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 渡邊熊四郎という明治の実業家に惹かれた、という新しい体験のほかにもう一つ、とても興味深かったのは、トラピスチヌ修道院である。

 

 函館の中心地からちょっと離れているので、当初は行くつもりがなかった。

 2日目は、もともと五稜郭に行こうと思っていた。旅行直前に、函館出身の友人が「通っていたカトリック湯の川幼稚園に行きたいなぁ」というので、じゃあ代わりに見学してこようと思い立った。宿泊先の駅前のホテルと、五稜郭と湯の川、平べったい二等辺三角形。途中、気が向いたスポットに寄り道するには、自転車が一番。ということで、レンタサイクル店に10時開店と同時に飛び込み、ヘルメット装着の上、いざ五稜郭へ。

 桜並木の緑を眺めながら六花亭でケーキを食べて、ほぼ1本道で湯の川幼稚園にたどり着き、記念撮影中に園長先生(?)に不審者の嫌疑をかけられ「友人がこの幼稚園出身で…」と言い訳した後、せっかくだからと湯の川温泉街まで足を伸ばすと、神社フェチにはたまらない赤い鳥居が見えて来た。湯倉神社。ラッキーなことに、茅の輪くぐりが設えられていた。

 

 ここから、二等辺三角形の長い底辺をたどって函館駅に戻ろうと地図を見ると、逆方向に3km程度行けばトラピスチヌ修道院である。そこで突然思い出した。

 高校時代、函館のトラピスト修道院のクッキーをもらって、「トラピスト」という名前を知り、深く考えもせず「修道女になりたい」と思ったこと(今回の旅行で初めて知ったが、「トラピスト修道院」は実は男性修道士の修道院であり、湯川の「トラピスチヌ修道院」とは別物である)。ちなみに、大学2年のときに訪れた永平寺では「雲水になりたい」と思った。元々そういう 思考(指向?嗜好?)があるのだ。

 ガイドブックには、「修道女の生活の場は公開されていませんが」とあるので、永年憧れていた修道女の日常に直接触れることはできないが、せっかくだから、足を伸ばそう。

 

 トラピスチヌ修道院は、俗世を離れて神様にお仕えする修道女が住む場所だから、ちょっと人里離れた、小高い丘の上にある。3段切り替えのママチャリで登れるところまで登り、途中の駐車場に置き捨てて、あとは徒歩でたどり着く。

 松と楓の間から大天使ガブリエルのお告げを聞く聖母マリアの像。庭園の最上部からは、元町教会群を抱く函館山が見晴るかせる。

 最後に立ち寄ったお土産コーナーには、「修道女の一日」というポスター展示があった。

 

 午前3時半、起床。朝のお祈り、etc. →な、夏でもまだ暗いんじゃないの…?

 午前7時、朝食。→起きてから3時間以上、ご飯はおあずけ…?

 午前の仕事、昼食、午後の仕事、etc. →ずっと仕事。ここは俗世の労働者と同じね…。

 午後7時45分、就寝。→し、しちじ…。8時間近く睡眠時間は確保、できる、けど…。

 

 そして、お仕事の内容はといえば、隣の売店で売っているクッキーやマドレーヌを焼いて、手芸品を作って、畑仕事をして、そして何よりも、神様への祈り。

 

 だめだ。無理、ムリ。

 

 さきほど湯倉神社の神様には、自分と、自分の身の回りにいる人たちと、そして世界中の人たちの安寧をお祈りした。お寺の仏様にも、いつもそうお祈りしている。

 3時半に起きてクッキーやマドレーヌを焼くことが、どれだけ現世の人びとの安寧に役立つのか、などと不埒なことを考えてしまう。神様への奉仕そのものが、この世に生きる人たちの幸せに直接つながるとは、キリスト教信者でない私には信じられないし、信じられない以上、信者には決してなれない。

 そもそも、神様への奉仕そのものが目的なのだから、何のために神様に奉仕するのか、なんて考えてしまうこと自体が間違っているのだ。

 改めて、真剣に、やっぱり修道女にはなれない、と確信した。

 …そんなこと、函館くんだりまで来なくたって、わかるだろーが、と自分にツッコミたくなるが、自己認識を深めることこそ、旅先ならではの賜物、とも言える。

 

***

 トラピスチヌ修道院の修道女のように神様への奉仕という尊い仕事に生涯を捧げることはできない。かといって渡邊熊四郎のように、現世的「やらなければならないこと」を次々実行していくシリアルアントレプレナーにもなれない。

 還暦を過ぎ、第一線を退いて仕事を減らして悠々自適の時間を増やしていく友人がいるかと思えば、文字通り世の為人の為に大きな影響力を及ぼす地位まで昇り詰めた友人もいる中、一人青臭く「何のために働くのか」と “哲学” してみる。

 結局、ささやかだけれども、ごく特定少数の人たちへのパワーチャージの仕事をしていくしかないのかな、というのが、函館での結論である。