8日の20時05分に長崎駅前を出発した、ユタカライナーの京都行き高速バスは、予定より15分程早く三ノ宮へ到着しました。

満席だったユタカライナー。三ノ宮で降りたのは5人くらいだったでしょうか。

 

今日もお立ち寄り下さいましてありがとうございます。神戸の土地勘はあんまり無いねぎねぎです。

今日は前回の続きで、6月9日のことをお話します。今日も最後までおつきあい宜しくお願いします。<m(__)m>

 

さて、バスを降りたところは・・・?

ここどこキョロキョロはてなマーク

神戸だよね?三ノ宮駅の近くだよね?

 

駅はこっちか・・・。なんとなくで他にバスを降りた人の流れについて行ってみる。

次の行程も未定ながら、先ずは徳島行のバス乗り場の確認とその近くのコインロッカーへ荷物を預けましょう。

 

神戸は2007年の5月に、ポートアイランドの「神戸どうぶつ王国」(当時は「神戸花鳥園」)に、その時も母と来てて、ポートアイランドまではクルマで来て、神戸の街中は連休中で駐車場所に困りそうだったので、ポートライナーに乗り換えて、神戸シティーループバスで去年(2023年)末に閉館した「北野工房のまち」なんかを巡っている筈なんだけど、最初っからバス任せだったからか、記憶が曖昧で実際に行ったところを頭の中の地図に配置出来ない。

 

もっと前には友人の車で大阪へ行った帰りに三ノ宮の商店街を歩いたのだけど、これもそいつにつれられての事だから場所まで覚えてない。

 

徳島からは高速バスの乗り換え場所なので2007年以降も新神戸駅や三ノ宮駅での乗り換えでは何度も歩いているのだけれど、乗り換えで歩くルート、三ノ宮駅(阪急・JR)~三ノ宮駅前バスターミナル(神姫バス・JRバス)程度しか判らない。

 

「花時計が・・・」とかむしろ母の昔の記憶の方が頼りになりそう。

とりあえず、高速バス乗り場をみつけてその近くのコインロッカーへ荷物を預けました。

 

私はいつも1日二食体制ですし、バスの振動のためだか、空腹感なかったのですが、母はどこかに入って朝食をとのことでした。

 

ハンバーガーマクドナルドを検索して・・・

 

 

北口店で朝マックにしました。

 

震災前の雰囲気が再現されてる阪急三ノ宮駅ビルの道路を挟んだ向かいにありました。

 

マックのレシートの時間が7時過ぎなので三ノ宮駅付近~バスターミナルを1時間くらい歩いてたんですね。

 

で、なんせ神戸は私が土地勘ないんで、大阪なら去年5月にも歩いたし母を連れてちょっとは案内出来る。

マックで30分くらい休んで、JR三ノ宮駅へ。

キャッシュカードは持って来て無かったのに?交通系ICカードは母の分と自分の分をちゃんと?用意してました。笑

どちらのカードも残高700円分くらいはあった筈。

 

今回は観光目的で来た訳では無いし、葬儀のあとでしたから観光客が集まる観光スポットとかよりも・・・。

母も、昔と比べて変わった町並みなんかが見たい様でした。大阪駅のビルから周辺を見たり、駅前を見たり出来れば充分という。

ならば、JRで大阪駅へ行って駅ビルを歩いてみますか・・・。

 

ホームへ上がると、踏切の直前横断か何かの影響で新快速は大幅に遅れていた様です。

阪急にしとけばよかたか・・・。

 

とはいえ、三ノ宮着が遅れているのであって、大阪までの所要時間が遅れるという訳ではなく、むしろ回復運転されていれば所要時間は少しは短いかも。

 

大阪駅へは8:20頃に着いていますので、私たちにとっては遅れの影響はありませんでした。座って移動出来ましたし。

 

しばらく駅構内をあちこち歩いてみてまわり・・・「ツインタワーは駅から見えるっけかなぁ」「あ、こっちにちょっと見えてるわ」みたいな。

 

 

 

 

 

去年5月に乗った「大阪スカビスタ」(近鉄バス)が空いていれば、下車見学無しの1時間程。屋根なしバスから大阪の町並み見学が出来るのでどうかと思ったりしたのですが・・・。これも当日予約は無理そうでした。

 

 

南口を出て、松下幸之助さんが私財を投じたという梅田新歩道橋を見たり、私が15歳の時に大阪駅で「駅宿」しようとしたら酔っぱらい浮浪者にお酒を買いに行かされるパシリに使われて、その後「保護」された・・「そねざきけいさつしょ」はコッチで、「御堂筋」がここからミナミの方へ真っ直ぐ南下してて・・・。

なんて、連絡歩道橋付近を母とウロウロしました。

 

「曽根崎警察署でお世話になった」「電話が掛かってきた」って・・・。街中歩きながら大きな声で言わんでくれ~。その通りなんやけど、事実を知らずに聴くと誤解されるやないかい~。

 

 

スカイウォークギャラリーではブルートレインの写真が展示されてました。

 

このあと、母と「マルビル」の話しになりまして、たしか既に取り壊されたか取り壊し中だかで、万博の時にはシャトルバス?だか、万博会場へのアクセス拠点として活用される予定だとか?

