失うことで得るものがある。受け入れのキャパシティを持つためにはその場所を空ける必要がある。 | 高橋貴子の飛常識なパンお菓子料理教室開業集客:横浜東京

高橋貴子の飛常識なパンお菓子料理教室開業集客:横浜東京

飛常識な料理教室開業スクール Living起業アカデミー。WEB苦手を完全サポート。現役教室オーナーが教える失敗しない自宅教室開業バイブル。横浜【綱島】で開講。受講生は全国より来訪。スカイプも対応。



<未来に向かって歩いていこう、そんなイメージの1枚です>


こんにちは。

高橋貴子です。


一般的な方はGWが終わり今日1日出勤してまた2日お休みという感じでしょうか?

まだお休みの方は素敵な1日をお過ごしください。(^^)


--------------------------------------------------

さて、本日のテーマは

「失うこと=得る機会」

ということについてお話したいと思います。

本日朝届いた、お気に入りのメルマガにこんなエピソードが載ってました。

--------------------------------------------------

【頭にガツンと一撃】№2445

ロジャー・フォン・イーク氏の心に響く言葉より…


あるとき、禅僧の師弟はある問題について論じあっていた。
長時間論じあったにもかかわらず、弟子は教えの要点を理解するようすがなかった。

とうとう師は杖をとりあげて、弟子の頭のわきをガツンと一撃した。
とたんに弟子は事態をのみこんで、「違うこと」を考えはじめた。


「頭にガツンと一撃」をくらわないことには、私たちは「似たりよったり」の考え方をさせる前提から抜けだせないことがある。

私たちはこの弟子のように、ときおり頭のわきをガツンとやられる必要がある。

こうしてはじめて、習慣的な思考形態から解放され、問題を考えなおすことを強いられ、新たな疑問を感じて、ほかの正しい解答を引き出す可能性が生まれる。

皆さんに「ガツン」と一撃を与えるのは、ときには問題や失敗であり、ときには冗談やパラドックスであり、また、ときには、驚きや予想外の事態だろう。


トーマス・エジソンは、ガツンとやられたことの利点を示す好例である。

若いころ、彼は電信装置の改良に最大の関心を示し、多重電信システム、チェッカー・テープ装置の発明をはじめ、さまざまな電信技術の革新をもたらした。
ところが1870年代の初めに、実業家ジェイ・グールドがウエスタン・ユニオンの電信組織を買い占め、この産業の独占体制を確立した。

グールドがこの組織を所有するかぎり、技術革新は以前ほど必要でなくなる。

エジソンはこの事実にガツンとやられて、電信に明けくれた日常を離れることになった。

そしてやむなく、自分の才能を生かす道を求めて、ほかの分野に目を向けたのである。
それから数年ののちに、彼は電球、発電機、蓄音機、映写機など、多数の発明をしている。

彼はこれらのものをいつかは発明したことだろうが、グールドが与えた一撃が彼にもうひとつの正解を求めさせる刺激になったことは確かである。


私たちは、たいていのことをするのに創造的である必要はないが、「何か違うことを考える」必要に迫られたときには、
私たち自身の姿勢がその障害になりかねない。

私はこれらの姿勢を「頭のこわばり」と呼ぶ。

頭のこわばりをほぐす方法は二つある。

ひとつは、それに気づいて、アイデアを生み出みだそうとするとき、一時的にそれを忘れることである。
それができないときには、「頭にガツンと一撃」をくらう必要があるかもしれない。

それで、こわばりを固定している思い込みから解放されるはずである。

『頭にガツンと一撃』(城山三郎訳)新潮社

時代の大きな変化という「深い谷」を飛び越えるときは、自分の背負っている荷物を捨てなければならない。

今まで何年もかかって得てきた知識や、経験、こだわり、慣習等々の荷物だ。

いろんなしがらみや思い込みを捨てて軽くならなければ、時代の変化という「深い谷」は飛び越せない。

何かを捨てなければ、別の何かは入ってこない。


洋服ダンスの中身が一杯なのに、新しい洋服を買ってしまうのと同じ。

断捨離が必要だ。

断捨離とは、モノへの執着を捨てることが最大のコンセプトだという。

----------------------------------------------------------

つい先日も、GW断捨離祭りを敢行したところですが、(笑)
私は定期的にモノだけではなくて、ココロの断捨離をするようにしています。


ここ2年で一番大きな断捨離は離別でした。

それによって、私はここ2年で大きく事業を伸ばすこともできて
会社設立までの原動力を得ることができました。


捨てるということは必ずしも能動的にできることばかりではありません。


環境によって「捨てさせられるということだってあります。


上記トーマスエジソンのように、「人の環境によってあきらめさせられる」ことだってあります。
そういう時は自分の頭でなかなか納得いかないので、かなり辛くて苦しむこともありますけど、
その執着がなくなったときに、新しいアイデアを創造できたりするんだなとつくづく実感しました。


そしてつい先日、なんですけどね(苦笑)


この1年、私の思いを支えてきた大事なモノが消えました(笑)


しかも、かなり壮大に。(笑)


そのモノが入ったバッグを丸ごと喪失。
なくなったモノとしての総額も●十万円。


入ってた思い出とお祝いはプライスレス。


今までそんな大きな紛失は、一度もなかったことなのでかなり混乱しましたけど、
ちょうど会社設立後だったので逆に納得いきました。


ひとつの区切りがきたから、(ある意味ステップが完了して次のステップへ向かう予兆)
その役割を果たしたモノが消えたのだと理解できました。


だから、失うことがすべて残念なことなのではなくて

「新しい受け入れる場をそこに作る必要があった」

と理解できれば、またおのずとやるべきことが見えてきます。


いつでも未来に向けて行動する人には、
たぶん、きっと、必要な離別がやってくるんですね。


それが軽やかに飛べる羽を両翼にたずさえることになり、
いつでもなりたい自分になれる未来へ運んでくれるような気がしています。