委託業者として警察に出入りしていたが
、交通取締り活動も純粋に交通事故防止を願
ってという人よりも、現場は個人や署内の実
績向上と評価、幹部は国庫や自治体への『交
通安全対策特別交付金』の収入という考え方
が強いように思った。ただ、それが悪いとは
思わない。何故なら、反則金や違反金が信号
機などの購入費や修理代になるという制度の
中では仕方ない。比較的に東京都の道路が整
備されているのは取締り件数が多いからだろ
う。

さて、現実の人間の一生には様々な困難や理
不尽な出来事がある。個人を切り取って見て
も、ある時は他人に理不尽を与えられ、ある
時は他人に理不尽を与える存在となる。その
繰り返しである。人との出逢いもそうだから
、なるべく理不尽を与えられたり、他人に与
えずに済む人と出逢いたいと願うのだが、当
人同士だけに限らず第三者の存在によっても
変わってしまうのだ。

知人や弟さんが、その団体の存在が希望や勇
気となり、日常生活の支えとなっているなら
ば、それは人生の『灯り』であろう。一番肝
心なことは、それぞれの『死生観』である。
自分の死生観がしっかりしていれば生死は大
した問題ではないのかも知れない。その覚悟
がないうちに亡くなることほど気の毒なこと
はない。私自身もまだその覚悟がない。そん
な時に、突然命を失ったら魂の居場所も失っ
てしまう。弟さんは8月14日に入院し、1
週間くらいで退院する予定だと医師から聞い
ていたらしいが、翌日に命を失う。覚悟など
皆無だろう。知人も弟さんが亡くなる数時間
前に本人と携帯電話で会話をしている。余命
宣告されたわけではないのだから、その衝撃
は計り知れない。

(川越喜多院にて)

今はただ、弟さんが3月に亡くなったお母さ
んに連れられて無事に四十九日までの道程を
歩んで欲しいだけだ。

つづく


令和5年(2023年)7月3日(月)

今月から7月。令和5年も下半期に入った。
母が亡くなった2月10日は東京は冷たい雪
が降っていた。あれから4ヶ月と23日が過
ぎるが、母の火葬時と四十九日法要で読経し
て頂いた菩提寺の住職も6月に遷化してしま
った。まだ60代である。これから色々と教
えてもらいたいことがあったが本当に残念。
四十九日法要と納骨の時、住職はかなり体調
が悪かったが、呼吸が苦しい中でも、しっか
りとした美しい声で経をあげて頂いた。住職
もまた母が火葬された火葬場で同じく火葬さ
れた。私も告別式に参列したが、参列者の殆
どが法衣を着た僧侶という不思議な光景が火
葬場に広がっていた。

当たり前だが、人間はいつか必ず死ぬ。どん
なに愛して大切に思っている人とも必ず別れ
が来る。そんな自然な人間社会にあって、昨
今は千葉県市川市で思想的な妄想で親を殺し
て解体したり(令和5年6月29日記事)、
兵庫県神戸市では家族同士が幼児を殺して遺
棄したり(令和5年6月26日記事)神奈川
県横浜市鶴見区では、一度は大好きになって
その恋人の幸せを願い交際していたはずなの
に、相手に依存して付きまとい殺してしまう
(令和5年6月30日記事)。

(母親殺し )

(子殺し)


(失恋相手殺し)

ここまで人の命が軽視される時代は大東亜戦
争以来ではないだろうか。否、戦争体験者が
少なくなったことで、再び人間の心が荒廃し
ているのかも知れない。それは個々の内心に
宿る『自他の命』の価値に対する想いではな
いだろうか。自分の命の価値が重くなれば他
人の命の価値は軽くなり、そのまた逆もある
。最近は若者と中高年との心の分断が激しく
なった。その根底に社会における様々な負担
である。現実問題、今の若者が高齢者を社会
的に支えなければならない。しかし若者は満
足にこの日本で生活出来ていない。例えば、
奨学金という借金を背負って大学を卒業して
も、満足な収入が見込める会社に就職出来る
のは一握りの若者。大卒で日給月給の仕事や
非正規の仕事に就く若者もかなりの人数だ。
私は思うが、人材派遣業を営む経営者は良心
の呵責を感じないのだろうか。このような経
営で国力が上がると思っているのだろうか。
ガタガタ言うなら、外国人労働者を入れれば
良いと開き直っているかも知れない。

自分の将来が不安な中、自分の親さえも将来
面倒見られないという状態で、水知らない他
人を社会的に支えることなど想定出来ない。
しかし、国が従来の社会システムでそれを求
めようと若者を追い込めばその怒りや不満は
中高年や障害者、病弱者、生活保護受給者、
或いは文句を言わなそうな従順な人間に向か
うのは自然の流れだろう。間違いなく未来あ
る若者の負担になる。同時に、介護施設や精
神科病院等の外部から閉鎖された場所では、
職員のあらゆる不平不満が入所者や患者に向
かう。母は入院中に職員から虐待を受けたと
私に言うことは無かったが、言葉の暴力は売
り言葉に買い言葉で何度もあり、病院を変え
てくれと頻繁に言われた事はある。だが、こ
れも転院した先でも同じだったので、些か本
人にも原因があったのだろうと思った。ただ
一度だけ千葉県某市の病院に転院させた時は
治療方針のストレスから体重が30キロ台ま
で落ちてしまい、流石に私から病院に文句を
言って再び転院させたことがある。これは今
でも正解だったと思う。様々な要因があるが
、組織がおかしな事をすれば職員もおかしな
事をする。