 

えっと・・・。アレじゃないかい?アレっぽいよ?

えー?こんなに駅から近かったっけ?

 

去年5月に来た時は、マルビルなんて気にも留めてなかったから、ぜんぜん注目してなかったんよねぇ。

 

 

なんて母と話しながら近くまで行けば判るっしょ。行ってみよう。ってことで。

 

あ。やっぱりコレだわ。間違いないよ。

この段階では「取り壊し途中」か「新ビル建設中」かピンときてなかったのですが、調べてみたらシャトルバスターミナルは「いちど更地にして、バスターミナルに活用し、万博終了後にあらためてここに円柱のビルが建てられるそうです。

 

なるほど。じゃぁ段々高さが低くなってるんだね。どこかからタイムラプス撮影してたりするのだろうか?

 

母が言うには、マルビルは「吉本興業」の人が建てたとか・・・。

えぇ~っ?そんな話し聞いたことないでぇ~?

 

その場で検索しましたよ。笑

マルビルを建てた「吉本晴彦」さんとよしもと興業は無関係ですって。

 

子どもの頃の私が、母に連れられてよく来ていたのは、現在USJがある安治川とか海遊館のある大阪港。

船舶の通信士だった父が大阪に入港すると着替えなどの荷物を持って宿泊先の「海員会館」に届けに行っていました。

徳島からは「徳島フェリー」と「南海電車」に乗るのがその頃の定番ルートでした。

 

南海電車は難波に着きそこから地下鉄に乗り換えたりしていましたので、梅田エリアよりも御堂筋や難波・心斎橋・戎橋なんかはよく歩いた筈。

大人になってからは、南海難波駅からは日本橋や今宮方向へ歩くことが多くて、心斎橋方面はあまり興味もなかったのですが、去年5月に御堂筋を通るスカイビスタ車中から見えた町並みが子どもの頃の記憶を思い出させてくれたので、道頓堀とか、心斎橋筋の商店街も歩いてみたいと思っていました。

 

梅田から9:30頃の御堂筋線地下鉄で難波へ来ました。

 

難波の駅前にあった新歌舞伎座は2015年に解体され、解体前の建物の意匠を継承しつつ20階まである「ホテルロイヤルクラシック大阪」

 

こちらは私の記憶には無かった「大阪松竹座」。

建物は1923年5月17日の開場時からのものだそうです。

 

くいだおれ太郎はんは、お土産でもらったキーホルダーを永年使わせてもらってましたけど、子どものころにリアルに見てた記憶は無いかな・・・。

 

かに道楽の看板も、リアルに見た記憶なのか、テレビなどで見た記憶からなのか・・・。

それでもやっぱり実際に来てみるとなんだか懐かしい。

 

大阪王将道頓堀本店は2012年開店らしい。子どもの頃には見てない看板ですね。

大阪での創業は昭和44年だそうだから、会社はオイラと同い年くらい。

 

カールおじさんは餃子よりも古く、2008年かららしい。

カール発売40周年記念で設置されたそうです。

関東での販売が終了して関西お土産になったからかと思ったら、以外と古くからいらっしゃったのね。

 

カール発売は1968年7月25日だというから、なんとオイラが生まれた24日後に生まれてるのね。

他人の様な気がしない。でも「カールおじさん」がパッケージに搭乗したのは1982年からだというので・・・。

なんだよ~。子どもの頃から「おじさん」だったのにまだ42歳かよぉ~。

 

 

法善寺横丁は名前くらいは知ってたけど

どこにあるのかしらなんだ。ここは母の記憶から案内してもらいました。

 

法善寺横丁は・・・どうなんだろう子どもの頃に連れられてくる様な処では無いよねぇ?

 

それでもこういう町並みは懐かしさを感じるし大好き。雨上がりの石畳も魅力的です。

時間は未だ10時でしたが、夕方とか夜にも来てみたいですね。夜も雨上がりが映えそう。

 

 

 

水掛不動さんも母情報から。

 

 

 

母と一緒に来てよかった~。

 

戎橋筋の商店街の朝10時。ちょうど開店したばかりのお店とか、未だ開店時間じゃないところとかが多くて、商店街を歩くにはちょっと時間が早かったかも知れないな~。

 

他に行きたい処ある?そろそろ帰る?

