徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~ -49ページ目

徒然ぱんだ ~ダウン症★育児日記~

  
2011年1月11日生まれの息子、ももたろはダウン症です。

先天性の心室中隔欠損+肥大型心筋症という合併症。そして喘息もち。

育児、ダウン症についてなど、思いつくまま書いてます。

療育手帳の更新時期になりました。

と、市から手紙が届き、あぁまた休みを取らなきゃ…と思いながら行ってきました児童相談所。




ももたろは、検査では中度判定ですが、身体障害との合併で、手帳は重度扱いです。




身体、知的、ともに重度の障害。
なんだか物々しく感じられますが、それで受けられるサービスも変わるので、検査は慎重に…



…できませんでした。



検査内容が実年齢レベルから始まり、ももたろには難しすぎて、すぐに飽きてきちゃった。




それに、いつものOT、STで使っている用具は木の型はめが多いのですが、絵で出されると、例えば同じハサミでも違うものと思うらしく、わからなくなってしまうももたろ。




心理士さんの、検査の用具出しのタイミングも合わなかった。



いろんな人やブログ記事で、出来が良くて判定が良くなっても、うれしい反面困るような、

出来が悪くて等級が上がっても、うれしくないけど、受けられるサービスが増えて複雑な気持ちだとか、良くわかる。



どうでもなるようになれー、と思いながら臨んだつもりでしたが、いつもならもっとできるのにーっ!と思ってしまいました。




でも実際、長くて、私も疲れた。
検査の後に、心理士さんの質問に親が答えていくんだけど、これがまた長い。




着替えはどのくらい自立か、食事の好き嫌いはあるか、お友だちとの関わり方は…



何一つ、自信持って答えられなかった。



ムスメもそうだけど、ホント、全てにおいて育児は保育所任せなんだよな、私。



卒園式で深く後悔と反省をしたはず。
でも、一緒に居られる時間の短さは、内容の濃さでカバー…もできてない。



たっぷり2時間。
ももたろのことをよく知らない自分と向き合う時間でした。



大体の結論。
発達は2歳前後。
背伸びしようにもできず、順当なB判定。
今回も身障合併で、Aになります。




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ムスメ、保育所の卒園式を迎えました。



保育所、なのに卒園?
でも卒所とは言わないよなぁ。
だいたい、式をしたって31日までは今までどおりお世話になるんだしなぁ。



なんて、一人ツッコミしながらも、絶対卒園式は泣くだろうから、ハンカチは4枚、ポケットティッシュは3袋とゴミ袋を用意していきました。




保育所生活は6年間でした。



生まれた時からよく泣き、ミルクも母乳もうまく飲めず、体重が増えずに悩み



育児書に、赤ちゃんは寝てばかり…なんて書いてあるのに、この子は寝ないし泣いてばかりで、どこかおかしいんだろうかと悩み



育児書は育児書。ムスメはムスメ。育児書に合わせるんじゃなくて、ムスメを見て、ムスメに合わせればいいんだと気づいて、育児が気楽になったのもつかの間



育休は終わり、ムスメは9ヶ月で保育所に入りました。




ムスメもその頃には、ハハの存在を認めてくれていたようで、保育所に預けると大泣き。



最初の頃の慣らし保育は、たったの2時間くらいだったと思いますが、ずっと泣いて、保育所の先生ですら心配してました。




いつの間にか泣かなくなり、ずり這いだったムスメはハイハイができるようになり



立った、歩いたのも、保育所。



遊んで、食べて、お昼寝して、遊んで、という生活リズムを整えてくれたのも保育所。




トイレを教えてくれたのも保育所。



そしてももたろが生まれて、まさかのダウン症+心疾患+喘息。




ももたろの療育に、病院に、入院もあり、ムスメに時間をかけたり、構ったりしてあげられなかったこと



あまりに早い成長と、ちゃんと母親らしいことをしてあげられなかった後悔と




この6年、ムスメが幸せになるような人生の土台を、私は作ってあげられたのか



感謝、後悔、喜び、切なさ、希望…
いろいろな想いが私の中で渦巻き、式の間、というより保育所に入る時から涙が出てたのですが…
もうずっと泣き通しでした。



先生のお話、保育証書授与、歌や花贈呈…
もう、全部泣けた泣けた。
なんで保育所、卒業なんだろう。
まだまだ私にとっては、保育が必要なムスメなのにな。



退場は、子どもと親が手をつないで会場を一回りしてから。
その時の歌が
「今、歩き出すムスメちゃんに、拍手を贈ろう」
と歌う。



あぁ、新たな一歩を、ムスメは踏み出すんだな
と、思い、また涙。



これを書いていても泣ける。




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仕事をしている以上、ムスメにも負担をかけてしまうことはたくさんあって。



朝、保育所へ出かける時、いつの間にか彼女が「お仕事がんばってね」と言うようになっていた。



朝から夕方まで保育所。
なぜか大きくなってきてからのほうが罪悪感のようなものを感じてしまいます。



ムスメにも気を遣わせているのか…と。



だけどこれは私の生き方で、我が家のスタイル。
共働きは、ムスメにもわかってもらわなくてはならないこと。



母親として、足りないところはいっぱいで、育児の時間的にも内容的にも、保育所におんぶにだっこの私でした。



保育所にはムスメを温かく育ててもらい、悩み多きハハを助けてもらい。



そんな包容力たっぷりの保育所を出て、ムスメは小学校という新たな環境へ。



ハハのあまり知らなかった保育所での生活。
小学校ではきっともっと複雑なことが起きてくるでしょうけど…



ムスメよ、経験を楽しもう。
がんばりすぎず、自分のペースで。



ハハも不安いっぱいだけど、ムスメが不安になった時、道案内を必要とする時、力になってあげられる存在でいたいです。



保育所と、その先生方
本当に、本当に、ありがとうございました。
もう何度言っても、足りないくらい。
ありがとう!




