神経症でもケセラセラ -8ページ目

神経症でもケセラセラ

神経症気質をもつ30代女性の、人生の記録。神経症発症からすでに14年。これまでの出来事と現在について。

自分の癖になってるマイナスの考え方と、その逆の考え方を書き、そのどちらの考え方をすると自分が得するか損するかを学んだ。


自分の考え方が良くない考え方というかマイナスの考え方ばかりだということもわかってたけど、だからっていきなりプラス思考になんてできなくて、よくプラス思考の人が「どうせ同じ結果になるなら、プラスに考えてたほうがいいじゃん!」みたいに言うのを「そんな簡単じゃねーんだよばーか」と内心思っていた。


でも。

CBGTで損得分析をして、今日たまたままたマイナスに傾いてた考え方をしていて、ふと、


「あ、私がこんなにマイナスにどんなに考えていったとしても、これって別に自分の役にはまったくなってないんだよな」


と思って、


「マイナスに考えることで行動も抑制されて、気持ちも落ち込んで、自分には何の得もないんだ」


って思えて、


「だったら、最良のこと考えてたほうが気分もいいし、得だ。結果が結局悪いことが起こったとしても、そのときだけショックで気分が落ち込むだけだし、これがずーっとマイナスに考えてて結果も悪い結果なら、ほんとにずーっと気持ち落ち込んだままで踏んだり蹴ったりだよな」


って思えた自分がいた。


これはすごい進歩。

今までしたことない発想。


認知行動療法って、すごいと思う。教えてくれる人の技量にもよるかもだけど、ほんと、すごい。

たいして頑張ってはいないけど。


公務員試験のための勉強は、ある意味モチベーションを試すもので、特殊な勉強を長い時間続けるだけのやりたい気持ちありますか?ってことが試されてるんだなぁとおもった。

よくできてますね。

あれをずっと勉強するにはかなり動機がはっきりしてないと誰でもくじけそうになると思う。

そして私はくじけました。

動機が待遇だからね。そりゃ頑張れません。

ある意味、ほんとになりたい人しか通らないようになってるんですね。

CBGTに参加して感じたこと。


私は今まで、ドラクエでいうなら、パーティ全員を戦士にして戦ってたようなものだ。

力でねじ伏せようと、直接ダメージを与えるという方法のみで、うつと不安という敵に戦いを挑んでいた。

しかし、同じ攻撃するにしても魔法使いをいれて魔法で攻撃したり、僧侶をいれて時には回復させたり、遊び人をいれて攻撃にも回復にもならないことをやってみたり、そういう複合的な要素で敵と戦うことが重要だと気づいた。


不安を解消するための行動ばかりするのではなく、時には関係ない健康行動をして気分を回復させたり、違う方向から問題に挑んでみたり、時には何の意味もない時間をすごしてみたり。

そういう多方向からのアプローチを、私はできなくなっていた。

そういうことを意識的に行うことがどれだけ効果的かを学ぶことができ、それはこれまでやみくもに戦い、なんとなく回復して出口付近をうろうろしていた自分にとって、出口までの道筋と戦うための武器を与えらたような心強さを感じている。


CBGTに出会えたこと、尊敬できる医者に出会えたこと、本当に幸運だった。

今もそういう出会いに巡り合えていない人にも、早く知ってほしいと思う。

私とそういう人たちの違いはただ「知った」ということだけなのだ。

「知っている」と「知らない」の間には越えられない壁がある。

知るだけで救われる人がどれだけいるだろうか。

CBGTがもっと広まり、どこでもできるようになってほしいと心から願う。