いや~、なんともビックリしました。こんな下品なことを言う人が居るんだな~。

 

今日もお立ち寄り下さいましてありがとうございます。皆さんには本当に申し訳ないのですが、冒頭やタイトルから察して頂けるかと思いますが、愚痴です。・・・あれ?結局のところ通常運転か。笑

いずれにしても、私の個人的な意見(主観)に過ぎません。正しいか間違いかで二分するならたぶん私の意見は「間違い」に分類されるかと思います。

 

まぁ今回ばかりはね。尊敬している方が亡くなったのにその方の尊厳を踏みにじるような表現をされている方を見かけてしまいまして、もちろんそんな処を見に行った私が愚かなのですけど・・・。不快感を顕わにしてしまい、せっかく読んで下さる皆様方にも不快な思いをさせてしまいますこと、予めご了承頂きますと幸いです。

苦手な方は今のうちに「花火」とか「夏のイベント」といった情報を検索して頂くなり、ご自身の機嫌を損なわない様ご自愛下さい。

 

 

 

 

 

 

『私が突然死したのは~が原因なのでしょうか?教えて下さい』って、まるでご本人がそんなことを言ったかの様な表現をしたブログ記事が一定数拡散されている様で、驚きました。というか正直、読んでて極めて不快になりました。

おそらくこの方達はご本人のSNSはフォローされてなかったんじゃないでしょうか。中には「利用出来る!」と思ってフォローされていた方もいらっしゃるかもしれませんけど、少なくともフォローしてた時にご本人さまに「忠告」をしていた様には見えません。

 

亡くなった後になって「あ、やっぱりこの人接種してたんだ。」「だから突然死したんだ」って、後出しジャンケンの様な卑怯さを感じましたし、「接種=死」って、どんだけビビリなんよって思う訳です。子どもが怖がっているのならなだめる大人が必要かと思いますけど・・・。ブログ書いてる人、子どもなのか?読む人がおとなでなだめて欲しいの?

心の中で思ってるダケなら誰も不快にしないし稚拙とも思わないし、迷惑でもないんですけどね。

 

何よりも「ご冥福をお祈りします」の様な一言も書かれていませんし、タイトルからして故人を呼び捨てにしてる。見てて不愉快になります。謝意が感じられず亡くなった方やご家族に失礼な態度だなぁと・・・。

 

私のブログを普段見て下さっている方は理解して下さっている方もいらっしゃるかと思いますが、私自身はお薬やワクチンについてどちらかと言えば「否定派」です。薬品もサプリメントも加工食品も無加工天然の食品も、ぜんぶ消化器にとっては負担となるからです。だからといって「食べない」という選択肢にはならないんですよね。未だ死にたくないから。

栄養を摂らないと消化器は働いてくれないし、栄養を摂るためには消化器や腸内細菌に頑張ってもらわんならん。

 

ただ「未だ死にたくない」のは多分、自分の年齢なりの健康を保てているからなんですよね。いわゆる健康寿命に未だ達していないと思えている。(他人様から見たら「老害」かも知れんけど。笑アセアセ)

今の私にとっては充分幸せなことです。でも、健康寿命に達していたらどうでしょうか。

少なくとも自分の人生の最後に、自分が選択してきたことを否定したり、疑ったり、否定的な評価はしてほしく無いと思います。

 

私は優柔不断なので簡単に世の中の流れに流されてしまいます。ただそれでも自由だと感じられていますし、少なくとも不幸なことだとは思っていません。ワクチン接種にしてもそう。接種の煩わしさ、めんどくささよりも職場で受け入れてもらえないこと、差別されることの方が私にとっては問題「だった」訳です。個々の問題も世の中も常に変化し続けている「無常」ってことですよね。ワクチンに限らず、世の中も「無常」。常に変化している。マスクが店頭から消えたのも今から思えば「何だったの?」ってくらいお店の在庫や街での着用率(他人の行動)なんてどうでも良くなってる。

 

亡くなった人の名前とか論文を「利用」(「引用」ではなく「利用」です)して自分の考えを丸投げしてる人たち。

「もういい加減気付いて欲しい」なんて仰ってましたが、私から言わせてもらうなら「既に気付いています」。

ただ、個々にとって問題じゃないから。つまり今となっては「どうでもいい」こと。

「ワクチン」の毒性に執着するのは大いに結構なことだと思いますし、正論を突き詰めて行く人も世の中に必要だと思います。ただ自分の言葉を使わないと共感もなければ信用も無い。それでは他人を変えることは出来ないと思います。

 

言わんとすることは「理解」は出来るが「共感」は出来ない。という感じでしょうか。

もちろん「主観」であって、客観的には「理解」も出来てないと見られるのでしょうけどね。

私が欲しいのは「正論」よりも「共感」。「清く正しく」よりも「ありのまま」「自由」。

言っていることが「正論」である以上、善悪の判断や正誤が判る人(自立した大人)にとっては新たな「気づき」なんて無いのが当然なんじゃないでしょうか。「気づいて欲しい」のはその言葉を言った本人の"気持ち"ですよね。

