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 ところで、日経の記者は、300字に満たない短い記事で、なぜこのような過激な動詞を繰り返したのだろう。恣意的だったのか、無意識だったのか。

 後者であったとすれば、由々しき問題である。文字で情報を伝達することを生業にしているプロフェッショナルが、「なんとなく無意識に書いちゃいました」なんていうことは、あり得ない、と思いたい。
 前者、ということも、さすがになかろう。日本経済新聞社の「行動規範」には、「取材・報道に際しては、中正公平に徹し…」と明記されている。
 もしかすると記者は、私と違って、トゥーンベリ氏のあの口調の中に、「痛烈」さや「一蹴」する排他性、「糾弾」のトーンを聞き取ったのかもしれない。他人の言葉に対する受け止め方は、それこそ人それぞれなのだから。

 では、そのような受け止め方は、単に個人の感受性の問題なのか。それ以外の要因が影響してはいないか。
 今回初めて知ったのだが、トゥーンベリ氏はアスペルガー症候群(コミュニケーションや対人関係が苦手、興味の偏りや拘りが強い)だそうだ。2019年9月の国連気候変動サミットでのスピーチを始めとする彼女の過激さは、それにも関係するらしい
 そこで「過激な活動家」という「レッテル」が貼られ、彼女の発言は、常に過激な動詞や形容詞とパッケージで報道されるようになった結果、固定観念化されてしまったのではないか。このたびの記事も、そうした固定観念に基づいた、無意識のバイアスが働いたのではないだろうか。

 今回のスピーチでは、1年半前よりもずっと怒りの表情は最小限に留められ、より冷静な口調であることは、ビデオを見比べれば明らかだ。それなのに、一旦出来上がった「過激な活動家」という「固定観念」は容易には払拭されない。ちょっとした物言いも「痛烈」に見えてしまう。それを「痛烈」と書き記すことで、ありもしない「割れガラス」が自分の記憶の中で造成され、自分の中の固定観念はさらに凝り固まっていく。それを読んだ人もまた、ありありと「割れガラス」を思い描き、固定観念が固定観念を呼び、やがて「世間の常識」になっていく。
 マスメディアに悪意があるとか、誘導しようとしているとは思わないけれど、それでも「Hit」を「Smash」と表現する類の煽動的な言葉遣いにならぬよう、十二分に注意を払っていただきたい。

 もう1つ心理学ネタを披露しよう。
 カウンセリングの基本である「傾聴」スキルの一つに、「言い換え」、つまりクライエントが言った言葉を別の表現で言い換えるスキルがある。
 クライエントがネガティブモードのときは、トーンを少し和らげるのがコツである。
  「もう、全くやる気がしなくて、仕事も手につかないし…」
  「ちょっとモチベーションレベルが低くなってるようですね」
 そうすることで、ネガティブの底なし沼にずぶずぶとはまり込みそうになっている人に、少しだけ優しい暗示をかけるのである。

 繰り返すが、コトバのチカラは恐ろしい。
 特に、ネガティブな言葉に対して、人はより敏感に反応することも、心理学研究で明らかになっている。
 コトバを自由に操ることのできる私たち人間は、コトバに操られないようにしないといけない。あるいは、どうせ操るのであれば、世界が優しい方向に向かうよう、上手なコトバの操り方を習得したい。
 

#余談だが、上記にリンクを張った記事の執筆者は、私が3月まで通っていた筑波大学大学院の原田隆之先生である。本ブログは先生がおっしゃりたいポイントとずれていているが、偶然この記事を発見して、嬉しかった。「アスペルガーも個性」という観点は、私の修論テーマであるダイバーシティにも通底していて、なおのこと嬉しかった。