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3.21

Googleのトップ画面は、残念ながら春分の日でしたが。


3月21日は、世界ダウン症の日なんですよ。


来年こそ、Googleトップに!




去年に続き、今年もJDSのイベントに参加してきました。
場所は亀有。



司会の笠井アナが、亀戸と間違えた、という話をしてましたが、


私もです。



オットに、亀有ってどう行くの?と聞かれ、


総武線でしょ?
たしかカメリオホールとかだよ?


…しっかり者のオットが調べ直して、ちゃんと着けました。

葛飾区亀有。
かめありリリオホール。



あー危なかった。



オープニングは二人のドラム演奏から。
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力強いドラム!
カッコよく楽しく演奏してました。
両手足がそれぞれのリズムを刻むドラムは、とても難しい…マニュアル車の運転みたい。



その後にはお歴々のご挨拶。
韓国の方、厚生労働省の方、外務省の方、文部科学省の方。

国からの来賓をお招きできる大イベントを開催できるJDS。
長年の精力的な活動が、行政との繋がりを深めてきたんですね。



家族それぞれが幸せに暮らすことはとても大事だし、それを世間の人に知ってもらうことは意義があります。



だけど、行政に知ってもらい動いてもらうことで、大きなバックアップが得られ、弱い立場になりがちなダウン症をはじめとする障がい者の権利擁護に繋がります。



官を、堅苦しいとか難しいとか敬遠しないで、味方につけていくことで、自分も生きやすくなるんですよね。




そして、奥山佳恵さんとたちばなかおるさんのトーク。

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席が後ろだったからね。
写真が遠いけど。



奥山さんは3歳のみらいくん、たちばなさんは今度小学3年になるユンタくんの話を通じて、私たちにメッセージを送ってくれました。



ダウン症の子育ては、特別なことはない。
いたって普通に、毎日笑って怒って、育児しています、と。



ユンタくんの、小学校に上がったら社会性が身について、大きく成長したという話には、わたしが勇気づけられました。



ちょうどウチは上のムスメが小学校に上がるので、その不安がももたろと被って、まだ先のももたろの進学について不安になり、情緒不安定になってます。



心配性なンですわ。私。



いつになったら、何ができる?
小学校に行ける?
いじめられないか?



でも、本人も成長していくのよね。
私は今のままのももたろが小学校に上がったら、なんて心配してるだけ。




たちばなかおるさんのご主人が、ユンタくんが生まれて、ある意味自由になった、と仰ったそうです。



健常児だど、学校は私立だ公立だ、受験だ大学だと、常に競争。
ダウン子はそんな比較しなくていい。



ムスメの進学を期に、同じようなことを感じていたところです。



より自由な気持ちで、より自由にできる育児なんですよね。



まぁ、将来の不安は当然あるし、お二人と同じで、私もももたろには自立してもらいたいけど。



玉井理事長の33歳の息子さんは、帰宅するとお帰りと言ってくれるのも、誕生日を覚えていてくれるのも、家族で彼だけだと仰ってました。



奥山さんの出産後の苦悩の話もありました。



私はブログ読者ですし、テレビも拝見しました。
私も、そして多くの人が感じたであろう、気持ちについて話されていました。



あの気持ち、人によっていろいろ表現は違いますが、私の場合は、



真っ暗で、床も壁もないところで、ひたすら出口を探す。



まだそんな時期、奥山さん次男出産のニュースを聞きました。



真っ暗な中にいた私は、心も真っ黒で、



どうせ芸能人は、金に糸目つけず検査して、どこに出しても恥ずかしくない健常児を産んでるんだ。
私はこんなに惨めだ。
どうしてまともな子を産めなかったんだ。



と、正直、奥山さんご出産を、やさぐれた気持ちで、あー良かったわね、と思ったのを覚えています。
ごめんなさい、奥山さん。



後で奥山さんのカミングアウトを知り、その勇気ある行動と、みらいくん本人を含めた家族への気遣いと愛に、私は自分のことを嘆き、自分の自尊心を守ることばかり考えていたと、反省したものです。




私はたちばなかおるさんの本は2冊とも持っていて、その日の即売会でサインがもらえたの。
奥山さんの本も、買えばサインもらえたけど、大行列で諦めました。




その後は、日韓のダウン症のある人たちによる演奏

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フラメンコやダンス、ピアノに合わせての即興ダンス、エレクトーンが披露され



フィナーレ

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会場ロビーでは、奥山さんとたちばなさんのサイン会が

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たちばなさんの本、ここで買えば良かった…




奥山さん、テレビと同じで素敵な笑顔でした。

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