自分の気持ちに共感してもらう為に亡くなった人の言葉や論文から"引用"がダメとは言いません。私も引用しまくってますからね。でも「引用」と「盗用」の違いは理解しているつもりですし、理解した上で引用の"用件"を満たす様に・・・これでも気をつけているつもりです(客観的評価は人それぞれ、皆さんの評価を否定するつもりはありませんよ)。

 

亡くなった人の口を借りなきゃ自分の気持ちの表現も出来ないのですから、よほど自分の言葉で表現するのが怖いのでしょう。

自分に自信が無くて自己肯定感が低いために自分の言葉が紡げないのでしょう。だから既に21万人のフォロワーがついている人のセリフを自分勝手に妄想してあたかも本人のセリフかの様な"劇的演出"に頼りたくなるんでしょう。

タイトルに釣られて、本文開けてみてびっくり。ただのお気に入りツイート集だった・・・。

説得力ないわ~。

 

しかも、亡くなった本人がワクチン接種した時のXポストも引用されてるんだけど

「2回の接種が済むと安心感がいっぱい」と仰っているのにねぇ。

 

なんせ自分の言葉が無いから、せめてタイトルに繋がる文献とか知識をpickででも紹介して頂きたいところですが、その期待も外れてしまいました。pickされているのは食品とかサプリメントが殆どで書籍は1つも紹介されていない・・・。

 

 

 

 

 

 

 

(mRNAワクチン関連の本は個人的な感心事ではないのでこれらの本はいずれも私自身は読んでおりません。推奨も否定もしませんが、ワクチンの毒性についてはこれらの書籍が詳しく書かれているのではないかと思いますし、沢山あると思うのですが・・・)

 

SNSで個人の方が表現されている言葉より、こういう書籍の方が余程説得力がある様に思いますし、信用出来ると思うのですけどね・・・。

あくまでも私個人の考えですが、「毒チン」って言い方、下品だと思いますし、差別的で見下げた言い方の様にも感じます。

なぜだろう?たぶん、省略した言い方だから「軽く」感じるんだと思います。

 

きっと語っている人にとってもその程度の「軽々しい」問題なのでしょう。人が亡くなっているのにね・・・。

だから亡くなった方への尊厳なんて気にも留めず、「ありがとう」も「ご冥福を」も「残念」も出てこないのですね。

 

「もうワクチン、何も打たない方が健康になると思います」とも書かれてたのですが・・・。

えっと・・・ワクチンてそもそも「健康になる」なんて目的で開発されてるんでしたっけ?

 

 

 

私も無学なので私のことを笑って見て下さるならそれはそれで構わないと思っております。泣かせるより笑顔に出来るほうが私自身も嬉しいからね。

 

そんな無学な私の認識では、ワクチンってmRNAワクチンにしろ不活性化ワクチンにしろトキソイドにしろ、体内に既存の免疫に「仮想の敵」を与えることによって免疫に「敵の情報」を教え、予め実践力を養う。

ワクチンってそういうものだと認識しており、違う考え方の方には申し訳ないのですが「ワクチンを打たない」と「健康になる」が一連の発想に出てくるのが不思議でなりません。「ワクチンを打たないと何もおこらない」なら理解出来ますけど、ワクチンが健康をもたらしてくれるとでも思ってたのだろうか・・・?そんなこと書いてある本あったのかなぁ?あったとしたらいつの時代の情報なんだろうか?

「ワクチンの毒性」を語る時に「毒チン」なんて下品な言い方、蔑んだ言い方をする人は自身はどう生きて、どう亡くなるのを理想としているのでしょう?そこも不思議です。

「ピンピンコロリ(突然死)」→「やっぱりワクチン打ってた」

「90歳を超えても生活がしっかり、姿勢も良い」→「やっぱりワクチン打ってた」

「持病が悪化」→「やっぱりワクチン打ってた」

「元気で幸せそう」→「やっぱりワクチン打ってた」

 

ということは・・・。

「ワクチン打ってない」→「永遠に老化しない」そんな特権でも約束されたのでしょうか?

ワクチンを打っていないことでどんな理想的な生き方が実現出来て、どんな死に方が実現出来るというのでしょうか。

なんとも不思議な発想で凡人の私にはついて行けません。

「策士策に溺れる」とか「二重スパイ」て言葉、知らない訳でもないでしょうけど・・・。

 

「やっぱり」と結論づけるのが早すぎないのではないだろうか?

