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今日もお立ち寄り下さいましてありがとうございます。

78歳でMacのパソコンに出会い、自らを「りっぱな 高貴香麗者」と名乗り、21万人のフォロワーの道標となっていた大崎博子さんが23日の夜にお亡くなりになられました。

 

いつからフォローさせて頂いてたのか・・・。たぶん、ウォーキングを継続的に始めた2019年頃からだったのではないかと思います。

 

22日のお昼には「これから友人とランチ」と発信されていて、その日の夜もテレビで大相撲を見ながらビールで晩酌を楽しまれていた様子が投稿されていました。その晩お休みになるまでフォロワーさんへのお返事も幾つかされていて「おやすみなさいませ  (-.-)y-., o O」の発信でその日の送信が終わっていて、ご本人様の投稿はどうやらそれが最後だった様です。

 

いつも前向きで、私みたいに不平不満を主張することはなく、一方で人への気遣いが出来る方で、旺盛な好奇心を隠さず、自分の興味ややりたいことには素直で貪欲。そんな方でしたので、この方が亡くなるなんて現実的に考えることは出来ませんでした。

 

なので、博子さんに代わって娘さんが「母が永眠いたしました」と発信されていたのを見た時には、博子さんご本人がどなたか亡くなられた人のことをおっしゃっているのだろうと受け取り、理解するまでに時間が掛かりました。

 

3年前の夏にもこれと似た様な経験をしました。

東京在住の大崎博子さんには実際にはお会いしたことがありませんが、3年前に亡くなった方は同じ四国の方で、USJに一緒に遊びに行ったり、アメーバピグやアメブロ、SNSで交流させて頂いておりました。

亡くなる1月ほど前にはウォーキングの応援のコメントも頂いていたのですが、3年前の8月に亡くなり、すぐに娘さん、息子さんがSNSで知らせて下さいました。その時も私はご本人の状態は全く存じていませんで、ご本人がどなたかのことをおっしゃってるのだと思い、それこそその時は、メッセージを見た翌日まで気付きませんでした。

 

ブログやチャットでの交流仲間でしたので、亡くなった原因やお墓の場所などを聴き出すことも出来ず、コロナ禍を言い訳に?その後3年近く、何も出来ない心残りがありましたが、当時のチャット仲間が京都で「しのぶ会」やろうって誘って下さってなんだかほっとしています。亡くなった方をしのぶのに、場所なんて問題じゃない。私ひとりだったら、そんな風に考えられなかったと思います。

 

 

 

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本のタイトルからも人柄が充分伝わって来ますよね。

何れの本もタイトルに「ひとり暮らし」が共通して入っています。

「独居老人」というとマイナスなイメージで見られがちかと思いますし、私の様に"高齢者"・"老人"一歩手前に居ると、独り暮らしだと金銭面でも精神面でも自立した生活に不安を覚えてしまいます。

今からやっておく「べき」ことを積極的に、また厳しい姿勢で勉強することも大事かとは思いますが、それぞれの本のタイトルの通り「お金をかけない素敵な毎日」「穏やかに楽しむ」「幸せな日々」に、こんな自分でも手が届きそう。そんな明るい前向きな「道標」を示してくれている様に思いました。

曲の歌詞通り「あきらめた夢もきっとあるでしょう。だけど・・・」

 

失礼な言い方かもしれませんが、亡くなり方も博子さんらしく「道標」「目標」「しるべ=知る方」の様に感じています。

ご冥福をお祈り申し揚げます。フォローさせて頂いてしあわせでした。

 

皆さんの道標や目標とする人物はどんな方でしょうか?

 

【7月20日】

20日はアスティとくしまで「なかの自然」写真展を見て来ました。

平井滋さん(愛称:地下足袋王子)が撮影された、那賀町の美しい大自然の写真を展示。

7月末まで徳島市のアスティとくしまふれあい広場で開催中です。

 

【7月21日】

21日は徳島市ふれあい健康館に立ち寄って~熱帯雨林の巨大蝶~ トリバネ蝶展を拝見していました。

 

 

8月10日には夏期特別講座昆虫標本を作ろう講座(カブト虫)も行われるそうです。

 

実は21日はアスティとくしまで「第3回とくしまバスまつり」というイベントがありまして、上記なかの自然写真展とトリバネ蝶展はその合間に立ち寄ったものです。

 

ふれあい健康館はアスティとくしまへクルマを駐めて、近くの平惣書店さんへ行く途中に寄りました。

 

その、平惣書店さんで買いたかったモノがこちら。

 

下差し

 

 

 

 

ライト版(電子書籍)は700円なのに対して紙版は・・・

 

 

ポーン驚愕の5980円!

