オランド大統領の経済分野の副補佐官としてエリゼ宮で勤務した2年もの間、マクロンは自分が大統領になった日のことを想像しながら様々なシミュレーションを頭の中で繰り広げていた。
そんなマクロンは自身の野望を叶えるための仲間と、それを可能にする新たな拠点を構える必要があった。
その場所となったのがセーヌ川沿いに位置するBercy(ベルシー)だ。
パリにも、東京の永田町、霞が関、兜町、桜田門のように、地名がそこに所在する行政機関の代名詞として使われている場合が多くある。
Quai d’Orsay(オルセー河岸)はフランス外務省、Place Vendôme(ヴァンドーム広場)は司法省、そして、Bercy(ベルシー)は経済産業省をそれぞれ意味している。
2014年8月26日。エリゼ宮を去ったわずか6週間後にエマニュエル・マクロンは経済産業大臣に任命された。前任者のアーノルド・モンブーは在任中からオランド政権の緊縮財政政策について厳しく批判しており、その結果解任されたのだ。
また、この時期に、マクロンは大統領への道を大きく引き寄せる、ある出会いを果たす。
その相手こそ、この一連のLe Casse du siècle最大の黒幕、イスマエル・エメリアンだ。
このイスマエルがマクロンの参謀としてすべてを取り仕切った。
共通の野望≪権力を奪取する≫を実現するために、イスマエルとマクロンは共に立ち上がる。
2015年秋、大統領選挙の18か月前、イスマエル・エメリアンは秘密結社を立ち上げた。このメンバーの多くは2007年の大統領選挙時、社会党候補ドミニク・ストロス=カーンの選挙活動に参加した若者であった。※ドミニクは2006年の社会党大会で党候補選に敗れ、社会党代表として大統領選に挑んだセゴレーヌ・ロワイヤルもサルコジに敗れた。
彼らの会合は当初パリ市内それぞれの自宅で行われていたようで、全くのノープランの状態でスタートした。そこで、いかにして、エマニュエル・マクロンを大統領に就任させるかについて、思い浮かぶ全てのアイデアを出し合ったと言われている。
さらに、この秘密結社間のやりとりは一切証拠が残らないよう暗号化した回線を用いられていた。
彼らの会合がパリ市内で秘密裏に繰り広げられる中、この物語の主人公エマニュエル・マクロンは職場である経済産業省で自身の知名度をあげるための努力に励んでいた。
当時、マクロンの執務室の2階上で勤務していた国家予算を統括する書記官クリスチャン・エケー氏はこう回顧する。
≪当時、経済産業省の厨房はフル回転だった。マクロンはとにかく人と会っていた。知識人、エコノミスト、会社経営者だけではなく著名人・ジャーナリスト・舞台関係者・歌手・俳優・作家らとも。私も彼らと何度もすれ違ったが、とてもマクロンがフランスの経済産業省の長だとは思えなかった。≫
2015年秋にはオランド大統領の友人ミシェル・サパン氏はオランドにこう忠告したという。
≪エマニュエル・マクロンは別のことに専念しているよ。別のことっていうのは必ずしも、君の大統領選挙を支援することじゃないよ。≫ (続)

