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神経症でもケセラセラ

神経症気質をもつ30代女性の、人生の記録。神経症発症からすでに14年。これまでの出来事と現在について。

先日カウンセリングに行ってきた。

とても楽しい時間を過ごさせてもらい、終わった後はここ最近で一番活力にあふれていた。

信頼できるカウンセラーなので、先生にも私が精神医療に携わることについて聞いてみた。

カウンセラーとしての立場抜きで答えてくださいと。


「僕は、できると思います」


「○○さんの持ち味をいかせば、他の人より話しやすい環境づくりができる」


「バリバリのキャリアウーマンみたいな人と、○○さんのような人なら、そういう立場の人からみたら話しやすいのは○○さんですよね」


「この仕事でダメになってしまう人は、相手に入り込みすぎてしまうから。それさえ気を付ければ大丈夫」


心がものすごく軽くなった。

現実はもっと厳しいものかもしれないけど、がんばれそうな気持になった。

本当にいいカウンセラーさんに出会えて本当に幸せだと思った。


主治医にしかり、ハローワークの相談員にしかり、本当にここ最近、いい出会いに感謝している。

人とのかかわりが、自分を補正してくれるんだと感じた。

よくないほうへ、深刻なほうへ、ほっとけば流されていく考えを、人と接することで元の場所へ戻すことができる。


5月に高野山で「縁結び」のお守りを買った。

空海さんは、私にこういう意味での「縁」を与えてくれたのだと思う。


公務員は結局めざさない方向になりそうだけど、公務員をめざすことにしなければ体調を崩すこともなかったし、体調を崩さなければ今の病院に転院することもなかった。

そしたら今の医者とも出会えなかったしCBGTにも出会えなかった。カウンセリングを受けようとも思わなかった。そして、精神医療に携わりたいというやりたいことにも出会えなかった。

すべてつながっているし、ムダは一個もない。


本当に、すべてに、感謝。一期一会に感謝。

前の医者は「抑うつ神経症」で、うつ病ではないと断言していた。治ることもないと言われた。性格の問題であると。うまくつきあっていくしかないと。


今の医者は、抑うつ神経症とうつ病のダブルデプレッションだと。うつ病だった時期があるのではないかと。

そして、今の状態は軽度残存。ほとんど寛解だが、症状がところどころ残っていると。そしてそれはなくなることもあると。


自分としては今の医者を信じたい。

でも、実際にその時に自分の状態をみていたわけではないし、気分変調症の症状や傾向にはとてもあてはまる。そして今も、その考え方は残っている。だからまだ病気のさなかなのではないか。


そんな人間が、精神医療に携わっていいのか。

先生はさぞかし複雑だったろう。やめろとはいえないから。

どんな仕事でもストレスは多い。この仕事にだけいえることではないから。


さっき気づいたが、予備校に通い始めてからまだ3か月しかたっていない。

なのに私は1年くらいは悩み考えたくらいの心労だ。

とても多くの行動もした。

それは友人から見たら、がんばりすぎに見えるらしい。


友人の知ってる私はもっと適当な人間で、今の私はまったくの別人だそうだ。

それをきいて、病気が私の性格をかえてしまったんだろうかと不安になった。

けれど、それはたぶん、時間と経験が大きくかかわってきてるだけだと考えた。

病気直後の自分は、今よりもっと適当だったし、むしろこんなにまじめに深刻に考えるようになったのはここ3年くらいだから。

だから、年齢的な成熟が、私を変えたんだと思う。


でももう少し、昔のの自分を見習って適当になろうと思う。