従って、国が若者対策に比重を置けば中高年
の生活や命は軽視せざる得ないだろう。以前
、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊とい
う人物が「実費負担出来ない透析患者は殺し
てしまえ」と主張していた。最早、人間の命
は物品と同じ価値であり、このような思考に
なってしまうほどそれぞれの日本人の深層心
理の心の中には、似たような気持ちが潜んで
いる気がする。しかもこうした思考をした人
物がハイレベルな学歴と大企業に就職してい
た分別あるとされる人間なのだからどうしよ
うもない。また、数年前に若いブロガーが生
活保護受給者とホームレスについて、生活保
護者を救うなら猫を救って欲しい、自分にと
って必要のない命は軽いという主張をしてい
た。後に謝罪したが、これは多くの若者の心
に潜む感情かも知れない。若者が日本で生き
残るには不要な中高年は社会から排除したい
という思考になっても不思議ではない。だが
、それはいずれ自分も排除される運命となる
。嫌でも人間は年齢を重ねる。

日本人は周りの空気感に敏感で、それに呼応
する。その空気感を醸成する装置がマスメデ
ィアだ。長谷川豊氏もマスメディアの集団の
中で人格を形成して来た人物だ。マスメディ
アの中にも殆ど戦争体験者はいないだろうか
ら『生きる』とか『死ぬ』というのは取材対
象外は概念の世界となる。私も自分の周りの
人間の『死』からしか想像がつかないので所
詮は限られた死生観に基づいているが、国家
の破綻というか『日本』という名前があって
もそこに活き活きと生きる国民の姿が無けれ
ば国家の破綻と言えよう。その渦中で分断が
進めば、国家的に役に立たない中高年を処分
していく、些か北朝鮮顔負けの政策も決して
夢物語ではない気もする。


いずれにせよ、自分の周りの人々の命の大切
さが軽くなれば、水知らない街ですれ違う人
々の命など無に等しい。自分に利益をもたら
さない人間、そんなのは生きる価値がないと
さえ深層で思考しているのではないか。次第
にそんな冷たい時代が来る。私も苦手な性格
の人がいる。なるべく距離を置きたい人もい
る。意識していないが嫌いな人も存在するだ
ろう。しかし、私がその人を嫌いでも、その
人を心から愛して頼る人も多い。同時にその
人も誰かを心から愛している。こうした人の
命の価値が決して軽いわけがない。人は人の
中で生き、家族を形成している。少なくとも
『家族』という単位に支えられ生きている。
先に記したブロガーの「生活保護者を救うな
ら猫を救って欲しい、自分にとって必要のな
い命は軽い」という主張も、彼がどのような
環境下で生きて来たのかで思考が分かる。ま
た、ブロガーであると同時にメンタル系のジ
ャンルで活躍する人間らしいので、彼自身の
人生で、何かしらの困難を感じたからこそ、
その分野で勝負していると思うが、彼の中で
弱者を見るのがきっと怖いのかも知れない。

私の場合、最早、家族と呼べる実在する人間
は全て失った。その意味で私は精神的に『欠
陥ある人間』と呼べる。人間の精神、心の基
礎を司るものは全て『家族』という単位から
始まる。家族から社会を見つめて人格を形成
していくものだ。

過去の日記で何度も触れているが、私の幼少
期からマトモな家族像で生活したことは無か
った。しかし、分かることは父も母もYS氏
も、それぞれがこの日本社会の中で家族以外
の集団や他者との関係性に埋没しながら必死
に生きて来たということだ。結局、人間が現
実社会の中で生きるということは『正論』だ
けでは成り立たないのだ。

最近、これから未来のある若者の負担になる
ならば、私もまた早いところ『命終い』をし
たいと考えることがしばしばある。政治経済
を見ても、部分的にマトモな主張をする政党
もあるが、とかく集団は全体主義性を帯びて
おり、その政党の全てに同調しないと応援は
なかなか難しい。部分的に政策が異なれば、
やはり集団の中で私は浮いてしまう存在とな
る。

特に私のような心に『欠陥ある人間』は異な
る主義主張に賛同或いは妥協して協調性を向
上させるほどの心の余裕はない。何故なら、
次第に自分の考えからズレても団体から距離
を置いたり抜け出せる勇気が私にはないから
だ。従って、幾つかの賛成出来る政策がある
政党でも最初から団体には加入しない決意を
している。自民党にも公明党にも、立憲民主
党や国民民主党、日本維新の会、日本共産党
や社会民主党、れいわ新選組や参政党、政治
家女子48党、皆それぞれ政党としてのカラ
ーがあり、政策についても私は部分的に共感
する内容もあるが、政党の支援団体に入れば
必ず私の思想とズレることがあり、顕在又は
潜在の圧力が加わって私の居場所は失うだろ
うと想像する。

