ちょっと前に書いた、

 

アニメ第33話のアントワネットが

病気のジョゼフ王子のために祈っているシーン☆

 

 

その祈っているアントワネットの姿を見て思い出す、

 

第28話「アンドレ、青いレモン」の回の

アントワネットの懺悔のシーン✟

 

 

このシーンを見て感じてしまったこんな印象…

 

 

アニメのベルサイユのばら🌹に登場する「神のイメージ」が、

 

 

裁きの神✟

 

 

の、イメージなんじゃないか?

 

といった印象無気力

 

 

なんだか勝手にキョーミが湧いてしまったので^_^;

 

アニばらと原作に描かれている「神のイメージ」を

ざっと拾って見てみて、

 

ざっくり比較してみたいと思います無気力

 

かなりざっくりした話になると思いますが、

 

お暇な方、

キョーミのある方、

 

お付き合いください猫しっぽ猫あたま

 

 

さてさて、

 

アニばら🌹で「神」が登場する印象的なシーンは

私的に3つ思い出します。

 

まずは上に書いた、

 

第28話「アンドレ、青いレモン🍋」の回の

アントワネットの礼拝堂での懺悔シーン☆

 

息子ジョゼフ王子の病気が判明し、

 

いてもたってもいられなくて

礼拝堂へダッシュのアントワネット。

 

礼拝堂の十字架の前で床に座り込み

涙を流してこんなセリフを言います。

 

(今回はDVDでばっちり聞き取りました恐竜くん

 

A「お… お許しくださいませ… 

罪深いわたくしを、どうかお赦しくださいませ。

もし、もしあの子の苦しみが わたくしの犯した罪の戒めなら、

わたくしは今ここで、フェルゼンともう会わないと 誓いを立てても構いません。

ですから… ですからどうか、お赦しください」

 

 

我が子の苦しみと自分の(不倫の)罪を関連づけて、

神に赦しをこうアントワネット…

 

ここで描かれている神は完全に

裁きの神のイメージですね。

 

不倫→罪→裁き

 

裁くか赦すかの全権は神が握っていて、

 

人間は神の前では無力な存在、

裁かれる側です。

 

このシーンに描かれる十字架にかけられたイエスの姿は、

 

 

もう、おどろおどろしいというか

苦しみに満ち満ちています(>_<)

 

 

この神と人間の関係性によく似たような構図が、

 

第9話の、

瀕死の床にあるルイ15世のシーンに描かれていました。

 

ルイ15世が司教に懺悔がしたいと申し出たところ…

 

 

👆こういう十字架が近づいてきて、

 

 

👆国王の瀕死のベッドと十字架と司教がこんな感じに配置され、

 

はい、主教ドドーん!👇

 

 

上から威圧する感じでこのセリフ…

 

司教「もし国王が、本当に最期のときにあたり、

神の思し召しを受け 天に昇りたいとおぼしめしならば、

その証として、キリストの教えに逆らい 神を侮辱して側に置かれてきた妾を、

デュ・バリー夫人を(×2)

まずベルサイユより追放されるがよい!」

 

|ω・)

 

もう、裁きの神です恐竜くん

 

 

裁くのは神!

 

キリストの教えに従えば天国へ✨

逆らえば地獄へ魂

 

どーんおばけくん

 

ということでしょうか…

 

無気力無気力無気力

 

 

なんだか神の前での人間の無力感が

とても強調されている印象です。

 

 

でも一応、別の感じの神も

別のシーンで描かれてはいました。

 

ちょっと前に書いた第33話の

アントワネットが礼拝堂で祈っているシーン。

 

 

わたし、この礼拝堂、

 

第28話でアントワネットが祈っていた場所と

同じところと思っていたのだけれども、

 

よく見たら全然違いました^_^;

 

第28話の礼拝堂👇

 

 

両方とも礼拝堂内なのは一緒なのだけれども、

描かれているものが全く違いました。

 

まあ大礼拝堂は

メインの祭壇と小礼拝堂なるものが存在することも多いので、

 

2つの礼拝堂は同じ空間にあって、

 

