●何故、日本の一流大学で学んだ優秀な人材
がこうした日本を破壊する政策を行うのか?
それは、机上の空論か、他国の意を汲んでい
るのか分からないが、私には理解出来ない。
この日本を表舞台で動かす経団連(大企業経
営者)の人々、経産省や財務省を裏で動かす
世界金融機関の思惑を、教条主義的に実行す
る政治家や中央省庁の人々。
今回の外国人労働者大量受け入れは、経団連
が平成20年10月14日に示した「少子高
齢化社会・労働力減少社会の展望と対策につ
いて」という報告書がベースになっている。
その中で日本の若い世代が海外に流出し、だ
から外国人なのだそうだ。しかし、外国人が
大量に入って来るから、日本の若い労働力が
海外に出稼ぎに出てしまうのではないか。
併せて、水道事業の民営化の動きも経産省を
経由して、こうした組織が絡んでいる気がす
る。何でも民営化に頼る国家政策。私もその
一端を担っていた時期がある。多くの国民に
当該業務の不透明さ、不信感を与えたと同時
に、行政機関(警察)に対しても、私は委託
部署の責任者でありながら、その指揮命令系
統、指導教育に関し、部下たる勤務員を統率
する力量及び上司としての人徳に欠け、他部
署と比較しても実績が低調で迷惑を掛けてし
まった。
従って、民営化の話題に及べば心が項垂れる
が、水道民営化は「グローバリズムの考え方
」に同調した自公政権の舵取りが問題だと私
は思うのだ。更に言えば、緊縮財政、規制緩
和、自由貿易が同時に行われ、消費増税と法
人減税がセットで実行される。この緊縮を実
行に移した官僚はどんどん出世すると言われ
ている。
要は、貧乏人も支払う消費税は上げ、大手企
業(外国資本企業含)の法人税は下げるとい
う。従って、日本という国は、一部組織の富
のために動く国なのだ。これでは共産国家と
変わらない。
●日本は確実に共産主義に向かっている。力
ある者だけが人間らしく生きることが可能。
そんな国になりつつある。
共産主義とは何か?これは、19世紀のヨー
ロッパで始まった主張・運動である。要は、
『現在の社会を暴力的に転覆するしか革命は
出来ない』とする思想である。「暴力的」と
は何か?
昔は、爆弾や火炎ビンを使い、警察官や警察
施設、政治家を殺したり脅迫したりしていた
。更には共産主義者同士でリンチ殺人等も行
った(内ゲバ)。暴力的破壊行為という目に
見える形で国民を恐怖に陥れたのだ。
その現象が現在は、政党は違えど、数(民主
主義多数決)の論理で、所謂、法律を以て潜
在的に国民生活、国益を破壊しようとしてい
るのだ。私は、自民党から日本共産党まで、
あまり信用していない。
(2016年ロイター撮影)
昔の自民党ならば、ハト派からタカ派まで様
々な意見を持った人物がいて、なんちゃって
独立国の我が国でさえ国民の生活を考えてい
たように思う。しかし、現在は米国経済の悪
化、冷戦構造の終焉と共に米国からして「守
る国」から「金蔓国家」に変わったのである
。それをいつまでも「日本は常に米国と共に
ある❗」などと、対米従属丸出しの発言を総
理大臣が行ってしまうのは如何だろうか。
「良い人」と呼ばれる人は、身内を不幸にす
る。総理大臣からしたら身内とは国民のこと
である。
同時に、月2回、我が国の一部官僚と米軍幹
部が会議を開き、そこで何が決められている
のか?守らないと、我が国象徴に何らかの影
響が及ぶのか?
よくオカルト的に陰謀論が囁かれるが、そう
ではなく、米国は単に米国の国益のために動
いているに過ぎない。また、日米で会議内容
を公表しない取り決めになっている。その理
由は分からない。ただ私なりに想像するに、
現在の米国経済を回復すべく、米国戦略国際
問題研究所等の政策を日本が実現し、その結
果、我が国の国民が苦しむという帰結なので
はないだろうか?