ましてや、現役の国会議員でさえ今回のLG
BT理解増進法案(性的マイノリティーの人
たちへの理解を増進することを目的とした法
律案)や出入国管理・難民認定法改正案、イ
ンボイス制度、そして防衛費増額や敵基地攻
撃能力が言われているいわゆる安保三文書法
案(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛
力整備計画)には様々な反対意見があったが
、組織の論理で一部党議拘束がかかり賛成を
投じなければならなかったとされる。これは
詰まるところ次期選挙の公認を人質にしてい
る。本質ではない全く別のことが圧力となり
法律案が通ってしまうのが政党政治なのだ。

それぞれの選挙区で支持を集めた国会議員で
さえ魂を売るのだから、私のような小市民、
公に発言権のない人間が政治的な団体に所属
していたとしても私の心の支えにはならず、
縁遠く薄いものなのだろう。政党政治の限界
を感じるのは私だけだろうか。従って、何処
の政党の色もないので日常生活の上で政治的
な恩恵もあやかれない。一番最初にこの社会
で潰れていく人間だろう。安保三文書の動機
の根本は台湾有事に備えた整備だろうが、核
戦争が起こらなくても日本は食糧の殆どを輸
入に頼っているので、食糧生産量は減少して
トラック配送も出来なくなる。日本人は大東
亜戦争時の兵士同様に飢餓に苦しむだろう。

防衛費増額して米国から武器を大量購入して
も、それを動かす自衛官等の体力や人員が維
持出来ないと思う。こんな中、酪農家に牛乳
を廃棄させ、コメの減反政策については5年
前に打ち切ったが、現在も生産量は減ってし
まっている。日本の食料自給率は先進国最低
レベルの37%だと言われている。野菜を作
るにしても、牛や豚などの家畜のエサ代、そ
の他の化学肥料は殆ど外国産だ。しかもウク
ライナ戦争によって石油価格の高騰で穀物価
格も高騰している。電気代の高騰の背景には
原発推進の醸成が狙いとも言われている。ま
た、FMS協定下で米国産の型落ち武器ばか
り購入して我が国を本気で防衛出来ると考え
ているのだろうか。政官財の第一線で活躍す
る大学出のエリートが分からないはずがない
。分かってはいても、組織人として和を乱さ
ない為に黙って従っているのだろうか。

まもなく安倍晋三氏が殺害されてから一周忌
になる。安倍晋三氏については様々な評価が
ある。私は必ずしも全ての政策が正しかった
とは思わない。中には国民を苦しめた政策も
あると思うが、仮に政権が交代していたとし
ても、大した違いはないと思うのだ。

(安倍氏銃撃からまもなく1年)

ただ、安倍晋三氏と岸田文雄氏では、やや安
倍氏の方が米国やロシアと話しが出来たので
はないかと思う。令和4年2月下旬、安倍晋
三氏はテレビ番組の中でウクライナ戦争につ
いて語った。その中でロシアについて見解を
述べている。要はプーチン大統領としたら米
国とNATOが東方拡大する中、彼は不信感
を覚えたのだろうと。「ウクライナの侵攻は
領土的野心というよりはロシアの防衛と安全
確保という観点から行動を起こしたのではな
いか」と言っている。この思考で安倍晋三元
首相がロシアに乗り込み、プーチン大統領を
宥めて説得してしまったらウクライナ紛争は
終わってしまう可能性もある。紛争を機にひ
と儲けしようとする集団がいたとしたら計算
が狂ってしまう。バイデン大統領がこの安倍
晋三氏の発言を聞けばケシカランと思うだろ
う。安倍晋三氏はその後、旧統一教会絡みで
殺害されてしまう。

実際のところ、日本の国家構造は未だ大東亜
戦争の敗戦利得者によって支配され、政界も
財界も官僚も本気で国民の幸せの為に汗を流
す人物は少ない。否、構造的に国民の為の政
策が難しいのかも知れない。我が国の情報と
カネを流すことで現在の日本の立場が維持さ
れている気もする。要は完全に独立国になっ
ているわけではなく、未だ隷属下にある。

このように見ていけば世襲議員個人に全ての
責任を押し付けるのは気の毒とも言えるが、
この米国依存という戦後体制から勇気を出し
て、命懸けで米国と交渉出来る人物が出て来
ない限り日本の経済も防衛も希望はないと思
うのだ。
「米国に物を言ったら、殺されるかも知れな
い」
という深層心理の中で、自他政党のドタバタ
劇に奔走する政治をやっていても何も変わら
ない。選挙をやればやるほど短絡的で耳目を
集める候補者が当選して、喜ぶのはワイドシ
ョー番組を持つテレビ局ということになる。
ましてや米国企業は豊かになりつつも米国民
の貧困化が進んでいる今、どんどん日本人の
富が米国に上納されて、日本国民はバイデン
政権のATMとして利用され、身も心も弱体
化してしまっている。

やはり私は国家国民の本当の独立・安全保障
は、やはり憲法改正又は自主憲法からしか復
活はないだろうと思う。その上で、
・日米合同委員会(日米地位協定)
・日米構造協議
・年次改革要望書
について改善を図って欲しい。委員会出席中
の日本官僚が、今尚、戦時中の原爆や空襲、
沖縄戦で恐怖に陥れられたマインドを潜在意
識に抱えたまま会議を開いても有効な発言は
なかなか難しいだろう。

