第360号 住職遷化と最近の事件について思うこと(令和5年7月3日) | 生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。



令和5年(2023年)7月3日(月)

今月から7月。令和5年も下半期に入った。
母が亡くなった2月10日は東京は冷たい雪
が降っていた。あれから4ヶ月と23日が過
ぎるが、母の火葬時と四十九日法要で読経し
て頂いた菩提寺の住職も6月に遷化してしま
った。まだ60代である。これから色々と教
えてもらいたいことがあったが本当に残念。
四十九日法要と納骨の時、住職はかなり体調
が悪かったが、呼吸が苦しい中でも、しっか
りとした美しい声で経をあげて頂いた。住職
もまた母が火葬された火葬場で同じく火葬さ
れた。私も告別式に参列したが、参列者の殆
どが法衣を着た僧侶という不思議な光景が火
葬場に広がっていた。

当たり前だが、人間はいつか必ず死ぬ。どん
なに愛して大切に思っている人とも必ず別れ
が来る。そんな自然な人間社会にあって、昨
今は千葉県市川市で思想的な妄想で親を殺し
て解体したり(令和5年6月29日記事)、
兵庫県神戸市では家族同士が幼児を殺して遺
棄したり(令和5年6月26日記事)神奈川
県横浜市鶴見区では、一度は大好きになって
その恋人の幸せを願い交際していたはずなの
に、相手に依存して付きまとい殺してしまう
(令和5年6月30日記事)。

(母親殺し )

(子殺し)


(失恋相手殺し)

ここまで人の命が軽視される時代は大東亜戦
争以来ではないだろうか。否、戦争体験者が
少なくなったことで、再び人間の心が荒廃し
ているのかも知れない。それは個々の内心に
宿る『自他の命』の価値に対する想いではな
いだろうか。自分の命の価値が重くなれば他
人の命の価値は軽くなり、そのまた逆もある
。最近は若者と中高年との心の分断が激しく
なった。その根底に社会における様々な負担
である。現実問題、今の若者が高齢者を社会
的に支えなければならない。しかし若者は満
足にこの日本で生活出来ていない。例えば、
奨学金という借金を背負って大学を卒業して
も、満足な収入が見込める会社に就職出来る
のは一握りの若者。大卒で日給月給の仕事や
非正規の仕事に就く若者もかなりの人数だ。
私は思うが、人材派遣業を営む経営者は良心
の呵責を感じないのだろうか。このような経
営で国力が上がると思っているのだろうか。
ガタガタ言うなら、外国人労働者を入れれば
良いと開き直っているかも知れない。

自分の将来が不安な中、自分の親さえも将来
面倒見られないという状態で、水知らない他
人を社会的に支えることなど想定出来ない。
しかし、国が従来の社会システムでそれを求
めようと若者を追い込めばその怒りや不満は
中高年や障害者、病弱者、生活保護受給者、
或いは文句を言わなそうな従順な人間に向か
うのは自然の流れだろう。間違いなく未来あ
る若者の負担になる。同時に、介護施設や精
神科病院等の外部から閉鎖された場所では、
職員のあらゆる不平不満が入所者や患者に向
かう。母は入院中に職員から虐待を受けたと
私に言うことは無かったが、言葉の暴力は売
り言葉に買い言葉で何度もあり、病院を変え
てくれと頻繁に言われた事はある。だが、こ
れも転院した先でも同じだったので、些か本
人にも原因があったのだろうと思った。ただ
一度だけ千葉県某市の病院に転院させた時は
治療方針のストレスから体重が30キロ台ま
で落ちてしまい、流石に私から病院に文句を
言って再び転院させたことがある。これは今
でも正解だったと思う。様々な要因があるが
、組織がおかしな事をすれば職員もおかしな
事をする。

従って、国が若者対策に比重を置けば中高年
の生活や命は軽視せざる得ないだろう。以前
、元フジテレビアナウンサーの長谷川豊とい
う人物が「実費負担出来ない透析患者は殺し
てしまえ」と主張していた。最早、人間の命
は物品と同じ価値であり、このような思考に
なってしまうほどそれぞれの日本人の深層心
理の心の中には、似たような気持ちが潜んで
いる気がする。しかもこうした思考をした人
物がハイレベルな学歴と大企業に就職してい
た分別あるとされる人間なのだからどうしよ
うもない。また、数年前に若いブロガーが生
活保護受給者とホームレスについて、生活保
護者を救うなら猫を救って欲しい、自分にと
って必要のない命は軽いという主張をしてい
た。後に謝罪したが、これは多くの若者の心
に潜む感情かも知れない。若者が日本で生き
残るには不要な中高年は社会から排除したい
という思考になっても不思議ではない。だが
、それはいずれ自分も排除される運命となる
。嫌でも人間は年齢を重ねる。

