親となって、母となって、私は自分の親に対して、
申し訳ない気持ちと感謝の気持ちで心が苦しくなる。
苦しくなる。
悲しくなる。
切なくなる。
私は、本当に扱いづらい子供だった。
自分でも自分が扱いづらかった。
自分でも苦しかったし、どうにもできない自分が悲しかった。
ひどいことをたくさんしたし、傷つけるようなこともたくさん言ってきたし、
本当に迷惑をかけたと思う。
どれだけ尽くしてもらっていたか、どれだけ大切にしてもらっていたか、
おそらくどの親よりも私の親は苦労をしたのでは?
と本当に思っている。
もっと普通に生きれなかったのか。
もっと楽に楽に考えていけなかったのか。
どっぷり浸かっちゃってる。
わかってる。自分でも。
でも、抜け出せなかった。
何度も何度もやってみた。
でも、無理だった。
本当に複雑。バカバカしくなるくらい、自分で自分を苦しめてた。
誰かに気持ちをわかってほしいと
この苦しさを誰か分けてくれないだろうかと
誰か変わってくれないだろうかと
そんな風に小さいながら、深く深く悩んでしまっていた。
それでも生きてきたら、私は、親となり、
母となって、親の偉大さに気づいた。
親も子供だった。親だって初めてだった。親だって、苦しいんだと。
親だって、どうしたらいいかわからない。できない。完璧じゃないんだ。
一生懸命悩んでいるんだと。
やっとわかったのだ。
そして、
そんなに常に子供のことは考えてはいない。
忙しいときには忙しい。子供には悪いけど、あっちいってほしいときもあるし、
気分が悪ければ、きつい一言だっていう。でも、そんなに考えて、言ってはいない。
一人になりたいときもあれば、うるさいっていうし、嫌なことがあれば、話かけてくる子供に
八つ当たりすることだってある。
でも、何気なく言ったその一言が、子供を深く傷つけてしまうこと。
それは知っておかなければいけない。
でも、それは、もしかしたら、時間に追われていて、忙しかっただけかもしれない
もしかしたら、パパと喧嘩して、むしゃくしゃしていた時だったかもしれない
落ち込むことがあったのかもしれない
それでも、尽くしてもらっていたこと、愛してくれていること、
守ってくれていることは、子供でもわかる。
私は、その時はわからなかった。でも、今ならわかることがたくさんある。
自分が経験して、やっとわかる。
子供はワガママで当然。扱いづらいのは普通。
何も問題はない。
そう、とっても順調な証拠なんだ。
自分を責めることはなくなって、嬉しさで心が満たされてきた。