また、 岸田文雄氏は普段は実直な良い人で嫌
われるリスクを回避するタイプに見えるが、
外(外国)には気前が良く内(国民)には厳
しく見えてしまう典型的日本人タイプだ。今
の時代、良い人が利用され、身内(国民)が
命を落としたり苦しみ体力のない人々から政
府の人身御供となってしまう時代だ。


地に足が付かず、「政治がどうのこうの」と不
平不満を述べ、こんなことを考えている私は
やはりどうしようもない。政治を語れば、い
つの時代も見落とされる人間がいるものだ。
従って、先ずは自助で何とかするのが健全な
国民と言える。それが出来ない人間は国民で
はないのだ。結局、私が自助で生きるにはな
かなかハードルが高いようだ。希望なく命終
いも選択肢にあるが、ふと思うのは私のため
に生きた母や父を二度死なせてしまうのでは
ないか、ということなのだ。私が死ねば母や
父、YS氏を回想する人もいない。この呪縛
に今、苦しんでいる。

そこで私は生命流転、輪廻転生について考え
てしまう。輪廻転生するならば一回の命に固
執する必要はない。輪廻転生とは、人が何度
も生死を繰り返すことだ。この人生に疲れ果
てるなら、来世に希望を繋いでも良さそうな
ものだ。しかし、次に生まれる世界が死ぬま
でに行った行為、いわゆる「引業」、引業と
は生前に行った悪行のことらしいが、私の場
合、輪廻転生=死後があるならば地獄行きは
決定だろう。問題は自裁が悪行なのかだ。ま
た引業では、次に生まれ変わる世界が決まる
ようで、生まれ変わった世界での容姿、家柄
、知性などが決まるという。だが、本当だろ
うか。


そもそも釈迦は輪廻転生=死後を否定してい
たのだろうか。専門家によって解釈が異なっ
ていて定かではないが、輪廻転生=死後を否
定した場合、『因果』も否定しないと辻褄が
合わなくなることは確かだ。

釈迦の『癡慧地経(ちえじきょう)』には、
「彼、身に悪行を行じ、口と意に悪行を行じ
、すでにこの因、この縁ありて、この身壊れ
て命終わり、必ず悪処に至り、地獄の中に生
ず」

死んだ後の輪廻について語っているのだ。一
方で、たとえ釈迦がそう言ったとしても、釈
迦自身は人間なのだから超越した死後の世界
を見通せるはずはないだろうとも思ってしま
う。しかし、究極は釈迦が言いたいことは縁
起だろう。縁起とは他との関係が縁となり生
起することだ。原因と結果ということ。

同時に弘法大師空海が説いた『即身成仏』の
解釈が今の私にはしっくり来る。生きたまま
仏になるということ。仏=大日如来を受入れ
るということだ。本来であれば、菩提寺の住
職にこのことについて指導を仰ぎたかったが
遷化してしまった。だから、大切なことは、
今会える人には会っておいた方がいいという
ことだ。また、この世に完全なものは一つも
ない、その現象がいつまでも続くものでもな
いと仏教は説く。命もそうだ。心もそうだろ
う。

先に記した事件記事にある被害者本人やその
家族、或いは被疑者の家族が「生前に悪行を
したから早くに死ぬ運命、苦しむ運命なのだ
」となれば、「分かりました。今回の人生は
諦めます」と、そんなバカなことにはならな
いだろう。

私は今、心から思うことは誰かを憎んだり恨
んだり、そんな精神状態で命を終えるのだけ
は避けたいと思う。人間はそれぞれに立場や
縁、環境によって思考が変化する。冒頭に挙
げた事件記事の被疑者もまた、違った思考で
物事を捉えていれば現実も変わったものにな
っていただろう。

何だかんだ記したが、今、私の精神状態は令
和4年9月以降、母の体力がてきめんに弱く
なり、その後、医師から余命を伝えられ、令
和5年2月に亡くなり、更に現在住んでいる
公営住宅の名義変更が石原都政以降出来なく
なり、8月中に退去しなければならない状況
だ。この約10ヶ月間、心穏やかな日はない
。今もなお、その渦中にいる。

つづく


令和5年(2023年)6月4日(日)
5月20日は母の百ケ日供養で菩提寺に足を
運んだ。また、令和5年5月21日、広島サ
ミットが閉幕したが、私の思うことについて
記したい。更に、YS氏が平成6年6月4日
に自裁してから今日で29年目にあたる。5
月20日に続き菩提寺へ行き、YS氏に特化
した哀悼を行った。

(令和5年6月4日、菩提寺にて撮影)

母が亡くなり、百ケ日供養を個人でお墓参り
という形で済ませ、本来ならば悲しみから一
段落をつけて新たな自身の人生を歩むスター
ト地点なのであるが、やはり賃貸アパートの
名義変更がどうなるのか・・・、という心配
事が深層心理の中にあるため、まだ本当の悲
しみと向き合えていない気がする。私が病弱
者と認定され名義変更が可能となるのか、或
いは無事に引越しが完了するのか、その後で
ないと自分の感情が瓶の蓋を閉めたままの状
態になっている気がする。賃貸アパートの政
策に深く関わっている政党勢力と関わりがな
い私では、なかなか根回しも出来ない。既に
かかりつけ医から都立病院の紹介状を書いて
もらい、都立病院での検査も終えて診断書を
受け取った。後は住宅公社に提出するだけで
ある。