日本人は周りの空気感に敏感で、それに呼応
する。その空気感を醸成する装置がマスメデ
ィアだ。長谷川豊氏もマスメディアの集団の
中で人格を形成して来た人物だ。マスメディ
アの中にも殆ど戦争体験者はいないだろうか
ら『生きる』とか『死ぬ』というのは取材対
象外は概念の世界となる。私も自分の周りの
人間の『死』からしか想像がつかないので所
詮は限られた死生観に基づいているが、国家
の破綻というか『日本』という名前があって
もそこに活き活きと生きる国民の姿が無けれ
ば国家の破綻と言えよう。その渦中で分断が
進めば、国家的に役に立たない中高年を処分
していく、些か北朝鮮顔負けの政策も決して
夢物語ではない気もする。


いずれにせよ、自分の周りの人々の命の大切
さが軽くなれば、水知らない街ですれ違う人
々の命など無に等しい。自分に利益をもたら
さない人間、そんなのは生きる価値がないと
さえ深層で思考しているのではないか。次第
にそんな冷たい時代が来る。私も苦手な性格
の人がいる。なるべく距離を置きたい人もい
る。意識していないが嫌いな人も存在するだ
ろう。しかし、私がその人を嫌いでも、その
人を心から愛して頼る人も多い。同時にその
人も誰かを心から愛している。こうした人の
命の価値が決して軽いわけがない。人は人の
中で生き、家族を形成している。少なくとも
『家族』という単位に支えられ生きている。
先に記したブロガーの「生活保護者を救うな
ら猫を救って欲しい、自分にとって必要のな
い命は軽い」という主張も、彼がどのような
環境下で生きて来たのかで思考が分かる。ま
た、ブロガーであると同時にメンタル系のジ
ャンルで活躍する人間らしいので、彼自身の
人生で、何かしらの困難を感じたからこそ、
その分野で勝負していると思うが、彼の中で
弱者を見るのがきっと怖いのかも知れない。

私の場合、最早、家族と呼べる実在する人間
は全て失った。その意味で私は精神的に『欠
陥ある人間』と呼べる。人間の精神、心の基
礎を司るものは全て『家族』という単位から
始まる。家族から社会を見つめて人格を形成
していくものだ。

過去の日記で何度も触れているが、私の幼少
期からマトモな家族像で生活したことは無か
った。しかし、分かることは父も母もYS氏
も、それぞれがこの日本社会の中で家族以外
の集団や他者との関係性に埋没しながら必死
に生きて来たということだ。結局、人間が現
実社会の中で生きるということは『正論』だ
けでは成り立たないのだ。

最近、これから未来のある若者の負担になる
ならば、私もまた早いところ『命終い』をし
たいと考えることがしばしばある。政治経済
を見ても、部分的にマトモな主張をする政党
もあるが、とかく集団は全体主義性を帯びて
おり、その政党の全てに同調しないと応援は
なかなか難しい。部分的に政策が異なれば、
やはり集団の中で私は浮いてしまう存在とな
る。

特に私のような心に『欠陥ある人間』は異な
る主義主張に賛同或いは妥協して協調性を向
上させるほどの心の余裕はない。何故なら、
次第に自分の考えからズレても団体から距離
を置いたり抜け出せる勇気が私にはないから
だ。従って、幾つかの賛成出来る政策がある
政党でも最初から団体には加入しない決意を
している。自民党にも公明党にも、立憲民主
党や国民民主党、日本維新の会、日本共産党
や社会民主党、れいわ新選組や参政党、政治
家女子48党、皆それぞれ政党としてのカラ
ーがあり、政策についても私は部分的に共感
する内容もあるが、政党の支援団体に入れば
必ず私の思想とズレることがあり、顕在又は
潜在の圧力が加わって私の居場所は失うだろ
うと想像する。

ましてや、現役の国会議員でさえ今回のLG
BT理解増進法案(性的マイノリティーの人
たちへの理解を増進することを目的とした法
律案)や出入国管理・難民認定法改正案、イ
ンボイス制度、そして防衛費増額や敵基地攻
撃能力が言われているいわゆる安保三文書法
案(国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛
力整備計画)には様々な反対意見があったが
、組織の論理で一部党議拘束がかかり賛成を
投じなければならなかったとされる。これは
詰まるところ次期選挙の公認を人質にしてい
る。本質ではない全く別のことが圧力となり
法律案が通ってしまうのが政党政治なのだ。