さすがに、0泊3日で歩いていると、思考力も落ちてる様で、雨天の中次に行くべき場所が浮かばない。

再び御堂筋線に乗って、梅田から三ノ宮までは阪急で帰りました。

帰宅してた後になって、あそこも行けば良かったって・・・。今回も。

どこかしらお出かけして、帰ってから"ここも寄っておけば良かったのに"になってしまうのはいつものことだけど。

 

三ノ宮で高速バスのきっぷ、自動券売機で買ったら、2枚連続で出てきたのにベンチで座る母のところへ持って行ったら母の分しか無い。

一度に二枚重なって出たと思って1枚しかとらなかったんですね。券売機から離れて少し時間が経ってから気付いたのに、券売機から出てきたまま、残っていました。

後ろに列んでた人も居た筈なんだけど、取って棄てたりはされていませんでした。

ご迷惑おかけしちゃった・・・。

 

帰宅してから、「すぐに(葬儀に)行った方がいいよ」とアドバイスしてくれた地元の叔母(母の姉)からは、何度も「ありがとう」「耳が遠くて大きな声でしゃべるから大変(迷惑)だったでしょ」と労って頂きました。

母からも、一人で行ってたらどの様に行けば良いか判らなかった。一緒に居てくれて助かったと・・・。

 

いやいや、とんでもないっす。母が旅慣れた人で、なおかつ未だ未だ元気で歩くのも達者なので旅費を最小限に収められる今回みたいな「無茶な行程」が実行出来ましたけど、よく考えれば83歳の老人を0泊3日で「連れ回している」のでね。ショボーンアセアセ

むしろお叱りを受けても仕方ないところだったと思います。それでもポジティブに受け取ってもらえて、最善を目指して頑張った甲斐があります。

 

皆さんには「このまんま真似をする」ことは決してオススメ出来ませんが、皆さん自身が後悔しない為の選択肢はいくつもあるということを気付いて頂ければ、今回の旅のブログを書いた私はとても嬉しいです。

 

 

起きた出来事は、変えられない。

でも、それをどう受け止めるかは、

自分で決められる。

チャンスはかわいいリボンをつけて、

キラキラやってくるとは限らない。

両足をなくして、

「私はこれ」って選べるようになった。

無数にあった選択肢がほどよくしぼられて、

それでもまだまだたくさん選択肢はあって、快適でちょうどいい。

好きなように選んで、

好きなように楽しんで、

だからとてもハッピーだ。

 

葦原 海

「私はないものを数えない」より

 

今回の私は、

「招かれていない訃報にどう対応するか」というところから

「葬儀に出るための交通手段」を調べて最初の交通手段を決めた。

起きた出来事は、叔母が亡くなったということ。その事実は変えられない。

どう受け止めるかは、自分で決められる。

到着日時を限定しなければ交通手段なんて何通りも選択肢があった。

"その先"のことはとりあえず置いておいて、最も早く五島市へ近づけそうな飛行機を選んだ。

そうすると無数にあった選択肢がほどよく絞られて、ホテル泊か夜行かが次の大きな選択肢になり、

それでも「福岡泊」か「長崎泊」か「船上泊」かというほどよくしぼられた選択肢は残っていて

で、ここまで選択肢がしぼられると、どれを選択しても後悔はしていない筈なのです。

この段階での問題は時間的に間に合わないことよりも、体への負担かおサイフへの負担かです。福岡で泊まっていたとしても、翌日午前中に福江空港に到着出来ればハッピー。

 

 

 

22日から4回に分けて訃報から帰宅までをご紹介しましたが、五島市の魅力など未だ未だ五島市ネタを用意しています。

あらためてまたご紹介したいと思います。

最近読んだ本についても追々ご紹介したいと思っております。

「博士になった丁稚どん」は完全自己満足かつ自己流で点訳作業中です。

 

 

 

 

 

「なぜ、認知症の人は家に帰りたがるのか ~脳科学でわかる、ご本人の思いと接し方~」

は先日書店で買って、これも今読み進めているところです。

 

 

 

 

 

 

先ほど一部引用させて頂いた「私はないものを数えない。」はここ数ヶ月書店で探しても見つからなかったので、amazonで買いました。ネコポスで郵便受けへの配達が完了したという通知があったのに・・・・?

配送のトラブル?というお話もさせて頂こうと思います。この本が届いたのは6月26日のことです。

 

今日もここまでおつきあいありがとう。

では、また。バイバイ