(退去を予告する通知)

今更感だが、母の具合がテキメンに悪化した
のが昨年(令和4年)の9月中旬〜10月頃
である。その前の令和4年5月26日木曜日
に内科医から説明があり、「定期的に撮影して
いるCT画像で、肺にすりガラス状の肺炎の
白い影が見えていたが、前回の撮影時と大き
さも変わりないので大丈夫でしょう」と母も
同席して説明を受けていた。その8日後には
病院から特養老人ホームの入居の打診を受け
ている。私は提出書類の作成等を行っていた
が、結局、母本人が現在の病院のままが良い
ということで私や主治医に申し向けたことと
、環境変化で具合が悪化するのも心配なので
特養の件は保留となった。その頃、再びコロ
ナ禍の影響で面会が出来なくなってしまった

5月の内科医の説明から4ケ月後の9月中旬
頃から母は食欲も急激に落ちて、そんな中で
10月15日にインフルエンザワクチンの接
種を実施している。それ以前にも新型コロナ
ウイルスのワクチンを数回接種しているが、
母自身これまでにもインフルエンザワクチン
でさえ接種後に体調を崩す体質だった。度重
なるワクチン接種で、もしかしたら寿命を縮
めてしまったのではないかと私は強く後悔し
ている。

実際、令和4年10月25日の面会の際、か
なり浮腫みと手足の皮膚炎が激しかった。2
日後の28日には病院から電話があり、熱が
38度以上、食事も摂れないので点滴を開始
したと連絡があった。浮腫みや皮膚炎は10
月以前から顕著ではあったが、やはりワクチ
ンが悪さをしたと考えている。少なくとも新
型コロナワクチンが最初に高齢者に接種され
た令和3年5月以降から、浮腫みと皮膚炎が
酷くなった気がする。しかし、同じタイミン
グで完全に車椅子生活となり、ずっと座って
いる姿勢でいることから浮腫みだしたとも言
えるので素人の私には何とも言えない。この
10月28日からが少しずつ定命が尽きて行
くタイミングだったと今にして思えばそうと
も考えられる。

(母の皮膚炎、令和3年)

確証はないが、体感的に私は新型コロナワク
チンとインフルエンザワクチンの接種が母の
寿命を加速させてしまったと疑っている。母
のワクチン接種券をこの私が病院に運んだこ
とが母を死に近づけた要因になった気がして
ならない。当時のワクチン担当大臣だった河
野太郎議員が令和3年1月の本会議で「令和
の運び屋」という表現を使ってワクチン調達
の円滑性を表明していたが、私もまた、母の
死期を近づけるパスポートを病院に運んだ正
に『運び屋』に違いない。

同時に、医師は何の躊躇いもなく入院患者に
接種するだろう。精神科病棟の入院患者をは
じめ、身寄りがなく、しかも自身で問診票を
書けない患者なら医師が勝手に接種可能にし
てしまうのではないだろうか。

新型コロナワクチンは国策であり、任意とは
言え接種することが国民の義務とさえ感じて
しまう世の中だ。特に日本は右だろうが左だ
ろうが残念ながら全体主義に傾く傾向がある
。それを『協調性』とも呼んでいる。令和5
年6月現在でも約5割の国民がマスクをして
いる。私は5割ではなく8割がマスクを付け
ていると思う。

(ヤフーのニュース記事)

殆どの国民は自分の頭で考えていないか、自
分の意思があっても周囲の空気感を優先して
しまう。これを斜に構えて『異常』だと思っ
てしまう私の頭がオカシイのだろうか。いず
れにせよ、既に日本人は極めて濃度に洗脳さ
れ、残念ながらそこから抜け出せないだろう
。街中でマスクをしていないのは外国人か、
ちょっと協調性が足りない私のようなひねく
れた人間くらいである。

また不思議に思うことは、何故か医師が患者
等にワクチン接種すると病院や医師にカネが
入る仕組みになっているということである。
病院やクリニックに勤める医師がワクチン接
種会場でバイトをすると、時給約2万円とい
う自治体があると言う。日給でも2万円とい
う仕事はなかなかないが、それが時給2万円
だ。午前9時から午後6時まで昼休みを除く
計8時間労働をした場合、たった1日で16
万円の収入になる。人材派遣会社の中抜きが
あったとしても相当の額だ。多少、ワクチン
に疑問を持つ医師でも病院経営や自身の収入
に繋がるのならばワクチンの安全性が確実に
担保出来なくても接種してしまうのではない
か。

国策であれば仮に接種により接種者の具合が
悪くなっても、或いは最悪亡くなったとして
もそもそも任意だし、所詮は他人の命だ。自
分に責任が及ばないし、表立って誰も接種し
た医師を追及しない。「国策なら裁判を提起
されたとしても、そもそも日本は本当の三権
分立ではないから安心だ」と考える人間がい
ても不思議ではない。医療ビジネス色が強く
なると、公衆衛生の方向性を誤るだろう。マ
スメディアが流す内容だけを頼りにすると必
ず間違うと私は思う。

