身だしなみに気を遣うようになった。具体的にはハンカチを持つこと、外出時のスタイリング(ただしバイトはこの限りでない)、ネイルケアが挙げられる。そのうち肌の調子が整えば簡易的な化粧にも手を出そうと思っている。
 それぞれ挙げた順番で、段階的に習慣化している。今回はそれについて述べていく。


 ハンカチを持つようになったきっかけはプレゼントでもらった1枚のハンカチである。せっかくもらったので、定期的な贈り主との食事の際には携行するようになった。こののち、家で持て余している大量のハンカチの存在を知り、引き取る形で携帯の習慣が付いた。
 これまで20年ハンカチなど縁のない生活をしてきた。手を洗えば当然服やズボンで拭い、目の前で泣く女は無視してきた。のにも関わらず今ではそういった人間をいい歳してハンカチも持たないやつ、と認識し始めてすらいる。そうあってほしくない人間にはハンカチを贈ろうと皮算用をしている。

 自粛期間を経てスタイリングが習慣付いた。これは通学がなくなりサークル活動も一線を退いたため外出の数が著しく減り、外出のたびにありもしない女の影を母に詮索される事を逃れるためである。スタイリング即ち女との約束、という母の推理はあながち暴論でもなかったため恥ずばかりだ。

 ネイルケアは純粋に楽しそうだったので始めた。爪の形は先天的なものが大きいが、私のそれは理想と程遠い。こればかりは仕方ないが、表面を磨けば光るのなら磨きたくなるのが男の性ではないだろうか。かつて泥団子を磨いたことのあるクソガキであったなら楽しめると確信している。ましてや自分の体の一部である。泥団子を磨いても身体はみすぼらしく汚れるだけだが爪は磨けば整い、一定の清潔感をもたらす。
 そこから先、マニキュアに手を出すかはさらに好みによるところであろう。私としてはせっかく磨いたのなら保護したい、というのが根幹であると認識している。例えるなら大きめのジグソーパズルを額縁に入れて飾るようなものだ。
 しかしここで私は大きな挫折を味わった。それこそ泥団子を毎日磨いていたクソガキには手先の器用さの自信があった。しかし体格の成長は反発するように手先を思い通りに動かす事を難しくさせた。あれほど簡単に見えていたネイルの所詮はムラだらけ、気泡混じりの大敗に終わった。悔しさに唸りながら姉の物を勝手に使えるジェルネイルを諦め、難易度の低そうなマニキュアにシフトする事を決めた。


 世の中にはネイルサロンなるものが存在するが、納得の難易度である。手先は思うように動かず、硬化中は動きを大きく制限され、何より失敗すればわざわざ爪をみすぼらしくさせるだけである。
 しかし周りに目を向ければどうであろうか。経験上多くの女が当たり前のようにそれをこなしてみせている。それだけでなく化粧等多くの事に気を遣って生きている事が姉を見れば明らかだ。姉は部屋が障害を確信するほどに汚いが、身だしなみは綺麗な部類に入ると思う。



 私は女は好きだ。が、いい思い出は少なく、基本的に信用しない。強いて言うなら、ヒトにおいて出産をできる唯一の性であること、経験上感じる性意識の高さに対し一定の評価をしているくらいである。そんな偉そうな事を吠えている私も、女さんからすれば「ハンカチ(笑) スタイリング(笑)」と言ったところであろう。

 ネイルケアを通して女にはじめて実感的な敬意を持った瞬間であった。が、基本的なスタンスも変わってはいないし、恥じていると言ったこともない。先日も女性蔑視発言をしたとして炎上した者がいたが、これには違和感を覚えた。私の意見として「女は(私の必要とする任意のタイミングで)論理的な会話ができない」というものがある。これはデータこそないものの私のくだらない20年の人生から経験的に得た統計の結果である。件の森喜朗も「女の多い会議は長引く」という考えを、自分なりの根拠や例を示して説明した。これを糾弾するのなら、存在する事実以上の思考を形にして発信する事そのものが罪となるのではないか。そのようなものはキリストが背負ってどこかへ持って行ってしまったらしいので、私はこの考えを抱くままに生きようと思う。最後に、誤解のないよう「私は女が好きだ」と言う事を強調して終わりとする。私は女が好きだ。