それぞれの選挙区で支持を集めた国会議員で
さえ魂を売るのだから、私のような小市民、
公に発言権のない人間が政治的な団体に所属
していたとしても私の心の支えにはならず、
縁遠く薄いものなのだろう。政党政治の限界
を感じるのは私だけだろうか。従って、何処
の政党の色もないので日常生活の上で政治的
な恩恵もあやかれない。一番最初にこの社会
で潰れていく人間だろう。安保三文書の動機
の根本は台湾有事に備えた整備だろうが、核
戦争が起こらなくても日本は食糧の殆どを輸
入に頼っているので、食糧生産量は減少して
トラック配送も出来なくなる。日本人は大東
亜戦争時の兵士同様に飢餓に苦しむだろう。

防衛費増額して米国から武器を大量購入して
も、それを動かす自衛官等の体力や人員が維
持出来ないと思う。こんな中、酪農家に牛乳
を廃棄させ、コメの減反政策については5年
前に打ち切ったが、現在も生産量は減ってし
まっている。日本の食料自給率は先進国最低
レベルの37%だと言われている。野菜を作
るにしても、牛や豚などの家畜のエサ代、そ
の他の化学肥料は殆ど外国産だ。しかもウク
ライナ戦争によって石油価格の高騰で穀物価
格も高騰している。電気代の高騰の背景には
原発推進の醸成が狙いとも言われている。ま
た、FMS協定下で米国産の型落ち武器ばか
り購入して我が国を本気で防衛出来ると考え
ているのだろうか。政官財の第一線で活躍す
る大学出のエリートが分からないはずがない
。分かってはいても、組織人として和を乱さ
ない為に黙って従っているのだろうか。

まもなく安倍晋三氏が殺害されてから一周忌
になる。安倍晋三氏については様々な評価が
ある。私は必ずしも全ての政策が正しかった
とは思わない。中には国民を苦しめた政策も
あると思うが、仮に政権が交代していたとし
ても、大した違いはないと思うのだ。

(安倍氏銃撃からまもなく1年)

ただ、安倍晋三氏と岸田文雄氏では、やや安
倍氏の方が米国やロシアと話しが出来たので
はないかと思う。令和4年2月下旬、安倍晋
三氏はテレビ番組の中でウクライナ戦争につ
いて語った。その中でロシアについて見解を
述べている。要はプーチン大統領としたら米
国とNATOが東方拡大する中、彼は不信感
を覚えたのだろうと。「ウクライナの侵攻は
領土的野心というよりはロシアの防衛と安全
確保という観点から行動を起こしたのではな
いか」と言っている。この思考で安倍晋三元
首相がロシアに乗り込み、プーチン大統領を
宥めて説得してしまったらウクライナ紛争は
終わってしまう可能性もある。紛争を機にひ
と儲けしようとする集団がいたとしたら計算
が狂ってしまう。バイデン大統領がこの安倍
晋三氏の発言を聞けばケシカランと思うだろ
う。安倍晋三氏はその後、旧統一教会絡みで
殺害されてしまう。

実際のところ、日本の国家構造は未だ大東亜
戦争の敗戦利得者によって支配され、政界も
財界も官僚も本気で国民の幸せの為に汗を流
す人物は少ない。否、構造的に国民の為の政
策が難しいのかも知れない。我が国の情報と
カネを流すことで現在の日本の立場が維持さ
れている気もする。要は完全に独立国になっ
ているわけではなく、未だ隷属下にある。

このように見ていけば世襲議員個人に全ての
責任を押し付けるのは気の毒とも言えるが、
この米国依存という戦後体制から勇気を出し
て、命懸けで米国と交渉出来る人物が出て来
ない限り日本の経済も防衛も希望はないと思
うのだ。
「米国に物を言ったら、殺されるかも知れな
い」
という深層心理の中で、自他政党のドタバタ
劇に奔走する政治をやっていても何も変わら
ない。選挙をやればやるほど短絡的で耳目を
集める候補者が当選して、喜ぶのはワイドシ
ョー番組を持つテレビ局ということになる。
ましてや米国企業は豊かになりつつも米国民
の貧困化が進んでいる今、どんどん日本人の
富が米国に上納されて、日本国民はバイデン
政権のATMとして利用され、身も心も弱体
化してしまっている。