たっかぁ~魂が抜ける

 

これ、実は先日地元新聞に掲載されていて、一色さゆりさんの「音のない理髪店」の本編全文が小説現代の7月号に掲載されているとのことでした。

同じ頃に著者の一色さんが「出版される前に読めるのでオトクです」といった感じでSNSで紹介されていて、また徳島県知事さんもXで「県民すべてに読んでほしい」(7月17日付)と紹介していました。

 

実は新聞記事で見て直ぐにネットでもチェックしたんですよね。その時は1200円くらいだったと思います。

 

書店で見つけられなかったので、帰宅後にもういちどネットでみたら、アマゾンさんではこのお値段で、他だと「売り切れ」。

 

昭和8年、全国の聾唖学校で「理容科」が初めて設置されたのがの徳島盲聾唖学校だそうで、日本で初めて理容科卒で理髪店を開業された実在の人物をモデルとして書かれたのが「音のない理髪店」で、小説家であるその孫娘が祖父の足跡を追うという内容のお話らしい。

 

講談社現代小説のXでは「徳島のろう学校を卒業し日本初の理容師となった」と、ちょっと微妙な表現が気になったのですが、どうやら「日本初のろう者の理容師」ということでは無いようです。

 

ろう学校の理容科は徳島が最初だったそうですが、昭和8年以前にもろう者の床屋が居たことが明治時代の新聞記事で確認することが出来るそうです。一般庶民が「髪結い」を利用しはじめたのは江戸時代のことらしく明治以降は男性の頭髪が「まげ」から西洋風に代わっていますので、ろう学校以前よりろう者の床屋さんが居ても不思議ではないというか、以前から居たと考える方が自然に思います。大阪毎日新聞,明治35年12月5日,「唖の頓死」で登場しているろう者の床屋さんは、ろう夫婦で髪結いを営んでおられた方のことが書かれていて、ご主人がお酒に酩酊して路上で倒れていたところを見つけた通行人が奥さんを呼んできて、奥さんが手で(手話で)話していたことが書かれていたそうです。この新聞記事で紹介されていたろう夫婦の髪結い店は徳島ではなく大阪の千日前だそうで、この記事のほか、夫婦のほか弟子全員も「唖者」と書かれているそうです。

 

で、さらに「髪結い」の起源を辿ってみると、山口県下関市に「髪結い発祥の地」石碑があることが判りました。

こちらの記事です。下関市の亀山八幡宮にその石碑があるそうです。

「床屋」の語源についても書かれていて興味深いです。

 

【下関と横浜】

ところで、「横浜」の手話表現をご存知でしょうか?

 

 

 

パーフェクト辞典によると、二本の指をたててヒゲを剃る様な動作で表します。

ちなみに同辞典で「ひげそり」は1本指で表現。横浜のひげそりは二枚刃なんだね。笑

 

その横浜に柴垣理容院という150年以上続いている理容店があるそうで「日本で最初の理容店」とも言われているそうです。

 

びっくりあらら下関の立場は・・・?

 

「床屋」「髪結い」の起源は下関で「理容店」の起源は横浜ってこと?

 

【小説現代】

さて、残念ながらプレミアム価格になってしまった小説現代7月号。

さすがに単行本になりそうな作品1本だけの為に6千円は出せないよ〜。

普段から定期購入している図書館は少ないみたいで、県内図書館の2023年度雑誌購読リストを見たところ、県立図書館と美馬市の図書館くらいしか県内では定期的に購入していないらしい。

「音のない理髪店」は単行本を待つか、図書館で空くのを待つか・・・。

7月号、買われた方がいらっしゃったらネタバレしない程度に感想でも聞かせて下さい!

 

ふとん1ふとん2ふとん3

 

今日もここまでありがとう。

 

熱中症・脱水にはご注意下さいね。バイバイ