最近、新型コロナワクチンの不穏な情報が少
しずつ明らかになるにつれ、私の後悔の度合
いが増している。ある団体がワクチンの緊急
使用許可を出した『米国食品医薬品局(FD
A)』に対して裁判を提起し、ファイザー社
から提出された治験データの開示命令の判決
が出された。それだけでもまだ米国の方が民
主主義国家で健全だと言える。日本の場合、
国策で行われた行為に問題があってもデータ
内容は黒塗りだろう。国民の命よりも省益が
最優先される国家だ。

さて、その開示内容が衝撃的で、ワクチンに『酸化グラフェン』というものが入っている
らしく、これは身体の電気信号に異常を与え
、それが毛細血管を詰まらせたり、血栓を生
じさせると言うのだ。その他にも『遺伝子組
換え』だの『スパイク蛋白』だのと難しい言
葉が並び私には分からない。しかし、コロナ
禍になってからコロナそのものよりもワクチ
ン接種後の方が確実に人口が減っている。い
わゆる『超過死亡者数(過去の死亡数の推移
から予測される範囲を超えた死亡数)』が極
めて異常値なのだ。

最近、NHKニュースがワクチン接種後の死
亡者をコロナ死亡者と意図的に言い換えて報
道し、各方面から批判を浴びた。日本は間違
いなくマスメディアによって国民大衆を洗脳
している。原稿を読むアナウンサーに責任は
ない。彼等は会社員であり、上層部から下り
て来たものを職務として守っているだけだが
、思考停止する可能性は高い。マスメディア
というのは広告主を頂点とした企業である。
たとえNHKだとしても政府がスポンサーの
ようなものだ。何においても中立無私という
ことはない。どうしても私の場合もマスメデ
ィアからの情報を先ずは信じてしまう。その
情報が現実だと信じる。しかし、その現実が
私が感じる現実と本当は一致しないこともあ
るはずだ。

勿論、高齢者が増えているから亡くなる人も
比例して増えているという理屈も成り立つが
、それを折込済みで超過死亡者数というのが
設定されている。長期の自粛により持病を悪
化させた高齢者が多かったことも一因と言わ
れているが、果たしてどうなのだろうか。人
為的に仕組まれたパンデミックと解釈をする
知識人も増えてきた。

免疫学で有名な東京理科大学名誉教授の村上
康文氏は「コロナワクチンのブースター接種
(接種を繰り返すこと)は、1〜2回目では
変化が目立たないが3回目からその健康被害
が顕在化する。打てば打つほど被害が増える
」と述べていたり、京都大学医生物学研究所
准教授の宮沢孝幸氏は「政治と製薬企業が組
んでプランデミックを起こし、ワクチンで儲
ける自作自演の茶番劇が今回のコロナ騒動の
本質である可能性が高まっています・・・、
ウイルスをばら撒いている人たちとmRNA
ワクチンを開発して売り捌いている人たちは
グルである可能性が高いのではないか・・・
、政治家も政府も巻き込まれ、騙されたと考
えるのが妥当」と雑誌で述べている。

私のような素人は「ワクチンは安全だから接
種しろ」と言う右派専門家らの言葉と、村上
教授や宮沢准教授のような指摘をする研究家
との狭間で迷うのだ。確かに我が国では、予
防接種法第9条によって「努力義務」とされ
接種に法的拘束力はない。接種する・しない
の選択を国民個人に『自己責任』として委ね
ている。同時に、体制側に支配された多くの
病院で入院中の患者とその家族達は、その治
療方針(院内感染予防)に逆らい、たとえそ
れが『任意』とされているワクチン接種だと
しても、接種を「受けません」と申し出れば
強制退院させられる可能性は極めて高いだろ
う。入院時の誓約書にも病院方針に従えない
場合は退院させると規定している病院もかな
りある。

しかし考えて見れば、接種してもコロナに罹
る人は現在も多く、ワクチンが感染症予防に
有効かは甚だ疑問である。何度もワクチン接
種をした医師や看護師がコロナウイルスに罹
り、強制的に休職させられるケースもある。
接種するほど体力が弱くなっていないだろう
か。何度も接種するのは、アルファ株、デル
タ株、ラムダ株、オミクロン株といった変異
株に対応した為なのだろうが、当初の株とオ
ミクロン株では全くの別物らしいが、ワクチ
ンは同じ抗原体に対応している為に抗体が上
がってしまうと逆効果になる、要するに具合
が悪くなると主張する専門家もいる。同じ抗
原体に対応というのだから、素人考えでも1
つの免疫に強力に作用すれば、他の免疫には
脆弱になり体内で免疫変化が生じてしまうの
では、と心配になる。前述した宮沢氏は更に
某雑誌で、「mRNAワクチンは自分も攻撃し
てしまう乱暴なワクチンなので、こんなもの
を認可していいのか―私は声を上げ続けてき
ました。」と。

このワクチンに対して否定的な見解を持つ人
を「反ワク」と呼び、非国民のような仕打ち
を受け、「陰謀論を叫んでいる頭のオカシイ
奴」と一蹴される。一方、海外では反ワクを
主張する団体にカンパのようなカネが大量に
集められて様々な活動費に流用されていると
も言われている。要は反ワクが単なる「反政
府」とリンクしてしまい、左翼運動の一貫に
なっている。

