7月に日経新聞の購読料が4,900円から5,500円に値上げされるのを機に、遅まきながら電子版に切り替えることにした。

 これまで、「やっぱり1面全体を視覚的に捉えるのが大事だよねー」などとうそぶき、朝の地下鉄では縦2つ折りにしてくるりがさりとページをめくり、週末にはコーヒーのマグカップ片手に食卓に大きく広げた土曜版と日曜版をゆったり読むのが習慣だった。

 でも、「やっぱり新聞は紙でなくちゃ」という考えは、一種の「バイアス」である。男女差別につながるジェンダーバイアスなどと違い、人様を傷つけたり迷惑かけたりするわけではないから(地下鉄が混んでいるときは購読は控えている)、別にこのバイアスに固執しても構わないかもしれない。

 が、しかし。

 10%以上の値上げに対する条件反射的な抵抗感のあと、冷静に考えて、電子版への切り替えは不可避、というか絶対必要、という結論に達した。

 

 脳みその柔軟性を維持向上させるためである。

 

 「最近どんどんアタマがカタくなっちゃってさー」というセリフを、よく聞く。というのも、同世代が「アタマがカタくなる」年齢に突入しつつあるからである。しかしこれは一種の自己暗示、自分に対するマイナスのピグマリオン効果、自らを陥れる悪魔のささやきなのだ。人間の脳みそが「年齢とともにカタくなる」というのはウソで、筋力トレーニングのように地道に鍛え続けることで、何歳になってもカタくならずにヤワらかさを保つことができる。

 これを、「脳の可塑性(かそせい、Malleability)」という。可塑性とは、日本史の天平文化あたりに出てきた「塑像・乾漆像」の、あの「塑」である。粘土をこねるみたいに自由な思考が造られ、脳がいかにも柔軟にのびのび働いているようで、好ましい響きだ。

 

 じゃあどうやって鍛えるかというと、「いつもとちがうことをやる」のである。

 

 個人差はあるだろうが、人は年齢を重ねるにつれて基本的な生活パターンができ、同じことの繰り返しになる。習慣を変えるには心理的(というか脳みそ的)エネルギーを要するので、だんだん億劫になる。このまま紙で読み続ければ、余計なエネルギーを消費せずにすむが、脳みそは確実にカタまっていく。

 一方電子版にすれば、朝の習慣が変わり、郵便受けに新聞を取りに行く作業がPCスイッチONに置き換わり、小さな画面から情報をざくっと読み取る力を新たに培わねばならず、否応なしに脳に負荷がかかる。最初は筋肉痛を起こすかもしれないが、それでめげたら世間から取り残される一方だから、がんばって脳みそに鞭打つしかない。

 

 おかげさまで私は、四捨五入還暦になってから大学院に行き、「いつもとぜっんぜんちがうことをめっちゃたっくさんやる」稀有な機会を得た。かつ、自分の半分の年齢の若者と交流させていただいたおかげで、彼らの挙動を見習って(紙ならA4サイズの)論文PDFをスマホで読めるようになった(意外に集中できる)。新聞記事をハサミでしょきしょき切ってスクラップ、という伝統的手法も、切った記事をPDF化するようになり、さらには記事をそのまま写メ、というところまで進化(?)していた。

 その延長として、「電子版に切り替える」のは当然ではないか。

 

 とはいえ一応、デメリットも列挙してみる。

 ①折込チラシが見られなくなる→必要不可欠なのはスーパーのサミットの広告。でもポイントカードのスマホアプリでもチラシは見られる。

 ②食事しながらダイニングテーブルの上で読めない→PCデスクで食事する。もしくはタブレットを買う。そうだ! 新たなガジェットの使用は、まさに「いつもとちがうこと」。購入決定。

 ③窓ガラス拭き用の古新聞がなくなる→これは実務的にツラい。でも年に2回程度、1回につき朝刊1日分だから、6月分の古紙を捨てずにキープすれば、15年分。問題ナシ。

 

 というわけで、めでたくデメリットは解消。

 意気揚々と「ニュースサービス日経」に電話して購読解約を切り出すと、おじさんにものすごく悲しそうな声を出されてしまった。

 ごめんなさい。でもおじさんも、新たに起業するなり何なり、脳みその柔軟性維持に努めてください。