ハムの美味しい食べ方教えて!

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ハム
生ハムはバケットにのせてたべると
生ハムの塩辛さが緩和されて
おいしいおつまみになります
 
好みでオリーブオイルを
少しつけてもよいですね
油っぽくなるかな?
 
まぁハムはおいしいので
8月6日はハムの日でも良いのですが
 
原爆投下の日として
思い出すだけでも
思い出したほうが良いと思っています
 
 

 

 

 

あの戦争をそもそも起こしたのは日本なのに
原爆投下されて
被害者のような感覚に陥っている
 
とか
 
米国では原爆投下したから戦争を終わらせられた
と教育している
原爆投下は戦争を終わらせる役に立った
 
とか
 
黙祷をする意味はあるのか
 
とか
原爆投下の日にたいしては
まだまださまざまな議論があります
 
 
まぁでも
失われたアトランティス大陸の伝説も
「力の濫用・誤用があったため」滅びたのだと
したら
 
「力の暴力的な使い方をしてしまった」
「それすら正当化されようとしている」
 
ことを忘れないためにも
原爆投下の日は記憶に残しておいて
語り継いだほうが良いと個人的には思います
 
 
 
 
黙祷に意味はあるのか?
 
黙祷は祈りであるので
祈りとしたらわたしにとっては大ありです
あるという前提で日常生活が
成り立っているといっていいくらい
 
祈りも力だと感じているからですね
 
極論すれば
祈りはインフラに近いものです
 
祈りや願いが通じたと感じた感覚
ほんのささいなことではあるけれど
その感覚を日々感じているし
これがない生活がイメージできないのですね
 
 
 
この原爆投下に対しての黙祷
として話しを戻すと
他人に強要することはもちろん論外です
 
それが全体への祈りであったとしても
する・しないは
個人の自由意志によるものだからです
 
 
 
する・しないは自由ですが
「黙祷など意味がない」
という主張に対しては
少し意見をします
 
「黙祷など意味がない」
と主張しているとしたら
 
今までの人生の中で
祈りや願いが通じた感覚がない

のかもしれません

 
そうすると言葉どおり
意味は無くなります
 
 
仮に祈って叶ったところで
祈りが通じた
と認識しないからです
 
 
個人的に黙祷など意味がないと
心の中で思っているのは自由です
 
がしかし
 
黙祷など意味がないということを
他人に主張したとしたら
 
黙祷など意味がない
 
この言葉そのものが願いとなって
その願いが成就するのですね
 
個人的には
祈りの力を
そういうことに利用してしまうのは
もったいない気がします
でもそれすら自由
 
 
 
自分が
心の中で思っていること
感じていること
自分が周囲に主張したいこと
 
自分自身がそれを知っておくことが
結局のところ
1番大切なことなのかもしれません
 
 
 
 
日々の生活もまた、良い旅でありますように!