木村拓也コーチの残した言葉「必ず壁にぶつかる。そんな時、僕の言葉を思い出して欲しい」 | ファビラス

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今月7日にくも膜下出血で亡くなった巨人の木村拓也コーチ(37)の葬儀が
きょう10日、午前11時から広島市西区南観音8の10の8の平安祭典広島会館で行われます。

巨人軍の公式ホームページに掲載されている、
木村コーチが今年3月4日、NPB(日本野球機構)の新人研修で行った講義内容

これが木村コーチが残した言葉として、静かなブームになってますね。

カミュjrも読んでみました。
どんなことが書いてあるかというと、

木村コーチは高校時代、ドラフトで指名されなかった話から始まります。
ドラフト外で日本ハムに入団しました。

それほど期待されてもおらず、もてはやされてもいなかった。

スカウトからは「一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われたそうですが、いざ、入団してみると、予想と全然違っていたそうです。
こう述懐しています。

<僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました>
 
木村選手の田舎は宮崎県です。
試合にも出られず、ひたすら練習ばかりに明け暮れる日々。

 2年目のペナントレース。終盤の9月になって、一軍にけが人が多く出て、初めて一軍に上がった。
結局、2年目は3本のヒットを打った。
 
3年目は晴れて開幕一軍だったが、ほとんどが守備要員。

<1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした>

喜び勇んだ開幕一軍もたった1カ月で転落。
入団から3年間がこういう状態が続いていると、精神的に厳しいですよね。
そんな時、3年目のオフに、木村選手に転機が訪れる出来事があった。

<9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています>

ナント、イチロー選手と4カ月間、同じ部屋だったとつづっています。二軍生活を強いられている自分より練習していたことに衝撃を受けたわけですね。そういうことってありますよね。誰かとの出会いが、その後の人生を変えることって。

しかし、イチロー選手に刺激を受けたからと言って、すぐに木村選手の人生が好転したわけではありませんでした。

木村選手の4年目は、1年間一軍でしたが、やはりまたもや守備要員。

結局は4年間いて、もう必要ないと、日ハムから広島にトレードされてしまう。

<移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました>

移籍2年目(プロ6年目)は、一軍を行ったり来たり。
どうしてもレギュラーに定着できない。そんな自分が悔しかったでしょう。

何とか試合に使ってもらうために、木村選手は右打席でも、左打席でもバッターボックスに立てるスイッチヒッターに活路を求めます。

<それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと>
 
 スイッチヒッターになって 打撃開眼。
プロ10年目にしてやっと136試合フル出場したのだった。
 
<今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない>
 
 そして34歳の時、トレードで広島カープから巨人に移籍した。

<広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた>
 
木村選手はけっしてスター選手としてスポットライトを浴びたところからスタートしたのではなく、ドラフト外から出発し、何年かかっても軌道に乗れず、9年目にしてやっと1年間レギュラーになれた。
それは生き残るために何をしたらいいのかを考え、内野でも外野でもキャッチャーでも、それこそ投手以外はすべてのポジションが守れるように練習して自分に磨きをかけた。

<自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける>

木村コーチはこう結んでいる。

< 「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか>


胸にジンと来る言葉です。カミュjrもつらいとき、この言葉をまたかみしめたい。


昨日、カミュjrは内科検診を受けたんですが、
ついでに医者に、木村コーチがどうしてなくなったのか、気になって聞いてみました。


ドクター「おそらく、脳の動脈にこぶみたいなのができていて、それが破裂したんだと思います」

カミュjr「ノック中になくなったのですが、バットを振る時に力が入ったからですか」

ドクター「それとは関係がない。うちに帰ってシャワーを浴びている時とか、どんな時にでも突然起こる」

カミュjr「それじゃ、どうしようもないじゃないですか」

ドクター「木村さんのケースとはまったく別の病気で、血圧とかが高い人は脳の中で出血する場合もある。そうすると、回復しても体の一部の機能がマヒしたりして大変になるよ」

日頃から食生活に気をつけ、適度に運動しましょう。


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木村コーチの 巨人軍公式ホームページにある「NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容 」の全文を読みたい人はココ