やはり私は国家国民の本当の独立・安全保障
は、やはり憲法改正又は自主憲法からしか復
活はないだろうと思う。その上で、
・日米合同委員会(日米地位協定)
・日米構造協議
・年次改革要望書
について改善を図って欲しい。委員会出席中
の日本官僚が、今尚、戦時中の原爆や空襲、
沖縄戦で恐怖に陥れられたマインドを潜在意
識に抱えたまま会議を開いても有効な発言は
なかなか難しいだろう。

また、 岸田文雄氏は普段は実直な良い人で嫌
われるリスクを回避するタイプに見えるが、
外(外国)には気前が良く内(国民)には厳
しく見えてしまう典型的日本人タイプだ。今
の時代、良い人が利用され、身内(国民)が
命を落としたり苦しみ体力のない人々から政
府の人身御供となってしまう時代だ。


地に足が付かず、「政治がどうのこうの」と不
平不満を述べ、こんなことを考えている私は
やはりどうしようもない。政治を語れば、い
つの時代も見落とされる人間がいるものだ。
従って、先ずは自助で何とかするのが健全な
国民と言える。それが出来ない人間は国民で
はないのだ。結局、私が自助で生きるにはな
かなかハードルが高いようだ。希望なく命終
いも選択肢にあるが、ふと思うのは私のため
に生きた母や父を二度死なせてしまうのでは
ないか、ということなのだ。私が死ねば母や
父、YS氏を回想する人もいない。この呪縛
に今、苦しんでいる。

そこで私は生命流転、輪廻転生について考え
てしまう。輪廻転生するならば一回の命に固
執する必要はない。輪廻転生とは、人が何度
も生死を繰り返すことだ。この人生に疲れ果
てるなら、来世に希望を繋いでも良さそうな
ものだ。しかし、次に生まれる世界が死ぬま
でに行った行為、いわゆる「引業」、引業と
は生前に行った悪行のことらしいが、私の場
合、輪廻転生=死後があるならば地獄行きは
決定だろう。問題は自裁が悪行なのかだ。ま
た引業では、次に生まれ変わる世界が決まる
ようで、生まれ変わった世界での容姿、家柄
、知性などが決まるという。だが、本当だろ
うか。


そもそも釈迦は輪廻転生=死後を否定してい
たのだろうか。専門家によって解釈が異なっ
ていて定かではないが、輪廻転生=死後を否
定した場合、『因果』も否定しないと辻褄が
合わなくなることは確かだ。

釈迦の『癡慧地経(ちえじきょう)』には、
「彼、身に悪行を行じ、口と意に悪行を行じ
、すでにこの因、この縁ありて、この身壊れ
て命終わり、必ず悪処に至り、地獄の中に生
ず」

死んだ後の輪廻について語っているのだ。一
方で、たとえ釈迦がそう言ったとしても、釈
迦自身は人間なのだから超越した死後の世界
を見通せるはずはないだろうとも思ってしま
う。しかし、究極は釈迦が言いたいことは縁
起だろう。縁起とは他との関係が縁となり生
起することだ。原因と結果ということ。

同時に弘法大師空海が説いた『即身成仏』の
解釈が今の私にはしっくり来る。生きたまま
仏になるということ。仏=大日如来を受入れ
るということだ。本来であれば、菩提寺の住
職にこのことについて指導を仰ぎたかったが
遷化してしまった。だから、大切なことは、
今会える人には会っておいた方がいいという
ことだ。また、この世に完全なものは一つも
ない、その現象がいつまでも続くものでもな
いと仏教は説く。命もそうだ。心もそうだろ
う。

先に記した事件記事にある被害者本人やその
家族、或いは被疑者の家族が「生前に悪行を
したから早くに死ぬ運命、苦しむ運命なのだ
」となれば、「分かりました。今回の人生は
諦めます」と、そんなバカなことにはならな
いだろう。

私は今、心から思うことは誰かを憎んだり恨
んだり、そんな精神状態で命を終えるのだけ
は避けたいと思う。人間はそれぞれに立場や
縁、環境によって思考が変化する。冒頭に挙
げた事件記事の被疑者もまた、違った思考で
物事を捉えていれば現実も変わったものにな
っていただろう。

何だかんだ記したが、今、私の精神状態は令
和4年9月以降、母の体力がてきめんに弱く
なり、その後、医師から余命を伝えられ、令
和5年2月に亡くなり、更に現在住んでいる
公営住宅の名義変更が石原都政以降出来なく
なり、8月中に退去しなければならない状況
だ。この約10ヶ月間、心穏やかな日はない
。今もなお、その渦中にいる。

つづく