先日、日経文化欄の伊藤亜紗氏の「チロル堂」というエッセイに、しみじみとした気持ちになった。
 奈良にある、子供たちが集まる「チロル堂」という駄菓子屋兼食堂で、裏の建設工事の騒音に困った店主が、工事現場を望む窓に「はたらくおじさんをみよう」という貼り紙をして、子供たちがおじさんたちを「見学」できるようにした。次に、窓の外にチロル堂のメニューを貼ると、おじさんたちが窓をたたいて注文するようにした。やがて、おじさんたちは窓から子供たちを連れ出してショベルカーに乗せてくれたという。

 いいなあ。しみじみするなあ。
 何がそんなに私の心を動かすのだろう。いつものクセで、自分の「感情」の裏にある「思考」を言語化しようと、考えてみる。
 と、不意に、ちょっと前に思い出してしみじみしていたエピソードのことを思い出した。

 ソニー本社で、米国事業を統括するSony Corporation of America(SCA)という子会社に赴任していたA氏とタグを組んで仕事をしたときのこと。A氏と私は、本社の事業部、SCA傘下の音楽会社や映画会社など面倒くさい関係者間で、面倒くさいテーマを議論して方向性を決めるコミッティの事務局という、面倒くさい立場だった。A氏と私は、議論の進め方から結論の落としどころ、そのための根回しなど、あーでもないこーでもないと作戦を練らねばならならない。

 マンハッタンのど真ん中にあるビルの35階(だったっけ?)のオフィスで何度打合せをしただろう。でもそんな面倒くさい状況下、彼はいつも明るかった。考えが行き詰まってしばし沈黙が続き、頭を抱える私に、彼は突然ニカッと笑って、こう叫ぶのだ。
 「あっ、いいこと考えた!!」
 え、どんないいこと!? と一瞬期待するが、次に出てくるのは「座席表作るの止めて自由にしたらどうだろう」的な、ささやかなアイデアなのである。
 3歳くらいの幼児が、黙々とお絵描きをしていて、突然「あっ、いいこと考えた!!」と叫び、どんないいことかと思いきや、「牛乳飲もうっと」みたいな展開。
 「はぁ、まぁ、そうですね」
 なかば呆れながら、でも、素で「いいこと」だと信じているような、無邪気な笑顔にほだされて、実際自分も何だかそれが「いいこと」みたいに思えてきて、もう少し知恵をしぼってみようか、という気持になるのが不思議だった。

 2つのエピソードに共通するのは、何か問題や困った状況に直面したとき、それを「モンダイ」として捉えるのではなく、「何かいいことはないか」、という視点で捉え直す、という点である。

 「リフレーミング Reframing」という概念がある。

 物事に対する見方・考え方の枠組み(フレーム)を変えてみること、である。具体的には、「別の見方をすると…」「他の角度から考えた場合は…」「違う観点で見てみると…」のあと、「…」を考えること。

 ビジネスパーソンなら誰しも、物事を一面的に捉えず、複数の観点から客観的に検討しなければならない、ということは理解しているだろうし、実際に普段仕事の中で問題解決や意思決定をする際は、自然と「リフレーミング」をやっていると思う。
 私は、「リフレーミング」という言葉を知って以来、意識して「リフレーミング」している。例えば、あまり面白くなさそうなテーマの講演を聴講するとき「別の見方をすると、この時間はどう有効活用できるだろうか」と自問し、「そのテーマがいかに面白くないかを検証する時間にしよう」と自答して、非常に“有効”な時間にしている。

 これまで無意識にやってきたことに(”リフレーミング”といった)「名前」をつけると、それをやったときに「”リフレーミング”してるな」と意識しやすくなる。意識することで、それが改めて「自分の行動様式/思考様式」として再認識されることになり、より実践しやすくなる。

         ・・・(下)に続く