だとしたら、米国の責任ではなく、我が国の
官僚、政治家がイエスマンというだけである
。これなら体力とディベート能力さえあれば
、夜間高校卒の私でも政治家になれるはずだ
。
先ず、経済界と政治の関係にメスを入れない
限り、大きな意味で変化は望めない。さなが
ら、その政策が改善しても、一個人の私に世
間並の経済力が今後見込まれることは難しい
だろう。社会的に終わった人間よりも、若者
の明るい未来に期待することの方が私には大
事だ。日本の若者がこれからの高齢者を支え
るのだから。
●社会の物事の動き、専ら戦後日本の流れは
、日米同盟(日米地位協定)という名の鎖で
国益を安売りしてきた結果だ。日本はアメと
ムチで利用され、良くも悪くも金蔓でしかな
い。だが、私のような一般国民が出来ること
は、その社会制度の中で知恵を使って生きて
行く以外ないのである。
一般社会での知恵は、時に他人を裏切り、傷
をつける。否、そう感じさせてしまう「心の
毒」がある。そして私は最早、日本の制度で
は満足に生きて行けないまで落ちてしまった
。その責任は私自身にある。自分の人生の選
択は、やはり自分だ。様々な意図を持つ人間
が私に接近し、私を自己の利益に利用した人
もいるが、その過程で、私も用意された中か
ら人生を選択したのだ。選択した以上、それ
は私に責任がある。
また、世間の流れは、「若者にはスマホ等で
ゲームをやっていて欲しい」、「何も考えず
流される情報を聴いているだけでいい」、た
だ「そうなんだ~」と受け身の姿勢で見て、
年を重ねていって欲しいというのが権力者の
考えだ。「政策のことは考えないで、ゲーム
をやっていてくれ、タレントやスポーツ選手
のスキャンダルで盛り上がっていてくれ」と
いうのが本音なのだ。
今や、電車やバスの乗客、仕事で休憩中の人
、ラーメン屋等で注文を待つ人々の9割がス
マホを終始弄っている。その姿に接し、私は
気持ち悪く感じた。ヘンな感覚だが私が20
代の頃の空と、30代以降の空では、同じ青
い空でも違って見える。何だか厚い透明の膜
のようなものが一枚あって、その外から空を
見ている感じなのだ。多分それは私の視力の
低下もあるが、もしスマホの電波に色が付い
ていたなら、空が見えないだろう。そんな私
も瞬間的に同類の人間と化すのだから、私も
どうしようもない人間である。そんな社会で
生きていれば、他人ばかりか、自分も信用出
来なくなる。
●私も50となり思うことは、若者に希望を
与えられる大人が(私を含めて)少なくなっ
たということだ。未だに50や60になって
も、組織の幹部から褒められて有頂天になる
お調子者の大人が多い。しかし、私の歳にな
れば褒められるより、他者を褒める側になら
ないと本物ではない。何故なら、この歳で褒
められるということは、「評価される立場の
まま」という証拠である。これでは、いつま
でも他者におだてられ精神を搾取され続ける
。
精神を搾取されるとは、相手(組織)の変化
する気分次第で自分の立ち位置が脆く変わる
ことなのだ。だが、組織人は些かのお調子者
かステレオ人間でなければ弾かれるのも事実
だ。ステレオ人間でなければ勤まらない仕事
もある。ステレオ人間とは、ある一定の物の
考え方をするパターン化された人間を指す。
集団で力を発揮する仕事で必要な人物である
。
同時に、今の20代から60代は、感性の違
いに大した違いはない。要は心理的に世代間
格差が狭いのではないか。
●大東亜戦争体験者と戦後生まれの人間の価
値観には心理的に隔たりがあるが、戦後生ま
れの人間同士に大きな違いはない。従って、
50や60になっても「精神的に若いねぇ」
と言われてしまう人が多いのもそのせいだろ
う。勿論、20代と50代では経験値が異な
るので、多少の判断に違いもあるが、個人的
背景として各種事象の思考に大きな違いはな
い。
また昔は、どんな仕事をしている人でも「大
人」というだけで見えない威厳があったが、
今は学歴、職業、役職、肩書きで人間的価値
が左右される。ところが、最近はそれさえも
威厳がなくなった。従って、定年退職後の人
生で地位が高かった人ほど、極めて精神的悲
惨な人生が待っている気がする。何故なら、
職場での人間関係、とりわけ堅い職業ほどそ
の役割で自分の価値観を築いていたからだ。
しかし、職場での常識は、定年退職後には通
用しない。
●ここまで色々と書いたが、とかく物書きと
いう人種は、性格的に融通が利かず、視野が
狭い人が多い。自分の考え方を「断定的」に
決めつけてしまうからだ。
しかし、人間が生きるということは、何かを
思考し、決断し、そして断定している。他人
も同じで、何かを断定・断言して生きている
