神経症でもケセラセラ -9ページ目

神経症でもケセラセラ

神経症気質をもつ30代女性の、人生の記録。神経症発症からすでに14年。これまでの出来事と現在について。

長い付き合いの友達に久しぶりに会ってもやもや

友達に合うことが、私にとって健康行動のときもあれば逆効果のときもあるなぁと再認識

こればかりは会ってみないとわからない


感じたのは嫉妬

私がほしいものを全部もってて、それをもつことが自然で、人が集まってきて

大学のときの友達とまた頻繁に飲みにいくようになったみたいでうらやましい

私の共通の知り合いだけど、私はもう仲良くはできない

卒業してから何してたか話せないから

精神的な病になったことなんて話せる感じじゃない

もう私は、あの頃の仲間とあの頃のようにはなれないんだと思ったら悲しくなった

昔みたいに仲良くできることがふつうなのがうらやましかった


私の近況を話しててもなんかむなしくて

何を話してるんだろうって思った

きっとこんなこと別に興味ないだろうし、興味なさそうだし

でも聞いてほしい気持ちがあったはず

もしかしたら自慢したかったのかな、今私はこんなにがんばってるって

思った反応がなかったからむなしかったのかな

そもそも私が仕事に固執してるのは、人に誇れるものが何一つないからかな

仕事をそれにしたいだけなのかな

じゃあ、私がほんとにしたいことはなに?

足りないものは何?


やりたいこと見つかったと思ってたけど、もしかしたらただあいてる穴を何かでふさぎたいだけなのかもしれない

そこに入るべきものはなんなのか

なにがあった場所なのかもわからない

そもそもその穴はふさがないといけないものなのか

ふさがなくてもOKって思えることがゴールなのか


ほんとは何でも話せる人がほしい

それが友達だったのにいつのまにかそうじゃなくなって、今は誰もいなくなった

なんで私には誰もいないの



こんなふうに落ち込むのに友人に会う必要ってあるのか

もうしばらく会いたくない


それでも明日は図書館に勉強しにいく

行動することでのみ、変えられる

未熟だと思われるんじゃないか、未熟さがにじみ出てしまうんじゃないかと思う行動をあえてやってみるという課題をだされた。

あとは、不安にさらされたままでいるために、不安の解決行動をしないでそのままでいる課題も。


したくてやってるのならいいが、不安を解消するためにやってしまう行動はよくない。


一人前になりたいといったら、「なぜ一人前にならないといけないんですか」と聞かれ、思ってもいなかったから答えられなかった。

一人前にならないといけないわけじゃないのかなと思ったら軽くなった。


いろいろ一人前になるためにやらないといけないことをあげて、それに対して、

カウンセラー「応援してあげたい気持ちだけど、職業的にいうなら、もしこれらがひとつでもだめになったときにきっとまた悪化すると思うから、一人前でなくてもいいと、未熟なのがばれててもいいと思えるようになれるようにしましょう」とのこと。