反ワクの抗議デモ等は、昨今の経済不況によ
り社会不安と孤独感が遠因となりながらも、
同じ目的を持つ個人が連帯意識を醸成出来る
場ともなっているのだ。従って、反ワクが単
なる免疫学的立場からの純粋な疑問というよ
りも、広範な社会思想問題とリンクした活動
となっているので、それはそれで私の立場と
異なる気もする。

結局、ワクチン推進も反ワクも、どちらもシ
ステム化された『社会問題ビジネス企業(団
体)』に一般国民は翻弄されていると思う。
確かにワクチンの製造過程で、酸化グラフェ
ンのようなおかしな物質を含有させたとして
も、製造に携わった研究者達が一様に人口削
減を目的に製造を続けていたわけではないだ
ろう。また、ワクチンのROT番号で安全な
ワクチンと危険なワクチンを別々に製造、管
理して容器に入れて梱包及び発送し、更に接
種会場で意図的にそれを振り分けている、と
いう壮大な人口削減計画を実行したはずもな
いだろう。

現在、アジア諸国の総人口が全世界の人口の
59%となっており、世界経済フォーラム
(WEF)のメンバーの中で人口削減を唱え
る人もいると言う。最初に人口抑止として唱
えたのがマルサスというイギリスの経済学者
だそうだ。その後、スイスの民間シンクタン
クがこのまま人類総数が増え続け経済を成長
させようとすると、資源が枯渇し食糧不足と
なり人類は滅亡すると主張している。その先
にあるのは、誰を生かして誰に死んでもらう
のかという問題に突き当たる。仮にそれをや
っていたとしたら人体実験をやったことにな 
る。

上記の企みを一人で実行出来るはずがないと
思う。必ず共犯者をかなりの人数必要になり
、タイミング良く行動しなければならないし
、大勢の人間に口止めをしなければならない
。これだけインターネットやSNSが発展し
た今、人口削減という大きな陰謀を製造から
接種まで一貫とした統制及び体制で出来上が
っていないとこの目的は到底達成されること
はない。

先日、広島サミットが実施され、全国の都道
府県警察が団結して警備を行った。約2万1
千人の警察官(広島県警職員数は5千700
人)が広島に集結して警備は無事に終わった
が、実務では各級幹部及び部隊長同士の連帯
、交通規制や要人警護等の警察官配置関係、
パトカーや無線機の台数、無線周波数の割当
てと指揮命令系統のリンクの範囲、休憩、食
膳、トイレ等々、部隊運用の統制は大変だっ
たと思う。それと同じで、何か目的を達成す
るには大勢の人間が大なり小なり関わらねば
無理だ。その意味で特定のターゲットを狙っ
て陰謀が行われたとは考えにくいと私は思う
。但しジャニー喜多川氏問題のように、「こ
れって犯罪だよね、誰にも言ってはいけない
よね」という双方の利害に忖度を感じてしま
えば、良心の呵責に苦しんで心が破れるまで
自動的に公然の秘密となるだろう。

こうして考えると、明確に人口削減を目的に
しているというよりかは、製薬会社のビジネ
ス色が顕著に出ている結果なのだと思う。軍
産複合体と類似している。「副反応で多少の犠
牲者が出たとしてもウイルス学発展の為には
必要不可欠だから仕方ないのだ」という、要
は密かなる『人身御供』的なニュアンスで推
進したのだろう。人の命がカネ儲けの手段に
なったというのが私の認識だ。大昔のチベッ
ト仏教の前身だった民族宗教『ボン教、マニ
教』では、御霊神の精霊や鬼神に供物又は人
身御供という犠牲者を供えて人々の攘災招福
(じょうさいしょうふく)をはかっていたと
言う。

薬品の精度の向上とカネ儲けを図ろうとすれ
ばその空気感に言葉にならない行動力が生ま
れるだろう。戦争も同じだ。皆、一様に「平
和、平和」と叫ぶが、人間が平和を獲得する
には戦争で多くの血が流れないと平和はない
。ゆーとびあのような世界が仮に実現すると
するならば『国』という単位が消滅し元首も
なく、言語もなく、通貨もない、それこそ
『世界統一社会』を築かねばならない。

いずれにせよ、おかしな政策があっても特に
大人しい日本人なら文句は言わない。カネ儲
けは容易に達成され、しかも医療行為という
『善』の衣を身につけているのだ。厚生労働
省等の官僚ばかりか、与野党の政治家までそ
のオブラートに包まれた『善』の衣を鎧に格
上げして有難がっている。

先般、れいわ新選組の櫛渕万里議員が「与党
も野党も茶番だ」等と書かれた紙を国会で広
げて懲罰を受けたが、この程度で与野党議員
参加の懲罰委員会が櫛渕万里議員に登院停止
10日間の採決を下した。まるで共産主義を
感じさせてしまうが、当の日本共産党はこの
懲罰を「不穏当な言動」に当たるとは言えな
いとして反対している。おかしな現象だが、
自然な考え方だろう。