第28話のがメインの祭壇で、

第33話のが脇にある小礼拝堂の祭壇

 

というパターンもありかもです無気力

 

 

あと、どちらの回もフェルゼンが入り口付近で立っていて

アントワネットの様子を遠くから伺っていますが、

 

画像の背景を比較してみたら、

 

フェルゼンが立っている場所も

違う場所に描かれていました。

 

同じ礼拝堂での違う入り口なのか、

違う場所にある礼拝堂なのか、

 

真相はよくわかりません…^_^;

 

 

話し戻ります。

 

この33話のアントワネットの神への祈りのシーン☆

 

アントワネットはジョゼフ王子の命を長らえさせてくれるように

神に祈っています。

 

その祈りからは

神の裁きの要素は感じられません。

 

でもこのシーン、

よーく見て行くと、

 

そこに国王が登場し、

夫婦で祈るシーンで終わり、

2人が一緒に光に包まれているような描かれ方で、

 

なんだか全体的にやはり、

 

王妃の不倫は裁かれるものとして描かれていて、

 

罪(フェルゼン)から離れれば

王妃さまは神の恩恵を受けることができる

 

みたいな、

 

結局のところ人間の行いが神によってジャッジされる上での

神と人間の関係性が描かれているような

 

そんな印象です…無気力

 

 

 

さてさて、

 

原作のお話に入ります赤薔薇

 

 

原作では、

 

主人公たち+アンドレ、

 

全員、神に祈るシーンが出てきます。

 

 

まずアントワネットピンク薔薇

 

アントワネット×神

 

で、印象的なシーンは、

 

断頭台での彼女の最後のセリフ。

 

「神よ いま… まいります」

 

この言葉を残してアントワネットは

天へと召されていきました。

 

さて、これ、注目のポイントですが、

その直前に彼女が心の中で思ったことが…

 

【ベルサイユのばら 電子版 10巻】

 

愛するフェルゼンへの思いピンク薔薇

 

これだけ見てもわかるのですが、

 

ベルばら原作で、

 

アントワネットとフェルゼンの恋は

不倫の恋ではあるのだけれども、

 

「罪」としては決して描かれてはいません。

 

 

さてさて、

 

その恋のお相手フェルゼン×神

 

で、印象的なシーンは…

 

バレンヌ逃亡で国王一家と別れるときに馬車を見送りながら、

フェルゼンが放ったこのセリフ…

 

【ベルサイユのばら 電子版 9巻】

 

F伯「守らせたまえ 神よ…!」

 

こちらの印象も、

フェルゼンの祈っている神は裁きの神ではなく、

 

どちらかというと祈っている人間に

勇気や希望を与える神(?)

 

 

さてさて、

 

オスカルも神に祈っているシーンがありました。

 

パリ出動の前日に肖像画が完成して

そのお披露目の場でオスカルが咳き込んで、

 

部屋にこもって血を吐くシーン(泣)

 

シーンが悲しすぎるので

画像は載せられませんが…泣

 

そのシーンの最後のセリフが、

 

「神よ…!!」

 

こちらのシーンも印象としては

裁きの神ではなく、

 

救いの神

 

生きる勇気と希望を与えるような神へ

祈っているようなイメージです。

 

 

そして最後になりましたが、

 

ベルばらキャラ×神への祈りで

ダントツ強烈なインパクトを与えた人物…

 

それは…

 

 

アンドレ!

 

 

もうあのシーンですね!

 

はい、ドドーん!👇

 

【ベルサイユのばら 電子版 6巻】

 

毒ワイン事件の冒頭の

ながーい神への祈りのシーン🍷

 

ここでのアンドレは、

これから自分の犯す罪について神に赦しをこいてはいるものの、

 

自分の決断を

自分で肯定している…

 

|ω・)

 

無気力

 

アンドレの行為は「罪」とは描かれてはいなくて、

判断を読者にゆだねるような描き方です。

 

祈り終えたアンドレの表情を見ると…

 

【ベルサイユのばら 電子版 6巻】

 

神に祈ることによって、

これから自分のすることへ励ましや力を与えられ、

 

