ノラや | きなこ と ぱなっち

きなこ と ぱなっち

きなこ母と娘ぱなっちの楽しい毎日です。

イギリスに帰って来て真っ先に読んだのがこれ。


ノラや改版



¥760

楽天




わたしの買った本はこの表紙でなくて、
ちっともノラ猫っぽくない美人猫ちゃんのどアップ写真。
猫好き女子が勘違いして買ってしまいそうな装丁でした。



「あわれにもおかしく、情愛と機知とに満たち愉快な連作」
とありますが、


ちっともおかしくないです。機知に満ちてもいないと思う。


ただただ、老百閒先生が猫を想い右往左往する姿が涙を誘う。


<追記>
この百閒先生というのは、かなり偏屈なじいさんだったらしいのです。
べつに猫をかわいがっていたという風でもなし。
その気難しいじじぃが、駄猫がいなくなったというだけで、仕事も手に付かないほど心配して、
毎晩毎晩、声をあげて泣くんだそうです。


その姿を想像しただけで、哀れで、
また、その気持ちが痛いほど分かるだけに、もらい泣きです。


顛末としては、百閒先生は、「もう猫は飼わない」。


わたしも、その気持ちはよ~~く分かります。
猫それぞれ顔が違い、個性がある。
どの猫たりとも一緒でない。
同じ猫に帰って来て欲しいのであって、別の猫はいらない。
百閒先生曰く、「猫好きというのとは、少し違う。」


わたしも、
「うちの猫が好きだった。」だけなのです。


そりゃぁ、道端で猫を見れば声をかけるし、
友達の家の猫はかわいい。


でも、もう猫を飼おうとは思わない。
もう、いなくなられることに耐えられないから。
「生命の大切さを教えるためにも、ペットの死を体験させた方がいい。」
という意見もありましょうが、
世の中には知らなくても良いことというものもあります。
知らなくて済む苦痛であれば、なるべくぱなっちに体験させたくない。
そう思い、我が家には動物はいません。
ぱなっちがどんなに欲しがっても。
(実際は、わたしがその苦痛に耐えられないからなんですけどね。)









恥ずかしながら、内田百閒先生を存じ上げなかったので、母校の教授であったことすら知らなかった。

が、あまりにも有名なこのエッセイ(?日記?)のことは知っていて、ずっと読みたいと思っていたの。

とはいえ、この本のことは脳裏にあるくらいで、買おうと思っていたわけではなかった。

本を物色しているときに、たまたまこの本の背表紙が、

ここにいるよ~~とアピールしてきた。

買うしかないっ!

読んでよかった。






ねこは死ぬ姿を見せないというけれど・・・・

うちの駄猫達は、一人(ぽっちゃん)を除いてみんな家族に看取られました。

家を選んでくれてありがとうね。

楽しい思い出をありがとう。

今でも大好きだよ。









大感動・号泣の1冊。

読後のジーーーーン感がなんとも言えない。

ねこと一緒に暮らしたことのある人であれば、誰でも共感できる1冊。