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神経症でもケセラセラ

神経症気質をもつ30代女性の、人生の記録。神経症発症からすでに14年。これまでの出来事と現在について。

昨日はカウンセリングの日だった。

実は、通う予定の学校の先生から

「精神の領域だからといって、就職の際に精神障害者に理解があるわけではない」

「クローズで就職活動しているひとがほとんど」

というような話をきいた。

こないだ診察で先生に教えられたことと逆のことを言われてしまい、正直混乱はしたけれど、どっちを信じるかは、天秤にかけるまでもなく、主治医の言葉を信じる。

でも一応、カウンセラーの先生にも意見を聞いてみた。

その先生は主治医と同じ意見だった。

「そもそも、現場はなれて教員になってる時点で、その先生は障害者と合わなかったんじゃないですか?」

「そういう人の意見だから、そういう答えになったんだと思います」

と、笑いながら話してくれて、そうだな、そう思うようにしようって思えた。


私がオープンで就活したいのは、病気に配慮してもらいたいというのではなく、ましてや同じ経験があるから苦しみがわかるに違いないなんてことも思ってなく、ただ、必要な支援につながれてないってだけで回復できずにいる人をちゃんとつなげてあげたい。自分がそうだったから。あの苦しさを今まさに感じている人の助けになりたい。


主治医が、根気よく私の話を聞いてくれて、根気よく励まし続けてくれて、せっかく自分が治した患者に再発の危険のあることを勧めるなんて、せっかく高く積み上げた積木を壊されるような思いだろうに、患者の気持ちを優先して考えてくれて、一人の人間として熱い気持ちを語ってくれたこと。

この熱い人の気持ちは、確実にわたしにも伝染した。

私も、主治医のような支援者になりたい。


この気持ちが冷めないうちにと思い、さっき上司に辞意を表明してきた。

やっとバンジージャンプ飛べた。


そしたら、意外にも、学校おわったあとに1時間でも2時間でもいいから仕事しにきてくれませんかと言ってもらった。

失業手当で生活する予定だったので、こんなありがたい話はなかった。

必要としてくれる場所があることが、本当にありがたいと思う。これはうつ病になって働けなかった時期があったからこそ感じることだと思う。


働くことで得られるものは、お金以外のもののほうが大事だと感じる。

必要とされるありがたさ。

社会に自分の居場所があること。

社会でほかの人とやっていく経験。

こういうことを、ほかの精神疾患のために働けないでいる人にも感じてもらいたい。

そのために、働きたいと思っても一歩踏み出せずにいる障害者の人の力になりたいと思った。


今年は間違いなく激動の一年だった。

人生を左右する人との出会いがたくさんあった。

人生って、そんなに悪くないって思えた初めての年。