横道に逸れたが、私が言いたいのは、ワクチ
ンが人体に悪影響を及ぼす可能性が0でない
ならば、それを科学的に調査して正確に発表
して欲しいということなのだ。世界的規模の
パンデミックで国策として推進すれば、疑わ
しいことが生じても別の要因にしてしまい、
現実に不都合な調査結果が出ても権力者や推
進専門家、世論を誘導したマスメディアやコ
メンテーターの責任が追及されることはない
。追及されれば外国資本にも甚大な損害が出
てしまう。外交問題に発展する。発展すれば
省庁役人や政治家の人事にまで及ぶ。最早、
国民の生命・財産以上に大事なことがこの社
会に存在してしまっている。

私に言わせれば、日本の官僚や政治家が未だ
に戦後体制を引きずり、本当の意味で国民の
幸せを考えた政治(仕事)を行わず、月に2
回、官僚と米軍が会議をして実質的に日本の
法律を決めているのだから櫛渕万里議員では
ないが、『茶番』などというのを通り越した
状態だとさえ思えるのだ。本当に対等な日米
同盟に持って行けるようにするのが役人の仕
事だ。日本の官僚の頭脳は優秀なのだから。

(スポーツ報知の令和5年6月1日の記事)

実際問題、このまま米国一辺倒の外交をやり
続ければ中国やロシアを敵に回すことになる
ので大変だと思う。だからと言って、私は父
の出生地である樺太や北方領土、尖閣諸島に
対する理不尽な経緯は納得出来ないが・・。

とにかく米国一辺倒では、再びトランプ氏が
大統領に返り咲けば、飽くまでもトランプと
いう人物は米国第一主義者なので経済の為な
ら中国やロシアと手を結ぶ可能性が高い。そ
うなった場合、蚊帳の外に日本が追い込まれ
ることになる。その時々の米国の政治姿勢に
追従して右往左往するだけでは国民生活は安
定しない。こんな体たらくな状態で「ワクチ
ンが個人によって害になるかも知れない、だ
からもっと調査研究しよう」という提案も外
国資本に飼い慣らされ奴隷根性が染み付いた
役人には響かない言葉かも知れない。未だに
マスクをピッタリ付けている(私も電車内で
は仕方なく付けている)のを街で見掛けると
、役人同様に精神の奥まで奴隷根性を貫き、
不安定な安心を手にする国民性では何を言っ
ても無駄なのかも知れない。その一人が私自
身だ。私もまたIQの低いいわゆるB層に入
る人間なのだろう。

そして、次に触れておきたいことがある。
平成6年6月4日に自ら命を絶った義父YS
氏の29回目の命日が今年である。来年の命
日は30年目の節目だ。私にとって、YS氏
の存在は極めて重い事実を持つ。以前の日記
又はブログ後記でもYS氏について書いたが
、私がYS氏に抱く思いは複雑である。しか
しこれだけは言えるが、母がYS氏と生活し
ていた約11年間は精神疾患で一度も入院し
たことがない。通院して薬をもらう程度で精
神状態は比較的安定していた。同時に、私も
高校進学やその後に携わる仕事の選択肢が増
えたと言える。

確かに、父の生前は私にとってYS氏は母の
不倫相手でしか無い人物だ。しかしその後、
私の心の葛藤を承知で学費等の面倒を見てく
れた。何よりも母を優しく愛してくれた人物
である。しかしその優しい性格ゆえに、転職
後に鬱病を発症して自ら命を絶った。

時々、芸能人の不倫の話題が世間を賑わす。
そして、ネットのコメント欄にああだこうだ
と賛否や人物評価が書かれている。しかし、
その賛否や人物評価は多分、当人の実情から
離れた認識かも知れない。一人の人間がどの
ような環境で生きて来て、これからどう生き
て行けるのか、という細部に関しては誰も知
り得ない。確かに感情を抑え切れずに軽いノ
リで双方が不倫をするというのもあるだろう
が、なかなかそんな人間は少ないと思う。他
人は反道徳的だから『悪』という評価で正義
心を燃やして当人を糾弾するが、不倫に至る
経緯を除外しているので本質は不倫した側に
『利』があるのかも知れない。

YS氏は、私に拒否されながらも誠実に母を
最期まで愛し、そして私の金銭面の面倒も見
てくれた。そう考えると、一人の男としては
極めて位の高い人物だったと言える。あのタ
イミングで母がYS氏と出逢ったのも、父が
亡くなったのも極めて何かの力が働いたとし
か思えない。とかく自死した人間の魂は成仏
しないとか言われているが、私の菩提寺の宗
派は真言宗豊山派である。開祖の弘法大師空
海は「即身成仏」を唱えた人で、成仏という
のは生きている間に仏になると言うことだ。
更に言えば、大日如来を心から受入れること
。従って、自死した場合、成仏せずに地獄の
まま留まると言うことではないのだ。

そんなYS氏も、ようやく母と一緒の墓に眠
る。そして父も人生に翻弄された悲しい人だ
った。人間、自分の理想とする人生を歩むこ
とは極めて難しいし、他者にその気持ちが届
かずに死んで行く人が何と多いことだろう。
生前、悩み苦しんだ三人が今やカロートの中
で並んで眠っている。右に父、真ん中に母、
左にYS氏。母を中心に楽しんでもらいたい



つづく