私は「自分の問題」ではないので充分な情報を持っていませんが、ワクチン接種と健康被害の関連性が疑われる事例から接種したワクチンのロット番号を公表している自治体はいくつもあるみたいです。

亡くなった方のご家族からどれだけの情報を提供して頂いた上での発言なのか?早すぎる結論に疑念が生じております。

 

私としては既に無くなった方の情報をわざわざ「ほじくり返す」のは趣味じゃないのでとくに気になりませんけど、もしブログを読んで下さっている方で私のロット番号に興味がおありでしたら(出来れば有償で)開示させて頂きます。ご希望がありましたらコメントからご相談(商談)下さい。

私はB型慢性肝炎ウィルスキャリアーで25年くらい前に慢性肝炎の診断を受けております。皮膚科ではステロイドも使っておりますので、実際には一般枠で3回の新型コロナワクチン接種を受けましたが、優先接種などとされていた「基礎疾患」に該当しているかと思いますので、例えば基礎疾患をワクチンが悪化させるとお考えの方にとっては、私の様な人がいつ("毒チン"の影響で)命尽きるか?とくに感心を持って頂けるのではないでしょうか?

私にとってはワクチン接種によって命が削られたかどうかよりもストレスに寄って命が削られることの方がより大きな問題です。

 

繰り返しになりますけど、私は「安易にお薬を出す医者」が嫌いなだけで「薬を出す医者が嫌い」な訳ではありません。

 

 

 

 

 

とことん理想の話しをするなら、そもそも医療も介護も、医者も看護師も介護士も製薬所も居ないのが究極の理想なんですよ。

「亭主元気で留守が良い」なんてこと昔のCMで言ってましたけど、そんな感じ?

彼らに頼らなくても健康で幸せに生きて行けるなら必要じゃないですよね。

メリットだけ欲しいんですよ。私はかつて介護の仕事をしていましたのでよく福祉の話題をとりあげるのですが、そうすると「お前が福祉を語るなんてケシカラン」みたいなお叱りを頂くことを熱心な私のファン?の方から頂くことがあるのですが、それは正論だと思う訳です。ただ、その情報、求めて無いんですよね。

 

動画で引用させて頂きましたが、価値観って人それぞれで、「大局的」な考え方がある訳ですよね。

ご近所さん的な価値観なら入って行きやすいし自分の価値観の方にも呼び込み安い。

大局的な考え方の人に自分の考え方を理解、納得してもらうには相手の価値観も尊重しないとね。対人関係ってよく鏡に例えられるじゃないですか。他人に対して行動や性格、価値観を変えて欲しいのなら自尊心を傷付けないことが重要だと思います。

このことは認知症の方への対応心得「三つの"ない"」から学びました。

 

冒頭で「なんともビックリ」と書かせて頂きましたが、ハッシー氏の動画で納得しました!

A.予想外のことが起きたときにストレスを感じる

なるほど。正にコレだわ。

 

ま、誰から何を学ぶのかは人それぞれでしょう。亡くなった人からワクチンの毒性を学ぶ妄想するヒトもいらっしゃるし、その数が意外と多かった。それが私にはストレスとなった。それだけのこと。それも私にとっては学びになりました。

 

自分で自分の言葉を紡げない人たち(リブログしてる人たちも自分の言葉を付加している人はあまり見られませんでした)も他人の言葉を拝借しないと表現出来ないのですから、おそらく相当なストレスを抱えていらっしゃることでしょう。

情報をインプットしてれば、アウトプットもしたくなると思うのですが、そもそもインプット・蓄積された情報が無い中でアウトプットしようにも「持って無い」のだから放出しようがない。これではストレスたまる一方でしょう。

 

 

 

 

 

何を考えているか判らないから人からみたら「近づいても大丈夫な人」なのか「離れるべき人」なのか判らない。

得体が知れない人は恐ろしい。情報が無いから、自己が示せないから怖がられるのです。

「コロナワクチンが怖い」素直にありのままの自己表現をすれば良いのにね。論文なり本なり"引用"すれば良いのにね。

なんで亡くなった人の名前をだすなら、せめて鎮魂のひとことくらい添えられないのか・・・。呆れるばかりです。

 

こんなつまらないお話にここまでお付き合い下さいまして、ありがとうございます。

ストレス発散にお付き合いさせてしまい申し訳ありませんでした。

 

実は昨日と今日も「Tシャツアート展」に行って写真と動画を色々撮影してきました。

 

 

私の写真なんかでストレスが癒えるかどうか判りませんけど、少しでも気持ちが伝われば嬉しいです。

何枚も撮ったのであらためてご紹介出来ればと思います。

 

とりあえず時間軸に沿って、次回は21日に行われた「とくしまバスまつり」についてご紹介したいと思います。

 

とくしまバスまつりに、なんと愛知県からボンネットバスが来てくれました!拍手

 

ハッシー先生同様?私も「気分屋」でブログ内容がコロコロと変わって読む方にはストレスですよね。

申し訳ありませんが、それがウチのブログと諦めて少しづつでも慣れて下さい。アセアセ

 

では、また次回に。またねバイバイ