悪夢でも現実でも
「あ、間に合わない!」と
感じたときの焦りと恐怖は嫌なもの。

悪夢の場合、夢から醒めるとほっとしますが、
それでも焦りと恐怖だけは残り続けて
なんだかフシギな感覚に包まれます。

何かの提出に間に合わないとか、
友人との約束の時間に間に合わないとか、
具体的に間に合わないことが明らかであるならば、まだましです。

迷惑をかけそうな各方面にお詫びをしておいたり、
次の手に変えたりということもできます。

人生の中で、
ときどきこういうことは起こってしまうものさ、と開き直れます。



しかし困るのは、
そのような具体的なことはない場合です。

具体的なことが無いのに

自分の中で

「何かとても大切なものに間に合わなかった」
という痛みや絶望感

「絶対に間に合わせなければならないのに、
間に合いそうにない!けど間に合わせたい」

という焦りやいらだちを
不意に感じることがあるのですね。

なぜだ?
・・・もしや病気なのかな?


過去世からの因果なのか、
遺伝子的に持っているものなのか、
映画やドラマなどの物語に影響されているのか?

昔から持っている病なのに、
今だわかりません。



わからないその感じを、もう1度言語化してみると

この人生でしなければならないことがあり
(それすら幻想だとしても)
それが何かすらはっきりとはしない。

だから全力を注げず、
でも全力を注がないと
間に合いそうにないことのような気がしてならない。

と、いう感じですね。

書いていたら、心がざわついてきました。

(少しの「間」)


わたしは大切な何かに間に合います
わたしは大切な何かに間に合います
わたしは大切な何かに間に合います
わたしは大切な何かに間に合います
わたしは大切な何かに間に合います

と繰り返しているうちに多少落ち着いてきたようです。


だいじょうぶ、間に合うから

だいじょうぶ、したいと思うことに
遅いことはないから

だいじょうぶ、大切な人は待っていてくれるから

だいじょうぶ、そのようになるから

間に合わないからと、絶望したり自棄になると「魔に会う」かもしれない

だから、だいじょうぶ、わたしは大切な何かに間に合います


日々の生活もまた、良い旅でありますように!