数年前

自称「辛口で、他人を寄せ付けない」知人と会ったときの話し

わたしは彼女の包容力と気遣いにいつも感心します。

 

今の状況をどう思っているか?幸福か?と聞かれ

 

「幸福とは感じていないが、

不幸とか不運とかとも思わない。

住んでいる場所も、狭いけれど、

ロケーションは気に入っていて、

気に入っているか気に入っていないか、

どちらとも言えない」

 

と答えると

「どっちなんだよ!」と突っ込まれました。

 

印象に残った言葉

 

「結局、どちらも選べない、

中途半端な自分がいるか、

中途半端ですらない、

そもそも自分がない状態なのではないか?」

 

「どちらでもなく、どちらでもあるというのは、
自分を確立していないことだ」

 

「わたしは、こうだ。

これを選ぶ。

これを止める。

 

それを宣言、決心し、覚悟を決めることで、

現実の状態が変わる」

 

「だから、どちらでもない、というのは、

どちらも選んでいないことになり、

どちらも選んでいないというのは、

自分を生きていない」

 

と。

 

「宣言をしていないから、自分を生きていない」

ということは

納得できるのですが

 

「宣言・決心をしても、

すべてそうなるはずがない」

 

という思い込みはわたしの中に

根強くあるようです。

 

また宣言をした後でも

まだそれが成就していない

移行期というか中間期はあってもよい、

とも思います

 

 

 

 

上記の友人の言葉はもう4年くらい前の話に

なると思いますが

 

彼女の言葉が世界の事実であるならば
 
わたしはいまだ
自分を生きていないのかもしれない
 
と思います
 
 
 
幸福と感じる瞬間はあるけれど
いつでもそうではない
不幸だとも思わないけれど
不運だなぁと感じる出来事はある
 
わたしはその状態がこそが
 
この世界の物質的現実を生きている状態だと
 
いまだ思い込んでいて
 
今のところは
この思い込みを解消するつもりも
ないのだなぁと自分で感じています
 
 
 

日々の生活もまた、良い旅でありますように!