すがすがしさすらも感じてしまうような表情です。

(ああ、晴れ晴れ!(笑))

 

 

それにしても、アンドレ💦

 

「主よ われを地獄へ!!」って、

 

地獄行きすらも恐れない

捨て身で神へ祈ってるのね…^_^;

 

この人が一番、

メンタル強いかもしれません(笑)

 

 

あと印象的な原作での「神」の描かれ方☆

 

それはオスカルとアンドレのベッドシーン❤で、

 

【ベルサイユのばら 電子版 8巻】

 

ふたりを結び合わせたのが「神」という描かれ方ピンク薔薇

 

背景の窓枠もなんとなく

十字架っぽい描かれ方です(*'ω'*)

 

 

このように原作での神への祈りの内容だったり

神の描かれ方は、

 

「裁き」の要素が全くなくて、

 

どちらかといったら、

 

「命を与える神」「勇気や希望を与える神」「慈愛の神」

 

そして人と人とを結びつけるような神

 

そんな印象です。

 

 

一方のアニメでは、

 

なんだか「裁き」要素が強い印象。

 

神から人間への力関係もはっきりしていて、

 

神の前に人間が

なんだか孤独です。

 

そう、アニメの人間関係って

なんだか人と人の間に隔たりがある印象なのです。

 

原作ではいつも一緒のオスカルとアンドレですら、

 

アニばらの後半では

なんだかお互い遠い存在に描かれていますしね。

 

 

キリスト教の神の描かれ方は、

確かにいろいろあるみたいです。

 

キリスト教神学の世界でも、

「神のイメージ」って一つの学問のジャンルとして成り立っていて、

 

歴史的にも大論争が繰り広げられてきた

ホットな話題の一つみたいです。

 

 

その中でもざっくりいくと

2つの全く違う神のイメージがあって、

 

それが、

 

「裁きの神」と「慈愛の神(命を与える神)」

この2つの相反するイメージ✟

 

 

裁きの神の前では人間は個人で責任を負っていて、

 

慈愛の神の前では、

 

神の愛を得た人間が隣人へも愛を広げ、

人間同士が愛で繋がっていく要素が生まれます。

 

どちらの神のイメージも聖書に描かれてはいます。

 

 

キリスト教はユダヤ教から派生したもので、

(イエス=キリストはユダヤ人)

 

ユダヤ教は厳しい自然の影響を受ける大地を背景に発展しているので

神のイメージも厳しくなったという説も。

 

でもよくいわれるのは、

 

ユダヤ教にもキリスト教も広まっていく背景に

「家父長制度」の存在があって、

 

家父長制独特の家長による

上から下への力関係が神のイメージの発展に影響した

という考え方。

 

なんだかその神のイメージは…

 

【ベルサイユのばら 電子版 8巻】

 

裁きの神??

 

恐竜くん

 

神(家長)の前での人間(家長に属する者)の無力感、

 

人間の行いが神によってジャッジされる上での

神と人間の関係性…

 

ジャルジェ将軍、

変な例に使ってスミマセン💦

 

(笑)

 

 

20世紀になってフェミニストの神学者たちが

そういった家父長的な神のイメージを批判し、

 

かわりに、

 

「慈愛の神」や人を育む神のイメージとか

そういったものを強調し、

 

そんな神のイメージのもとに

人が団結しつながっていく

 

そんな神と人間の関係性を広めた歴史もあるみたいです。

 

 

たぶん原作者さんが描いている神のイメージは、

 

裁きの神ではなくて

人を結び付ける神

 

だったんじゃないかと想像してしまうのですが、

 

アニメの方は「家父長制的な」

裁きの神がイメージされているのかなあ…

 

なーんて、

 

妄想に基づく独り言を

とりあえず形にしてみました。

 

 

ちょっとまとまらないのですが、

 

このあたりのテーマは

 

深い星空

 

そして、

 

妄想力MAXで挑まないと

なかなかとらえきれないお話…

 

とりあえずこの辺で終わりにしておきます。

 

 

また深まったら補足記事書くかもです。

 

 

猫しっぽ猫あたまピンク薔薇