私たち日本人からしてみれば、フランスが鉄道大国? フーン?という風に感じるが、フランス人たちは、いくら自国の鉄道会社がストライキで全くまともに機能していなくても、自国の鉄道文化には大きな誇りを持っている。

それは、TGVのおかげにもよるだろう。2007年4月にTGVは最高時速574㎞を出して世界記録を更新した際にはフランス人たちは大変喜んだ。

 

私はフランスに住んでいながら、ほとんどTGVには乗らないので、その乗り心地やスピードに関してコメントできないが、頻繁に利用している日本人の友人によると、日本の新幹線は乗客の快適性を重視しているのに対し、TGVはあくまでもスピード重視で乗り心地最悪だという。そういえば、日本に旅行したことのあるフランス人も皆、新幹線の乗り心地、定時出発に感動して自国のTGV批判を始める。

 

ちなみに、インターネット上のルモンド紙のミニドキュメントビデオを見る限り、フランスの年間鉄道利用客数は世界第6位だという。私が世界銀行のデータベースで調べる限り、中国、インド、日本、ロシア、ドイツに次ぐ第6位だ。ただ、フランスはドイツとロシアには負けたことを認めたくないから、このビデオの中では中国、インド、日本に次ぐ、世界第6位だと説明するにとどめている。そういうところ、フランス人は愛嬌があって可愛らしい。

 

さて、今回はこのルモンド紙のミニドキュメントビデオを紹介してみたいと思う。テーマは≪いかにしてフランスは鉄道大国になったか?≫である。

鉄道など全く普及していない今から200年前、フランスは完全に田舎であった。四分の三のフランス人が田舎に住んでいたという。しかも、以前このブログでも触れたように、当時のフランスは各地域は言語面でも分断されていたし、標準時刻も存在しなかった。よって、ドイツにほど近い地域では正午だったら、大西洋側の街では午前11時だったのである。よって交通手段の不足は各地域間の分断を促がしていたのだ。

https://ameblo.jp/palmehiroki/entry-12371160703.html

 

フランス鉄道研究の専門家Clive Lamming氏はこう語る。

『鉄道がフランスで誕生する前は、小麦が豊作であった地域のすぐ横の県で飢饉・餓死が多発していた。なぜなら、小麦を輸送する手段がなかったからだ。』

 

そのような状況の中、フランス社会思想家サン・シモンもイノベーションと産業の発展によって社会が発展することを力説していた。彼の思想にひどく感銘を受けたのが、ポルトガル出身の銀行家ペレール兄弟だ。彼らは南仏やフランス南西部に鉄道を敷き始める。それだけではなく、パリ近郊のベルサイユにも鉄道会社を設立するのだ。

 

そして、すぐにフランス政府も経済的な観点から鉄道の重要性に注目するのだ。

 

政府は鉄道敷設権を管轄すると同時に、トンネルや橋といった大規模工事に投資を始める。政府の協力の下、民間鉄道会社は鉄道事業を拡大していき、事業で黒字が出たら、それを政府に還元するのである。このようにしてフランスの鉄道網は急速に発展していった。

 

鉄道網の発展は国内流通業に革命をもたらした。例えば、フランス名物のワインだ。今では考えられないが、当時のフランスではワインを全く飲んだことがない人もたくさんいたらしい。しかし、1870年以降、鉄道が国内に敷かれ始めたことで、南仏のワインを他の都市へと大量輸送することが可能となったのである。

 

また、中央集権化を加速させたいパリの政治家も鉄道の潜在的価値に着目しはじめたのだ。1879年には、公共事業大臣Charles de Freycinet が大規模な国内鉄道工事を可能にするための特別予算を議会に承認させた。

 

この国家的プロジェクトによって、パリからフランス国内の各地方自治体へと鉄道を敷設できたことで、中央政府の役人が各地方自治体へ影響力を増やすのに一躍買った。

 

 

このようにして当初は約9000㎞しかなかったフランス鉄道網は1910年には約40000㎞まで増大していったのである。

 

ちなみに、2018年現在フランス鉄道網は約30000㎞しかない。

次回はどうしてフランスの鉄道網が縮小していったのかに注目したい。