(上)はこちら…

 一方「認知的共感」なら、「情動的共感」と違い、あらゆる相手に対して、あらゆる場面で、示すことができる。もちろん、それにはいくつかのコツが必要だ。

 

 1つめのコツは、想像力を働かせること。

 カンタンな仕事に四苦八苦している若手を見て、新卒時代の自分を思い出してみる。そういえばあの頃はメールひとつ返事するのも苦労したなぁ、こいつも今、そういう状況なんだろうなぁ、と想像してみる。そうやって、相手の状況をありのまま理解すること(=認知的共感)が、できるようになる。

 たとえ自分に苦労した経験がなくても、相手の状況や能力・スキル、自分との違いをちゃんと認識し、そういう状況・そういう人物だったとしたら、たしかにそう感じるかも、そういう考え方をするかも、と想像力を働かせることで、認知的共感は可能になる。

 

 「認知的共感」をうまく行うもう1つのコツは、自分の価値観や信念、考え方を一旦脇に置くこと。

 いくら想像力を働かせようとしても、自分の価値観や考え方への拘りが強すぎると、どうしてもそれに引きずられて、想像力が貧困になる。相手の考えや価値観が自分とは異なっていたとしても、自分のそれは一旦脇に置いてニュートラルな立場に立つことができれば、相手の考えや価値観はそうなんだ、と柔軟に考えることができて、相手の状況を正しく把握した上で、相手をありのまま受け止めることが、容易になる。

 私の場合、メンターの仕事ではもちろん、普段の仕事、あるいはプライベートな会話の中でも、相手が自分とちがう意見や感情を示したときは、頭の中で玉手箱みたいな箱をよいしょっと脇にずらす、そんな場面を想像して、「自分の価値観を一旦脇に置く」ようにしている。そうやって頭の中に空いたスペースに、相手の価値観をポンと置いてみると、そっかー、そういう価値観もあるんだー、と素直に受け入れることができる(気がする)。

 

 「自分の価値観を一旦脇に置く」ためには、さらなるコツが必要となる。平たい言葉で言うと「柔軟性」である。

 自分の価値観への拘りはある意味とても大切だが、それが強すぎると「固定観念」になる。固定観念になると、「自分はそう考える」と思い込むだけでなく「自分のその考えが正しい」と思ってしまいがちだ。そもそも価値観や信念に「正しい」も「正しくない」もない。考え方や意見も、1+1=2みたいな絶対的な正解はない。

 柔軟性とは、「自分はそう考える」と自分の軸を大切にしながらも、相手には相手の軸がある、と認めることであり、正否や白黒がはっきりしない物事を、そういうものとして認めることだと思う。認知的共感には、こうした柔軟性が不可欠だ。

                           ・・・(下)に続く