。そうでなければ、人間は虚しさを感じてし
まう。そこに感情的な軋轢が生じ、他者ばか
りか、自分の感情とも対峙しなければならな
くなる。他人との「相性」がこれまで以上に
重要な時代になる。
私の精神は脆弱で気後れし、あまり他人と波
風を立てることを好まない。恐らく、100
人いて私と相性が合う人は多くて4~5人程
度だろう。しかし、200人ならば10人前
後いてくれる。それでも何とか生きていける
と思う。
他方、合わないだろうとされる残り190人
に対しては、迎合した「良い人」を演じる他
ない。その労力はかなり重圧である。
演じているから、他人からは「コイツは腹黒
い」とか「本音を言わないヤツ」と評される
。「良い人だけど、どこか信用出来ない」と
いう見えない心の壁も与えてしまう。職場で
いくら友好的に接していても、どこか空疎な
感情しか残らない。結局、良くも悪くも、自
分の心と向き合い、生きるしかないのだ。
所詮、他人の心を100%理解出来ないのだ
から、せめて他人の心を自分の心に投影して
理解する以外ない。理解出来ると思うのは、
他人の心を土足で踏み込むことであり、寧ろ
傲慢だろう。
●私の場合、上記述べた通り、迎合した「良
い人」として生きてしまった。その原因は心
理学的に「基本的信頼感」が足りないからと
される。
幼少期から、常に不安感、不信感という緊張
状態で過ごしてしまうと、次第に深層心理潜
在意識の中で、他人は私を利用する存在、傷
つける存在、貶める存在といったネガティブ
な思考で見てしまう。だれも心から信じられ
ず、疑うというのは、「基本的信頼感」の欠
如なのである。この欠如は生後3歳位までの
体験によるようだ。
自分の力を信じる能力、又は誰かを信じて頼
る能力というのは、人間関係の重要な部分で
ある。それが他者を愛することであり、愛さ
れる絆の端緒だろう。上司となれば、部下を
信じ仕事を任せ、後は俺が何とかするという
信頼感である。自分の上司に対しては、「も
し私に何かあれば上司が助けてくれる」とい
う安心感が礎となり、思いきって指揮命令が
出来るのである。
ところが、私の場合は基本的信頼感がない為
、味方かどうかという前提を育む能力がなか
ったのである。私にあからさまに敵意を示し
た直近の部下がいた。その役職ある部下は、
仕事は出来たが新人をどんどん潰して退職さ
せてしまった。
本来なら責任者として、私はこの部下を指導
するか、さっさと異動させる措置を取らなけ
ればならなかったが、引続きこの人物を中心
にして部隊を回してしまった。その原因の一
つに、この人物の人脈に忖度したことと、二
つは、私自身が自分の判断を信じる能力、所
謂「基本的信頼感」の欠如がである。
分かりやすく言えば、この人物に不利な人事
を本部に頼んでしまうと、私の味方になる人
はいないだろう、と言う喪失感だった。更に
私同様、この人物は家庭で極めて苦労してい
る人だった。彼はその役職を拠り所として、
新人教育等を通じ自分の価値を感じたかった
のだと私は思う。その気持ち(潜在的劣等感
)は、私自身にも多分にある。
もし、この人物を外すならば、私も役職を降
りなければならないという強迫観念があった
ことは間違いない。同時に、彼が私を嫌って
いたのは、多分、私という人間に自分を視た
のではないだろうか?
一つ自覚することは、私と合わない他人にも
心があり、その環境下・事情で生きていると
いうことなのだ。私を嫌っても、その人物は
誰かから愛され、そして愛し、信用され頼る
人がいる。その人物はその人物のコミュニテ
ィーの中で、賢明な存在として生きている。
確かに、素直に私を「良い人、良い上司」と
思ってくれた人もいただろうが、その何倍も
の人が顔も見たくないと思っているものなの
だ。俳優の故・宇津井健氏が著書の中で、自
分を好きだと言ってくれる人が100人いた
ら、嫌いでチャネルを替えようとする人が1
00人いる。役者が街を歩き、キャーキャー
言われると日本中が自分を好きだと幻想して
道を踏み外してしまうと記されていた。
そう考えると、人間同士の関係というのは、
感情的なものも含めて、環境、立場、取り巻
き等、あらゆる事情で私を嫌う訳である。そ
して、私に不利なことをして誇大しているの
だ。だが、こうした人物にも赦せる心を持ち
たい。それには、一定の距離を置く必要があ
る。しかし、許せない怒りというものも併せ
持つ必要があろう。
大事なことは他人の痛み(悼み)を自分に投
影することで、のべつ心の洞察力を養うこと
なのだ。今般の外国人労働者受け入れは、当
該外国人ばかりか、日本人も不幸にする法案
だと思うのだ。
次回に続ける。




