確かに、マクロン率いるEn Marcheは勢いがあった。しかし、それだけではマクロンを大統領に就任させるばかりか、その後の政権運営にも限界があったであろう。日本でも反自民党を掲げて民主党が政権奪取したが、たった4年の短命で終わってしまった。安全保障分野や危機管理問題をうまく捌ける政治家が政権にいなかったからである。それはフランスでも同じだった。マクロンらが巻き起こしたEn Marcheには大物政治家による重しが必要であった。

 

現在マクロン政権で、内務大臣を務めるジェラード・コロンブは社会党の重鎮であったにも関わらず、いち早くマクロンの大統領選挙を応援すると表明した。そんな彼が密使となってマクロン支持を頼み込んだ相手というのが長年、文部科学大臣などを歴任したフランソワ・バイルである。

 

どうしてフランソワ・バイルの協力がマクロン勝利のために必要であったのか?それは彼が今まで3回も大統領選挙に出馬していたためだ。フランスの大統領選挙は自民党総裁選のように1度目の投票で過半数をとった候補者がいなかった場合、上位2名での決選投票が行われる。その結果、大統領選挙には数多くの候補者が立候補するので、票が割れてしまうのだ。バイルは2017年の大統領選挙にも出馬する意欲をみせていた。そして、彼もマクロンと同じように政治的にはリベラルでも保守でもない中道主義の候補者の一人であったのである。

 

バイルがマクロンと目と鼻の先に住んでいたこともあって、2017年2月には近所のカフェでマクロンは直接交渉したという。

その後、バイルは記者会見でマクロンに協力することを発表するのだ。この連携はマクロン選挙陣営にとって最大の助け舟になったと同時に、候補者エマニュエル・マクロンとしての箔もついた。

 

さらに、エマニュエル・マクロンは政権奪取後の政権運営を円滑に進めるために、フランス人の間でもっとも尊敬されている大臣のひとりであるジャン・イヴ・ル・ドリアンの協力をも要請した

当時、ル・ドリアンはオランド政権の防衛大臣。2017年2月からマクロンは彼に直接交渉を開始したと言われている。

ル・ドリアンは防衛大臣である以前にオランド元大統領の古くからの友人でもあった。

 

ル・ドリアンはこう語る。

≪私はマクロンにこう告げた。合流するが、少し後でだ。なぜなら当時、私は防衛大臣で、フランスは交戦中であった。私の合流でフランスを危険にさらすわけにいかなかった。だから、私はマクロン陣営への合流をぎりぎりまで公表することを控えた。≫

 

こうして、ジョン・イブ・ル・ドリアンは2017年3月23日、大統領選挙投票日の一か月前にマクロンへの協力を公表したのである。

 

(続)