みなさまこんにちは(^^♪

 

またブログの更新に時間がかかってしまいました…9月から始めた仕事が忙しく、なかなか書き始めるまでに時間がかかってしまいます( ̄ー ̄; でも、言い訳していると、仕事のない時間をぐーたらして過ごしてしまうだけなので、がんばってこのブログだけは続けていこうと思うこの頃です…

 

でも、嬉しいこともありました! このブログにアクセスしてくれた人がこの2日間にぐっと増えたこと(≧▽≦) 記事の更新に波があるので、アクセスしてくれる人の数も波があるのですが、昨日はしばらく更新していないにもかかわらずアクセス数は最多でした! 読んでくれている人がいることが分かるだけで、モチベーションもあがります! 普段から読んでくれている方、そしてコメントをしていただいている方、本当にありがとうございます♪

 

さてさて、以前、ベルばらの主人公3人の最期についての記事を書きました。オスカル、フェルゼン、そしてアントワネットの最期がどのようなものだったのか。そこから3人の人生のテーマが見えてきました。フェルゼン(アンドレも)の最期は、彼が最愛の人との愛を中心に生きてきたことを物語り、オスカルの最期は彼女が軍人として生き死んでいったことを物語り、アントワネットの最期は、彼女がフランスの王妃でありマリア・テレジアの娘であることを誇りに生き死んでいったことを表わしていました。

 

今日は、この分析の番外編で、ルイ16世の最期についてです。…というのも、アントワネットの最期について書くためにバスティーユ以降のベルばらのストーリーを読んでいったのですが、オスカル亡きあと、アントワネットやフェルゼンの人生だけでなく、ルイ16世の革命期の心情やその最期について結構丁寧に書かれていることを再確認したからです。

 

ベルばらでのルイ16世は、お人好しで気が弱く、アントワネットの尻に敷かれていて、王としての能力や威厳にかけるような描かれ方が大半でした。この描かれ方は一説によると、池田理代子さんがベルばらを描くときに参考にしたステファン・ツバイクの小説「マリー・アントワネット」に登場するルイ16世がそんな感じで描かれていたから…という話があります。でもそれも当時の民衆側のビラなどの資料を参考に人物構成していったためということもあり、本当のルイはまた少し違う性格の人だったようですね。また、アントワネットとフェルゼンの激しい愛の物語の引き立て役に、ものたりない性格のルイ16世が好都合だったという見方もできます。

 

でもベルばらの物語の後半からルイ16世の心情がどんどんクローズアップされてされて、ルイの人間性が立体的になっていきました。

 

その初めてのシーンが、アントワネットとフェルゼンとの仲が匿名の差出人の手紙によりルイに知られてしまったとき。ショックを受けながらも、必死にフェルゼンをかばう彼。全ては妻であるアントワネットを思ってのこと。

 

アントワネットが立ち去ってからのルイの独白…ぐっときました。゚(T^T)゚。 心の中で、アントワネットのことを愛していると告白し、あまり魅力のない自分のもとに嫁ぎ子どもを産んでくれたことを感謝し、それで十分だと涙… 子どもの頃ルイ16世loveだったわたくしは、このシーンでさらに彼に惹かれてしまったものです。

 

人生の最期まで、アントワネットを愛し、子どもたちを愛し生きたルイ。処刑の前日、まだ幼い息子シャルルに約束させたのは、決して父のために復讐しないということ。本当に、素晴らしい人間性の持ち主です。

 

そして、今回書きたかった彼の最期。その最期に彼のどのような生き様が反映されているのでしょうか。

 

彼の処刑のシーンは3ページちょっとととても短いものです。でも、とてもインパクトのあるシーンでした。

 

ルイ16世は自ら服を脱ぎ、堂々と処刑台に立ち、集まった群衆にしっかりした口調で最期のメッセージを伝えます。そのメッセージを見ると、彼がフランスの最後の王としての役をりっぱに全うして死んでいったことが伺えます。

 

彼の呼びかけの言葉は「わたしの国民たちよ‼」。そこには、それまでの気弱な王様の姿はもうどこにも見当たりません。

 

息子のシャルルには復讐しないことを誓わせましたが、処刑台でのルイ16世は、彼を殺そうとするものをゆるすと宣言しています。それがフランスブルボン王朝最後の王の、国民への遺言となりました。ルイの処刑のあとの革命期、国王の処刑でフランスは平和になったわけではなく、その後も血を血で洗う権力争いが展開されていきました。人間の歴史は常に残酷です。今世紀においても、復習が復讐を呼び、テロはますます頻発しています。そんな時代にあって、ルイの復讐ではないものを選ぶ姿勢は訴えかけるものがあります。彼は、自分の血が「祖国フランスの幸福の礎」になるように祈り死んでいきます。この言葉で、ルイが国王として国民を思ってきたこと、最後の最後まで国民の行く末を案じ死んでいったことが伺えます。

 

王としての能力に欠けるような描かれ方だったルイですが、彼の最期により、実は彼はずっと王として国民を思って生きてきたことが明らかになりました。そして、国民をゆるし、フランスの未来のために犠牲になるこの犠牲の精神から、ルイが王としてだけでなく、クリスチャンとして生き死んでいったことも伺えます。

 

でも、おもしろいものです。アントワネットとルイは、性格が全く対照的に描かれてきたのに、最期の最期で2人の人生が交差しているのです。フランスの王妃として誇りをもって死んでいったアントワネットと、フランスの国王として国民に対する責任を果たし死んでいったルイ。

 

オスカルとアンドレは光と影の対として、二人が分身として生きていたことが描かれていましたが、アントワネットとルイも実はある意味分身として生きてきたところがあるように思います。国の同盟のため政略結婚をした2人は、結婚のその瞬間から実はこの世で2人だけの運命共同体。10代でフランスという大国の国王と王妃になり、その重荷を分かち合えるのは2人の間だけだったはずです。

 

ルイの処刑の前夜、はげしい恋愛感情ではなかったけれど、本当は夫であるルイのことを愛していたのだと理解したアントワネット。とても印象的なシーンでした。いろいろな愛の形がベルばらには描かれていますが、この2人の愛の物語は一番控えめながら、一番考えさせられました。

 

ちなみにわたくしのパートナーが、ベルばらのキャラに例えるならルイ16世が一番近いという話を以前書きましたが(笑)、それゆえ考えさせられるというのも真実です(笑) たしかにはげしい恋愛感情はないけど(笑)…アントワネットのように愛を実感する日がくるのでしょうか(^o^;) なんか、人生の課題かもです(笑)

 

…と最後はどうでもいい話になってしまいましたが(笑)、本日はルイ16世の最期のお話でした。最後までお読みいただきありがとうございました(^^♪